映画『ガリーボーイ』は2019年10月18日(金)より新宿ピカデリーほかで全国ロードショー!
インドのスラム街に住む一人の青年が自身の境遇に縛られ悩みながら、ラップという唯一の武器で一歩を踏み出す勇気を見出していく姿を描いた『ガリーボーイ』。
本作はインドのヒップホップアーティスト、NaezyとDivineの半生の物語をベースに作られたヒューマンストーリー。
本作は『人生は一度だけ(英語版)』『慕情のアンソロジー』などを手掛けたインド出身のゾーヤー・アクタルが監督を務めます。
キャストには『パドマーワト 女神の誕生』などのランヴィール・シン、『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』などのアーリヤー・バットというボリウッド役者二人をメインに、個性的な面々がインド社会の様々な風景を表現しています。
映画『ガリーボーイ』の作品情報
【日本公開】
2018年(インド映画)
【英題】
GULLY BOY
【監督】
ゾーヤー・アクタル
【キャスト】
ランヴィール・シン、アーリヤー・バット、シッダーント・チャトゥルヴェーディー、カルキ・ケクラン、ヴィジャイ・ラーズ、ヴィジャイ・ヴァルマー
【作品概要】
インドのヒップホップアーティスト、NaezyとDivineの半生の物語をベースに、インド・ムンバイのスラム街に住む一人の青年が、ラップを通して様々な出会いを経験し、時に傷つきながら人生の一歩を踏み出す勇気を見出していく姿を描く。
『人生は一度だけ(英語版)』『慕情のアンソロジー』などを手掛けたインド出身のゾーヤー・アクタルが監督を務めます。またプロデューサーには、世界的なヒップホップアーティストNASが迎えられています。
メインキャストに『パドマーワト 女神の誕生』などのランヴィール・シン、『スチューデント・オブ・ザ・イヤー 狙え!No.1!!』などのアーリヤー・バットというボリウッド役者二人が、インド社会の不条理に悩みながらも新たな自分たちの人生を掴んでいく姿を描きます。
また映画初出演ながらラップ・アーティスト役として圧倒的な存在感を見せるシッダーント・チャトゥルヴェーディー、インド生まれのフランス人カルキ・ケクランや、『モンスーン・ウェディング』のヴィジャイ・ラーズなど、それぞれが全く違った立場の役を演じ、古い風習や新たな時代の流れなど、メインキャスト二人を取り巻く様々な実情を感じさせる演技を見せています。
また劇中ではDivineがカメオ出演、シーンを盛り上げます。
映画『ガリーボーイ』のあらすじ
インド・ムンバイのスラム街に住む青年・ムラドは、貧しい家庭の中でも家族の希望を背に大学に通う青年。一方、古い習慣が蔓延する彼の家では、父の力は絶対で逆らえず、ある日父は自身の家に愛人を連れてくることに。母は父に罵声を浴びせますが、夫に抗議を通すことはできませんでした。
自分の境遇にやるせなさを見せるムラド。彼の唯一の救いは、スマートホンから流れるラップだけでした。
そんなムラドが、ある日大学の構内でおこなわれていたフリーライブのステージで、一人のラップアーティスト・MCシェールの魅力にすっかりはまってしまいます。
そしてある日彼は、ラップのセッションがおこなわれている場所があることを知り、足を運ぶことに。そしてムラドはMCシェールと出会います。
二人は意気投合し、ムラドはMCシェールから様々なラップの手ほどきを受け、時に自身の境遇とぶつかり傷つきながら、アーティストとしての道を歩き始めますが…。
映画『ガリーボーイ』の感想と評価
インド社会の描写
インドという国にも様々なイメージが連想されますが、本作を観ると人によっては自身「いかにインドという国を理解していなかったか」と改めて痛感させられることでしょう。
カースト制という差別制度がかつて存在し、その名残もあっていまだ社会には差別意識があり、そして貧富の格差が大きな社会問題としてある現状。
そして古い風習とともに、家族を重んじる傾向がはびこる。そんな風景を最も鮮烈に表している、インドでも有名なスラム街であるムンバイのダラヴィ地区が、この物語の舞台になります。
貧しさだけでなく、不条理な扱いで人間性までも否定される社会。一方で今ではどこでも誰でも利用できるものとなったインターネット技術はこのインドでも一般的となり、若者たちはスマホを通して世界を眺めることができるようになっています。
そこで若者たちは、今自分がこの社会で置かれている境遇と世界との大きなギャップを感じ、自身の生活や普段の風習に大きな疑問を抱くようになるわけですが、そんな構図がこの映画では大人とその子供それぞれの境遇というところで鮮明に描かれています。
一昔前では婚前の男女が公然で愛におぼれる姿などインドではご法度であったはずですが、そんなある意味衝撃的な場面もあり、インドという国がいかに今までいろんなことに縛られていたか、そして今変わろうとする動きがあることがこの作品では垣間見られます。
他方、この地区では実際に外国人観光客向け「スラム見学ツアー」という驚きのツアーがおこなわれているそうですが、この映画でも主人公ムラドが自身の家でプライベートな時間を過ごしているところを、外国人観光客が見学するために家に入ってくるというシーンがあります。
