ジョン・カーニー監督音楽映画3部作の第2作目
『ONCE ダブリンの街角で』(2007)『シング・ストリート 未来へのうた』(2016)といった音楽愛溢れる作品が魅力のジョン・カーニーが監督を務めました。
イギリスからニューヨークへとやって来たシンガーソングライターのグレタ役をキーラ・ナイトレイ、グレタの恋人デイブ役をロックバンド「Maroon 5」のアダム・レビーンが務めています。
また、落ち目の音楽プロデューサー・ダン役にはマーク・ラファロが共演。
ニューヨークを舞台に音楽が生み出される瞬間に立ち会う感覚を味合わせてくれる本作の魅力を、ネタバレありでご紹介いたします。
CONTENTS
映画『はじまりのうた』の作品情報
【公開】
2015年(アメリカ映画)
【原題】
Begin Again
【監督・脚本】
ジョン・カーニー
【キャスト】
キーラ・ナイトレイ、マーク・ラファロ、ヘイリー・スタインフェルド、アダム・レビーン、ジェームズ・コーデン、シーロー・グリーン、キャサリン・キーナー
【作品概要】
アカデミー歌曲賞受賞作『ONCE ダブリンの街角で』(2007)『シング・ストリート 未来へのうた』(2016)のジョン・カーニーが監督を務めました。
シンガーソングライターのグレタ役を「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズや『プライドと偏見』(2005)『わたしを離さないで』(2010)のキーラ・ナイトレイ。
落ち目の音楽プロデューサー・ダン役に「アベンジャーズ」シリーズ、『キッズ・オールライト』(2010)『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)のマーク・ラファロが共演。
グレタの恋人デイブ役には、ロックバンド「Maroon 5」のアダム・レビーンがスクリーンデビューを果たしました。
ワシントンスクエアやセントラルパーク、地下鉄、エンパイアステートビルなどといったニューヨークの街並みや、キーラ・ナイトレイがギターを片手に歌声を初披露して注目を集めました。
映画『はじまりのうた』あらすじとネタバレ
ある日、音楽プロデューサーのダンは、共にレーベルを築いてきたパートナー・サウルと会社存続についての考えがすれ違い口論になった末、会社を解雇されます。
別居中の妻からは、娘のバイオレットが派手な服装をして非行に走るのは、父親が導かないからだと罵られ、乗ってきた車はエンストして動かない始末。
夜になり列車で帰りますが、列車事故で乗り継ぎ時間を要し、地下鉄を出て近くのライブハウスに入ります。
そこでシンガーソングライターのグレタが歌う曲に聴き入りました。彼女はギター1つで歌ってましたが、ダンには伴奏のアレンジまでもが一緒に聞こえていたのです。
ダンはグレタに契約したいと声をかけ名刺を渡しました。しかし、グレタはダンの話が信用ならなく名刺を返します。
それでも懲りずに、ダンはBarの外で待ち伏せをして、さっき言ったことが嘘だったと本心を告げ、「酔って地下鉄で自殺を考えて君の歌を聞いた」と言って、一杯飲もうと誘います。
違うBarでグレタに自分の経歴が記載された記事を携帯で見せます。
ダンはもっと曲を聞いてもらうために服装や印象を変える演出が必要だと伝え、グレタはアーティストについて言及しました。
明日には帰国して大学に戻るというグレタを引き止めたダンに、「考えて明日電話するわ」と別れます。
グレタは、恋人のデイヴと共に制作した曲が映画の挿入歌に採用され、デイヴとイギリスからニューヨークへやってきていたのです。
彼の夢を願うグレタは、一緒に制作した曲をレコード会社にはデイヴが一人で制作したと伝え自分は裏役にまわりました。
ある時デイヴは、ミュージックビデオの監督と会うため一週間ロサンゼルスに行くことに。レコード会社の人と一緒に行くから、グレタは同行しないくていいと言われます。
グレタは、その間に旧友のスティーヴと再会したり、のんびりとニューヨークを観光していました。
ロサンゼルスから返ってきたデイヴは、旅行中にインスパイアされて作ったという新曲をグレタに聴かせます。
その曲は自分ではない他の女性に贈った曲だと気づいたグレタは、デイヴと別れてスティーヴの元へ。
失意のグレタを励まそうと、スティーヴは自分が歌うBarに連れていき、彼女をステージに誘ったのでした。そして、その歌を聴いたのがダンだったのです。
グレタは、一度は断ったダンからの契約話に乗ることにしました。
グレタは、自分の趣味で曲を書いているだけで、デモテープもありませんでした。ダンはサウルに直接、弾き語りでグレタの曲を聴かせて、デモの制作費を出すように頼みますが、会社ではデモの制作はしないと断られます。
ダンは、野外で録音してアルバムを作ろうという名案を思いつきます。ダンの人脈で他の楽器を演奏できるメンバーを探し、ピアノ、チェロ、バイオリン、ベース、ドラムが集まりました。
