1973年の公開された『ペーパー・ムーン』は、名匠ピーター・ボグダノヴィッチ監督の代表作!
2017年に「午前十時の映画祭8」にて、デジタルリマスター版として再公開されています。
ペテン師の男と9歳の少女がぶつかり合いながらも、時に協力をして互いの絆を深めていくロード・ムービー。
アディ役を演じたテイタム・オニールは、わずか10歳という史上最年少でのアカデミー賞助演女優賞を獲得した作品とは?
CONTENTS
1.映画『ペーパームーン』の作品情報
【公開】
1973年(アメリカ映画)
*午前十時の映画祭8にて、2017年にデジタルリマスター版公開
【原題】
PAPER MOON
【監督】
ピーター・ボグダノヴィッチ
【キャスト】
ライアン・オニール、テイタム・オニール、マデリーン・カーン、ジョン・ヒラーマン、ジョン・ヒラーマン、P.J.ジョンソン、ジェシー・リー・フルトン、ジム・ハーレル
【作品概要】
聖書を売りつける詐欺師の男と、母親を交通事故で亡くした9歳の少女との、互いの絆を深めていく物語を描いたロード・ムービー。シンプルな脚本で普遍的な映画を目指したという。
1973年の第46回アカデミー賞ではテータム・オニールが史上最年少で助演女優賞を受賞した。
2.映画『ペーパームーン』のあらすじとネタバレ
アメリカ中西部の田舎町のとある墓地。
自動車事故で命を落としたロギンスの葬儀が行われていました。
牧師が聖書の言葉を読み上げる葬儀に出席していたのは、ロギンスの9歳になる娘アディと、老いた女性2名。
そこにオンボロ車に乗ったロギンスの元恋人であったモーゼがやってきました。
モーゼが聖書販売をしていると名乗ると、2人の女たちはアディをミズーリ州にいる叔母のところへ送り届けて欲しいと頼観ます。
幼いアディの身寄りといえば、その遠い叔母くらいしかいないようで、女たちや牧師の手前モーゼは押し切られ、仕方なしにアディの送迎役を引き受けます。
その後、モーゼは幼いアディを利用して、死亡事故を起こした運転手の兄から200ドルをせしめます。
まんまと現金を手にしたアディは、さっそく車のタイヤなど新品に買い替えます。
その一方で面倒なアディのことは、汽車に乗せて独りで叔母の元に向かわせてしまおうと列車の切符を買い、彼女には20ドル渡して、叔母には駅に迎えに来るように電報を送ります。
出発までまだしばらく時間があると、モーゼはアディとカフェに向かいます。
アディはモーゼがオーダーしたホットドックには手をつけず、自分のパパでないかと尋ねますが、彼は否定をします。
アディは顎の形が似ていると食い下がりますが、モーゼは早くホットドックを食べなさいと強く否定。
アディはパパでないならさっきの200ドルは自分お金だと言い出し、返さないなら警察に訴えるとモーゼを脅し始めます。
すでにお金を使ってしまったモーゼは、先ほど買った貴社の切符を払い戻しを行い、渋々アディと旅を続けることになります。
そんなモーゼの稼ぎは、新聞の死亡欄で急死した男を見つけ、残された妻が未亡人であることをいいことに、元妻の名前入りの聖書を売りつけるケチな詐欺師でした。
嘘である話も残された元妻の未亡人にすれば、亡き夫からの自分の名前が入った贈り物を喜び、7ドルの現金を支払ってくれました。
そんな様子を見ていたアディは、すぐさま詐欺の仕組みを理解します。
ある日、いつものように残された未亡人に聖書を売りつけに行くと、家の中から元妻のほかに保安官も出てきました。
保安官はモーゼの聖書販売の様子をいぶかしがり、厳しい質問をぶつけてきます。
しどろもどろに挙動不審のモーゼを、アディは機転を利かせた名演技で救い、保安官をやり過ごし、未亡人にいつもより高い12ドルで現金を巻き上げます。
事の次第に助かったモーゼは、アディの詐欺師としての名演技を認め相棒になる事を認めます。
詐欺行為がもっと上手く行くようにと、ボーイッシュなアディに可愛い少女を演じさせるため、モーゼは彼女にリボンを買ってあげます。
しかし、支払いの際にモーゼはお札の両替をして、お釣りをチョロまかす詐欺を働くと、アディはその方法もすぐに覚えます。
詐欺を働くときに相棒のアディは、騙す相手をよく観察した上で即座に機転を利かせ、瀬踏みした値段で聖書の価格を決めていきます。
アディは貧しそうな未亡人からはお金を騙し取らず、裕福そうな未亡人に遠慮なく高値で聖書を売り抜いて行くのです。
モーゼはアディと組んだことで稼ぎは良くなり、お金は305ドルにまで増えていき、彼女はお気に入りの道具箱でお金を管理しています。
2人は口喧嘩はするものの、アディとモーゼは互いのコンビネーションを活かして詐欺師をやっていました。
モーゼはどこかの酒場で呑んできた際に、女と遊んでいる様子にアディは少し不機嫌になります。憎まれ口ばかり叩いていますが、アディは内心ではモーゼが自分のパパだったら良いなと思っていたのです。
アディはモーゼの気を惹きたくて、ママがつけていた香水を身に着けたりしますが、モーゼは無反応でした。
ある晩のこと、2人はカーニバルに立ち寄りました。アディはさっそく、綿菓子売りからモーゼを見て覚えた両替詐欺を行うと、お金をせしめます。
アディはそこで簡易的な写真館で紙の月に座って記念写真を撮りました。
しかし本当はモーゼと一緒に撮りたかったアディでしたが、モーゼは見世物小屋に夢中で彼女の相手をしてくれませんでした。
モーゼは見世物小屋のミス・トリクシー・デライトという、魅惑的な女性のストリップに夢中のようでした。
