鬼才・堤幸彦監督が、東野圭吾原作の禁断のベストセラー小説を映像化した『人魚の眠る家』。
あの事故さえなければ、穏やかで幸せな日々が続いていたはずだったのに…。
愛する娘の“脳死”という悲劇に直面し、究極の選択を迫られながら悲しみの淵に立ち続ける夫婦を篠原涼子と西島秀俊が演じ、究極の愛の形を追い求める衝撃と感涙のミステリー超大作です。
映画『人魚の眠る家』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【原作】
東野圭吾
【脚本・監督】
堤幸彦
【キャスト】
篠原涼子、西島秀俊、坂口健太郎、川栄李奈、山口紗弥加、田中哲司、田中泯、松坂慶子
【作品概要】
デビュー30周年を記念して書かれ、その衝撃的な内容に話題沸騰となった、東野圭吾の禁断のベストセラーを映画化しました。
全てを投げ打って我が子を守り抜こうとする母薫子役を、劇場版「アンフェア」シリーズ(2007、2011、2015)の篠原涼子が熱演し、それを見守る父親の和昌に扮するのは、今最も充実した演技を見せる実力派『散り椿』(2018)の西島秀俊。
また若手俳優注目の坂口健太郎と川栄李奈、田中泯や松坂慶子という世代を代表する名優が集結しました。
監督は、日本映画界を常にリードしてきた奇才堤幸彦です。
劇場版「トリック」(2002、2006、2010、2014)や「SPEC」(2012、2013)のシリーズ、『明日の記憶』(2016)「20世紀少年」3部作(2008〜2009)等多くのシリアスな感動作や社会派作品を手がけてきました。
東野圭吾原作『天空の蜂』(2015)に続き、2作目となる『人魚の眠る家』を「自らの集大成」とし、強い想いで映像化に臨みました。
映画『人魚の眠る家』のあらすじとネタバレ
小学生の男の子達が野球のボールを投げ合いながら、学校の帰り道を歩いています。
ボールが大きな洋風建築の屋敷の中に入り、一人の男の子宗吾がボールを取りに行きます。
屋敷の前に大きな鉄の門扉があり、そこには人魚のデザインが施されていました。
宗吾は扉を開け、薔薇のアーチをくぐり抜け裏庭へと迷い込んでいきます。
そこにはブランコや滑り台、玩具の車などの高価な遊具と池があり、車椅子に色の白い可愛い少女が眠っていました。
驚いて外に出て行く宗吾は、玄関の前で一人の女性播磨薫子に会いました。
時は遡り、ある日の朝、屋敷のバラの庭で薫子の息子生人とその姉瑞穂が走り回っています。
母の薫子は、用事を済ませながら妹の美晴と電話で話をしています。
薫子は、瑞穂の小学校受験が終わったら、早く離婚して浮気したことの慰謝料をふんだくったらいい、と美晴に言われます。
「早く用意して、おばあちゃんがプール連れて行ってくれないわよ」と薫子は言いながら、瑞穂と生人を急かします。
玄関には、薫の母千鶴子と美晴とその娘若葉が待っていました。
薫子は、小学校受験のため親の面接練習に向かいます。
待合室に遅れてきた夫和昌に、「本番は髭を剃ってきて」と不服そうに薫子が小声で伝えます。
さらに受験までは協力すると約束したことをきつい口調で、和昌に告げました。
夫の和昌は、IT機器メーカー・ハリマテクスの社長であり、現在別居中でした。
面接の練習中に和昌の携帯電話が鳴ります。
娘の瑞穂がプールで溺れ意識不明になったとの連絡を受け、二人で病院に向かいます。
病院で千鶴子が泣きながら何度も謝り、排水口で指が抜けなくなって知らない間に沈んでいたと説明します。
担当医師の進藤から「脳死の可能性が高く回復する見込みはない」と言われた二人は、言葉も出ず現実を受け入れられない様子でした。
さらに進藤の冷静な話が続きます。
「脳死」を死として受け入れ臓器提供を希望するか、心臓が止まるまで「心臓死」を待つのか、究極の選択を、二人はこの場に及んで迫られます。
和昌は、ハリマテクスの創業者であり父の多津朗に、電話で瑞穂のことを打ち明けます。
