新進気鋭の監督スティーヴ・マックイーンが迫ったのは欲望の奥底にある心の闇…。
マイケル・ファスベンダーが主人公ブランドンの複雑な人物像を見事に演じきった『SHAME -シェイム-』をご紹介します。
映画『SHAME -シェイム-』の作品情報
【公開】
2011年(イギリス)
【原題】
Shame
【監督】
スティーヴ・マックイーン
【キャスト】
マイケル・ファスベンダー、キャリー・マリガン、ジェームズ・バッジ・デール、ニコール・ベハーリー、ルーシー・ウォルターズ
【作品概要】
第69回ゴールデングローブ賞(2012年)ドラマ部門最優秀主演男優賞(マイケル・ファスベンダー)ノミネート、第68回ベネチア国際映画祭(2011年)ヴォルピ杯男優賞(マイケル・ファスベンダー )受賞作品。その他にも数々の映画賞に名を連ねた傑作人間ドラマ。
スティーヴ・マックイーン監督が『ハンガー』(2008)に続き、主演にマイケル・ファスベンダーを起用。性依存症に苦しむ男を共演のキャリー・マリガンと共に好演している。
映画『SHAME -シェイム-』のあらすじとネタバレ
ニューヨークで単身暮らすブランドン。彼は長身でハンサムな顔立ちの持ち主で、職場での人望も厚く、お金もあり、瀟洒なマンションにも住んでいる男。一見すると、何不自由ない人生を送っているように見えていました。
しかし、彼は心の中にある問題を抱えていたのです。それはセックスのこと。夜毎コールガールを家に招いたり、通勤中の電車内でも女性に対しあからさまに性的な視線を送ったり、ビデオチャットで自慰行為に耽るなど、彼の生活の中心に常にあったのはセックスのことでした。
そんな彼が順調にこなしていた管理職の仕事にも、その性依存的行動は波及していました。ある日、彼の使用していたパソコンに大量に保存されていた猥褻画像や動画が、とあるきっかけで上司にバレてしまったのです。独身の男だからとそこまでのお咎めは受けなかったものの、どうにも居心地の悪い思いをするブランドン。
それからしばらくして、仕事が上手くいったことを祝うためブランドンの上司デイヴィッドら数名とで食事へ出掛けることに。
お酒も入ったことで、上司のデイヴィッドは周りにいた女性たちに次々に声を掛けていきます。妻子持ちであるデイヴィッドのそんな様子に、呆れながらも協力するブランドン。
2人組の女性を誘うことに成功したものの、ヤル気満々のデイヴィッドは何だかんだで一人帰宅する羽目に。一方、あまり乗り気ではなかったブランドンですが、女性の方からアプローチされ、野外での激しい情事に至りました。
そうしてブランドンが帰宅すると、何やら家の様子がおかしいことに気付きます。出ていく時には掛けたはずもない音楽が大音量で流されているのです。
不審に思いながらも忍び足で家へと入っていくと、そこにいたのは妹のシシーでした。数日ここにいさせて欲しいと転がり込んできたのです。彼女との接触をなるべく避けていたブランドンでしたが、仕方なく彼女を泊めてあげることにします。
シシーの仕事はバーで歌うことでした。そのことを知った上司のデイヴィッドがブランドンをせっつき、彼女のいるバーへと向かうことに。久しぶりに彼女の歌声を耳にしたブランドンの目には、何故か涙が溢れてくるのでした。
シシーの出番が終わり3人で飲むこととなってしばらく時間が経過すると、デイヴィッドとシシーは馬が合ったのか、ブランドンがそばにいることもお構いなしにいちゃつき始めます。
ついにはブランドンの家で情事に耽るという事態に。同じ空間にいることに耐えきれなくなったブランドンは外に出て、気晴らしにジョギングをしながら時間を潰しました。
映画『SHAME -シェイム-』の感想と評価
この作品は決してエロティックな部分に焦点を当てた映画はではありません。ブランドンとシシー、この兄妹が負っている心の傷を描いた物語なのです。
いわゆる性依存症の状態にあるブランドン。一方、過去に何度もリストカットを繰り返している情緒不安定なシシーは、恋愛に依存する体質の持ち主でもあります。
なぜこの兄妹がこのような状態にあるのかは、劇中で明言はされません。しかし、そこかしこに鍵は用意されています。
まずは、女癖の悪い上司デイヴィッドを見るブランドンの目に注目していきましょう。彼がそんな上司に対してどんな感情を抱いているのかというと、それはずばり嫌悪感に他なりません。
ただ、女性と一夜限りの関係を頻繁に結んでいるブランドンの行動とその思いは一見矛盾しているように見えます。しかし、それはあくまで彼の境遇や内面を知らない者の観点であって、ブランドンにとっては整合性の取れたものなのかもしれません。
それは妻子がいるデイヴィッドが女を漁ることと、ブランドンが手当たり次第に性衝動に走ることでは両者の欲望の根源が異なるからなのでしょう。
ブランドンの場合は、最も大切で最も愛する人を絶対に手に入れられないことが分かっているというどうにも抑えの効かないものであり、彼の性衝動はその反動からくるものなのです。
もしブランドンがその愛する人との関係が成就出来ていたのなら、彼がこんな性依存的行動に走るようなことはおそらくなかったはず。だからこそ、妻子がいるにも関わらず女漁りをするデイヴィッドに嫌悪感を催していたのでしょう。
では、ブランドンが最も愛する人とは一体誰なのでしょうか?
