史上最強!五感を刺激する伝説のロックオペラ映画『トミー』
「あなたの感覚は観る前と後で全く異なる」と、キャッチコピーの通り、観た人に啓示をもたらすようなカルトムービー。
劇中に登場する様々な宗教的モチーフにはどういった意味があるのか。人間が根源的に知りたいと思うあらゆる欲求を満たす魅惑の数々がエルトン・ジョン、ティナ・ターナー、ジャック・ニコルソン、エリック・クラプトン他豪華キャストによって紡がれます。
中でも『ピンボールの魔術師』は、2018年の映画『アンダー・ザ・シルバー レイク』や2019年の『ロケットマン』で使用されており両作とも本作『トミー』を踏まえた引用がされていました。
戦争、暴力、セックス、東洋思想、セレブ信仰といった20世紀後期にグロテスクに肥大したポップカルチャーをトミーという名の男の一生になぞって、自由、解放、外界と内界の断絶を描いています。
映画『トミー』の作品情報
【公開】
1975年(イギリス・アメリカ合作映画)
【原作】
1969年に発表されたザ・フーのアルバム『Tommy』
【監督】
ケン・ラッセル
【キャスト】
ロジャー・ダルトリー(トミー)、アン=マーグレット(ノラ・ウォーカー)、オリヴァー・リード(フランク)、ロバート・パウエル(ウォーカー大佐)、エルトン・ジョン(ピンボールの魔術師)、エリック・クラプトン(マリリン・モンローを崇拝する教会の説教師)、ティナ・ターナー(アシッド)、キース・ムーン(叔父のアニー)、ジャック・ニコルソン(専門医)ポール・ニコラス(いとこのケヴィン)、バリー・ウィンチ(幼年期のトミー)ピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリー、ジョン・エントウィッスル
【作品概要】
断片的なストーリーのみで1969年に発表されたザ・フーの傑作アルバム『Tommy』を脚色し映画化するのに際し、アルバムから数多くの変更がありました。
アルバム収録曲3曲目にあたる『1921』は作品内の舞台を第一次世界大戦後から二次世界大戦後に変更したため、年号を西暦1921年から1951年に改められました。
ディズニー映画『ブラックホール』(1979)や『アルタード・ステイツ 未知への挑戦』(1980)で知られる鬼才ケン・ラッセルが監督をしており、アルバムから膨らませたサイケデリックなビジュアルイメージが爆発した驚異のドラッグムービーとなっています。
またジャンルとしては、同時代の『ジーザスクライストスーパースター』や『ピンクフロイド ザウォール』などのロックオペラの草分け的作品で、その後発表されたザ・フーの傑作アルバム『Quadrophenia』の映画化作品『さらば青春の光』(1979/フランク・ロッダム監督)にも踏襲されていきました。
『Tommy』の製作当時、ケン・ラッセルが脚色した演出に失望したザ・フーのボーカル、ピート・タウンゼントがこの作品製作指揮に参加しています。
映画『トミー』のあらすじとネタバレ
『序曲(Overture)』
山頂にて両手を広げ、全身が日の光に包まれている男の姿。彼はウォーカー大尉。婚約者との幸せな時を山河で過ごしていました。しかし時の流れは残酷にも二人を引き裂きます。
時は第二次世界大戦末期。妻のノラは勤務していたピンボール工場にて、夫であるウォーカー大尉の戦死を知らされました。
『男の子だ!(It’s a Boy)』
連合軍がドイツを降伏させた日である1945年5月8日に生まれた男の子にノラはトミーと名付けます。
しばらくして幼いトミーを連れて行ったキャンプ場にてうさん臭い男フランクと出会い、恋に落ちるノラ。
『あなたと過ごす51年は良い年になりそうだわ。(1921)』
トミーも新しいお父さんに懐いてきている。そんな夜に戦地からウォーカー大尉が帰ってきました。怒鳴り合う両親の声のする寝室へ向かうトミー。
彼はそこで逆上したフランクが自身の父親を手にかける瞬間を目撃してしまいます。
一部始終を目撃された両親はトミーに繰り返すのでした。「何も見ていない 何も聞いていない 誰にも何も言うな」と。このトラウマが彼を彼だけの内なる世界へ旅立たせました。
『すてきな旅行(Amazing Journey)』
何も見えない、何も聞こえない、何も言わない、そんな病気となった彼は、ぼやけた現実世界の中で自分の想像世界を豊かにしていきます。亡き父親の幻影に導かれながら。
『クリスマス(Christmas)』
他の子どもたちが朝早くから起きて楽しみにしているクリスマスでさえ、トミーは何も感じないません。
「トミー、ねえ聞こえる?」両親は何とかトミーを治す方法はないかと模索します。トミーはひとり、「僕を見て 僕を感じて 僕に触れて 僕を癒して」心の中で叫びました。
『光を与えて(Eyesight to the Blind)』
ノラは体の不自由な人が集まる礼拝にトミーを連れていきます。そこでは体の不自由な人々が巨大なマリリン・モンローのオブジェを囲い、ドラッグとアルコールで体を清め、祈りを捧げていました。
そしてノラもトミーにオブジェに祈りを捧げさせようとするのですが、トミーはオブジェを倒してしまい、巨大なマリリン・モンローは瓦解していくのでした。
『アシッド・クイーン(Acid Queen)』
今度はフランクが治療を試みようとトミーをストリップ劇場にいる麻薬の女王(アシッドクイーン)の所へ連れていきます。
