80年代ヨーロッパ映画を代表する珠玉の名作を解説
1989年、1本のデンマーク映画が日本で公開されました。そのタイトルは『バベットの晩餐会』。
当時日本ではアート性の高い映画を、“ミニシアター”と呼ばれる映画館を中心に上映していました。1987年度アカデミー外国映画賞を受賞していた本作は、公開されるや記録的ヒットを遂げ、“ミニシアター文化”を代表する映画となりました。
世界的にも高く評価された『バベットの晩餐会』。日本でも2016年にデジタルリマスター版が上映されるなど、今も深く愛される作品です。本記事では80年代を代表するこの名画を解説していきます。
CONTENTS
映画『バベットの晩餐会』の作品情報
【公開】
1987年(デンマーク映画)
【英題】
Babette’s Feast
【監督・脚本】
ガブリエル・アクセル
【原作】
カレン・ブリクセン(イサク・ディーネセン)
【キャスト】
ステファーヌ・オードラン、ビアギッテ・フェザースピール、ボディル・キェア
【作品概要】
19世紀のユトランド半島の静かな寒村。慎ましく暮らす2人の姉妹の元に、バベットと名乗る女性が現れ家政婦として働き始めます。ある日、幸運に恵まれたバベットは村の人々のために晩餐会を開き、自ら腕をふるった豪華な料理でもてなします。
素晴らしい料理が人々の心を幸せにする、この映画を監督したのはガブリエル・アクセル。デンマークでテレビ・舞台・映画の現場で働き、70年代後半からはフランスで活動していた人物です。その彼が母国に帰り監督する映画として、長らく温めていた企画が本作でした。
主人公バベットを演じるのはエリック・ロメール監督の『獅子座』(1959)に出演し、ルイス・ブニュエル監督作『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)で、英国アカデミー賞の主演女優賞を受賞したステファーヌ・オードラン。
彼女と暮らす姉妹をカール・テオドア・ドライヤー監督の『奇跡』(1955)、ディストピア映画の古典『赤ちゃんよ永遠に』(1972)に出演のビアギッテ・フェザースピール、ナチス占領下のデンマークを描いた映画『姿なき軍隊』(1945)に主演のボディル・キェアが演じます。
映画『バベットの晩餐会』のあらすじとネタバレ
19世紀のユトランド半島の辺境の村に、もう若くない姉妹マーティーネ(ビアギッテ・フェザースピール)とフィリパ(ボディル・キェア)が住んでいました。
老いた貧しい村人に善行を施す姉妹の亡き父は、清貧を重んじるルター派の牧師でした。姉妹は父の意志を受け継ぎ、信者たちと信仰を守り穏やかに暮らしていました。
姉妹はフランス人の家政婦バベット(ステファーヌ・オードラン)と共に暮らしていました。慎ましく暮らす彼女たちに家政婦がいる理由を語るには、時をさかのぼる必要があります。
まだ牧師の父が健在で姉妹が若かった時、その美しい姿を見るために教会には男たちが詰めかけていました。姉妹に交際を申し込む者もありますが、娘たちと共に神の教えを広めようと考えていた父はそれを認めません。それでも諦められぬ男たちがいました。
1人はスウェーデン軍の騎兵将校ローレンス。賭け事で身を持ち崩し、謹慎のためこの地に住む伯母の家にやって来ました。ある日彼は、姉妹の姉マーティーネを目にして心を奪われます。
彼女を目当てに、伯母の紹介で牧師の教会に通い始めるローレンス。しかし教会の教えと雰囲気に影響されたのか、マーティーネに想いを告げることが出来ません。
軍に戻る日、傷心のままこの地を去るとマーティーネに告白したローレンス。慎ましく生きる人々を見た彼は心を改め、恋を忘れるためにも軍務に励み、出世を果たすと誓います。
彼は王妃の侍女と結婚しました。彼が教会で身に付けた言葉は王妃に気に入られ、宮廷で地位を高めていくローレンス。一方でローレンスの存在は、マーティーネの心にも強く刻まれていました。
村にもう1人男が現れます。それはパリで人気のオペラ歌手アシール・パパンでした。ストックホルムで公演したパパンは、静かに過ごせる場所を求めユトランド半島を訪れます。
パパンは訪れた寒村で讃美歌の声に誘われ教会を訪れます。彼は姉妹の妹フィリパの歌声に魅了されます。パパンは彼女なら最高の歌姫になれると確信しました。
牧師の家を訪れた彼は、フィリパに歌のレッスンをしたいと申し出ます。牧師は難色を示しますが、讃美歌を歌うのに役立つと説得し、レッスンを承諾させるパパン。
フィリパの歌は上達し、その才能に惚れ込んだパパンは歌を通じて彼女に求愛します。しかし彼より神に仕える道を選んだフィリパは、パパンのレッスンを断って欲しいと父に頼みます。
牧師から断りの手紙を受け取り、パパンは失意の底に沈みました。彼より信仰を選んだフィリパも、複雑な思いを抱えます。こうしてパパンはパリに帰っていきました。
