映画『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』は、10月13日より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
ミシュラン18ツ星の天才シェフとして知られるアラン・デュカス。
アランの料理への探求に留まらない“生きざま”に裏付けされた成功の秘密とは。またヴェルサイユ宮殿内初のレストランオープンまでの道のりに迫る!料理にすべてをかけた天才シェフの美食ドキュメンタリー!
CONTENTS
映画『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』の作品情報
【公開】
2018年(フランス映画)
【原題】
La quete d’Alain Ducasse
【脚本・監督・撮影・製作】
ジル・ドゥ・メストル
【キャスト】
アラン・デュカス
【作品概要】
フランス料理界のみならず、世界的に活躍を見せる料理の巨匠アラン・デュカスを見つめたドキュメンタリー映画。
パリ、モナコ、ロンドンにあるミシュラン三ツ星レストランでのアランの様子をはじめ、度々訪れるという日本の「ベージュ アラン・デュカス 東京」「ブノワ」などでの活躍をも描きながら、世界中にある23のレストラン、その経営の裏側に迫っていきます。
また、アラン・デュカスがベルサイユ宮殿に新たに宮廷レストランをオープンさせていく準備も克明に紹介し、なおもニューヨーク、ロンドン、リオ、フィリピン、香港、パリ、モナコ、東京、京都と、アラン自身が直接味見をしながら、素材と料理を見極めていく姿勢を、2年にわたり完全密着しています。
映画『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』のあらすじ
世界最高峰の天才シェフと称えられるアラン・デュカス。
彼の新たな挑戦は、ヴェルサイユ宮殿内に初のレストランを開店させ、そこでかつて食されていた料理の再現と、そこに創作を加えて伝承してみせることでした。
この壮大かつ豪華絢爛なプロジェクトのリーダーであるアランが、その日に向かったのは素朴な菜園でした。
彼のレストランのために育てられた野菜の味を、アラン自らその味を確認しにやって来たのです。
18ツ星に輝いたアランは「実家の畑を思い出す。肉はほとんど食べず、主に庭の野菜を食べて育った」と自身の生い立ちを打ち明けました。
尽きることなく料理に対して深い探究心を持ったアランは、食材を求めて世界中を飛び回り、休む暇なく動き続けます。
それでもアランは、年に4~5回は日本を訪れると語ります。
日本に来日したアランは、NHKの人気番組にゲスト出演までもをこなして見せます。
テレビカメラを前にオムレツを鮮やかに調理してみせるアラン。しかし、ミシュラン18ツ星の巨匠と呼ばれた彼は、実はもう料理は滅多にしていません。
今では「料理は頭の中でする」と語り、言わば芸術監督のように後進たちの指揮をとって、料理の奥深さを伝道し続けています。
また、アランは自身の監督として指揮する「ベージュ アラン・デュカス 東京」を訪れます。
そこで小島景シェフの新メニュー20品を試食しにやってきたのです。
アランは「メールより直接話すほうがいい」と述べながら、このようにも続けて語りまます。
「完璧だが、もう少し“とんがった感じ”が欲しい」と「批判ではなく創造的な意見交換」だと、小島シェフと料理に敬意を払いながらも率直にディスカッションを行います。
アランから各店のシェフへの要求は、「個性が現れること」で、「魂が料理を補う。素材や技術の次に貴重なのはシェフの魂だ」と熱く語ります。
数日後、新幹線で京都へも足を伸ばしたアラン。ランチを食べに入った老舗の鰻屋の厨房を見学させてもらいます。
そこでは自分のイメージする厨房との神秘的な差に感嘆し、鰻屋の店主に敬意を込めて挨拶を行います。
また、移動の時間が押しているにも関わらず、デパ地下で目に付いたシュークリームやケーキを買いこんでホテルの部屋で味見すると、その値段のコスパのみならず、食したケーキの味覚の構造を分析します。
見るもの味わうもの、すべての料理を味見することに貪欲なアランは、「50年間、試食を続けて来て、まだ発見を求めている」と、同行させた若きシェフたちに味への好奇心を体現してみせているのです。
アランは瞳を輝かせ、「味わったことのない味を記憶すること。それが私の探求の目的だ」とも述べます。
その後、嵐山にあるお気に入りの名店のみごとな割烹料理に驚嘆したアラン・デュカス。
その料理を演出して食させるすべての様子に、「美食産業は“思い出の売り手”なんだ」と、高級店に対する自らの信念をも明かしてくれます。
やがて、パリに戻ったアラン・デュカスは、18世紀のヴェルサイユの食器を再現し、王の暮らしを体験できる“王の食卓コース”の開発ミーティングを開きます。
そこで18世紀の文化を知る歴史家からの指摘にも耳を傾け、スタッフとの激論を交わした後、すぐさま今度は食材と新たな味を求める旅に再び出発します。
