今回ご紹介するのは、黎明期の円谷特撮作品を数多く手がけた実相寺昭雄監督の非商業芸術映画『曼陀羅』です。
非商業作品を数多く手がけるATG(日本アート・シアター・ギルド)にて、70年代初頭に実相寺昭雄監督が手掛けた作品のひとつで、実相寺のトレードマークともいえる“奇怪なカメラアングル”あらゆる技巧と脚本を務めた石堂淑明が描く快楽思想犯の暴走が極限に達した、最も難解な作品です。
2組の学生カップルが強姦と農業を通して原初的な人間のありさまを問う。
白昼夢のような幻想を見せた本作は当時、『ウルトラQ』『ウルトラマン』で知られる桜井浩子の大胆な濡れ場が話題となりました。
映画『曼陀羅』の作品情報
【公開】
1971年(日本映画)
【監督】
実相寺昭雄
【キャスト】
清水紘治、森秋子、田村亮、桜井浩子、岸田森、若林美宏、草野大悟
【作品概要】
TBSテレビディレクター、映画監督、オペラ演出家、鉄道愛好家など様々な面を持つ実相寺監督の長編映画監督作品として前年の『無常』(1970)に次ぐ2作目。次作『うた』(1973)と併せてATG三部作と言われています。
実相寺監督は、商業映画においても作家としての芸術性が両立でき、そのことを自覚している稀有な存在と言えます。
撮影は、実相寺監督が自己主張により作品の雰囲気を壊さないと評価した稲垣涌三。音楽を手掛けたのは、その後のウルトラシリーズの音楽も担当した冬木透。
映画『曼陀羅』のあらすじとネタバレ
敦賀の海岸沿いに建つ一軒の小さなモーテルにて、2組の学生カップル、信一と由紀子、裕と康子が、互いの相手を交換し合い抱き合っていました。
モーテルの支配人室では、支配人の真木がブラウン管に写しだされた2組の様子を凝視していました。
やがて、裕と康子が帰るのを見送った信一と由紀子は、海岸でのふたりで過ごす時間に浸っていました。
由紀子は、廊下ですれ違った康子が信一とのセックスに嫌悪を覚えていたことを語ります。そこへ真木の部下の茂雄と守が現れ、信一を暴行し気絶させ、由紀子にも手を挙げた上で彼女をふたりがかりで強姦しました。
しばらくして意識が戻った信一が目にしたのは、魂の抜けたような由紀子の姿でした。信一は意識の朦朧とした彼女とのセックスで、かつてない恍惚を覚えていました。
それから月日が経ち、妊娠した康子は、これを機に裕との結婚を彼に訴えます。
信一と共に全共闘の左翼学生として過激な活動に勤しんでいた裕にとって、結婚は忌むべき縮小社会の再生産であり、やがて康子に中絶を押し付けます。
一方、信一と由紀子は海岸での出来事が、真木に仕組まれたことであり、あの恍惚も実は真木によって操られていたものではないかという疑問を解決する為に再びモーテルを訪れ、真木に詰問するが、真木はそんな二人を引き連れ、古墳を越えて、山の奥深くにある屋敷に招じ入れる。
そこは、単純再生産の法則が全てを支配するユートピアでした。このユートピアでは、農業とエロチシズムの追求が行われていると説明します。
そしてエロチシズムはセックスとは異なる縮小再生産であると説きました。
人間が一瞬の恍惚を求めて彷徨うのは、絶えず死との結びつきを求めるから。その恍惚とは生きながらにして時間の感覚を失う瞬間のことである。そんな単純再生産こそ人間の全ての営みの中で時間を失った永遠の空間を造りだすものであると語ります。
そして真木は、モーテルでの信一の語りぶりから死との結びつきを感じ、それゆえふたりを快楽で釣り、このユートピアへ招き入れたことを明かしました。
ユートピアは、神様を相手に売春する白装束の真木夫人と、彼女に仕える若い女君子が祈祷の世話をしていました。そしてモーテルが外の世界からユートピアへと誘う入口だったのです。信一と由紀子は真木夫妻に魅せられ、ユートピアでの生活に追従していきました。
対立する「統一と団結」派の学生団体から、女にうつつを抜かしていると問い詰められた裕は、康子を置き去りにその場から逃走しました。
やがて信一たちの姿を求めて海岸にたどり着くものの、裕と康子は真木の部下である茂雄と守に襲われてしまいます。