しかしトミーが幻視体験から得られたのはピンボールの海に横たわる血に染まったノラの姿だけでした。
『大丈夫かい(Do you think it’s alright?)』
従兄弟のケヴィン、そして叔父のアニーのもとへトミーを預け、夜の街へ繰り出すノラとフランク。彼らのもとに預けられている間、虐められるトミー。
「何も感じないのは好都合だ」と彼らは虐待の手を加速させていきます。
そんな彼らを黙認するフランク。トミーは鏡に映る自身の姿を眺めているうちに、彼は彼自身に導かれ廃車置き場に置かれたピンボールマシンへ誘われます。
『スパークス(Sparks)』
鏡の自分は光の球体になりました。その光を掴もうとするトミー。気付くと彼は夢中にピンボールをやっていました。
フランクはトミーの才能が利用できるものと考え、ピンボールの大会で優勝したトミーは億万長者になります。
ノラとフランクは豪邸を構えます。
『ピンボールの魔術師(Pinball wizard)』
雑音も聞こえず、邪魔な光も見えない。その集中力の高さからトミーは最高の記録を打ち出し、王者を打ち負かします。
富と名声を手に入れたトミー。しかし心の中では叫び続けるのです、「僕を見て 僕を感じて 僕に触れて 僕を癒して」。
そんな声も聞かずにノラとフランクは裕福な暮らしを謳歌しています。
豊かになった生活も分からず、見ることも聞くことも話すことも感じることもできないトミーにノラは虚しさを覚えていきます。富も名声もトミーにとっては無意味なのです。
『ミラーボーイ(Go to the mirror!)』
トミーを治すことのできる専門医を見つけたフランク。専門医は心の内にある問題が彼を治す障害になっているのだと言います。
一体彼の心は何を訴えているのか。ノラもフランクも、知る由もないまま、トミーの心は孤独に叫び続けるのです、「僕を見て 僕を感じて 僕に触れて 僕を癒して」。
映画『トミー』の感想と評価
象徴のTが意味するもの
本作『トミー』の劇中いたるところにT字を模したイメージが登場し、観客の意識に刷り込んできます。
それは父の乗る墜落した戦闘機を上から捉えたイメージのTであり、真ん中に花を飾った十字架のTイメージであり、終盤にて信者の前でパフォーマンスをするトミーのマイクスタンドがT字になっており十字架のように見えるTイメージであります。(『サリーシンプソン』)
これらのメタファーはトミーの内なる世界への旅立ちを描いた前半のシーン(『Amazing Journey』)に出る一瞬のカットに手掛かりがあります。
秒数カウント20分35秒あたりのシーン。T字型の戦闘機が磔になった父親の姿と重なります。すると彼の頭に光の球体が重なり、それがピンボールに、四肢はT字に変化します。(この光の球体は廃車置き場に導いた鏡の中のトミーでもあります。)
そして頭のピンボールが二つに割れると中から2人のトミーが現れるというシーンに繋がる……この一連のシーンです。
ここから読み取るにTのイメージとは、頭を失ったトミーその人を表しているのではないかと推測できます。
目は外界を眺める視界を失い、耳は聴覚を、そして口は語るべき言葉を失ってしまった。
そんな彼の頭はもはや外界との繋がりを失い、内界で孤独に叫び続けるのみなのです。「僕を見て 僕を感じて 僕に触れて 僕を癒して」このリフレインは映画終盤にトミーが至る境地と対を成しています。
そしてトミーが抱えていた、見えない・聞こえない・言えないの3重苦は3人の親(父親、母親ノラ、フランク)と対を成しています。
信仰への風刺
1971年にケン・ラッセル監督は、『肉体の悪魔』でのナスプロイテーション(敬虔な修道女が肉欲に乱れる様を描いた)描写をアンチキリスト的であると批判されたことで有名です。
この『肉体の悪魔』においても彼自身の信仰に対する考えが伺えます。
映画内で行われている宗教的儀式(マリリン・モンローのオブジェを崇拝する信者やピンボール教、そしてそれに関わった少女の人生の末路など)その全てが風刺として描かれています。
終盤にピンボール教の暴徒化した信者たちが「全てまやかしであった。」というシーンも宗教自体をまやかしであると切り捨てているのです。映画公開当時の70年代、アメリカではヒッピームーブメント、カウンターカルチャーの時代でした。
反体制や変革の時代というものも一過性の現象に過ぎないと、監督はトミーの人生を通じて描いています。
まとめ
本作『トミー』はカルト映画として語られることが多く、熱狂的なファンの多い作品です。
カルト映画とは大衆に向けた「誰が見ても面白い」作品ではなく、一部の人を惹きつけてやまない言語化しがたい不思議な魅力を持つ映画のことを指します。
現象として「これは自分だけに届いた○○というメッセージを訴えかけている作品だ。」という錯覚を不特定多数の人にもたらす作品であると定義されるものです。
個々に向けられたメッセージは簡単に共有できるものではなく、自分だけに届いたメッセージは心に秘めておきたいというカルト映画ファンも少なくありません。
例え受け取ったメッセージが言語化できない「何か」であったとしても、それはその映画がカルト映画として十分なポテンシャルを持ったものだと言えます。
一度足を踏み入れてしまったら、もう後戻りすることは出来ない驚異のカルト世界があなたを待っています。