「自分の臓器だったら、遠慮なく使ってくれていい…」と苦悩する多津朗の声を、和昌は静かに聞いています。
家で薫子と和昌が話し合っています。
「前に公園で四つ葉クローバーを見つけたのに、瑞穂が取らなかったことがあったの。なぜか聞いたら、自分は幸せだから誰かが幸せになれるようにって…」と言いながら薫子は涙を流しました。
「優しい子だったんだな」と和昌が答えました。
二人は話し合いの末に臓器移植を決断し、別れの日を迎えました。
病室で薫子と和昌が瑞穂の手を握りながら、多津朗や千鶴子、美晴そして若葉が最後のお別れをします。
生人が「お姉ちゃん、ありがとう」と声をかけた時、瑞穂の手が一瞬動いたように見えました。
和昌と目を見合わせる薫子。
「瑞穂は生きている!」
と叫び、臓器移植を拒否します。
病院で奇跡を信じ瑞穂に付き添う薫子は、介護の仕方をナースから真剣に学び、自宅介護を決意します。
孫娘の事故に強い責任を感じている母千鶴子の助けもあり、瑞穂は病院で安定し眠り続けていました。
但し自宅介護に踏み切るには、喉を切り開いて人工呼吸器をつける必要があると聞き、薫子も和昌も心を痛めていました。
ある日和昌は、ハリマテクスの研究成果の報告会で、自立呼吸ができないのに人工呼吸器を付けずに呼吸をしている被験者がいることを聞き、愕然とします。
説明してくれた若手の研究員・星野裕也を社長室に呼び、詳しい話を聞きました。
星野は、「意識のない娘瑞穂に代わって、ペースメーカーに脳の機能を備え付け、直接信号を横隔膜の筋肉に送ることで、横隔膜の筋肉を人工的に動かすということが可能」と説明し、自分の研究に役立つので調べていたと話しました。
和昌は薫子に相談し、二人は瑞穂にAIBS(横隔膜ペースメーカー)を埋め込む手術を受け入れました。
ベッドで寝かされている瑞穂から寝息が聞こえ、薫子の目に涙が潤みます。
薫子は、訪問する看護師に瑞穂が肌つやも良くなった気がすると言われ、喜んでいました。
一方星野と何回かデートを重ね動物病院で助手を勤める川嶋真緒は、星野を自宅に招きました。
家では、真緒の両親が嬉しそうに食事の準備をしています。
「今日何時頃くる?」と電話で聞く真緒に、星野は約束を忘れていたことを謝り、今仕事で忙しいことを告げます。
結局真緒の両親との食事会は延期され、仕方がないと諦めつつも、真緒の表情は曇っています。
ある日ハリマテクスで星野は開発の成果を説明した後、和昌に話を持ちかけます。
人工神経接続技術(ANC)を使って、意識のない瑞穂の脊髄に直接信号を送ることで、身体の筋肉を人工的に動かすことができると星野は説明します。
久しぶりに、もんじゃ焼き屋さんで星野と真緒はデートをしていました。
これを食べたら仕事が残っているので帰ると言い出す星野を、真緒は不審に思います。
星野が乗ったタクシーの後を、真緒もタクシーに乗って追いかけました。
星野の降りた場所が、あの播磨家の屋敷でした。
数日後、真緒は一人で播磨邸を訪れます。
部屋に案内され、瑞穂の手を動かす薫子に、自分は星野と結婚する予定であり星野を返してくれと伝えます。
薫子がお茶の用意で奥に行った時に、瑞穂の手が急に動きます。
筋肉の刺激反射が残って動くことを知らない真緒は、怯えきって外に出ていきます。
星野の研究により瑞穂は日々脚を運動させ、次第に血行も良く体も成長してきました。
ーが、それは同時に、薫子の狂気を呼び起こす序章でもありました…。
映画『人魚の眠る家』の感想と評価
原作者の東野圭吾が感じたこと
堤幸彦監督が映像化した本作について、原作者の東野圭吾は「自分の認識が間違っていた」とコメントしています。
自分の愛する者が健やかにただ眠っているだけなのに、もう生きていない、死んでいると宣告されたら、自分はどうするのか?その事実を受け入れられるのか?そしてどうすべきか?