それから幾年経ったでしょうか。1871年の9月の嵐の夜、老いた姉妹の家を1人の女性が訪ねてきます。疲れ切った様子で姉妹の前に現れたその女性こそ、バベットその人でした。
彼女は1通の手紙を持っていました。それがパパンの記したものと知り驚く姉妹。
手紙には「パリ・コミューンの争乱で、バベットは夫と息子を殺され孤独の身になった」「彼女の身も危険で、逃亡先のデンマークで私が知る人はあなたしかいない」「どうか料理の腕の良い彼女を姉妹の元で働かせて欲しい」と書かれていました。
自分は老いて落ちぶれたと手紙の中で告白するパパン。それでもフィリパを35年間思い続けたこと、いずれは天国であなたの歌声が聞けるであろうことも記されていました。
困惑した姉妹は、貧しい我々は家政婦を雇えないと説明しました。しかしバベットは、信頼するパパンの友人であるあなた方にお仕えしたい、金はいらないと涙ながらに訴えます。
甥の助けでこの地に逃れたが、この家に置いて頂けなければ死ぬだけ、と語るバベットに、優しくここにいて下さいと告げた姉妹。こうして女3人の暮らしが始まりました。
バベットに言葉を教え、粗末な食事の調理法を手ほどきする姉妹。村人も彼女を受け入れ始めます。
意外な事にやりくり上手なバベットのお陰で、以前より金銭に余裕が出来たと喜ぶマーティーネとフィリパ。そして彼女が来てから、14年の月日が流れます。すっかり言葉を身に付け、買い物で巧みに値切り交渉するバベット。
村の暮らしに馴染んだバベットですが、故国と1つつながりを残していました。それは宝くじで、フランスの友人が彼女に買い続けていたのです。
姉妹は老いた貧しい者を信仰の力で支えていました。バベットがやって来たおかげで、姉妹は住人への善行に専念することが出来ました。
しかし教会の信者たちも年老いてゆく中で短気で気難しくなり始め、教会の集会はいさかいの場にもなります。困り果てるマーティーネとフィリパ。
今は亡き牧師の生誕100周年となる、12月15日が近づいていました。この日を祝おうと姉妹は信者たちに提案しますが、もめ事はそれでも収まりません。
そんなある日、バベットにフランスから手紙が届きます。それは宝くじの当選を告げるものでした。姉妹に1万フランが当たったと告げるバベット。
姉妹も喜びますが、大金を得たバベットは村を去ってしまう、と彼女との別れを覚悟します。その頃大金を得たバベットは、1人になり浜辺で考えを巡らせていました。
姉妹の前に現れたバベットは、改まった態度で話し始めます。
「牧師様の生誕100周年祭のお祝いの晩餐を、私に作らせて下さい……」
映画『バベットの晩餐会』の感想と評価
見るだけでも鮮やかな高級フランス料理が、上流階級の世界に全く縁の無かった人々の前に並べられる。戸惑いながら食べていた人々も美味に酔いしれ、幸せな気分に包まれる……。
この心温まる映画は、世界中の人々を魅了しました。映画に登場したフルコースのフランス料理も話題となり、再現メニューを提供する食事会も開催されたほどでした。
改めて本作を見ると、重要な登場人物の1人であるローレンスが、やたらウンチクの多いグルメ漫画の解説役か、食レポTV番組のグルメリポーターのようで、微笑ましくもあります。
ネタバレ・あらすじ紹介では、どんな料理・美酒が登場したか、できるだけ詳細に書きました。しかしその魅力を真に確認するには、やはり映画を観て頂くしかないでしょう。
原作者はデンマークの女流作家カレン・ブリクセン(英語版著作では男性名である「イサク・ディーネセン」を使用)。あのアカデミー賞7部門を受賞した映画『愛と哀しみの果て』(1985)の原作者でもあり、メリル・ストリープが演じた主人公その人でもあります。
そして彼女は、かつてクローネ紙幣の肖像に使用されていました。名実ともにデンマークの国民的人気作家カレン・ブリクセンの、同名短編小説を映画化した作品が『バベットの晩餐会』です。
ところが。映画に感動した人がこの原作を読むと、大いに戸惑うことになるでしょう。
原作は皮肉と機智に満ちた短編小説
映画『バベットの晩餐会』では、貧しく素朴で敬虔な村人が、バベットの用意した食材や料理に戸惑い怯える様子が、控え目ながら面白おかしく描かれます。しかし原作はその比ではありません。
パリの高級レストランで働いていたバベットの料理と、清貧に暮らす人々の対比。それが上流階級と貧困層・享楽と清貧・散財と倹約、カトリックとプロテスタント(ルター派)・西ヨーロッパ文化と北欧文化・世俗主義者と芸術家……様々な価値観の差異を浮かび上ががらせます。
それを原作は時にシニカル、時にブラックユーモアを漂わせながら、ジョークやアナグラムを駆使して描きます。映画では極めて重要な存在である料理や酒も、小説では立場の差異を引き立てるアイテム、といった扱いです。
