『Cosmetic DNA』は3月26日(土)より大阪、シネ・ヌーヴォにて上映
現代を生きる女性たちを取り巻く社会の不条理と理不尽を、独特な映像美でブラックかつパワフルに描き出した痛快作『Cosmetic DNA』。
撮影当時、若干24歳であった大久保健也監督が、脚本・撮影・照明・美術・編集も自ら手がけ、ユニークで大胆な完全オリジナルストーリーを完成。「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020」では北海道知事賞を受賞し、SNSを中心に大きな反響を巻き起こしました。
このたび、大久保監督の住む地元大阪にある、シネ・ヌーヴォでの上映を前に大久保健也監督へインタビューを敢行。
結末に込めた思いや、劇中に登場する道具に託したメッセージなど、大いに語って下さいました。
CONTENTS
結末をめぐるハイテンションなストーリー
──大久保健也監督、『Cosmetic DNA』をたいへん興味深く拝見させていただきました。殺害した男性を化粧品に変えるという設定に驚きました。このアイデアは企画段階の当初からあったものなのでしょうか。
大久保健也(以下、大久保): 性暴力被害を受けた女の子が男をぶち殺して何らかのマシーンで肉体をすり潰し、その残骸で化粧品を作って販売して大儲けして起業家になる、みたいなストーリーアイデアが漠然と2018年頃からありました。23歳の時ですね。
──物語で描かれていた理不尽な男尊女卑に対する復讐ですが、予想の斜め上をいくものでした。
試行錯誤の結果、今の「美大生が血で化粧をする」というアイデアに落ち着きましたが、初期の構想では孤独な女の子が復讐心に燃えてダークヒーロー化する『ダークマン』(1990)のようなタイプのプロット、肉屋の女の子が肉切りマシンを使って化粧品を作る『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007)のようなものなどありました。
しかし、それらを作品として仕上げるにはそれなりの予算が必要です。そして何よりキャラクターを描く時に「他者」として切り離して描くことで漫画みたいなキャラクターになってしまうのを避けるため、自分とはかけ離れた物語は没にしました。
本作に登場するキャラクターは常に自分がなりえるかもしれない存在、別の世界線での自分として描いています。それが人間を描くことの責任とも思います。
女性キャラクターに関しても自分がもし女性に生まれていたらこうなっていたかもしれないという「可能性」のキャラクターで、そこに願望も確かにありますが、男性キャラと同じく「将来こうなってしまうかもしれない自分」という側面を持った恐怖が常にあるのです。
──本作のあのエンディングは最初から決まっていたのでしょうか。
大久保 : あれは設定ありきで、キャラクターたちが暴れたことで、自然と導き出された結末だったと思っています。もちろん、脚本段階で書いていたものですが、物語を俯瞰する中で生まれたオチというより、自分の頭の中にいたキャラクターたちがひとり歩きしていったようなオチだといった方が正確でしょう。
終わったようで終わっていない結末なので続編を撮りたいです(笑)。
低予算の概念を覆す驚異の視覚効果
──化学者のサトミによるCosmeticDNA開発やラストの銃撃シーンなど、独特の漫画っぽい演出も脚本にあったのでしょうか。
大久保 :全くイメージ通りではありません。イメージ通りに作る作れない以前に作る術がなく、どうすればいいのかと頭を捻って、行き当たりばったりでグリーンバックでの撮影をし、結果的に気が付いたらあのようになっていました。
でも、明らかに映画館で観るべきではない、何ならスクリーンへの冒涜のようにも感じられるようなあの画面を映画館のスクリーンに投影できて僕は満足です。それが当初の意図通りの画ではなかったにしても。そういう意図から外れた偶然の奇跡に映画作りの醍醐味を感じます。
──本作の演出についてお尋ねします。大久保監督ご自身、ハリウッド超大作の影響を公言されていますが、予算の規模など自主制作という制約の中でどこまで出来ると見込まれていましたか。
