世界30カ国以上で翻訳されている吉本ばななの初期短編作品が33年の時を経て遂に映画化。
吉本ばななによる同名短編小説を、映画化したラブストーリー『ムーンライト・シャドウ』。
ヒロインを演じるのは小松菜奈。ある日突然恋人を失い、喪失感にさいなまれる女性を演じ、観るものの心を捕らえます。
また、小松の恋人役に宮沢氷魚、宮沢の弟役に佐藤緋美、その恋人に中原ナナが扮し、今の時代に響く「喪失と再生」の物語が描かれています。
監督を務めたのは、『アケラット-ロヒンギャの祈り』、『Malu 夢路』などで知られるマレーシア出身のエドモンド・ヨウ。日本文学に馴染みの深いヨウ監督にとって、吉本ばなな作品の映画化は待望の作品となりました。
映画『ムーンライト・シャドウ』の作品情報
【公開】
2021年公開(日本映画)
【監督】
エドモンド・ヨウ
【キャスト】
小松菜奈、宮沢氷魚、佐藤緋美、中原ナナ、吉倉あおい、仲野誠也、臼田あさ美、
【作品概要】
吉本ばななの作品集『キッチン』に収められた短編小説を小松菜奈主演で映画化。最愛の恋人を亡くした女性が、満月の夜の終わりに起こるという“月影現象”に導かれながら悲しみに向き合っていく姿を描いています。
ヒロインの恋人役を『his』(2020)などの宮沢氷魚、その弟・柊を佐藤緋美が演じる他、謎めいた女性に臼田あさ美が扮しています。
監督を務めたのは『アケラット-ロヒンギャの祈り』(2017)『Malu 夢路』(2020)などで知られるマレーシア出身のエドモンド・ヨウ。
映画『ムーンライト・シャドウ』あらすじとネタバレ
さつきと等は、鈴の音に導かれるように、長い橋の下に広がる河原で出会い、またたく間に恋に落ちました。
ある日、さつきは等から、3つ下の弟がさつきに会いたがっていると告げられます。弟は柊という名前で高校生。さつきにお手製のご飯をふるまいたいのだそうです。
等と共に、柊の家を訪れたさつきは家の前で、買い物をしてきたばかりの柊とばったり出会います。
彼の隣にはゆみこという恋人がいました。
柊のお手製のご飯はとてもおいしく、4人は最初から意気投合します。たびたび4人で集まると、食事をしたり、ゲームをしたり、いろんな話にふけったりして、楽しいひとときを過ごしました。
「月影現象」について教えてくれたのは、ゆみこでした。それは「満月の夜の終わりに、死者ともう一度会えるかもしれない」という伝説のようなものでした。
「もしも現実に月影現象が起きたら、誰に一番会いたいか?」と4人は語り合い、ゆみこは両親と折り合いが悪かったせいであまり会えなかった祖父母に会いたいと応え、等は小学校時代の恩師に会いたいと応えました。
柊はゆみこのほうを観ながら「今、会いたい人がいるから月影現象なんていらない」と応え、さつきもうなずきました。
何気ないけれど穏やかで幸せな日々が過ぎていくなかで、別れは前触れもなくやってきました。柊からの電話を受けたさつきは「等とゆみこが死んだ」と知らされます。
その日、いつものように遊び疲れた柊は寝てしまい、等がゆみこを車で送っていったのですが、事故に会い、2人とも亡くなってしまったのです。
深い哀しみに打ちひしがれるさつきと柊。愛する人を亡くした現実を受け止めきれず、さつきはショックで食欲を失ってしまいました。悲しみを振り切るようにひたすら走りますが、息を荒げ、苦痛で顔をゆがめるばかり。
さつきと柊は毎日のように2人で会っていました。ある日、柊は、ゆみこの制服を着てきました。柊とゆみこはこんなふうに、しょっちゅう、衣服を交換していたのだといいます。
そんな中、2人は不思議な女性・麗と出会います。黒い服に身を包んだ彼女はどこか神秘的な雰囲気を醸し出していました。
彼女は「声を集めている」と言い、さつきに「声をだしてみない?」と誘います。「あの鈴の音が頭から離れないんです」と涙目で話し始めたさつき。「でもそれはもう自分の頭の中にしかない」。
等との出会いや思い出について語っていると涙が溢れてきましたが、彼女の口から突然、「お腹がすいた」という言葉が飛び出してきました。さつき自身も驚いたようでしたが、それは自然に口から漏れた言葉でした。
さつきと柊は食堂で向かいあい、黙々と、エビの天ぷらをほおばり始めました。
映画『ムーンライト・シャドウ』感想と評価
