英国カルチャーのトップの座に君臨しながら、77歳にして生涯現役を誓う英国のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド。
大企業の傘下に入ることなく、現在も世界数十カ国、100店舗以上を展開する独立ブランドのトップかつ現役デザイナーというそんなヴィヴィアンを包んできた、最強にエレガントなベールの裏側に迫る、ドキュメンタリー映画です。
CONTENTS
映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』の作品情報
【公開】
2018年(イギリス映画)
【原題】
WESTWOOD:PUNK,ICON,ACTIVIST
【脚本・監督】
ローナ・タッカー
【キャスト】
ヴィヴィアン・ウエストウッド、アンドレアス・クロンターラー、ケイト・モス、ナオミ・キャンベル、カリーヌ・ロワトフェルド
【作品概要】
米国アカデミー賞®の授賞式では、メリル・ストリープやヘレン・ミレン、ティルダ・スウィントン、ヘレナ・ボナム・カーターなど、演技だけでなく生き方までがパワフルな女優たちが、彼女のドレスでレッド・カーペットを飾ってきました。
また、映画『セックス・アンド・ザ・シティ」でサラ・ジェシカ・パーカー扮する主人公のキャリーが着たウエディングドレスは、誰もが初めて目にするルックで一大センセーションを巻き起こしました。
その膝丈バージョンを公式サイトでネット販売したところ、一瞬で完売という記録まで作りました。
1993年には、ドラマティックなまでにヒールの高いシューズ“スーパー・エレベイテッド・ギリー”を履いていた、スーパーモデルのナオミ・キャンベルがキャットウォークで転倒したものの、ファッションニュースのトップを飾るほど話題になり、同じ靴がロンドンの博物館に納められました。
遂には、エリザベス女王から〈デイム〉の称号を授けられました。
映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』のあらすじとネタバレ
椅子に座る1人の女性、横には花瓶に華やかな花を飾っています。
その女性こそ世界的デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドは「過去の話は退屈」と語り始めます。
「洗いざらい話す必要なないでしょ?早く終わりたいの」
ヴィヴィアンの人生を象徴するかのような写真が何枚も映し出されます。
ある朝、ヴィヴィアンは静かにベットから起き上がります。
2016年2月、ロンドン・ファッション・ウィークの秋冬ショーを控えた前夜、ヴィヴィアン・ウエストウッドのアトリエでは、最終チェックに追われるデザイナーとスタッフたちがいました。
デザイナーであるヴィヴィアンは、1枚1枚を細かくチェックし、指示を間違った服には「最低ね。クソ食らえよ」と容赦なく言い放ちます。
こんなクズのようなショーは出せないと言いながらも、彼女はできの悪いのは自分のせいで何故?と自問自答しつつ、ふて寝をする始末。
77歳を迎えた今も現役のヴィヴィアンは1941年に生まれ、担任の先生に勧められ、16歳でロンドンの美術学校に進みます。
当時若者の間で大人気だったダンスやロックンロールに夢中になりながらも、教師を目指し教員養成学校に通います。
ヴィヴィアンは「労働者階級だったからよ」と回想しながら語ります。
教師の仕事をしながら、ダンスフロアで最初の結婚相手デレク・ウエストウッドと出会います。
1950年代のアメリカの映画のように、夫が帰ってくるのを可愛いエプロンをして料理をしながら嬉しそうに待ちわびる妻という絵に描いたような生活に憧れていたものの、次第に彼女の心が冷めていきます。
知的好奇心が満たされず、そして世界を見たかったと、ヴィヴィアンは最初の離婚を振り返ります。
当時のロンドンは、若者によるポップカルチャー旋風が吹き荒れていました。ビートルズ、ローリングストーンズ、そしてミニスカートで一世風靡したマリー・クワァント。
「マルコムは、私にとって初めての知的な男性だったと思う」とヴィヴィアンは話を続けます。
息子のベンが5歳の時、マルコム・マクラーレンと出会ったヴィヴィアンは、2人でキングス・ロードに「レット・イット・ロック」という店を開き、そこで彼がプロデュースするバンドの服をデザインし、パンク・ファッションを生み出しました。
「セックス・ピストルズの話はしたくないの」とヴィヴィアンは、セックス・ピストルズのことを聞かれることを強く拒みました。
ピストルズの衣装を担当していたヴィヴィアンが回想するパンクのファッションや音楽が映像に流れます。
1960年若者が変えられると信じていた階級社会が一向に変わらず、1970年代に入り、ますます貧富の差が広がったことに対し、とうとう労働者階級の怒りが爆発したのがパンクでした。
ヴィヴィアンは、パンクファッションを生み出したことで、世界へ一歩進出するきっかけが生まれます。
イタリアでのファッションショーに成功し、CEOのカルロの仲介でアルマーニと契約までたどり着いたものの、夫マルコムに拒否されます。
マルコムと起こしたパンク・ムーブメントの終焉とともに、ヴィヴィアンはマルコムと別れ、ファッションデザイナーになることを決意します。
マルコムとの間の息子のジョーは、当時を振り返り「マルコムは、子ども嫌いだった」と語ります。
