「なるんだよ、幸せに」小津作品の中でも特に傑作と名高い作品『晩春』を観る
映画『晩春』は、小津安二郎の1949年の作品で、小津作品の中でも『東京物語』(1953)などと並ぶ最高峰の一つとして高く評価されています。
娘の縁談と取り残された親の孤独というモチーフは戦後の小津作品において、この後、何度も繰り返されることとなります。
野田高梧と共に広津和郎の原作を脚色して映画化。野田とのコンビは遺作となる『秋刀魚の味』(1962)まで続きました。
映画『晩春』の作品情報
【公開】
1949年公開(日本映画)
【監督】
小津安二郎
【脚本】
野田高梧、小津安二郎
【キャスト】
笠智衆、原節子、月丘夢路、杉村春子、宇佐美淳、青木放屁、三宅邦子、三島雅夫、坪内美子、桂木洋子、清水一郎、谷崎純、高橋豊子、紅沢葉子
【作品概要】
小津安二郎監督による1949年の作品。広津和郎の原作『父と娘』を野田高梧と共に一年間かけて脚色。野田とのコンビは本作から遺作となった『秋刀魚の味』まで続くことになります。娘の縁談をテーマにした家族劇というモチーフは、その後の小津作品で度々繰り返された。1949年度の『キネマ旬報ベスト・テン』日本映部門1位に選ばれています。
映画『晩春』あらすじとネタバレ
東京大学教授の曾宮周吉は妻に先立たれ、27歳になった一人娘の紀子と2人で北鎌倉で暮らしています。
紀子は戦時中の苦労から病気をわずらった時期もありましたが、今ではすっかり元気になり、お茶会に参加したり、東京に出て買い物をしたり、父の世話をしたりという毎日を送っていました。
そろそろ紀子もお嫁に行く時期だろうと叔母の田口まさは心配し、周吉の助手の服部のことを紀子はどう思っているのか尋ねてみてはどうかと周吉に助言します。
周吉から服部のことを問われた紀子は笑い出し、服部にはちゃんとお相手がいて、もうすぐ結婚するのだと応えました。服部とならお似合いだと思っていた周吉は少しばかりがっかりします。
周吉にもその話は伝えているとまさが言うと、紀子は急に不機嫌になりました。家に帰っても父に対してろくに話もせず、さっさと二階に上がってしまうのでした。
服部が曾宮家を訪ねると、周吉も紀子も能の鑑賞に出かけて留守でした。服部は留守番をまかされた隣家のしげに、結婚式の写真を預け、帰っていきました。
父と並んで能を鑑賞していた紀子は、客席に三輪秋子の姿をみつけます。互いに気づいて会釈を交わしますが、父の再婚のことを思い、紀子はたまらない気持ちになり、うなだれてしまいます。
父と2人で帰路についた紀子でしたが、約束があると言って、父を振り切るように早足で歩いていきました。
紀子は女学校時代の友人、北川アヤを訪ねました。アヤは恋愛結婚をしたのですが、うまくいかず離婚し、今は速記の仕事をしていました。
紀子が「自分も速記の仕事を始めたい」と言うと、アヤは「結婚していいお嫁さんになればいいじゃない」と応えます。紀子は不機嫌なまま、アヤがすすめる自家製ケーキにも口をつけず、帰ってしまいました。
夜遅く帰り、すぐに二階にあがろうとする紀子を呼び止め、周吉は見合いの話を始めました。
「明後日の土曜日に叔母の家に相手の男性も来るから会うだけ会ってみなさい、いやなら断ればいいのだから」と言う周吉に「お父さんと一緒の生活をつづけたい」と紀子は訴えます。
周吉は「それはいかん、これまでお父さんはお前を重宝にして甘えすぎてきた。お前にはすまないと思っている。お父さんはもう先は短いが、お前はまだ若い。これから人生が始まるんだ」と言って紀子を説得します。
「私がお嫁に行ったらお父さんはどうするの? 再婚でもするの?」と紀子が問うと、父はにこやかに微笑んで「そうだ」と応えました。紀子はいたたまれなくなり、逃げるようにその場を離れました。
鶴岡八幡宮を参拝しながら、まさは周吉に紀子は「お見合い相手を気に入ってくれただろうか」としきりに繰り返していました。
一週間経っても紀子から返事がもらえず、まさはしびれを切らしていました。
その頃、紀子はアヤの家で見合いの報告をしていました。「見合い結婚なんてつまらないわ」と言う紀子に、アヤは「自分は恋愛結婚だったけれどそれがどうなったか、恋愛結婚も見合い結婚もたいして変わらない。結婚なんてパッとして駄目なら別れたらいいんだから」と言うのでした。