バンドメンバーとスティーヴが考案した移動式スタジオとともに1曲ごと違う場所での録音がはじまります。
映画『はじまりのうた』感想と評価
“夢”と“愛”のすれ違い
同じ目的で共に曲作りをしてきたデイヴとグレタでしたが、映画の挿入歌に採用され、イギリスからニューヨークという舞台でアメリカンドリームを手にします。
『アリー/スター誕生』(2018)のようにアーティスト同士の恋人に焦点を合わせられ、2人の立場が同じでなくなり、一方だけが夢を手に入れた時、その後の関係性の揺らぎを描きます。
しかし本作が比重を置いているのは、2人が想い描く方向性がすれ違う点です。
音楽でスターダムへ駆け上がるデイヴの“夢”とアーティストとして音楽への“愛”を貫こうとするグレス。
グレスの信念は、アメリカンドリームを目の前にしても揺ることがなく、“本物のアーティスト”を実行するのです。それは大衆に合わせた音楽ではなく、自分の奏でたい音楽を自分で発信するということでした。
そのツールはノートパソコンとマイクを使いレコーディングをして、ネット上で立ち上げたHPから自ら売り出すという方法です。宣伝はツイッターという、まさに現代の広大なネットワークを駆使して、音楽で世界と繋がります。
本作が製作された2013年は、音楽マーケティングが大きく飛躍し、従来のアルバム制作とは違う手法でリリースするアーティストが出現し始めた年でもありました。
映画は、時代背景と共鳴するかのように人と音楽とが接触する変化の兆しを目撃します。
繊細に描く主人公の心情
本作は華やかなサクセスストーリーやラブストーリーではなく、パーソナルな面を浮き彫りにした悲喜こもごもを映し出します。
デイヴがアルバムに収録した“さまよう星たち”という曲は、元々はグレタがクリスマスプレゼントにデイヴに捧げるために作った曲でした。
しかし、デイヴのアルバムに収録された“さまよう星たち”は、ファンを盛り上がらせるためにポップに仕上がっていました。
グレタが「他人がどう思おうと私たちの曲よ」と言うように、生まれた曲そのものを愛そうとするグレタの想い。
この場面は2人のビジョンが明らかに交わらないことを示します。
そして、ラストのライブシーンでは彼女のオリジナルで歌うデイヴでしたが、グレタは、ステージでファンを魅了し歌う彼の姿を見て涙します。
それは、彼が夢を叶えた喜びの他に、もう2人が辿る世界が別々であることを意味しているのではないでしょうか。
グレタがライブ会場を後にして、夜の町に照らされた光の中を自転車で走り抜ける表情がクロースアップで映し出されます。その表情は、これからの未来を感じさせる清々しいものでした。
ラブストーリーではない熱っぽさ
本作の魅力をより深いものにしているダンという存在。
アルコールホリックで社会的には落ちこぼれと称されるダンですが、時代が変容しようとも音楽への愛を枯らさずに持ち続けている人物です。
グレスとプレイリストを聴き合うというドラマチックな展開は、2人の距離を縮め、音楽の魔法を観客にも見せてくれる素敵な場面です。
そして憎たらしいことに、2人はそのままドラマチックに結ばれるのではなく、意味深長に視線が交わるショットや間合いが映し出され、かえって2人の間に生じた熱がよりリアルに感じるのです。
だからこそ、浮気をされてもデイヴのことが「死ぬほど好きだった」と言って作った曲に言葉以上のエモーショナルをかきたてられます。
映画の終盤、完成したアルバムをサウルに聴かせた後に別れるシーンでも、グレスとダンは、長く見つめ合います。互いを尊重しているからこそ軽はずみな言葉を交わしません。
ただあるのは、交わる視線なのです。それは互いに音楽で心を開き、素晴らしい音楽を共有した時間をそのまま記憶に留めて置くかのように見て取れました。
まとめ
ジョン・カーニー監督の音楽映画3部作の第2作目として描かれた『はじまりのうた』。
『ONCE ダブリンの街角で』では音楽を通して男女が惹かれ合い、女は新しい自由を男に委ねる物語でした。そして本作は、音楽が生み出す魔法を分かち合うことで新しい一歩を踏み出していく物語です。
次作の『シング・ストリート 未来へのうた』では、恋とロックとバンドで世界を変えていきます。いずれも音楽の愛に満ちていながらも、とてもパーソナルな部分に視点が置かれています。
そして、主人公の葛藤に音楽は一心同体のように映画の中でこだまするのです。
それは『はじまりのうた』のグレスとダンが、プレイリストの中で好きな映画の音楽を愛したように、映画の世界と音楽が交わるこの上ない至福を味わいます。
また、本作の映画制作前に亡くなった“兄ジムに捧ぐ”というエンドクレジット。ジョン・カーニー監督は、ダンのキャラクターは兄のジムが元になっていると語っています。
音楽愛がひしひしと伝わってくるダンというキャラクターを通して見えてくる監督の兄弟愛もまた、映画を物語る上で深みを帯びてきます。