「破廉恥じゃないわ。私はただの女よ」
ミシェル・ルグランの没後1年/生誕88年特別企画「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち」が2020年2月21日よりYEBISU GARDEN CINEMA他にて、全国で順次開催されます。
フランス映画音楽界の巨匠ミシェル・ルグランがヌーヴェルヴァーグの監督たちと組んだ代表作7作品がスクリーンに蘇ります。
その中から、ミシェル・ルグランがジャン=リュック・ゴダールと初めて組んだ1961年の作品『女は女である』をご紹介します。
映画『女は女である』の作品情報
【公開】
2020年公開(フランス・イタリア合作映画)※日本初公開:1961年12月8日
【原題】
Une Femme est une Femme
【監督】
ジャン=リュック・ゴダール
【音楽】
ミシェル・ルグラン
【キャスト】
アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン=ポール・ベルモンド、マリー・デュボワ、
【作品概要】
ジャン=リュック・ゴダールの長編第3作。登場人物が歌わないミュージカル・コメディーという発想に基づいて作られた。
ジャンヌ・モローがさりげなく特別出演していたり、映画にまつわるセリフが随所に散りばめられている。
第11回ベルリン国際映画祭ではアンナ・カリーナが銀熊賞最優秀女優賞を、ゴダールが銀熊賞特別賞を受賞している。
映画『女は女である』あらすじとネタバレ
アンジェラはキャバレーの踊り子。コペンハーゲンから来たばかりで「R」の発音がうまく出来ません。パリの小さな本屋で働いているエミールとは恋仲で同棲しています。
キャバレーといっても実質はストリップ小屋。店の左右にテーブルと椅子が配置されていて、客が食事を摂っているのですが、その中央に踊り子があらわれ、順番に服を脱いでいくのです。
アンジェラが外に出るとアルフレッドが待ち伏せしていました。アルフレッドはエミールの友人ですが、アンジェラに恋をしていて、何かといえばアンジェラの前に現れては口説きはじめるのです。
アンジェラはミュージカル俳優になりたかったと言い、「シド・チャリシーとジーン・ケリーの共演、振り付けはボブ・フォッシー」と叫んで踊り始めました。
うちに戻ったアンジェラはエミールに子どもが欲しいと訴えますが、アンジェラはいずれ結婚すれば子どもを作ろうと答えます。でもアンジェラはすぐに子どもがほしいと言って、とうとう喧嘩が始まりました。
アンジェラはあなたにその気がないのだったらアルフレッドに頼むと言い、怒ったエミールもやれるもんならやってみろと売り言葉に買い言葉になってしまいます。
ある晩、ベッドに入った2人は互いに背を向けて横になりました。しばらくしてアンジェラは起き上がると電気をつけ、本棚から「ケダモノ」というタイトルの本を持って来て、エミールに見せました。すると今度はエミールが本棚に向かい、2つの本を重ねてみせました。「女は絞首台に!」。2人は何度も同じ行動を繰り返し、無言の会話を続けるのでした。
アンジェラが目玉焼きを作り始めたときに電話がかかってきました。アンジェラはフライパンを振って高く目玉焼きを放り投げました。会話を終えて戻ってきたアンジェラはフライパンでさっきの目玉焼きが落ちてきたのを受けとめました。電話はアルフレッドで、2人はカフェで逢う約束をしたのでした。
バーでアルフレッドと待ち合わせたアンジェラですが、盛んに話しかけてくるアルフレッドに対してあまり気乗りのしない表情です。エミールのことが気になってしょうがないのです。
映画『女は女である』の感想と評価
冒頭、白と赤の文字が矢継ぎ早に映し出されます。「ゴダール」、「コメディー」、「フランセーズ」、「クタール」、「ミュージカル」、「ルグラン」というふうに。
この作品の要約ともいうべきクレジットが横長のスクリーンに次々現れます。本編の前に当時の予告編もおまけで上映されているのかしらと一瞬錯覚しますが、れっきとした本編のオープニングです。