家に帰ってきた紀子をまさが待っていました。何も言わない紀子にまさは遠慮なく、「相手の方をどう思ったか」と尋ねます。このまま話をすすめても良いのかと問うまさに紀子は無言でうなずきました。
まさは喜んで相手に伝えると、帰っていきました。周吉は紀子の部屋に行き、「本当にいいのか?」と尋ねました。紀子はうなずきました。
映画『晩春』の感想と評価
本作はまさに「別れ」の映画といえます。「結婚」に対してこれっぽっちも夢やロマンチックな要素は見えず、「幸せになるんだよ」と繰り返す、父である笠智衆の言葉が切実な願いとして響きます。
京都旅行の最後の日に、原節子扮する紀子が「このままお父さんと暮らしたい」と独白し、それに対して笠智衆が結婚についてとうとうと語って聞かせるシーンは忘れられない感動的な名場面ですが、「結婚する」という行為が「幸せ」とはすぐに結びつかないものであることを明確に示している痛ましい場面でもあります。
物語の前半、はじけるような笑顔を見せる原が、中盤には父の縁談話にショックを受け、暗く、つっけんどんに振る舞う様子は、ひりひりとした緊張感を生み出しています。
今は幸せで、これ以上の幸せはもう訪れないに違いない、結婚しても今よりも幸せではなく、もしかしたら不幸せになるかもしれないという、原の不安は、父親である笠智衆がある意味女性にとって「理想的な男性像」であることから来ています。
「理想的な男性像」とは何か? それはその時代の日本で「家父長制」から脱却している男性という意味です。
勿論、その時代の人ですから、自分では何もできず、着物に着替える時は「帯!」と娘に命令調にいい、帰ってきたばかりの娘に「お茶を淹れてくれ」なんて言ったりもします。
何かと手がかかるのです。お父さんをおいて一人嫁に行ってしまうとお父さんはどうやって暮らしていくのだろうと、娘が心配するのは当然です。
けれども、娘の旧友が遊びにくると、慣れないながらも紅茶のセットをお盆で運んでくれたりします。スプーンやお砂糖などが揃っていないのはご愛嬌で、その気持が何よりも温かいのです。
こんな男性が他にもごろごろいるとは思えません。いくら東大を出ていたとしても、社会人として優秀な働き手だとしても、結婚観が従来の価値観の踏襲であれば、結婚すれば「嫁」というのはその家で最も身分の低いものとして扱われ、「嫁」の意志などはほとんど尊重されないでしょう。
原節子扮する紀子はそのことをよくわかっているのです。
小津安二郎は、旧式の日本の所作や文化を丁寧に描いた作家というイメージがありますが、実は家父長制の家族関係ではない、新しい開けた視野を持っていた作家でした。
当時の価値観の限界があるとしても戦後の小津作品は、人々にとって、現実にはない理想的な生活の一端が提示されており、憧れの要素を含んだものだったのではないでしょうか。
それにしても本作での笠智衆はまるでアイドルのようです。勿論、老けメイクですっかりおじいさんなのですが、お父さん大好きの娘だけでなく、自身の親友の娘からは「おじさま~」と清水の舞台で手をふられ、娘の結婚式後には娘の親友のアヤと料理屋に行きお酒を飲み、酔ったアヤから額にキスまでされています。
能の舞台を見つめる際のキラキラした瞳など、少年のような純粋ささえ感じさせます。
まとめ
一方で、本作は小津のコメディーセンスが遺憾なく発揮された作品です。例えば、父の親友で京大教授の小野寺(三島雅夫)が北鎌倉の曾宮家を訪ねた際、2人が交わす「海はこっちかい?」「いや、こっちだよ」、「東京はこっちかい?」「いやこっちだよ」、「ずっとそうかい?」「ずっとそうだよ」というやり取りの可笑しさといったらありません。
また、颯爽と自転車に乗って湘南まで遠出した紀子と服部(宇佐美淳)が、砂浜に腰掛けて何をしゃべっているかというと、「つながった沢庵(たくあん)」の話をしていたりするのです。
しかし、なんといってもこの作品で小津作品に初登場した杉村春子のコメディエンヌぶりが最高です。鶴岡八幡宮の境内で、彼女は財布を拾います。
彼女がそれをさっと懐に入れるのを見た笠智衆が「ちゃんと届けるんだよ」と言うと「届けるわよ」と言いつつ、見回りの巡査がやってくるやすごい速さで、画面奥の長い階段の半分くらいまで駆け登っているのです。
「ちゃんと届けるんだよ」「届けるわよ」という会話はあとでもう一度繰り返されますが、これ、絶対届けないだろ! と思わずつっこみたくなる愉快なエピソードです。