更にカルロ・ダマリオと二人の息子が、衝撃の事実を明かします。
「1985年にヴィヴィアンが無一文になった」
映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』の感想と評価
映像の一つ一つに圧倒される世界的ファションデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッド。
この映画のサブタイトルに「最強のエレガンス」と付けられていますが、ヴィヴィアン・ウエストウッドのエレガンスは何故「最強」なのか。
その鍵は、原題の『WESTWOOD:PUNK,ICON,ACTIVIST 』に隠されています。
最強のエレガンスの鍵とは
PUNK
映画に何度も出てくるパンクという言葉。
ここで言うパンクという言葉はパンクロックという音楽を意味し、1970年代にアメリカ・ニューヨークのロックシーン(ラーモンズ、パティ・スミス)に産声を上げ、1976年にその影響を受けたセックス・ピストルズがイギリス・ロンドンでデビューしました。
パンクロックは、当初初期のロックンロールが持っていた攻撃性や反社会性という特徴があり、ロンドンでマルコムとヴィヴィアンが経営していた『SEX』という店にたむろしていた若者を2人がプロデュースし、デビューさせました。
やぶれたTシャツに鉤十字、安全ピン、逆立てた髪などを取り入れたファッションを、ヴィヴィアンが生み出し、パンクというムーブメントを起こしました。
彼女の「労働者階級だから」という言葉に見られるように、当時イギリスでは、失業者の増加という社会問題が下地となって、若者の不満や怒り、反抗と暴力性を掬い上げたパンクが大きな社会現象となっていました。
それを牽引していたのが、ヴィヴィアンです。
ICON
ICON(イコン)の本来の意味はキリストや聖人の偶像を表し、信仰の対象とされていますが、現在では宗教的な意味を離れ、時代を象徴するような人物として例えることがあります。
本作のヴィヴィアンは、映画の最初には1970年代を象徴するパンクのイコンであり、1990年代から三度もファッション・オブ・ザ・イヤーを受賞する世界のエレガンスのイコンとなります。
そして今やデザイナーの仕事を通し世界へ警鐘を鳴らす活動家としての環境保護のICONです。
ACTIVIST
映画の後半に当時の映像が流れますが、2015年水圧破砕法によるシェールガス採掘(人為的に地震を引き起こす可能性やCO2排出量が高いと言われています)に反対するため、キャメロン首相に対し戦車のデモを行いました。
その映像を観ると、ヴィヴィアンは抗議行動の当日、スタンドカラーのジャケットに真珠のネックレスという出で立ちで戦車に乗り込み、イングランドの田園風景の中を走り抜けてチャドリントン村に入りました。
ヴィヴィアンは声明で、水圧破砕法を推し進めるためにキャメロン首相は「軍を動員して」いる一方で、自分の選挙区では一切水圧破砕法を認可していないと指摘し、「自宅の裏庭ではやりたくないという考えだ」ときっぱりと批判しました。
今も環境活動家と名乗る揺るぎない決意と命をかけたメッセージを届けています。
イギリス王室からナイトの女性版にあたる称号のデイムを授与されたことで、当時彼女が反体制側から体制側の人間になったかのように考えた人もいたようですが、彼女はイギリスの新聞『The Gurdian』のインタビューで、「何事にも服従しないために戦っている」と答え、未だ反骨精神が旺盛です。
まさにこれがACTIVISTたる所以です。
まとめ
ヴィヴィアン・ウエストウッドのエレガンスは何故「最強」なのか、3つの言葉の鍵を開けながら、再び「最強」なエレガンスを映画から感じられるシーンがあります。
サウスロンドンの小さな家に住み、一般人と同じように近所を自転車で走っていく姿。
その庶民的な女性こそ、大企業の傘下に入ることなく、77歳にして世界数十カ国に100店舗以上を展開するブランドのトップのデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド。
デイムの称号を受け取ったことは、自分のやっていることを広く世間に真剣に受け取ってもらうきっかけになってほしいという考えからで、未だその言葉の端々から、若い頃のガムシャラに突き進んでいた時代を彷彿とさせるパンクスピリッツを感じさせます。
1992年ヴィヴィアン・ウエストウッドは、イギリスの勲章OBE(大英帝国勲章)を受勲しています。
この時のエピソードは今でも「ああ、あの人が」と世界的に語られていますが、彼女は記者たちの前で突然スカートをめくって見せました。
以前から彼女は「ドレスを着る時は下着を履かない」と話していたことを証明して見せました。
その資産は何十億円と言われていますが、「お金に興味がないの」と言う彼女の言葉通り、今もサウスロンドンの小さな家に住んでいます。
そして『The Gurdian』のインタビューによると、1番好きな食べ物はレタスです。
そんな偉大でお茶目な彼女が映画の最後に放った言葉、「好きなものしか作らない」これこそが最強のエレガンスです。
イギリス、ファッションそしてパンク、それらの歴史を作り上げてきた“生ける伝説”に、これからの新しい時代へと続く『最強のエレガンス』に出会いに行きませんか。