東日本大震災から8年。春を連れて黒森神楽がやって来る。
岩手県宮古市の伝承芸能「黒森神楽」は、国指定重要無形民俗文化財に登録されています。
黒森山を拠点に「権現様」と呼ばれると呼ばれる2頭の獅子頭に神を宿し、毎春、三陸の沿岸を巡行します。家々を廻り、海の安全、大漁祈願、人々の無病息災を祈り、亡き人へ念仏を唱えて歩きます。
昔から沿岸の人々は、黒森神楽が来ると春が来ると喜んで迎い入れました。
しかし、いつもの春がやって来ようとしていた2011年3月11日。東日本大震災が起こります。三陸沿岸の大勢の命を奪い、人々の普通の暮らしを壊した津波。
黒森神楽衆のそれぞれの家も被災に遭いました。それでも彼らは、震災から3か月後、活動を再開し、沿岸を廻る巡行を続けました。
この映画は、黒森神楽2017年の巡行に密着し、神楽衆と沿岸の人々が歩んできた復興の道のりを描いたドキュメンタリー映画です。
CONTENTS
映画『廻り神楽』の作品情報
【公開】
2017年(日本映画)
【監督】
遠藤協、大澤未来
【作品概要】
映画『廻り神楽』は、岩手県宮古市に伝わる国指定重要無形民俗文化財「黒森神楽」に密着し、東日本大震災から復興の道のりを歩む人々を描いたドキュメンタリー映画です。
共同監督の大澤未来と遠藤協は、震災後、岩手県宮古市の震災の記憶伝承事業に参加し、被災地に通い続けて来ました。
映画の語りは、岩手県宮古市出身の声優・一城みゆ希が担当。岩手県の沿岸訛りの語りは、字幕がないと分かりにくいかもしれません。
岩手県宮古市に伝わる伝統芸能「黒森神楽」とは
「黒森神楽」は、岩手県宮古市の黒森山を拠点に、権現様と呼ばれる2頭の獅子頭に神を宿し、毎春、沿岸各地を巡る伝承文化です。
沿岸北部、久慈市までを北上する「北廻り」と、釜石市まで南下する「南廻り」を隔年で巡ります。
2006年、国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
「黒森神楽」の歴史
黒森山麓は、奈良時代から地域信仰の拠点であり、そこにある黒森神社は近年まで「黒森大権現社」と呼ばれ神仏習合の霊山でした。
黒森神楽の起源や巡行の始まりは不明とされていますが、1678年には現在の範囲を巡行していたことが、盛岡藩の古文書で確認されています。その巡行の歴史は340年以上にもなるということです。沿岸の家々を廻り、庭先で悪魔祓いや火伏せの祈祷を行ってきました。
神が宿る獅子頭、権現様で最も古いとされているのは、南北朝初期と推定されており、1485年の獅子頭をはじめ、現在は20頭が御隠居様として保存されています。
三陸の沿岸を一夜の宿を乞いながら旅をする黒森神楽衆。海と共に生きる三陸の人々は、日々の生活や人生の節目の祈りを権現様に託してきたのです。
「黒森神楽」と東日本大震災
2011年3月11日、三陸沖で発生したマグニチュード9.0、最大震度7の強い地震は、国内観測史上最大の津波を伴い、東北・関東地方を中心とする広い範囲に甚大な被害をもたらしました。東日本大震災です。
岩手県三陸沿岸でも多くの犠牲者がでました。それはそれはこの世のものとは思えない、地獄を見ているような災害でした。黒森神楽衆の家族や親戚も被災しています。
それでも黒森神楽衆は震災から3ヶ月後、活動を再開し巡行を続けました。
人々の行き場のない祈りの声が聞こえます。
岩手県三陸沿岸は、昔から津波の被害に遭ってきました。1856年、安政の三陸津波。1896年、明治三陸津波地震。当時も、黒森神楽は震災後すぐに沿岸を廻り、人々を慰めてきたと伝わっています。
2011年、東日本大震災。神楽衆は先祖が続けてきたことを守ります。
「黒森神楽が来れば、春はもうすぐなのす」人々の心に寄り添うために。
「黒森神楽」世界へ
2019年2月、黒森神楽はポーランドとハンガリーで神楽東欧公演を行いました。
ポーランド国交樹立100周年、ハンガリー外交関係樹立150年を記念した事業の一環です。黒森神楽の海外公演は7年ぶり4回目となりました。
