石川瑠華と青木柚によるダブル主演作『うみべの女の子』
浅野いにおによる原作漫画を『リュウグウノツカイ』(2014)、『富美子の足』(2018)のウエダアツシ監督が映画化。
海辺の小さな街に住む、石川瑠華演じる小梅と、青木柚演じる磯辺。好きな人に振られ、興味本位で体を重ねた2人は、恋人でも友達でもない曖昧な関係を続けてしまいます。
身体を重ねてもすれ違うもどかしい“思春期の性と恋”。求めても求めても満たされない、アンバランスで残酷な若き頃の「性」と「恋」を描く、もどかしくも切ない青春譚『うみべの女の子』をご紹介します。
映画『うみべの女の子』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【監督】
ウエダアツシ
【原作】
浅野いにお
【脚本】
ウエダアツシ、平谷悦郎
【音楽】
world’s end girlfriend
【挿入曲】
はっぴいえんど
【キャスト】
石川瑠華、青木柚、前田旺志郎、中田青渚、倉悠貴、宮崎優、高橋里恩、平井亜門、円井わん、西洋亮、高崎かなみ、いまおかしんじ、村上淳
【作品概要】
監督を務めるウエダアツシ監督は、閉塞的な現状を打開しようと行動を起こす女子高生たちが巻き起こす騒動を描いた映画『リュウグウノツカイ』(2014)で長編初監督デビューを果たしました。以降、『桜ノ雨』(2016)、『天使のいる図書館』(2017)、『ジャンクション29』(2019)と青春映画を手がけてきました。
ウエダアツシ監督が実写化したのは「ソラニン」「おやすみプンプン」「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」など大ヒット漫画を書き続けている漫画家浅野いにおの原作漫画。浅野いにおの漫画が実写化されるのは『ソラニン』(2010)に続き11年振りとなります。
オーディションを経て見事小梅役に選ばれたのは『イソップの思うツボ』(2019)、『猿楽町で会いましょう』(2021)とめきめき頭角をあらわ始めた石川瑠華。磯辺役には『暁闇』(2018)で「MOOSIC LAB 2018」男優賞を受賞した青木柚。
小梅の友人である桂子役には『君が世界のはじまり』(2020)、『街の上で』(2021)の中田青渚、幼馴染の鹿島役には子役の頃から活躍し、朝ドラ『おちょやん』(2020)や大河ドラマ『平清盛』(2012)などに出演する前田旺志郎。
映画『うみべの女の子』のあらすじとネタバレ
海辺の小さな街。中学2年生の小夏(石川瑠華)は、憧れの三崎先輩(倉悠貴)に性行為を強いられ、自暴自棄になり同級生の磯辺(青木柚)に連絡をし、衝動的に初体験をしてしまいます。
何故自分を呼んだのかと聞く磯辺に小梅は「一年の時私に告ったじゃん」と言います。磯辺は、このまま小梅が自分のこと好きになる可能性はないのかと聞きます。小梅は、「磯辺のことは好きじゃない、ただの気分転換」と言います。
恋人でもないけれど、ただの友達だった頃には戻れない。曖昧な関係のまま小梅は頻繁に磯辺の家にやってきては身体を重ね、スリルを求めて学校でも行為に及び、いつしか性行為が日常の一部となっていました。
ある日、父親にカメラを買ってもらった小梅が磯辺の家にやってきます。写真を撮ってメモリーがなくなった小梅に磯辺はそこら辺にあるSDカードを持っていっても良いと言います。
SDカードをもらって帰った小梅は家で撮った写真を確認していると、磯辺からもらったSDカードの中に水着の女の子の写真があることに気づきます。
次の日磯辺を呼び出して、この写真の子は誰かと問い詰める小梅。すると磯辺は海辺で拾ったSDカードだから誰だか知らないと答え、写真の女の子に対して可愛いと興味を示す磯辺に小梅は不機嫌な顔をします。
いつものように磯辺の家に行った小梅は磯辺が水着の女の子をパソコンのデスクトップ画面にしているのを見て、嫉妬のような感情を抱きます。行為の後磯辺が寝ている間に勝手にパソコンのフォルダからSDカードの写真を削除してしまいます。