またバベットが料理長を務めた、パリの高級レストラン「カフェ・アングレ」は実在するお店です。アングレとはフランス語で「イギリス人」の意味。食事がマズい事で有名な(特にフランス人はそう信じている?)「イギリス人のカフェ」が、高級店の名前。本当にそれで良いの?……これと同じブラックな視点が原作小説に多数存在しています。
映画と原作の一番の違いは、舞台となる寒村の場所。映画ではユトランド半島(デンマーク)ですが、小説ではなんとノルウェーの最北端、もう北極圏と呼んで良い場所。パリから逃亡するにしても極端な……との印象を受けますが、これも作者が差異を強調する意図で選んだのでしょう。
信者がユトランド半島には無い「フィヨルドの海が凍った……」と過去を回想する場面がありますが、これは原作が描いた場所へのオマージュとして、意図的にセリフに加えたのでしょうか。
しかし登場人物の配置と彼らの関係性、そして劇中で起きる出来事の大半は、原作と映画はほぼ一致しています。ただし登場人物に対する視線が小説では実にシニカルで、一方映画では誰に対しても優しくなります。
これが本作を入念な準備で映画化した、脚本・監督のガブリエル・アクセルの狙いでした。
シニカルな原作を心温まる物語へと脚色
デンマークの国民的作家の物語を映画化するなら、やはり舞台はデンマーク。ノルウェーの北の果てにするよりも観客は距離的、心情的に受け入れ易くなるでしょう。
そしてバベットが逃亡するきっかけとなったパリ・コミューン。これは1871年、普仏戦争でフランスがプロイセンに大敗したことをきっかけに起こりました。またそれに先立つ1864年、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争)で、デンマークはプロイセンに敗北し、多くの領土を失っています。
共通の敵はプロイセン……ではなく、ユトランドの寒村の人々が縁もゆかりも無い、しかし同じ辛酸を経験したバベットにシンパシーを感じる、自然な流れを生んだと言えるでしょう。
監督のガブリエル・アクセルはデンマーク人ですが、幼少期の大部分をパリで過ごし成長しました。17歳でデンマークに移り住みこの地の演劇学校で学びますが、卒業後にパリに戻りフランスの舞台で活躍、舞台演出も学びます。
その後デンマークで演出家として活躍、実績を積むと活動の場をフランスへ移します。そして彼は、15年間温めていた企画を実現するため本国に向かいます。それが『バベットの晩餐会』の映画化でした。
そんな生い立ちを持つ彼によって脚色が加えられます。その過程で原作の皮肉の毒は抜かれ、優しい視線でデンマーク・フランスの厳しい時代を生きた人々を描く作品に変わります。
これは原作小説はシニカルでブッ飛んだ内容ながら、映画はアメリカ激動の現代史を「チョコレートの箱の中身」のように、甘く感動的な物語にして大ヒットした『フォレスト・ガンプ 一期一会』(1994)同様の、脚色作業であると指摘できるでしょう。
その後も長らく演出家として活躍するガブリエル・アクセルですが、本作のように成功を収めた作品は作っていません。しかしこれは、彼にとって『バベットの晩餐会』こそがライフワークであり、それを会心の作品に仕上げた事実が最大の功績である、と評すべきです。
まとめ
巧みな脚色で多くの人から愛される映画となった『バベットの晩餐会』。全ての人に対する優しい眼差しを持つ作品は、今後も見る者を魅了するでしょう。
晩餐会が終わった際の、ローレンス将軍の「人生の辛い選択などに、実は意味はない」とのスピーチ。過去の決断に後悔の念を抱く人々への温かいメッセージであり、本作の重要なテーマです。
同時にそれは、原作者カレン・ブリクセンが、波乱万丈の人生の末にたどり着いた境地でもあります。女性として人並み外れた経験を積み、それを受け入れ作家となった彼女の人生は、映画『愛と哀しみの果て』に描かれています。
1985年製作の『愛と哀しみの果て』が、その2年後に現れる映画『バベットの晩餐会』の製作と成功を後押ししたことは間違いありません。そんな視点からもぜひ、『愛と哀しみの果て』をご覧下さい。
さて『バベットの晩餐会』を、原作との違いを軸に解説してきましたが、その上で改めて強調したいのは本作が「実に美味しい、幸せなグルメ映画」であること。食が進むうちに舌も胃袋も、そして心も満たされる人々の表情の変化は、映画を観て味わって頂くしかありません。
そして晩餐会の給仕の男の子や、客でもないのに厨房でバベットの料理を、ローレンスのウンチクを聞かされる事なく堪能するおっちゃんの表情!
この2人が実にイイ味を出してます。彼らの存在感はぜひ、映画を鑑賞して楽しんで下さい。もしこの映画の登場人物になれるなら、あの厨房にいるおっちゃん一択です。