公演には神楽衆10人が参加。両国友好と被災時の支援への感謝を込めて舞を披露しました。大漁と海の安全を祈る「恵比寿舞」には海外の子供たちも飛び入り参加をし交流を深めました。
また、会場では映像や写真で黒森神楽の紹介や、震災復興への取り組み、映画『廻り神楽』も上映されました。
映画『廻り神楽』のあらすじ
2017年、東日本大震災から6年。岩手県三陸沿岸には、黒川神楽の巡行の笛と太鼓の音が響いていました。
子どもたちが神楽衆の周りを付いて歩きます。今年も沿岸に春がやって来ました。
黒森神楽衆は巡行の準備のため、黒森山に入ります。神霊を権現様と呼ばれる2頭の獅子頭に宿らせる「舞立ち」が行われます。
神が宿った権現様は神楽衆に大事に抱えられ、どこかこれからの巡行を楽しみにされているかのようです。
今年は岩手の沿岸地域を宮古市から釜石市まで巡行する「南廻り」の年。初めに訪れたのは、宮古市重茂(おもえ)の神楽宿です。
黒森神楽は三陸の沿岸を一夜の宿を乞いながら旅をする神楽衆です。毎年、神楽衆を迎い入れる神楽宿が決まっています。
その宿を拠点に部落の家々を廻り、夜は宿主の家で舞を披露します。人々は集まり、海の幸と旨い酒を頂きながら、その舞を楽しむのです。
重茂の宿主さんの家は津波で浸水し、他の沿岸の施設にいたおばあちゃんが亡くなりました。おばあちゃんは、長年、神楽衆の世話を喜んでしていました。
神楽衆は権現様と共に家々を廻ります。家の玄関先で行われる「門打ち」、権現様に頭や肩を噛んでもらう「身固め」をして行きます。
頭を差し出し権現様に噛んでもらう町人たち。「今年も元気に風邪を引かないように」「ボケないように」。皆さん笑顔です。
神楽宿に戻ると、神楽の訪れを知らせる「舞込み」が行われました。人々が集まってきます。
神楽衆は、米の粉を水で練った「シットギ」を町民たちの顔に塗っていきます。おでこに、鼻の頭に、白い化粧が施されます。泣いちゃう赤ちゃんもいますが、シットギはお守りです。
さて、夜になると神楽宿は舞台に変身です。町の子供からお年寄りまで会場はいっぱいです。
大漁旗が飾られた舞台では、舞台を清める「清祓」が行われます。祈祷の役舞、天照大神や御神楽の演目、狂言と続き、郷土の暮らしに結びついている「山の神舞」と「恵比寿舞」が舞われます。
恵比寿様の垂らす竿に、鯛を持った観客が釣られます。重茂では、その年採れた新巻きサケを持つ宿主の孫が登場。会場は大盛り上がり、笑いに包まれます。
翌朝、震災で亡くなったおばあちゃんの弔い「神楽念仏」が行われました。
続いての神楽宿は、釜石市根浜海岸にある「宝来館」です。宝来館の女将、岩崎さんは笑顔で神楽衆を受け入れます。
宝来館は三陸沿岸を代表する宿のひとつです。宿の窓から「早ぐ、早ぐ逃げてー」と外の人に叫ぶ声と、一気に押し寄せる津波が町を飲み込んで行く様子が映し出されます。
震災で浸水した宿は、命からがら助かった女将さんによって、避難所として絶やさず火を焚き続けました。岩崎さんは、その明かりが暗闇と化した町の灯台のようだったと言われた言葉を胸に、再開を決意、今日まで頑張ってきました。
新しく建て直した「宝来館」が守られ固まるように祈りを込めて、黒森神楽の「柱固め」をお願いします。
その夜、女将の岩崎さんは死んだ人も、見つかっていない人も、この灯りを目印に戻ってきて欲しいと、庭に迎え火を灯しました。
大槌町には、黒森神楽衆のひとり、平野さんの実家がありました。震災前、民宿だった家は流され何も残されていません。小さい頃の神楽の着物も思い出の写真も何もかも流されました。
家の建て直しを機に、神楽宿をすることを決意した平野さん。伝承文化を息子にも見せたい。そして受け継いで残していって欲しい。父の想いがありました。
その夜、平野家で行われた夜神楽。平野さんは、黒森神楽でも最も大切な舞、権現様が山の神となって現れる「山の神舞」を舞いました。激しい舞を精魂尽きるまで踊り抜いた平野さんは、倒れるように舞い終わりました。
大槌町吉里吉里(きりきり)では、漁師さんのお願いで「船祝い」が行われました。津波で流された船の変わりに買った中古の船でした。「安全と大漁を祈り、これでようやくホッとしました」漁師さんがつぶやきます。
