1987年―韓国激動の時代―、一人の平凡な刑事が、大統領直属の情報機関による陰謀に巻き込まれていく衝撃作『ありふれた悪事』をご紹介します。
モスクワ国際映画祭で、主演男優賞と最優秀アジア映画賞の二冠を達成。国内外で高い評価を獲得した傑作サスペンス映画です。
1.映画『ありふれた悪事』の作品情報
【公開】
2017年(韓国映画)
【原題】
보통사람(英題:ORDINARY PERSON)
【監督】
キム・ボンハン
【キャスト】
ソン・ヒョンジュ、チャン・ヒョク、キム・サンホ、ラ・ミラン、チョン・マンシク、オ・ヨンア、チ・スンヒョン、チョ・ダルファン
【作品概要】
独裁政権の下、捏造捜査に巻き込まれた刑事を主人公に、権力を持つものの奢りと、権力への反旗の困難さを描き、民主化間近の時代の韓国社会を描く傑作サスペンス。
2.映画『ありふれた悪事』のあらすじ
時代は1987年。民主化を訴える学生運動家が大量に検挙され、清涼里署は、彼らで溢れていました。
学生たちを蹴ったり叩いたりしながらやってきたのは、刑事のカン・ソンジン。班長が飛んできて、早くあの殺人犯を逮捕しろとせかします。彼も上からかなりうるさく言われているようです。
人員と時間を確保してくださいとソンジンが言うと、既に一人、ドンギュという刑事が手配されて来ていました。
ドンギュを連れて張り込みに出かけたソンジンはまずクリーニング屋へ。血のついたジーンズを持ってきたものがいるからクリーニング屋に寄れと班長に言われたからです。
クリーニング屋に上がりこんだソンジンがカップ麺をすすっていると、男が一人ジーンズを取りにきました。
ソンジンが店に出ていき「ジーンズを預けたのか?」と尋ねると男は首を振り、逃げ出そうとしたので、ラーメンを顔にぶっかけ、ひっくり返った男に手錠をかけました。男は何もしていないと騒いでいます。
続いて殺人の容疑者を彼の愛人のマンション前で張り込んでいると、当人が現れました。ドンギュが水道局を名乗って家を覗き込むと、男は窓から逃げ出し、屋上へと上がっていきました。
男がいつも屋上に上がるのを察知していたソンジンが待ち構えており、ついに逮捕かと思われたのですが、さっきの男に手錠を使ってしまったため、手錠がない! そのすきに男は逃走してしまいます。
行きつけの食堂にドンギュを連れてきたソンジンは、ベトナム戦争の時の九死に一生の体験を話して聞かせていました。彼の脚には爆発が起こった時の破片がまた入っているのです。
犯人を取り逃がし、謝るドンギュを「ツイてない日もあるさ」と慰め、「腹の中の真っ黒いものを煙草の煙とともに吐き出すんだ」とアドバイスしていると、親友で新聞記者のチュがやってきました。
ドンキュが帰ったあとも二人は仲良く飲み続けました。「俺は兄貴のために生きている」とソンジンが言うと、チュ記者も「俺はお前のためだ」と言い、二人は楽しそうに笑うのでした。
クリーニング屋で逮捕した男、キム・テソンは何もやっていないと否認していましたが、前科がありました。
班長は、彼を殺人犯として逮捕し、本物が捕まったら釈放するようにしろと要請してきました。
ソンジンは驚きますが、「いつまでも捕まらないと首にされてしまう勢いだし、ちょっとだけ誤魔化すだけだ、俺達も出世しないとな」と言われてしまうと、室長の要請を拒否することが出来ません。
ソンジンは家の近くで息子のミングクが子どもたちにいじめられている場面を目撃します。彼は無抵抗でいやがらせに耐えていました。彼は足が悪いのです。
「反撃しろよ」と言っても、ミングクは「じっとしてたら早く終わる」と答えるだけで、「くらいついて連中をびびらせろ!」とソンジンは声を荒げてしまうのでした。
聴覚障害の妻は封筒貼りの内職をしており、生活は楽ではありません。少しでも出世して家族を楽にしてやりたいのですが…
翌日、ソンジンはキム・テソンに「お前が少しだけ入っててくれ。真犯人が見つかったら出してやる」と話し、あとをドンギュに任せます。