これこそがこの物語の最大の鍵となるものです。ここで登場するのが妹のシシー。彼女の言葉にヒントが隠されています。
彼ら兄妹はアイルランドからアメリカに移り住んだという情報だけは提示されていますが、なぜそこに至ったのかは触れられていません。
しかし、シシーがアイルランド時代のことについてこんな言葉を残しています。「私たちは悪い人間じゃない。ただ悪い場所に居ただけだ」と。
この言葉に全てが集約されているように思えます。詳しい生い立ちについては語られていないので推測になりますが、幼い頃を過ごしたアイルランド時代に彼らの性の概念を覆す“何か”があったことは確かです。それは親(もしくは義理の親など)からの性的虐待なのか、あるいはブランドンとシシーの近親相姦的関係なのか。
そのどちらかか、もしくは両方の出来事により、彼らの心に一生残る深い傷を負ってしまったのでしょう。おそらくブランドンの最も愛する人とはシシーであり、彼女と関係を結んでしまったことで、より深く彼女を愛してしまったと同時に絶対に実らない愛となってしまったのだと思います。
ブランドンとマリアンヌの関係性にもこのことが良く表れています。マリアンヌを単なる性の対象としてではなく、プラトニックな関係を築きたいと思っていたブランドンがいざ彼女を抱こうとすると、途端にインポテンツの症状が出てしまいます。
シシーとの絶対に実らない愛を胸の内に抱えているブランドンは、女性と身体的なつながりだけではなく精神的なつながりを持つことがもはや出来なくなってしまっていたのです。
ブランドンがシシーに対して怒りをぶつけた場面でもそうです。彼女が存在していることによってまともに愛と向き合うことが出来ないでいるブランドン。彼にとってのシシーの存在とは、最も愛する人であると同時に最も憎むべき人となってしまった瞬間なのかもしれません。
だからこそ、シシーは何度も手首を切るのではないでしょうか。兄にとって自分がどういった存在になっているのかを理解しているからこそ、彼女は自らの存在を消そうと何度も死の擬似的行為をしているのだと思います。
何度も繰り返される自傷行為にも関わらずそれが本当の死と直結しないのは、その行為自体が兄との決別を示すサインであると同時に、シシーのブランドンに対する愛情表現であるからなのでしょう。
こういった彼らの“Shame(恥)”が生んだ歪んだいびつな愛が、観る者の心に深く深く突き刺さり、「愛とは何か?」「セックスとは何か?」についてもう一度考え直すことを迫られる一作となっています。
まとめ
ヴェネチア国際映画祭を始め、数々の賞レースに名を連ねた傑作として名高いこの作品。ストーリー性もさることながら、監督のスティーヴ・マックイーン(あの有名俳優と同姓同名の黒人監督)の演出手腕も見事です。
マリアンヌとの食事のシーンを長回しで延々と撮り続けることでリアルなぎこちなさを演出したり、ジョギングするマイケル・ファスベンダー(ブランドン役)と並走して1カットで収めることでブランドンの複雑な心境を上手く表現したりと、監督としてのデビューからわずか2作目とはとても思えません。
また、作品全体を通して美しく哀愁を帯びた構図や色彩感覚に気を配り、敢えて説明しないことや、敢えて焦点をぼかすことで、むしろ兄妹の心境をより深く観客に伝えることに成功しています。
そんなマックイーン監督の演出に見事に応えてみせたマイケル・ファスベンダーとキャリー・マリガン(シシー役)の役者魂にも思わず拍手を送りたくなります。この2人なくしてこの作品はおそらく成立し得なかったでしょう。
次作にあたる『それでも夜は明ける』(2013)ではアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞で作品賞に輝くなど、ますますスティーヴ・マックイーン監督への期待が高まるばかり。今後の彼の動向にも要注目です!