マレーシア出身のエドモンド・ヨウ監督は、吉本ばななの原作を独創的な映像世界で表現しながら、「喪失と再生」という作品の主題に果敢に挑んでいます。
愛する人の突然の死を受け入れることができないさつき(小松菜奈)と柊(佐藤緋美)。柊はあの時、自分が眠っていなかったら兄も恋人も亡くなることはなかったはずだという後悔の念にもさいなまれていました。
さつきの耳には、恋人の等と出会うきっかけとなった鈴の音色が常に響いていて、かつては喜びの音だったそれが喪失の音色へと変化し、彼女を苦しめています。
柊は、恋人と衣服を何度も交換し合う仲でしたが、それ以上にダンスという表現で、精神的につながっていたように見えます。
ミラーボールが光る部屋の一角で、柊が踊るダンスは幻想的でありつつ、不思議と心が開放されていくような瞬間でもありました。
同様に、恋人のゆみこがダンスを始めると、物理的に離れていても共に踊っているように見え、2人の精神的なつながりを強く感じさせました。
今、柊が踊っても、踊り返してくれるのは思い出のゆみこでしかない。「鈴」と「ダンス」というモチーフがふたりの男女の喪失感の深さを如実に表現しています。
現実なのか、空想なのか、過去なのか、現在なのか、未来なのか、幻想と現実が絡み合う、苦しみ戸惑う男女の心の中に、観客は次第に導かれていきます。
川や、白い橋、高く茂った葦といった一見、なんの変哲もない静かで穏やかな光景が、傷心した男女の心象風景のように胸に迫ってくるのもエドマンド・ヨウ監督の映像マジックでしょう。
黒い服を着た女は、現実の人間なのでしょうか。しかし注目すべきはそのことではなく、「怪しげ」で「魔女」のようにも見える黒衣の女が実はそうしたイメージとは真逆の「善意」の象徴のような存在であることです。
この存在はリアルなものとはかけ離れた精神的なもので、誰かが立ち直る時のふとしたきっかけとでも呼ぶべきものなのかもしれません。こうしたまさに吉本ばなな的ともいえる文学的世界が、大変、リリカルに、巧みに映像化されています。
視覚的な面白さでいえば、さつきと等にとって特別な場所だった白い橋が、思っていた以上に高いものであったことがわかる場面があります。
「月影現象」で亡き人と会えることを期待して横たわっているさつきと柊を見つけて、橋の上から子どもたちが騒いでいるのですが、そのことに気がついた2人が起き上がり、子どもたちを見上げます。
その2人の目となったショットで、この橋がこんなに高かったのだと思い知らされるのです。
映画の序盤、さつきが橋から見下ろして河川敷でバーベキューか何かをしている人々を見下ろすシーンでは、それほどの高さをかんじさせなかったので、これには軽い驚きを覚えました。
そして、この場面で、子どもたちは、2人に手を振り、2人も振り返します。そうした光景は、岨手由貴子監督の『あのこは貴族』で、門脇麦扮するヒロインが、道路の向かい側の歩道を自転者で二人乗りしている女子高生から手を振られ、思わず振り返すシーンを思い出させます。
どちらの作品においても、何気ない日常のシーンでありながら、そうした行為が人間の心を和ませ、勇気を与えてくれるものとして描かれています。
そんな人間の心の不可解さ、不思議さというものを、映画は優しい眼差しで見つめているのです。
まとめ
映画は、さつきに扮した小松菜奈のアップで始まります。不安そうで、うつろとも言える表情を見せていた彼女が一瞬、固い意志を示すように頬を引き締めたと思うと、再び視線を彷徨わせはじめ、なにかに迷いながら、涙をうっすらと浮かべつつ、ついに独白を始めます。小松菜奈という女優の力量にいきなり魅せられ、一気に作品世界へと引き込まれる見事なオープニングです。
彼女の恋人・等を演じた宮沢氷魚をはじめ、弟・柊役の佐藤緋美、その恋人役の中原ナナと若い才能が集まりました。そのキャステイングにはエドモンド・ヨウ監督の希望が大いに反映されているといいます。
まるで流れる水のように、厳かに、静かに、現実と幻想が混ざり合うエドモンド・ヨウ監督の映像世界に、それぞれのキャラクターを演じる若い俳優たちの息吹が溶け込み、幻想的、かつリアルな物語が誕生しました。
「喪失と再生」という主題は、まさに「今」に響く物語として、多くの人の心に染み入ることでしょう。