日本では考えられないような場面でありますが、この場面はそんなツアーすらごく日常と思えるほどに自然でありながら、このスラム街での生活の酷さを物語っています。
また、メインキャスト二人を取り巻く人たちの起用にも、興味深い点があります。
ムラドたちに大きな影響を与えるミュージシャン・スカイ役を務めるカルキ・ケクランはインドで生まれ育ったフランス人。スカイはムラドにそれまで知らなかった世界の広さを知らせるキーマンとなります。
またムラドの友人・モイン役を務めるヴィジャイ・ヴァルマーは、実家がマルワーリーという商人カーストの身分に生まれており、今でこそ役者の活動をおこなっているものの、かつて映画・テレビ研究所で学ぶことを両親に反対されていた経緯があります。
そんな役者それぞれの経歴にも、このインド社会に深くかかわる、あるいは影響する要素があり、少なからず演技に影響しているものがあるとも考えられます。その意味では役者の演技自体が表している像そのものに、今のインドを感じるものも多くあります。
本作はラップという音楽の一ジャンルを大きくクローズアップして使用した作品でありますが、このインドの描写は作品のテーマとしても非常に大きなテーマにつながるものであります。
インドの現代社会にある様々な風景をインド出身のゾーヤー・アクタル監督があくまでもシリアスなタッチで描いているところも、非常に注目すべきポイントになっています。
また、偶然のタイミングではりますが、非常に近い時期に日本の映画で、ラップを取り上げた作品『WALKING MAN』が公開されています。こちらもとある貧しい青年が、ラップとの出会いで人生を大きく変えていく姿を描いた物語です。
これらの映画で描かれるラップという音楽の描写には、大きな意味があります。ラップというと元々結びつくのが、アメリカの黒人社会における生活との結びつきです。
スラム街に住む少年たちの将来は?という問いに対して、例えば、2005年の映画『コーチ・カーター』でサミュエル・L・ジャクソンが演じた主人公のケン・カーターが発した言葉が回想されます。「死ぬか、ギャングになるか」。
まさしく未来には絶望しか見えない、そんな意味にも感じられますが、そんな中危機を回避する方法として「ラップアーティストになり、ビッグになる」という意見が存在しています。実際に現実社会の中で、そんなことを本気で考えている少年も少なくないようです。
ここでいわれているラップとはどちらかというと興行的なもの、大きな金を稼ぐための手段として使われるものというイメージのもの。
しかしこの映画や『WALKING MAN』で描かれているラップの姿は、どちらかというと「ラップそのものをおこなう意味」を前提とするもの、「自分からあふれ出る押さえ切れきれない言葉を発する方法」、ラップが本来持っていた意味を表すものとして描かれています。
敢えて、ラップの生まれた国であるアメリカ以外の国でそういった作品が作られたことは、ラップが単なる見世物ではなくその行為をおこなうことには大きな意味があることを、改めて示しているのです。
音楽の使い方
劇中では様々な音楽が効果的に使用されています。
どちらかというと1970~80年代の、ノリの良いソウル/ファンク的な音楽から幕を開け、さらにポップミュージック的なもの、そしてラップ/ヒップホップが要所で流れる一方、ヘビが出てきそうな笛の音と打楽器だけのシンプルな民俗音楽的サウンドが交差したりと、音楽に関しては非常にバラエティーに富んだ構成となっています。
その中で最も印象的なのは、古いしきたりを感じさせる風景と、ムラドの現在の思いを繰り返して交差させる場面。ここでは民俗音楽とメロウなヒップホップ・ミュージックを、そのシーンの移り変わりに合わせて巧みに切り替えています。
本作では、このように単に映画の情景に合わせた音を流して雰囲気を作っているだけではなく、深い意味を持った音の使い方を模索した様子も見られ、音楽が非常に重要な役割を持つものとして劇中を盛り上げています。
音楽というジャンルが一つのテーマであることはもちろん、プロデューサーに世界的アーティストのNASを迎えたことも、大きな効果をもたらした要因となったに違いありません。
まとめ
ちなみに全国公開される映画ではラップのリリック(歌詞)の日本語訳を、マルチクリエイターのいとうせいこうが監修をおこなったものが挿入され、上映されます。
ラップのリリック部分は徹底的に韻を踏んだ形になっているだけでなく、日本のラップミュージックでよく使われる言葉の倒置や語尾のボキャブラリーなど言葉遣いにこだわっており、その意味では字幕部分に「ラップの表現」を明確に感じさせる、立体的な表現が組まれています。
作詞家、ラッパーとしての実績も持ついとうだけにリリックの作り方も秀逸で、劇中のラップのプレーとその字幕がどうリンクするかを見て聴いて感じるのも一つのポイントとなるでしょう。
またラップは英語の印象も強いかもしれませんが、今やそれ自体が全世界に広がった文化。ヒンズー語のラップもひとクセありながらかなり迫力のあるプレーとなっており、大きな見どころとなっています。
映画『ガリーボーイ』は2019年10月18日(金)より新宿ピカデリーほかで全国公開されます!