映画『曼陀羅』の感想と解説
音楽から構築される映像芸術
まずはじめに実相寺昭雄作品の中で、核を担っているとされる映画と音楽の関係性について触れておかなければなりません。
映像作家としての実相寺昭雄の美意識は、特徴的なアングルやライティングをはじめとした視覚効果だけでなく、動画のテンポをエンハンスする音楽にあり、そこに強いこだわりを感じさせます。
実相寺監督は、映画音楽はエモーションを揺さぶる上での効果があり、観客の意識に残る映画の記憶は音楽の活力によってとどまるものだと考えていました。
作品を包み込む音楽が、演劇における台詞の応酬だけでは欠落してしまう「映画」を補填する。あくまで音楽が映像に対し優位な立場を有しているのであり、音楽によって作り出された世界に、映像を結合させるという意識が働いていました。
「道徳や知性を超越した音楽こそが、人間を信仰させる力であり、人間が神に近づいたと錯覚させる幻想まで呼び起こす心の高揚である。崇高な音楽の世界に映像は到達する術を持たない。」悲観的でありながら、自身の作家性に対し、冷静で客観的な視線を持ち合わせた発言で、本作公開1年後に音楽と自身の作品に対する考えをこのように語っていました。
音楽映画として、試行錯誤するためには、商業性の側面と折り合いをつけるのは不可能であると早々に見切りをつけた実相寺監督はATG作品が芸術音楽を追求する絶好の機会であると判断しました。
試行錯誤が極限まで行きついた怪作
しかし本作は、非商業に根差した芸術作品でありながら、女優の裸目当てが客寄せとなり商業として成り立ってしまったという矛盾を抱えた作品となってしまいました。
下世話な興味により、引き寄せられた当時の観客に植え付けたのはトラウマだけでなく、本質まで届かなかった結果、伝えたかったテーマを誤解させてしまったことが挙げられます。
男性の加虐的な肉体(女性を所有したいという病的な欲求)と女性の被虐的精神(男性への献身ではなく、自分をモノとしてなりきろうとする精神)とが、あたかも噛み合った関係であるかの錯覚をもたらしている。
それはつまり、この映画が強姦を正当化する論説として機能しかけない危険性を孕んでいることを指します。
これは半分意図するものであり、半分は観客の教養を高く見積もり過ぎた誤算だったのではないかと考えられます。
本作で描かれたエロチシズムとは死に近づく道程で抱く、生への執着、セックスの本質から離脱した生命の充実感。生命享受の行為とは似て非なるもので、相手の死(その危険性)を侵犯する理工的な行為である以上、自然的な営みにはなり得ないものとして描かれています。
実相寺監督はエロチシズムの本質を、解放された女性の精神にのみ存在し、男性にとっては一方通行の虚妄に過ぎないと定義しました。
したがって本作では、男性の支配欲が行きつく先は空虚な自己満足に過ぎないと描きたかったのではないでしょうか。
実相寺監督は、強姦を正当化するわけではなく、カウンターカルチャーに起因する性の解放運動、女性の権利拡大(男女平等)の潮流を意識してはいたものの、俗説の観念に当てはめたものとしてエロチシズムを描いたわけでもありませんでした。
それが、60年代末期から70年代初頭にかけて(ヘイズコードのような)検閲に限りなく近いガイドラインから、映画界が解放される時代のタイミングと(偶然か必然か)合致し、本作は標榜するもの以上に暴力的に見えてしまったのではないかと考えられます。
そして実相寺監督は、本作が非商業映画であることにかこつけ、芸術の追求と商業的分かり易さとの両立を放棄しました。
実相寺監督作における本作の比類のない特性は、その分かりにくさゆえに追求できたエロチシズムと原始的な人間性のありようでした。そして原始的の追求とは、同時に「日本人の風土の源流を求めること」でもありました。
実相寺監督は、幼少を満州で過ごし、戦後帰国した、いわゆる引き上げ派の最年少世代でした。そういった生い立ちの実相寺監督が、望郷という言葉に対し複雑な思いを抱いていたことは疑いようがありません。