本作は、多くの問題を提起し、そして色々な考え方や思いがあることを伝えてくれます。
この重いテーマの映画化は敬遠されるだろうと東野圭吾は考えていました。
しかし、この硬くて重い壁にぶち当たり、何度も越えようと試みた監督がいたということに言及された言葉が「自分の認識が間違っていた」です。
映像化にあたり、原作と大きく違った点が二つあります。
映画と原作の大きな違いとは
一つ目は、瑞穂がプールに行く前に母の薫子に「いい場所を見つけたから案内してあげる」と言い、スケッチブックにその場所の絵を描き残したという原作には無いエピソードが加えられています。
自宅介護の日々、薫子は車椅子を引いては公園や散歩道を辿りながら、その場所を探します。
瑞穂の目線に立って探し続ける中、映画のラストに久しぶりに家族で散歩に出かけると、そのスケッチブックの絵と同じ場所を見つけます。
瑞穂の目線の高さに大きな木があり、その木の中央に丁度ハートの穴が空いていて、その中に家族がすっぽり入るシーンがあります。
薫子と和昌そして生人の3人がいろんな山を乗り越えて、瑞穂の分も幸せになっていくような余韻が見るものに伝わってきます。
二つ目は、原作には特別支援学校から読み聞かせの先生が定期的に来てくれ、先生と薫子との心の葛藤や触れ合いが描かれていますが、映画にはその先生が登場しないことです。
原作以上に夫の和昌が読み聞かせの先生の心情を担い、ある時は冷静にある時は感情的になりつつも、薫子と真剣に向き合って彼女を支えています。
心臓移植を待つ子どものために大金を寄付するのは原作では母親の薫子です。それは心臓移植を待つ側の気持ちを考えた結果の行為でした。
瑞穂ちゃんの奇跡を信じたい思いと心臓移植のために脳死を望むような気持ち。矛盾する想いを、映画では父の和昌に加えています。
そしてやはり、東野圭吾をして「原作者が泣いたらカッコ悪い」と言わしめたのは、俳優たちの演技です。
本作は、原作以上に播磨夫婦、薫子と和昌の葛藤と苦悩を描いています。
夫の浮気で離婚間近ないわゆる仮面夫婦が、娘の不慮の事故で「脳死」か「眠ったままで生きる」かの究極の選択に迫られる窮地にたちます。
篠原涼子は、等身大の母親薫子を乗り移ったかのように演じ、見るものにとって愛なのかエゴなのか、正気にも狂気にも見える役の振り幅を見事に演じていました。
一方の西島秀俊は、IT企業の社長としての風格と知性を持ちながらも、薫子に翻弄され苦悩する夫和昌の孤独を深く表現し、見るものを釘付けにしました。
この二人に加え、もう一人燻し銀の名優・田中泯扮する和昌の父・多津朗の演技も見どころです。
出てくる場面やセリフも少ないのですが、彼の言葉がこの映画の核心に迫るメッセージを示唆しています。
一つ目は、「自分の臓器だったら、遠慮なく使ってくれていい…」。
自分の体ではないから、大切な人の意思や意識がないから、人は答えを出せず苦悩します。
二つ目は、「人の道を超えてしまったな」。
言い換えると「神の領域」ともよく耳にします。
どの時点でそう捉えるかは、辿ってきた人生観や命の捉え方によって様々ですが、何か超えてしまったという感覚を覚える場面が、本作の中にあるはずです。
まとめ
薫子が自宅介護を決意して、娘の「臓器提供」のため脳死判定を願い出るのに、3年の月日が経ちました。
それを長い短いで決めつけるのではなく、娘とのお別れを意識できる瞬間がやってくるのを静かに待ち、自分の足で立ち上がることが大切であると本作は伝えてくれます。
本作が投げかける多くの問題は、その人にとって答えがあるかもしれず、またずっと悩み苦悩していくものかもしれません。
本作のラストでは、宗吾があの思い出の大きな屋敷に惹かれてその場所に走ってい場面が描かれています。
途中心臓の鼓動を感じ、あの家を見にいくとそこには跡形も無く、ただ草っ原が広がっていました。
そして映像は、何もない広々とした敷地を空から俯瞰して映し出し、終わります。
瑞穂の心臓で、宗吾がこれから瑞穂とともに生きていくという希望を見せてくれます。
大切な人の命が失われても、何処かで(心の中で)生きて自分とともに歩んでいく、そんなメッセージを受け取ることができます。
ぜひ愛する大切な人の思いに、会いに行ってみませんか。