3.映画『ペーパームーン』の感想と評価
見どころ1:名作としての映画のお手本であるペーパームーン』
本作の演出を務めたのはピーター・ボグダノヴィッチ監督。言わずと知れたシネフィルの元祖的な存在です。
彼ほど映画を知っている監督もそう多くないと言っても過言ではないでしょう。
最近のシネフィルな監督といえば、真っ先にクエンティン・タランティーノ監督を思い出す人も多いかもしれません。
2014年のピーター監督作品の『マイ・ファニー・レディ』にクエンティンが本人役で出演していた背景には、新旧シネフィルの共作という楽屋ネタ的な意味合いがあったのでしょう。
本作『ペーパー・ムーン』の詐欺師行為を見ると、真っ先に思い出す映画といえば、のは1921年のチャールズ・チャップリンの名作『キッド』の窓ガラス売りの親子の詐欺師場面でしょうか。
ほかにも、本作と似たような作品には、「午前十時の映画祭8」でラインナップされた1980年のジョン・カサヴェテス監督の『グロリア』の擬似親子の展開を思い出す人もいるでしょう。
もちろん、1974年のヴィム・ヴェンダース監督の『都会のアリス』も、そっくりですよね。
さらには月に座って写真を撮るという行為が、ウディ・アレン監督の『ギター弾きの恋』のバンド演奏のセットと同じようだなと、感じた人もいるでしょう。
邦画でタイトル『紙の月』という、吉田大八監督の作品もありましたね。
このように名作される映画は、必ず作品単体でも十二分に成立はしているものの、数多くの他の映画と共鳴し合う特徴を持っています。
見どころ2:ペーパームーンの歌に込めたテーマ性
本作の冒頭でタイトルクレジットのデザインも古風な時代表現として印象的ですが、何と言ってもテーマ曲が素晴らしいですよね。
楽曲の歌詞にある「♪それはただの紙の月だけど、見せかけの月ではないわ。もしあなたが信じるなら♪」。
この歌詞の内容が、映画のアディとモーゼの関係を示しています。
9歳のアディの母親ロギンスは3人の男と付き合っていました。本作のなかでは本当の父親が誰なのかはハッキリとは明かされていません。
もちろんモーゼとアディの役を演じたのは、実の親子であるライアン・オニールとその娘ティータムです。
劇中の台詞にある「アゴが同じ」どころか、実生活で血の繋がった親子なのですから、目や顔形などそっくりです。
これもまた配役の妙みといえ、ピーター監督の演出を大いに生かした点です。
観客のあなたは物語の中の彼らを見ているうちに、本当の親子でないかと感じさせてしまう効果があります。
アディの可愛らしさや、モーゼと息のあったアディの詐欺行為や口喧嘩を楽しみながら、愛着を感じていきます。
見どころ3:本当のパパは問題ではない、信じること
夜に働きに出ていたていた母親ロギンスのいない寂しさを埋めるために、アディはラジオを聴き始めたのでしょう。
彼女の大人びた会話や天才的詐欺の能力はそこから学習したものです。
また、貧しいからこそ、温かなお湯の入ってるお風呂や、ピアノのある夢のような豊かな暮らしに憧れていたアディ。
しかし、それは劇中で彼女だけの夢ではなく、アメリカの国民の多くはそう思っていた時代なのです。
聖書を売りつけられた未亡人や、その子だくさん兄弟たちは同じなのかもしれません。
そして何よりもダンサーのトリクシーは、アディの欲しかったものを台詞として、ベットの上で付き人のイモジンにいう場面も登場します。
(それは後半に登場したミズーリ州の叔母の家にはすべてが整っていました)
もちろんイモジンとて、貧しい実家にいるよりも、こき使われたあの状況の方がマシなのですから、彼女とて本当なら夢があるのでしょう。
豊かに暮らしたいという夢を持っていたアディが、そのすべてが揃った叔母の家での暮らしを捨てて、モーゼとの生活をラストシーンで選択します。
その際に一番重要で大切なことは、モーゼが本当の父親であるかどうかの真実や真相よりも、“アディがパパだと信じる”ことです。
ペーパームーンの楽曲の歌詞にあった、「♪それはただの紙の月だけど、見せかけの月ではないわ。もしあなたが信じるなら♪」。
血の繋がりではなく、あかの他人だとしてもパパだと信じきる行動が、“最も強い生きる力”なるのです。
そのような夢をこの時代の1930年代のアメリカにはまだあったということでしょう。
アディが「まだ200ドル返してもらってない」と言い、ラストシーンモーゼと対峙ます。
するとポンコツなトラックは先に走り出していく様子は、2人の運命のメタファー(神のイタズラか?)です。
何か欲しいものを簡単に手に入れてしまうよりも、そこに苦労しながらも向かっている方が幸せなのかもしれません。
その象徴が本作や楽曲の歌詞にある【本物ではない月の上で記念写真を撮る行為】なのです。
この章にあげたYouTubeにある画像を見ると、当時のアメリカ庶民の星(月)に願いを込めていた様子がなんとなく理解できるかもしれませんよ。
まとめ
参考映画:ジョルジュ・メリエス監督の『月世界旅行』
アディのように月に座った場面が一番初めに映画に登場したのは、『ペーパー・ムーン』ではありません。
1902年にジョルジュ・メリエス監督の『月世界旅行』の一場面に登場します。
名作映画は他の作品と共鳴し合うと言いましたが、まるで星座のように繋がっているものです。
ここで並べた講釈を抜きにしても、アディ役を演じたティータム・オニールを見るだけでも可愛らしくて、十二分に名作といえる作品です。