何か特ダネはないかとやってきたチュ記者がドンギュの机にあった資料を見て、捏造が行われようとしていることに気付いてしまいます。正義感の強い彼はこのことを見過ごすことができません。
彼に批判されたソンジンは本当の犯人を探しに行き、死闘の末、仲間もろとも逮捕します。
「これで昇進できる」と喜んだのもつかの間、手柄は全て班長に持って行かれてしまいました。
チュ記者からは「代わりにぶち込まれたやつの身になれ! キム・テソンに必ず謝れよ」と声をかけられました。
ドンギュはキム・テソンに「なんで服に血がついてたんだ?」と尋ねましたが、キム・テソンは震えるばかりでした。
つい腹をたてて、彼を殴ってしまったドンギュをソンジンは叱りますが、キム・テソンは思いがけない告白をします。
「俺が殺しました。母さんの病院代を盗んだからだ」
二人の刑事は驚いて顔を見合わせました。
ソンジンは大統領直属の情報機関である国家安全企画部から呼び出しを受けます。
恐る恐る出かけていくと、室長のギュナムが彼を迎えました。我々が調査してもいいのだが、警察には経験もプライドもあるでしょう?と彼は言い、極秘資料と記された封筒を差し出しました。
中を見てみると、そこには恐るべき事柄が記載されていました。キム・テソンは17名の命を奪った連続殺人鬼だというのです。
しかも、どれも刃物などを使った残酷な犯行で、子どもまで犠牲になっていました。
憤ったソンジンは徹底的な取り調べを行います。暴力で自白させ、室長に命じられるまま、証人の確認を行い、調書をまとめていきました。
しかし、取り調べを進める中、疑問が浮かびます。犯行現場は広範囲に渡っており、脚の悪いこの男にこのような移動が出来たのだろうか? 質問してもまったく答えられないことばかりです。嘘をついているようには見えません。
彼は室長に会いに行きますが、「国のためだと思ってささいなことは忘れ給え」と言われてしまいます。さらに、家族に何か買ってやれと札束のはいった封筒を渡されました。
チュ記者もキム・テソンが犯人であることに疑問を持ち、独自で調査を始め、昨日までの行方不明名者のリストを手に入れました。
チュ記者はソンジンを車に乗せ、始興へ連れていきました。遺体安置所を訪ね、係のものに金をつかませ、男の遺体をみせてもらいます。
「なんだ、こいつは?」ソンジンが問うと、「こいつが連続殺人犯だ」とチュ記者は答えました。
ソンジンは絶句します。
「担当刑事は口を閉ざしている。安全企画部のでっち上げだ。犯人が死んでしまったらこれまでの調査が台無しになってしまうからな」
チュ記者はこの恐るべき捏造事件を国民に知らせなければと考えていました。目をつぶればもっとひどいことが起こる、やつらは国民の気持ちをコントロールしていくつもりだと訴えます。
キム・テソンが車の運転ができないこと、ここ一年はソウルを出たことがないことなどを本人から聞き出したソンジンは、彼が犯人でないと確信します。
彼は室長に会いに行きます。しかし、彼の父親が共産主義だったことを指摘され、汚名を返上するために頑張り給えと脅されてしまいます。
そこに安全企画部のミン次長がやってきました。既にしこたま酔っ払っていた彼は宴会の席にソンジンも招き、ソンジンはベトナム戦争での体験を話し、ミン次長に気に入られました。
彼は車をやろうと言い、さらにはミングクの脚が悪いことを知ると、良い医者を紹介してやると言うのでした。
酒の席ですっかり良い気分になり、飲み明かした彼の下に早速黒いバンが届けられました。
彼は息子を車に乗せ、学校に連れて行くと、前に息子をいじめていた少年を捕まえ、「こんどミングクをからかったらお前の両親を逮捕してやるからな」と怒鳴りつけました。
ミングクも名医に手術してもらうことが決まりました。涙を流しながら喜ぶ妻と息子。
しかし、チュ記者は海外特派員に頼んで記事を出そうとしていました。「何様のつもりだよ!」と詰め寄るソンジンに向かってチュ記者は「普通の人さ」と微笑みます。
ソンジンは苦悩します。全て国のために家族のためにやってきたことなのに…。
彼は一体どのような選択をするのでしょうか? そして国家安全企画部が取る恐るべき行動とは?