黒森神楽衆の若者頭、田中さんの実家も吉里吉里にありました。家はほぼ全壊、取り壊しを決めました。
田中さんは語ります。神楽宿でもあった家で育った田中さんは、小さい頃から黒森神楽が来るのを楽しみにしていたそうです。カッコイイ、いつか自分もやりたいと憧れていました。
黒森神楽を知れば知るほど、伝承芸能の重圧に苦しんできました。好きなだけでは続けられない世界。跡継ぎのこと、舞の技術だけではなく、神楽の意味、役割、そして先祖の想いを繋いでいくこと。
背負うものがあっても続けていく道を選びました。受け継いでいく若手も入りました。
「いつも通りやることが良いこと。出来るようで出来ないことだから。いつも通りが一番だよ」田中さんの言葉が印象に残ります。
2019年、黒森神楽は今年も春を届けに巡行中です。
映画『廻り神楽』の感想と評価
映画『廻り神楽』は、東日本大震災後の「黒森神楽」の姿を追い、2017年春に行われた南廻り巡行に密着したドキュメンタリー映画です。
黒森神楽は震災の3カ月後に活動を再開、沿岸を廻る巡行を続けました。その活動にはどのような思いがあったのでしょうか。
そこには340年以上も続く、黒森神楽の巡行の歴史がありました。昔から度重なる津波の被害に、先祖も心を痛め少しでも慰めになればと権現様と共に巡行していました。
その気持ちが、伝承芸能を通して受け継がれ、現在に至るのです。春を待つ人々の心に寄り添い続けてきた黒森神楽。岩手に根づく力強い信仰心が垣間見えます。
また作品では、東日本大震災から6年経った、三陸沿岸の様子も映し出されています。まだまだ困難や変化が続く地域の様子や、沿岸の人々の暮らしが伺えます。
黒森神楽保存会代表の松本さんは、津波が来た時の様子を語ります。近くの山へ必死で登った。振り向いたらそこまで水が来ていた。運が良かったとしか言えない。生かされた命をこうして黒森神楽に捧げたい。
震災時、船で海に出ていた、神楽衆の畠山さん。お父さんの「海で津波がきたら沖に逃げろ」の言葉を思い出し、助かります。当時、家では権現様を預かっていました。地震後、権現様は海の方を向いていたそうです。家に残っていた家族は畠山さんの無事を確信していました。
宮古市ではいまだに余震が続いています。町に響く、津波警戒のアナウンス。消防隊の皆さんは、海の少しの変化も見逃しません。
そんな海にも活気が戻り、大漁の船が帰ってきます。カキ漁も再開しています。川には鮭も遡上しています。
黒森神楽はいつものように巡行に出ます。待っていた町の人々は、春が来た、新しい年の始まりだと笑顔で迎えます。
いつも通りのことが出来る幸せに感謝すること。神を身近に感じ、神に祈り、神と共に暮らす。そこには何百年も続く力強く豊かな信仰心がありました。
まとめ
国指定重要無形民俗文化財である、岩手県宮古市の伝承芸能「黒森神楽」の巡行を、東日本大震災の様子を踏まえ、密着したドキュメンタリー映画『廻り神楽』を紹介しました。
盛岡市で2017年12月に上映され、多くの反響を呼び、当初の上映期間を大幅に延長したロングラン上映となりました。
第73回毎日映画コンクールで、ドキュメンタリー部門ドキュメンタリー映画賞を受賞。民族的なドキュメンタリーとしては初の受賞となりました。
「時代を超えて変わらぬ精神性を表現した映画」と、高く評価されています。
そして、東日本大震災から8年。この受賞を記念して全国を凱旋上映中です。また、自主上映の募集も行っています。
黒森神楽の舞は本当に素晴らしく、神楽演目も笑いあり涙ありとエンタテイメントに飛んでいます。まるでお芝居を見ているような展開にわくわくします。
コミカルな演技では大爆笑し、神様の舞では魅了させられ、気付くと泣いているという不思議な体験を覚えます。
中でも、終盤に向けて激しくなる舞、一種のトランス状態に陥る「山の神舞」は、生で見ていただきたいです。
黒森神楽が震災後も巡行を続けた理由。岩手に根付く力強い信仰と芸能の繋がり。そして、黒森神楽の素晴らしい舞の力をぜひご覧ください。