『女は女である』は『勝手にしやがれ』、『小さな兵隊』に続くゴダールの長編3作目で、アンナ・カリーナと組んだ2作目にあたります。当時、ゴダールとアンナ・カリーナは新婚ホヤホヤで、全編に渡ってアンナ・カリーナに恋するゴダールの眼差しが感じられます。ゴダールの「おのろけ映画」と評されることもあるくらいです。
アンナ・カリーナ扮するアンジェラは、同棲しているエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)に首ったけです。ジャン=ポール・ベルモンド扮するアルフレッドはエミールの親友ですが、アンジェラに恋しています。
この三角関係は、エルンスト・ルビッチの1933年の作品『生活の設計』のリメイクだと言われています。なにしろ、アルフレッドのフルネームはアルフレッド・ルビッチというくらいですから。
アンナ・カリーナとジャン=クロード・ブリアリのやり取りは、新婚生活をしているゴダールとアンナ・カリーナそのものといっていいほど、喧嘩していても甘くてコミカルで、まさに「おのろけ」そのものなのですが、ベルモンドといるときのアンナ・カリーナはちょっぴりアンニュイです。
この2人にも私たちの知らない何かがあったのか、並んでいるとアンナ・カリーナとジャン=クロード・ブリアリの並び以上に落ち着いた親密度があります。もしかして本当に気があうのはこの2人ではないかと思わせるくらいに。ですが、アンナ・カリーナはもう全然彼には興味がないように見えます。
それなのに、一生懸命、彼女の気を引こうとしているジャン=ポール・ベルモンドには悲哀すら感じます。アンナ・カリーナとベッドを共にしても、結局は、そこに愛はないわけで、そんな意味で、本作はただのおのろけロマンチックコメディーではなくメラコリックな恋愛要素も含まれているのです。
そんな2人がジュークボックスで聴く音楽はシャルル・アズナブールの「のらくらもの」というシャンソンです。過去の思い出を歌い、あのころのように戻っておくれと恋人に呼びかける歌詞。やはりこの2人にはなんらかの過去があったのかもしれません。もっともこの曲をリクエストしたのはアンナ・カリーナの方なのですが。
ミシェル・ルグランはゴダールから音楽のオファーを受けた時、「登場人物が歌を歌わないミュージカル」を作りたいともちかけられたそうです。
確かに誰かが歌い踊るというシーンはないのに、『女は女である』はミュージカル色に溢れています。ミュージカル映画の多幸感に満ち、ミュージカル映画愛が全開です。
ミシェル・ルグランの音楽は、登場人物の動きに合わせて流れたかと思えば、急に止まったりします。最初はいささか困惑しますが、徐々に慣れ、それが映画のリズムになっていきます。
歌がないと書きましたが、実は一曲だけ、アンナ・カリーナがストリップの仕事で歌うシーンがあります。「Chanson d’Angela」」というこの曲もミシェル・ルグランによるものです。
ルグランの軽快な伴奏に合わせて彼女が歌うのですが、歌の部分になると伴奏が消えて、アンナ・カリーナの声だけになり、歌が途切れるとまた賑やかな伴奏がはじけて、歌が始まるとまた消えて、というユニークな展開が見られます。
ミシェル・ルグランは、『女は女である』のあと、『女と男のいる舗道』、『はなればなれに』の2本のゴダール映画の音楽を担当しています。
まとめ
アンナ・カリーナがローストビーフを真っ黒に焦がしてしまい、なんとかごまかそうとする場面や、たった一個の卵を落としてしまい、思わず泣きだすところのキュートなこと!
卵を放り投げて電話して戻ってきたら卵が落ちてきてキャッチして、なんていう他愛のない可愛らしいエピソードも。アンナ・カリーナが時間を操れる魔女っ娘とでもいわんばかりです。
ジャンヌ・モローがゲスト出演していて、ベルモンドが「ジュールとジムは?」と尋ねると「愛のしのび逢いよ」と応えるシーンなど(『愛のしのび逢い』でジャンヌ・モローとベルモンドは共演しています)、身内ノリともいうべき様々な映画への目配せも楽しく、やはりこの作品がゴダール作品の中で最も幸福な作品であることを確信するのです。