折しも現大統領より、現体制での憲法改正は不可能、現憲法のまま、次期に譲るという発表が行われます。
国民が望む民主化はいつになったらやってくるのでしょうか。「普通の人々」の心に変化が起こり始めていました…。
3.映画『ありふれた悪事』の感想と評価
イケメン俳優は、ギュナム役のチャン・ヒョクしかいませんが、だからといって見逃してしまったら後悔するかもしれません。それほど傑作に仕上がっているからです。
舞台となる1987年は全斗煥政権最後の年。軍事独裁政権時の暗部を、当時の雰囲気を見事に再現し、エンターテインメントとして描ききった韓国映画の成熟ぶりに感嘆させられます。
兵役時はベトナム戦争に出兵し、なんとか生き残り、警官となって国家に忠実に生きてきた善良な男が、いいように利用され、踏みにじられます。
権力というものの恐ろしさが生々しく伝わってくると同時に、権力に抵抗することの困難さが容赦なく描かれます。
主人公の息子はいじめを受けており、戦えという父親に「じっとしていれば早く終わる」という言葉を発するのですが、これはこの作品の核をつく言葉となっています。
いつまでも民主化されないことへの怒りに疲れ、目をつぶり、面白おかしく生きられればいいさと人々が思ってしまったら、権力側の思うツボ。
そこから這い出てくる人々の姿を映画はまっすぐに見つめています。これは普遍的なテーマとして今を生きる私たちへのメッセージにもなっています。
それにしても主人公を演じるソン・ヒョンジュの人間味溢れる圧倒的な存在感といったらどうでしょう!
ほろ酔い気分で歌を歌う〈生演奏!〉彼が、気持ちよさそうに腰を使ってふりをいれているあの場面、強烈に印象に残りました。
相棒の刑事役のチ・スンヒョン、新聞記者役のキム・サンホ、連続殺人犯に仕立て上げられる男役のチョ・ダルファンらの熱演も必見です。
勿論、悪役のチャン・ヒョクも実に憎らしく、人を人と思わぬサイコパス的とも言える権力者を見事に演じています。
4.まとめ
連続殺人のモデルは、韓国史上最初の連続殺人という設定から考えると、1986年から1991年にかけて京畿道華城郡(現在の華城市)周辺で10名の女性が殺害された未解決事件、華城連続殺人事件と思われます。
映画ファンはポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003)でお馴染みでしょう。
とはいえ、あくまでもモデルであり、『ありふれた悪事』では、広範囲に渡る犯行となっています。そのことが、主人公に疑問を抱かせるきっかけとなるという巧みなプロットに仕上がっています。
全斗煥政権下で行われた様々な弾圧として、国家権力による拷問死が描かれますが、実際、1987年にはソウルの普通の大学生が治安本部の対共分室で拷問にあい死亡しています。後に彼の死は民主化運動の象徴となっていきます。
現代史を背景にした韓国映画は傑作が多く、例えば、青春映画として知られている『サニー 永遠の仲間たち』(2011 カン・ヒョンチョル監督)も80年代後半の民主化運動を背景に、まだ幼い少女たちの奮闘を描いていました。
本作もそうした傑作群の一つとして語ることが出来ると思います。韓国映画ファンに留まらず、多くの人に観ていただきたい作品です。