映画『存在のない子供たち』は2019年7月20日(土)よりシネスイッチ銀座ほかで全国ロードショー!
12歳で人を刺し、牢獄生活を余儀なくされた少年ゼイン。世界に絶望した彼が両親に向けて起こした訴訟、その罪は、「彼を生んだこと」でした。
中東の貧民窟に住む一人の少年が背負った絶望的な人生の道程から、様々な問題に深く切り込んだ映画『存在のない子供たち』。
本作はレバノンの女性監督ナディーン・ラバキー監督が、3年間のリサーチを経て様々な問題に深く切り込んだ作品です。
作品の真実味を重視するために、キャストには登場人物の境遇に近い経歴を持つ人物が選ばれ撮影が行われており、映像では重々しく悲惨な世界観が披露されています。
CONTENTS
映画『存在のない子供たち』の作品情報
【日本公開】
2019年(レバノン・フランス映画合作)
【英題】
『CAPHARNAUM』
【監督・脚本】
ナディーン・ラバキー
【キャスト】
ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ、ナディーン・ラバキー
【作品概要】
『キャラメル』などのナディーン・ラバキー監督が、中東の社会問題に切り込んだドラマ。中東・レバノンを舞台に、貧民窟に住む主人公の少年が、さまざまな困難に向き合いながら、大きな問題を提訴する様を描きます。
監督はベイルートを舞台とした映画『キャラメル』でデビューしたレバノン出身のナディーン・ラバキー監督。第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したほか、第91回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるなど、高い評価を得ています。
映画『存在のない子供たち』のあらすじ
手錠を掛けられながら、裁判の原告席に座る一人の少年、彼の名はゼインといいました。
彼のいう“クソ野郎”を刺して服役中のゼイン。被告席に座っているのは、彼の両親。両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らず、法的には社会に存在すらしていない彼は、訴えの内容を「僕を産んだ罪」と語りました。
中東の貧民窟に生まれたゼイン。彼は学校へ通うこともなく、家では兄妹たちの面倒をみながら、一緒に路上で物を売ったり、大家のアサードが営む雑貨店を手伝うなど、朝から晩まで働き詰めの毎日を過ごしていました。
そんな中、彼の唯一の支えだった大切な妹・サハルが11歳でアサードのもとへ強制結婚させられるという話が急に決定し、ゼインは逆上します。
嫌がるサハルを行かせまいと必死に食い下がるゼインでしたが、抵抗もむなしく父親によって彼女はアサードのもとへ連れていかれてしまいます。
怒りと悲しみから家を飛び出したゼイン。途方に暮れながらも仕事を探す彼に、レストランで働く女性・ラヒルが手を差し伸べます。
出稼ぎのためにエチオピアから出てきた彼女は、ゼインを一緒に住まわせる代わりに、自宅で育てている子供・ヨナスの面倒をみることを頼みます。
一時の安息の場を見つけたゼインでしたが、偽造の滞在許可証で働いていたラヒルの状況に変化が。そしてゼインは、さらに過酷な現実へと直面していく…。
映画『存在のない子供たち』の感想と評価
レバノンの実風景から見せる衝撃的な画の数々
子供が親を「自分を生んだ罪」で訴えるという衝撃的なオープニング。この言葉にこそこの作品の中にある、強く印象に残るものの核心があるように感じられます。
本作はレバノンの貧民窟を舞台に撮影されましたが、内容もそういった場所の様々な問題を浮き彫りにした作品となっています。しかもその問題は根が深いもので、見る人の心の中にすら影を落としそうな印象すらあります。
このストーリーは、ナディーン・ラバキー監督が3年にわたる現地でのリサーチをもとに書き上げた脚本による作品で、あくまでフィクションではあるものの、現在実際に現地ではびこる様々な問題をテーマやポイントに取り上げています。
場所による問題点を挙げる作品もこれまで数多く発表されておりますが、ゼインが吐いた「自分を生んだ罪」は、例え見る人がその問題に共感しても、あまりにも手が付けられない次元の世界。こんな世界があるのかと、どうしても気持ちを暗くしてしまうことでしょう。
