ロシアの鬼才アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の映画『ラブレス』は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞や数々の映画祭で賞賛を受けました。
また、米アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされるなど、映画関係者からの評価が高いものの、アンドレイ独自の語り部としての雰囲気や映像表現のリズム感、またはメタファー描写の読みの難しさを感じる映画ファンも多かったのではないでしょうか。
今回は映画『ラブレス』のあらすじと感想、ラストの考察をご紹介します。
映画『ラブレス』の作品情報
【公開】
2018年(ロシア・フランス・ドイツ・ベルギー合作映画)
【原題】
Nelyubov
【脚本・監督】
アンドレイ・ズビャギンツェフ
【キャスト】
マルヤーナ・スピバク、アレクセイ・ロズィン
【作品概要】
『父、帰る』や『裁かれるは善人のみ』など、数々の映画祭で高く評価されたロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督作品。
失踪してしまった息子の行方を身勝手な両親の姿を描いたサスペンスドラマ。第70回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しました。
映画『ラブレス』のあらすじとネタバレ
一流企業で働くボリスと、高級美容サロンをマネージメンをすジェーニャの夫婦は、連れ添った関係に終止符を打ちたいと離婚の協議中でした。
12歳の息子アレクセイと3人で住んでいた、マンションも買い手が決まりそうになっていました。
そんなボリスとジェーニャは、すでにそれぞれ別々のパートナーもいて、一刻も早く新たな生活を送りたいと、互いの縁を切ることばかりを考えていました。
そのことに気がついているの息子アレクセイの様子は元気がありません。
そんな息子に対して関心のない母ジェーニャは、スマホを片手に交際相手とのやり取りばかりに気を取られ、息子に食事を与えるも態度にはイラつきしか見せていませんでした。
一方でボリスには、若くてすでに妊娠中の恋人マーシャがいたが、彼の会社の経営者が厳格なキリスト教徒のため、その事実を会社では隠していました。
ジェーニャには、成人して留学中の娘を持つ年上の恋人アントンがいて、母親に愛されることなく子ども時代を育ったジェーニャは、自分も息子は嫌いで愛せないとアントンに告白し、それでも自分を愛してと彼に深い愛情を求めます。
ボリスもジェーニャも夫婦では満足ができなかった心の隙間を、それぞれのパートナーと体を重ね合いながら、激しく愛し合います。
もはや、そんな2人の問題といえば、どちらがアレクセイを引き取り育てるのかしかありませんでした。
ジェーニャはそんな息子を寄宿舎に送り出そうとしますが、ボリスは自分が引き取る気もないのに、妻の非難ばかりをしていました。
そんな2人は会う度に激しい口論となりました。
どちらも新生活を前に息子アレクセイの存在を必要としておらず、どちらが引き取るか激しい罵り合いを繰り返していました。
翌朝、学校に向かったはずのアレクセイの行方不明になり、ボリスとジェーニャは自分たちの未来のためにアレクセイを探しますが…。
映画『ラブレス』の感想と評価
結婚を見つめる現実的な視点
2011年にアンドレイ・ズビャギンツェフ監督は、自身にとって第3作目となる『エレナの惑い』を発表した後、「離婚」というモチーフに着目をしたそうです。
それ以後2014年に第4作目となる『裁かれるは善人のみ』を発表した後、本作『ラブレス』へと至ります。
映画『ラブレス』はアンドレイ監督が敬愛するイングマール・ベルイマン監督の1973年の公開作品『ある結婚の風景』と対になる作品にしたいと制作しました。
イングマール監督の『ある結婚の風景』は、ゴールデングローブ賞の外国映画賞を受賞した作品で、監督にとっては名優となるリヴ・ウルマン主演の映画で、舞台化もされています。
結婚10年目を迎えたヨハンとマリアンヌは、安定した暮らしを過ごしていましたが、夫婦関係の取材を受けたことをきっかけに、徐々に心境の変化をリアルに見せた人間をドラマした。
アンドレイ監督はこのイングマール監督の作品と対になる作品としながら、「離婚」をテーマにした『ラブレス』で描いた結婚観についてこのように語っています。
「本当に幸せな夫婦というのは残念ながらほとんどいません。家庭生活を続けるには、理解や忍耐、歩み寄りが必要で、自己実現をするという欲求とバランスを捉えなくてはいけません。それはとても危ういバランスです。相手を好きで結婚しても、恋愛感情だけでは夫婦生活を続けることができません。そこには愛とはまた別の、結婚生活を存続させようとする意識が必要なのです」