大久保 :当時は映画予算の感覚がほぼなくて、これぐらいのお金があればこれぐらいの画が作れる、みたいな計算もほぼないまま制作をスタートさせました。
だから最初は想定していた画が全く撮れなくて絶望していました。段々絶望する余裕もなくなっていき…。その絶望だらけの素材を何とか合成と編集で当初のイメージに強引に近づけていったという感覚です。
(完成したものを観た後も)自分のビジョンに対する見込みもなければ振り返った時の達成感もなく、ただ瞬間瞬間でどうすればよりよいものができるのかを考えていただけだったと記憶しています。
道具に込められたテーマ
──映画の細部に関しても、ぜひ、大久保監督にお伺いしたいのですが、死体処理シーンで象徴的に出ていた電子タバコにはどのような意味があるのでしょうか。柴島が持っていたものをユミが拾う理由が気になりました。
大久保 :あれはほぼ説明がないんですが、リキッド吸引式のコカインなんですよね。だから柴島は常人の道から外れてしまったというのもありますが。そしてそれをユミが吸う。
このシーンにおいてユミが吸うというのは、アヤカ、サトミ、ユミの三人が初めてコカインに触れることを象徴していて、その後の三人の人生の変化を予感させます。これがキャラクターの人生のターニングポイント。
その後のクライマックスでの展開も含めて、良くも悪くも人間の精神の解放を違法薬物を通して描きたかったのです。薬物を肯定したいとか大麻合法化に一石を投じたいとかそういう社会的な意図はなく、単純に日本映画ではそういう薬物描写がほぼなく、アメリカのコメディ映画でのそれへの憧れもあって…。
──本作の重要な道具であるメイクの役割についてもお聞かせください。メイクを要素として取り入れたのは、それ自体男性にとっては自分たちへ向けたアピールという認識でしかないものの、女性にとっては自己実現・表現であるという意味があるからでしょうか。
大久保 :メイクに関しては最初のアイデアからそれありきだったので、あえて取り入れたという実感はないのですが、そうです。この映画におけるメイクの役割とは「武器」です。
自分のことをより好きになれる、より強くなれる。劇中では男性をおびき寄せるためにも使用されますが、それは交尾のためではなく殺害のためです。
では、なぜ今の日本を生きる女性は「武器」を持たざるを得なかったのか?社会のどういった風潮が女性を武装させたのか?それは、コロナ禍での「なぜ芸術は不要不急ではないのか」という問題にも通ずるものだと考えています。
世間の反響、通底する問題
──「レイプ・リベンジ」であり、シスターフッドという作品を手掛けるにあたって、男性への性的アピールを訴求しないというあたりは意識されたのでしょうか。
大久保 :女性が露出の多い服装をして歩いているからといって、性的に見てほしいと思っているわけではないですよね。単純に着たい服がたまたま露出の多いものだったというだけで。それをこの映画の根幹の思想として意識しました。
こういうシーンを撮ると性的に消費されるかもしれない、こういう衣装だと男性が見てエロいと思うかもしれない、そういう懸念は無限にありましたが、その「性的消費される可能性」を回避するがためだけに必要な表現を妥協することはしたくありませんでした。リスクの伴う選択ですがそこは勝負しました。
もし『Cosmetic DNA』を性的に消費する人間がいたとしたら、それは『Cosmetic DNA』が原因なのではなく、その性的消費する人間、そうさせた社会が原因だと思います。
──「新感覚シスターフッド復讐劇」と銘打たれています。本作に寄せられたコメントや論評にも「フェミニズム」という言葉が出た途端、一部で否定的に受け取られていました。本作への反響についてどのように感じられましたか。
大久保 :フェミニズム的なテーマを扱っていながらも、本当の意味での「フェミニズム」を提示しているわけではないという意味で「クソフェミ」映画ではあるかもしれません。
でも恐らくTwitter上などでの「クソフェミ」という言葉のクソは「映画」ではなく「フェミニズム」のほうに掛かっていて、フェミニズムそのものを腐している連中に対して映画監督である僕が言うことは特に何もありません。