劇中では、刑務所の牢獄の前でボランティアの集団が服役中の集団を励ますために歌い、踊るシーンがありますが、それを甘んじて受け、笑顔を見せながら踊る囚人がいる一方で、我関せずと絶望に暮れた表情を見せる囚人も描き出されています。
そんなシーンは、生半可な手助けなど意味のない問題が山積していることを表しているようでもあり、ゼインの声はまさにそんな複雑な社会環境を象徴しているものです。
またストーリーでは、最後に絶望的な道をたどっていたゼイン、ラヒルに、一筋の希望の光を見せるような展開を見せます。
しかしその展開が果たしてこれは彼らには希望となりえるのだろうか?そのシーンがそんな風に思えてしまうくらいに、深刻な状況を描き出しており、作品全体が衝撃的なインパクトを放っています。
ストーリーに合わせたキャスティング
この作品に登場するキャストのほとんどは、実は登場人物のようにこの場所で様々な問題を抱え生きている人物。唯一、ゼインの弁護を行う女性弁護士を、ラバキー監督が演じます。
例えば主人公のゼイン役を演じたゼイン・アル・ラフィーアはシリア生まれで、シリアの内戦の影響でレバノンへ逃れ、10歳のころからスーパーマーケットの配達などの仕事をし家計を助けるなど、難民として不遇の生活を送っていました。
また、ヒロインともいえるラヒル役を演じたヨルダノス・シフェラウは、実際、自身の出生も明確になっておらず、幼少をエチオピアの難民キャンプで過ごしたという人物。物語と同じように2016年に不法移民として実際に逮捕され、ラバキー監督が身元保証人となり、釈放されています。
そんな彼らにラバキー監督が願ったのは「ありのままでいい」とのいうこと。監督はもともと役者に、これだけの重い人生を背負い地獄のような生活を送る人々を演じるのは不可能と考え、今回のキャスティングに至ったといいます。
それだけに、絶望に暮れる表情、衝撃的なハプニングに涙を流すシーン、自身の不遇を訴える場面など、印象的な画は多くありますが、そのどれもが非常に真に迫ったものを見せています。
意図としてこのような手法をとったからということもありますが、演技の経験のないものだけでこれだけの画を、映画として、フィクションとして撮れたということ自体が、非常に奇跡的にも感じられます。
主人公を演じた少年の表情の豊かさ
この映画は、様々な人間の境遇を群像劇の形で描いていますが、中でも最も印象的なのが主人公を演じたゼイン・アル・ラフィーアの表情であります。
劇中では冒頭とラストのシーンでのみ笑顔を見せますが、劇中でのほとんどが無表情、いや何とも形容しがたい一定の表情をほぼ全編続けています。
しかしほとんど変わらないその表情の中で、微妙な憂いや絶望感、その他複雑な感情を豊かに表現しているのが非常に印象的です。
先述の通り、不遇の時を過ごしてきただけに、彼には当然演技などの経験はありません。その一方で、この作品で彼は、まさにラバキー監督が彼らにリクエストした「ありのままで」というポイントを、まさに示しています。
ありのまま、ではありますが、単純に映画に登場する人物の表情としては非常に評価されるべきとも思えるものであり、様々な出来事を経験してきた彼だからこそ見せられる表情でもあるように見えます。
なお、彼は2018年に国連難民機関の助けを借りて、ノルウェーへの第三国定住の承認を受け、家族とともに移住しているとのこと。願わくば、彼の生活が良い方向に向かい、また何らかの機会に彼自身の魅力が見られる機会を望みたいところでもあります。
まとめ
まだそれほど人生経験を経てないはずの子供たちが、自分が生まれたことを呪うなどあってはならないこと。この映画はその核心を描き、この舞台となる地にある様々な問題をさらけ出しています。
この作品を見た人は“どうしたら、手をさし述べてあげられるだろう”などとは考えられないはず。きっと大きな衝撃を受けるとともに、自分自身もこういう世界に住んでいるんだという認識を、心に深く刻み込むことでしょう。
リアリティにこだわるという段階ではない、強いていえば“現実にこだわる”というレベルのこの作品、決してはるか遠くの国の話ではなく、どんな人も様々な思い、考えを胸に残す作品であると思います。
映画『存在のない子供たち』は2019年7月20日(土)より公開されます!