今回ご紹介するのはオフ・ブロードウェイで大きな話題を呼び映画化された作品『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』です。
心にいつまでも残る名曲が詰まったミュージカル映画の魅力に迫ります!
映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の作品情報
【公開】
2002年(アメリカ映画)
【原題】
Hedwig and the Angry Inch
【監督】
ジョン・キャメロン・ミッチェル
【キャスト】
ジョン・キャメロン・ミッチェル、マイケル・ピット、ミリアム・ショア、スティーブン・トラスク
【作品概要】
性転換手術の失敗から“アングリーインチ”が残ったまま、自分の楽曲を盗作したかつての恋人は今では大スター。
そんな売れないロック歌手ヘドウィグが自由の国で探して回る自分の“片割れ”。ヘドウィグの人生を彼女自身の歌と共に物語は綴ります。
もともとオフ・ブロードウェイで上演されていた『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。
ジョン・キャメロン・ミッチェルと作曲家のスティーヴン・トラスクは、ニューヨークのナイトクラブでヘドウィグというキャラクターを登場させたのが始まりで、ヘドウィグをどんどん膨らませていったことが舞台化のきっかけだったそうです。
ヘドウィグを演じるのは監督、脚本を務めるジョン・キャメロン・ミッチェル本人。
舞台ではヘドウィグの過去の恋人トミーもミッチェルが演じていましたが、映画で務めたのは『ドリーマーズ』(2002)や『ゴースト・イン・ザ・シェル』(2017)に出演する当時新人だった俳優マイケル・ピット。
サンダンス映画祭監督賞、観客賞を始め数々の賞を受賞。舞台、映画で使用する楽曲はポップスの女王マドンナが権利を手に入れようとしたこともあるそうです。
映画『ヘドウィグ ・アンド・アングリーインチ』のあらすじとネタバレ
男性から性転換したロック・シンガーのヘドウィグは、2番目夫のイツハクやバンドメンバーたちとマネージャーで全米各地で旅をしながらツアーをしていました。
客受けはあまり良いなく、資金はもうすぐ底をつきそうでバンドは窮地に立たされています。
ある日、店でヘドウィグたちがライヴをしていると、隣では今最も人気のあるロック・ミュージシャンのトミー・ノーシスがライヴをしていました。
ヘドウィグはかつて彼の恋人だったものの、トミーはヘドウィグの曲を盗作したため裁判で争っています。
マネージャーはヘドウィグにトミーと仲良くしているところを隠し撮りさせ、裁判を有利に進めようという作戦を提案します。
ヘドウィグの怒りが収まることはなく、上手くはいきません。
ヘドウィグは、旧東ドイツで生まれた自分の子供時代を思い出します。
ハンセルという少年だったヘドウィグは、部屋にこもってラジオを聴き、アメリカのロック・ミュージシャンに強い影響を受けました。
父はハンセルに性的な悪戯をしていて母に追い出され、厳しい母と共に2人で暮らすことになりました。
ここで現在に戻り、ヘドウィグはプラトンの哲学を基にした歌“愛の起源”を歌います。
ベルリンの壁が敷かれ、東側で住み続けるハンセルと母。大学を追われます。
ある日、ハンセルは爆撃の跡の瓦礫の上で日向ぼっこをしていました。
そこに現れたのはアメリカ人のルーサー軍曹。彼はハンセルを気に入り、結婚したいと告げます。
ハンセルは東ドイツを抜け出し、アメリカに行くために性転換手術を受け、母の名前をとって“ヘドウィグ”と名乗ることにします。
しかし手術は失敗に終わり、股間には1インチの肉の塊が残ってしまいました。
ルーサーとヘドウィグは結婚しますが、ルーサーは、すぐに出て行ってしまいます。
大学を追われたヘドウィグは、母と暮らす日々を過ごしていました。
爆撃の後の場所で、全裸になって日向ぼっこをします。
現在に戻り、ヘドウィグはスーパーのレジ打ちの女王となったことや、カツラやメイクを施すようになったことを歌に乗せて観客に伝えます。
映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の感想と評価
“男性は太陽の子、女性は地球の子。そして月の子は、男性と女性の中間の子。人間が力を持ったことを恐れた神は、くっついていた2人を引き離した。愛はどこかへ散らばった自分の片割れを探す、そして元の姿に戻りたいと願う感情”。
プラトンの“愛の起源”を軸にした歌、物語は、人間に欠かせない愛という概念と、感情の本質に迫るものとなっています。
自分の片割れをアメリカの地で探し続けるヘドウィグ。
彼女は最後カツラを取り胸の詰め物も取り、“男性”の姿、愛していたトミーと同じ姿になります。
心から愛したトミーはヘドウィグの“片割れ”であったでしょう。
しかし、ヘドウィグは自分が性転換する前の姿も、自分の“片割れ”であったことに気がつくのです。
トミーに十字架の印を書いたのも、自分の“片割れ”がこの人であってほしいという願いだったのかもしれません。
ヘドウィグの姿を捨て、愛した人に似た姿になり、自分の“アングリーインチ”も受け入れる。
片割れと一つになり、すべてを受け入れて自分自身となるラストシーンは、とても美しいものです。
トミーがヘドウィグに「愛は永遠か」と問いかけるシーンがあります。
「永遠よ」と答えるヘドウィグ。“愛の起源”での自分の片割れを見つけ、元の姿に戻りたいという愛の定義は“魂”のことでしょう。
ヘドウィグにとって音楽は魂。音楽をはじめとする芸術の永遠性、美しさも感じさせます。
まとめ
物語を彩る音楽は力強く、心と体すべてを震わせるものばかり。
ジョン・キャメロン・ミッチェル監督本人によるパフォーマンス、ヘドウィグの派手な衣装から一転するラストの姿は艶っぽくも少し切なく、涙を誘われます。
アニメーションとの融合、魂の咆哮、唯一無二の輝きと魅力を持つ『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』、ぜひご覧ください。