自らを故郷喪失者と自称しながら、戦前の日本本土のすがたは、自分にとって幻想にすぎないと語ります。
本作劇中において、全共闘の学生を指し、アンファン・テリブルであると呼称しているのは、著しく型破りで革新な運動であると捉え、連合赤軍崩壊を予見しているようでした。
同時にそれは、かつての日本のすがたを「ありのまま」であるとし、そこへ回帰しようとする右派への疑念でもあったのかもしれません。
天皇を主権とする君主が収める本土を神聖視する考えは事実、帰属不可能な「日本」に対する奇妙としか言い表せないナショナル・アイデンティティの表れであり、現在においても日本人がアジア人としての連帯意識、より大きな分母への帰属意識を持ち合わせていないことが影響しています。
同じように盛んな学生運動という世相反映した翌年のテレビドラマ「シルバー仮面」ではパイロット監督として製作に携わっており、学生運動家をモチーフにした主人公たちを通して「社会から理解されない正義」を描いていました。
描かれる正義自体には疑問が付きまとわないのが、今となっては前時代的に感じてしまうかもしれません。
しかしこういった実相寺監督のアプローチが、その後の日本映像作品、とりわけ特撮界において大きな影響を与えることになりました。
実相寺作品の遺伝子
実相寺監督作品は自他ともに認める王道でないその作風が特徴です。
その独自性の訴求力は、何の応用であるか明確化しない姿勢によるものだといえます。
それは今の時代のクエンティン・タランティーノやクリストファー・ノーラン、庵野秀明監督作のような、サンプリング・元ネタの影響、関係性によって完成する作品の体系とは一線を画すものでした。
実相寺監督作のユニークな視覚的構成は、オーソン・ウェルズやカール・テオドア・ドレイアーからの引用を含んでいたことは、後年の批評や研究により明らかになったことで、撮影の段階で「こういった作品を意識して取ってほしい」などの明確な教科書は撮影スタッフに明かされていなかったそうです。
それは、製作者と視聴者の教養を試めしていたのだと考えられ、それにより映像芸術への理解が深まり、今なお実相寺作品の研究を通して深堀されていくきっかけを作ったと肯定的に捉えることが出来ます。
作り手としてのそういった姿勢に自覚的であったことは、監督のある種、奥ゆかしい性格によるものでしょう。
他方、王道とは言い難い実相寺作品がサブテキスト化した現状を問題視すべきとも考えられます。
実相寺メソッドに倣うことは、作品の本質をはぐらかすという作り手の怠慢を招いているのではないか。つまり、実相寺的な演出が作者の意図やメッセージを煙に巻くために悪用されていることが、近年見受けられます。
こういった事象は、実相寺作品は作品づくりにおける土台のひとつにはなれど、それが作品の構成や演出の直接的な教科書にはなり得ないということを物語っています。
あまりにも高等な芸術価値の次元での話で、抽出した手法を応用するにとどまるならまだしも、演出自体に追随することは、表層的な模倣に他なりません。
まとめ
本作はキャリアの中で最もアート指向の高い非常に難解な作品です。
映画に流れる狂気は、凡百のプログラムピクチャを拒絶するほど強烈なエネルギーを放っていました。
芸術作品がもたらした功罪と二元的に語ることは出来ません。なぜなら、芸術とは人間社会が把握しうる倫理や道義の範囲を超越する概念だからです。
実相寺監督が「ウルトラマン」や「シルバー仮面」といった子供向け特撮作品の中で行った前衛的な映像表現の試行錯誤は、当時の大人の鑑賞に堪えうるものにするためではなく、結果的に子供の情操教育の役割を担っていたことが分かります。
しかし、それも逆説的な結論で、子供向けを度外視した本作を観ることで改めて浮き彫りになったところでもあります。
1970年代の実相寺作品が持つシニカルさは、映像作品において、伝えづらいことを伝えないということに本質を見出したことによるものではないでしょうか。