『ラブレス』に登場したボリスとジェーニャを筆頭に、彼らに関わる主要な人物たちは、「自己実現をするという欲求とバランス」を持ち合わせておらず、性的な快楽や短絡的にしか、相手について考えようともしていなかったように感じられます。
一方で無償で相手のことを優先して考えるといった、献身的で自制心の効いた立場を一手に引き受けていたのは、ボランティ救助隊の存在でした。
それ以外のボリスとジェーニャのそれぞれの恋人や肉親も、相手について夫婦生活を存続させるような意識はなかったように思ったのではないでしょうか。
その他者理解のなさ、共有意識のなさが本作「ラブレス』に登場した、マヤ暦の世紀末思想や、終幕に登場するテレビのロシアの2012年に起きた内戦のニュース映像の問いかけでした。
結婚や夫婦のあり方について、男女の相性や雰囲気の微妙な意味合いを読んで関係性を維持してくのではなく、意識を抱いて維持していく大切さを、本作『ラブレス』で見つめ直そうと発起したのでなないでしょうか。
息子アレクセイを消失したかいなを論点の中心に置かずとも、その後のボリスとジェーニャが恋人たちと過ごすようになった様子も、何ひとつ関係性を構築する意識がない姿は、彼らの本性として恐ろしいものに感じたのではないでしょうか。
息子を失ったことで誰かとの関係性が虚しくなったというよりも、他人に対しての無関心さの希薄が現実的で恐ろしいと見てとれたのです。
それが安心安全としての家庭の中心ににあるテレビ。その向こうに起きている内戦のニュース映像を「見る」という行為にシンクロさせた、アンドレイ監督は表現も実に巧みでした。
大切なのこと他人との関わりで、傍観者にならないことです。
「見る」から「知る」を経て、「行動する」ことに、ほかなりません。
例えば、刑事の仕事という業務的な無関心行動と、あまりに違ったボランティア救助隊が、とても印象的であったのもそのせいです。
ボランティア団体「リーザ・アラート」
アンドレイ監督は、2014年に『裁かれるは善人のみ』の撮影を終えた後に、行方不明者を捜索するボランティア団体「リーザ・アラート」と出会います。
「リーザ・アラート」は、2010年に設立された後、25の地域に支部を持ったNPO団体で、2016年にロシアでは、6,150人の行方不明者が出そうですが、そのうちの89%を生存した状態で発見するといった成果を上げたようです。
この「リーザ・アラート」についてアンドレイ監督はこのように語っています。
「リーザ・アラートこそが市民意識を目覚めさせるものなのです。団体の名前は、1日見つけ出すのが遅くて命を落としたリーザという少女の名前にちなんでいます。彼らの存在が加わったことで、この物語に深みが生まれたと思います」
本作『ラブレス』のなかで、ボランティア救助隊のリーダーの下、救助隊のメンバーの誰もが感情的な一面を出さず、献身的にアレクセイを探し出そうとする姿が印象的でした。
しかも、アンドレイ監督はボランティア救助隊を必要以上に誇張もせず、ことさら彼らに人間味を描くような過剰さも与えていませんでした。
そのことで彼らボランティア救助隊の他人のために尽くす姿が、新しい恋人と付き合うようになったボリスやジェーニャの息子に関心がなかったことに比べると皮肉な対比として描かれていました。
アンドレイ・ズビャギンツェフ監督は、『ラブレス』で描いていたのは、「離婚」をモチーフに、他人への思いやりや共感、そして尊敬が大切なのかを、ボランティア救助隊の自制心と仲間との統率を取れた姿で見せてくれたのです。
まとめ
参考映像:『父、帰る』(2003)
本作のラスト・ショットで映し出される沼は何を意味していたのでしょう。
アレクセイはボランティア救助隊が手を付けることができない、あの沼底に沈んでいるのでしょうか。
あのショットでキャメラはそのままパン・アップして、枯れ木になびくアレクセイが手にしていたリボンを映し出します。
人には魂があるとすれば、今のアレクセイは穏やかで幸せなのだと信じたい気がしてなりません。
アンドレイ・ズビャギンツェフ監督を知る彼のファンとしては、2003年に公開された『父、帰る』を、どうしても思い出してしまうファンもいたことでしょう。
少年はすでに水死で亡くなっているのだとすれば、あまりに“子ども思いである”、あるいは“少年の1つの死に敬意を示した”アンドレイ監督の思いやりに満ちたラスト・ショットだったと言えば考えすぎでしょうか。
本作の少年アレクセイ、そして、初監督作品『父、帰る』のアンドレイと、彼を演じたウラジーミル・ガーリンに思いは尽きません…。