映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』は5月10日(金)より
TOHOシネマズシャンテ、渋谷シネクイント、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
「バレエの歴史を変えた」と評される“伝説のダンサー”ルドルフ・ヌレエフ。
名作映画『愛と哀しみのボレロ』のモデルとなり、近年の海外メディアでは世界的フィギュアスケート選手・羽生結弦を批評するために彼を比較対象に挙げるなど、20世紀を代表するダンサーの“伝説”は21世紀の現在も絶えることを知りません。
そんな彼が1961年に迎えた、ダンサーとして、そして人間としての重大な決断を描いたのが、レイフ・ファインズ監督の映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』です。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』をご紹介します。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』の作品情報
【公開】
2019年(イギリス・ロシア・フランス合作映画)
【原題】
The White Crow
【監督】
レイフ・ファインズ
【脚本】
デヴィット・ヘアー
【キャスト】
オレグ・イヴェンコ、アデル・エグザルホプロス、セルゲイ・ポルーニン、ラファエル・ペルソナ、ルイス・ホフマン、チェルマン・ハマートパ、レイフ・ファインズ
【作品概要】
『ハリー・ポッター』シリーズや『シンドラーのリスト』『グランド・ブタペスト・ホテル』で知られる名優レイフ・ファインズが、その舞踊と情熱に魅了されたルドルフ・ヌレエフの半生を、構想20年を経て映画化。
主演には、オーディションによって抜擢され、タタール劇場の現役プリンシパルであるオレグ・イヴェンコ。
共演には、『アデル、ブルーは熱い色』で知られる女優アデル・エグザルホプロス、『黒いスーツを着た男』で知られる俳優ラファエル・ペルソナ。そして、“バレエ界の異端児”と称されるダンサーのセルゲイ・ポルーニンも出演しています。
2018年に開催された第31回東京国際映画祭にて最優秀芸術貢献賞を受賞しました。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』のあらすじとネタバレ
1938年。シベリア鉄道の車内で、ルドルフ・ヌレエフは生まれました。
彼はパシキール共和国(現在のパシトルコスタン共和国)・ウファの農村地帯で育ちます。
橋の上を走る鉄道、参加できなかった雪合戦、貧しい生活の中ヌレエフと兄弟姉妹をほぼ一人で守ってきた母の姿、軍人にして愛国者である父の姿…様々な記憶を、ヌレエフは忘れたことがありませんでした。
やがて、1961年。ダンサーとなったヌレエフは、海外公演のために、生まれて初めて祖国であるソ連を出ました。
キーロフ・バレエ(現在のマリインスキー・バレエ)の仲間たちと共にフランス・パリへとやって来たヌレエフ。
パリの文化・芸術を深く観察し自身のダンスに生かすためにも、彼は度々一人で出かけるようになりますが、その行動は常にKGBに監視されていました。
その6年前。レニングラードのワガノワ・キーロフバレエ学院(現在のロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー)に入学したヌレエフは、「現在受けているレッスンは僕には合わない」と学長に訴えた結果、名教師であるアレクサンドル・プーシキンの講義を受けることになりました。
名ダンサーとなるには遅い年齢というハンディキャップを持ちながらも、「3年間で6年分を取り戻す」という言葉通り、ヌレエフは人一倍レッスンを重ねます。プーシキンも寡黙ではありますが、彼に助言を与えてくれました。
1961年。ソ連・フランスそれぞれの舞踊団が集まる立食会に参加したヌレエフ。
「東西」の壁を知りながらもフランスの名振付師ピエール・ラコットらともためらいなく話しますが、キーロフ舞踊団の芸術監督セルゲイエフから釘を刺されてしまいます。
その後、パリでの公演が始まりました。初日は出演できなかったものの、ラコット曰く「魂は完璧」なヌレエフの舞踊は人々から大喝采を受けます。
ある日の舞台終了後、ヌレエフはクララ・サンという女性を紹介され、彼女と食事を共にします。
アンドレ・マルロー(フランスの政治家、『王道』『人間の条件』の著者で知られる)の息子である恋人を交通事故で亡くしばかりだったものの、ヌレエフの舞踊を観て悲しみを忘れるほどに感動したという彼女にヌレエフは、ある思い出を語ります。
幼いヌレエフは、母親がくじ引きで偶然当てた1枚のチケットで、家族5人でオペラを観に行きました。そして「ここで生きたい」と感じたのが、彼にとって「全て」の始まりだったのです。
その後もクララと会うヌレエフでしたが、彼の気性の激しさ、そして生まれと育ちに対する強い劣等感を露わにしてしまったことで、彼女から距離を取られてしまいます。
そして彼女や「西側」の人々と会う度に、セルゲイエフやKGBなど「東側」からの圧力は強まってゆきました。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』の感想と評価
本作の劇中にて、ヌレエフを夕食に誘ったプーシキンは、「人間は何のために踊るのか?」と彼に尋ねます。
そしてプーシキンは、卓越した技術とはあくまで手段に過ぎないことを踏まえた上で、その問いの答えは“物語”にあると告げます。
「どんな物語を語りたいのか」「私は何を語りたいのか」。
それにこそ人間が踊り続ける理由が存在すると、彼は“語る”のです。そしてその言葉は、亡命直前のヌレエフの心の中にも宿っていることが劇中で描かれています。
教師プーシキンが才能と情熱に溢れた若きダンサーにして教え子であるヌレエフに語った問いと答え。それは、「踊る」という一語を「生きる」という一語に入れ替えるだけで、人生そのものに深く関わる問いと答えとなることは明白です。
プーシキンとその妻、芸術監督セルゲイエフ、そしてソ連という国家からの抑圧から解放され、より自由な、より広大な“物語”を語るために、彼は亡命を決断しました。
それがたとえ大きな代償を払う決断だったとしても、「自分自身」という“物語”を語り続けるために、すなわち人生を生きるために欠かすことのできないバレエを手放す決断など絶対にできなかった。その事実こそが、ルドルフ・ヌレエフという一人のダンサーが生涯語り続けた“物語”、そしてルドルフ・ヌレエフという一人の人間の人生を表しているのです。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』は、ルドルフ・ヌレエフという実在する伝説のダンサーの半生を通じて、「抑圧からの解放へと向かおうとする姿」を多くの人々に向けて表現した彼の“物語”と人生、つまりは「闘い続け、生き続ける」という人生のあり方を観客たちに提示したのです。
まとめ
ルドルフ・ヌレエフという一人のダンサー/一人の人間が、自身の“物語”を語り続ける/人生を生き続けるために「闘い」を決断する姿を描いた映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』。
たとえルドルフ・ヌレエフの経歴やバレエの知識を知らなくとも、彼の姿に感動することは間違いないでしょう。
映画『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』、ぜひご鑑賞ください。