そもそも映画で正しいフェミニズムを学べるわけなんかがないはずで、僕は単純にこの映画がフェミニズムについて考えるきっかけになればいいと思っています。
映画は教科書でも専門書でもありません。僕は映画を通して倫理観や社会通念を越えたところでのある種の仮説を立てて訴えているわけです。その訴えに対してどう思うかはご覧になられた人次第だと思います。
──それに付随する質問ですが、「女性にとって救いになるようなエンタメ」を目指した「男性が滅びる」という極端な解決策をどのようにお考えでしょうか。本作はただ男性の加害性を追及するだけの作品ではないと思います。
大久保 :男性の存在そのものを消し去るという発想、つまり話し合いではなく殺害してしまうという選択に関してはテーマ云々よりも先にアイデアとして決まっていたものなので、そこに葛藤はありませんでした。
しかし必要不可欠かどうかを今あらためて考えてみたところ、やっぱりこのストーリーとキャラクターが集った以上、フィクションとしては殺戮する以外に選択肢はないような気がします。
どれだけ説明しても譲歩しても説得しても、わかりあえない人とはわかりあえない。現実の世界ではそういう人からは自分から離れていくしかないわけですが、フィクションの中では殺すことができます。
それは一見安易な発想にも思われるかもしれませんが、そういう人生を疑似的に映画で追体験することによって、人は現実世界で「他者を殺さずにわかりあうにはどうすればいいだろう」ときっと考えるはずです。というか考えてほしい。僕は考えます。そこの人間のポジティブな可能性を信じて、僕はこういう平和もへったくれもない映画を作っています。
大久保健也監督のプロフィール
1995年生まれ、大阪府育ち。中学時代に『アバター』を観て衝撃を受けたのをきっかけに映画監督を志す。近畿大学を中退後、フリーランスの映像作家としてインディーズアイドルのミュージックビデオ等を手がける傍ら、ジャンル問わず自主映画の制作を続ける。
2020年、初の長編映画『Cosmetic DNA』が、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020」にて北海道知事賞を受賞。アングラ漫才師の葛藤を描く新作中編映画『令和対俺』が「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2021」に入選。2年連続のノミネートを果たした。
「Cosmetic DNA」の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【監督・脚本・撮影・照明・美術・編集】
大久保健也
【プロデューサー】
大久保健也、西面辰孝
【出演】
藤井愛稀、西面辰孝、仲野瑠花、川崎瑠奈、吉岡諒、石田健太
【作品概要】
14歳から映画制作を続けてきた大久保健也監督が、撮影時24歳で作り上げた劇場デビュー作。2020年、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で北海道知事賞を受賞。
主人公アヤカ役には『血を吸う粘土〜派生』などで知られるの藤井愛稀。現代を生きる女性たちを取り巻く社会の不条理と理不尽を、ヴィヴィッドな映像美でパワフルに描いた注目の一作。
「Cosmetic DNA」のあらすじ
コスメを愛する美大生・東条アヤカ(藤井愛稀)は、ある時「自分の映画に出演してほしい」とナンパしてきた自称・映画監督の柴島恵介(西面辰孝)に薬物を盛られ暴行されてしまいます。
泣き寝入りせざるを得ない状況に追い込まれ精神的に病んでいくアヤカでしたが、大学院生のサトミ(仲野瑠花)、アパレル店員のユミ(川崎瑠奈)と出会ったことで少しずつ自身の心を取り戻していきます。しかし、柴島の次なる標的がユミであると知ったアヤカは突発的に柴島を殺害してしまうのでした。
愛と友情、そして破壊の先の未来とは? アヤカ・サトミ・ユミの「私たちの未来」のための革命が始まろうとしていました……。