その日以来磯辺は小梅のことを避け、連絡も返してくれません。学校で磯辺を見かけた小梅は自分が何かしたのかと磯辺に尋ねます。磯辺はもう飽きたと言います。しかし、磯辺が嫌なところ直すから、約束が違うと小梅も引き下がりません。
付き合えないと言ったはずなのに関係を終わりにしたがらない小梅に磯辺は怒りをあらわにします。生きているだけで苦しい奴らの気持ちなんてわからないだろうと怒鳴ります。
磯辺の激しい感情を目にした小梅は泣きます。磯辺の怒りには兄の死が関係していました。
映画『うみべの女の子』の感想と評価
埋まらない“何か”
中学生の「性」と「恋」という大胆なテーマを繊細に切り取った映画『うみべの女の子』。
小梅はどこにでもいるような女の子であり、自分勝手さ、不器用さを持っています。誰もが好きと思えるようなヒロインではありません。だからこそ惹きつけられる魅力を持っているのです。
「恋」が何かも分からず、興味本位で「性」に手を伸ばしてみた小梅にとって身体を重ねる行為はコミュニケーションであり、求められていると感じることでもあったかもしれません。小梅がうみべの女の子の写真に対して感じた嫉妬は自分ではない女の子を魅力的だと磯辺が言ったことに対しての嫉妬でしょう。
更に三崎先輩に振られた小梅が磯辺に連絡したのは、1年生の頃磯辺が小梅に告白したからでした。小梅は欲していたのは“求められること”なのかもしれません。それは性的に求められることでもあると考えられます。異性として好きだと思われたい、求められたいと思っているのです。いつしか小梅は磯辺を求め始めます。
しかし、小梅が求め始めるのに反して磯辺の心は離れていきます。家に帰ってこない両親、兄の死の責任を感じている磯辺は何よりも“心”を必要としています。最初身体の関係を持った頃の磯辺は小梅に対して好意がありました。小梅が自分のことを好きになり、付き合うことはないのかと尋ねる磯辺に小梅は否定します。
好きでもない磯辺と身体だけの曖昧な関係を続けることで、愛のない性行為の空虚さに磯辺は蝕まれていきます。残酷なまでにすれ違う2人の心。
小梅は「恋」が分からないからこそ、自分でも制御できず感情を磯辺にぶつけてしまう。自分の言動が他者に与える影響に無自覚でそんな小梅に対し磯辺は他人の痛みが分からないと批判します。一方で磯辺の小梅に対する苛立ちは自分に対する苛立ちでもあります。
兄の死に責任を感じ、自分が何より兄の痛みに無自覚であったと後悔する気持ちから小梅の些細な無自覚な言動が許せないのです。
いじめと孤独
磯辺は兄のいじめが原因で都内から田舎のうみべの街に引っ越してきました。しかし、ここでもいじめに遭い兄は自殺しました。
磯辺自身も学校に友達はなく、街にも馴染めずにいます。それどころか兄のことがあり憎しみを抱き、田舎者だと見下しています。小梅に対してもどこか馬鹿にしている部分もあり、その奥には磯辺の孤独といじめに対する憎しみがあるように感じます。
家に一人で両親とも距離のある磯辺は次第に磯辺を求め、磯辺の心に踏み込もうとする小梅を拒絶し始めます。拒絶する一方で小梅の温もりを求めている自分もいる、その思いが磯辺に罪悪感を抱かせ、このままではいけないこの関係は終わらせなくてはならないと思うのでした。
思春期の若さが棘になり、お互いがお互いに温もりや愛情を求めているのにすれ違ってしまう、苦しい小梅と磯辺の不器用さにいつかの自分の青臭さを重ねる人もいるのではいでしょうか。
まとめ
浅野いにおの原作漫画をウエダアツシ監督が実写映画化した映画『うみべの女の子』。
未熟であるが故にお互いに傷つけぶつけ合い、すれ違ってしまう苦しさを体現した石川瑠華と青木柚ののめり込むような演技にも圧倒されます。
小梅と磯辺を取り巻く鹿島や桂子を演じた前田旺志郎、中田青渚の等身大の中学生の幼さ、繊細さにも注目です。