世界中を目まぐるしく飛び回るなか、アラン・デュカスが料理界の巨匠として残してきた数々の“革命的な料理”が明らかにされていきます。
アランの創り出す料理の舞台裏には、彼のスケール感である“グローバルとローカルを合わせもったグローカル”という、普遍的真理に満ちたものへの挑戦がありました…。
映画『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』の感想と評価
巨匠シェフのアラン・デュカスとジル・ドゥ・メストル監督
アラン・デュカスはミシュラン史上最年少で3ツ星を獲得。
今では18ツ星に輝く料理界の生きたレジェンドと呼ばれるシェフ界の巨匠です。
世界各地にある特有な地域で大切に作られた素材を感知する完璧な舌、誰よりも秀でた味覚研究に臨む探求心、洗練された美意識と知性はアランの偉業そのものです。
そしてアランの新たなる挑戦は、ヴェルサイユ宮殿に、ルイ16世やマリー・アントワネットの“王の食卓”を再現するレストラン「オーレ」をオープンすること。
その2年間に密着したドキュメンタリー映画が本作『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』です。
アラン・デュカスは、インタビューを受けた際に次のように語っています。
「1年間、ジル・ドゥ・メストル監督は私のところに通いつめ、私を説得しようとしました。そのたびに私ははぐらかし、興味がないと言いました。要点が見えないと話したら、監督はこう答えました。「他のドキュメンタリーとは違います。リアルな映画になるはずです。大スクリーンを想定しています」とね。それが1年以上続いたある日、共通の友人であるジャーナリストのエリック・ルーが私に電話をかけてきて、「難しく考えるな。ジルは素晴らしい人間だよ。彼とパテ社の社長ジェローム・セドゥと会うべきだ」と言いました」
アランについてはプライベートはもとより、自身の家族のことなどもヴェールに包まれ、身内のスタッフですら知るところではありませんでした。
また自らを“宣伝”することを極端に嫌い、映画化のオファーにも1年間にわたり、首を縦に振ることがなかったのです。
それでも信頼のおける友人であるジャーナリストのエリック・ルーの話に耳を傾け、アランはジル・ドゥ・メストル監督と面会することを決めました。
アラン・デュカスは、その時のことを次のようにインタビューで振り返っています。
「そこで私たちはランチに行き、彼ら(ジル・ドゥ・メストル監督たち)が私を説得しにかかったので、猛烈な議論を交わしました。彼らは、「私たちはあなたの目となって、あなたが見ている世界を表現したい。この星であなたが探求するものは何かを知りたい。1年を通しての中国や日本、ブラジルへの仕事の旅で、あなたが探し求めるものを知りたい。アラン・デュカスという人間に近づき、その終わりなき探求を映像にしたい」と語りました」
頑なに取材を拒んだアランを説得したのは、『プルミエール 私たちの出産』でセザール賞ドキュメンタリー賞にノミネートされた、ジル・ドゥ・メストル監督。
社会派の映像作家として知られたジル監督は、評論家からも高く支持を得たクリエイターです。
彼はアランをシェフとしてだけでなく、一個人として人物としてリスペクトしたアランをありのままを撮りたいと、丹念に直訴を続けたことで本作は完成の稔りに至りました。
アラン・デュカスは自身には何も隠すことはないとしながらも、ドキュメンタリー映画の取材を拒んだのには、知人であるワイン造りの専門家ミシェル・ロランを取材した記録映画の撮影隊との間にあった不運を強く危惧していたことがありました。
しかし、アラン・デュカスは自身の取材に臨んだジル・ドゥ・メストル監督の印象について次のように評価しています。
「実体験型のドキュメンタリーで知られてきたジルは、デリケートかつ危険でさえある状況で撮影することに慣れていましたし、控えめで自分の存在を、いい意味で人々に忘れさせることができる人でした」
一方でジル・ドゥ・メストル監督はアラン・デュカスについてこのように述べています。
「彼はカメラの前にいてもとても自然で、私を信頼してくれた。スクリーン上に見えるすべてがリアルで、特殊効果もなく、フィルターもかかっていないし、検閲もない」
本作『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』には、史上最年少で3ツ星を獲得し、18ツ星に輝く料理界の巨匠アランの素顔を覗き見ることができます。
ジル監督がアランを見つめた演出は、決して出過ぎずに寄り添うように紡ぎ出されています。
本作を見る観客を飽きさせないのは、アランの人柄や料理への探究する姿が大きいのは言うまでもありません。
しかし、映像のなかで観る者が抱くアランに思う疑問や、彼への好奇心をジル監督も手際よく見せてくれるのです。
まさに本作は、人間として個人の魅力に溢れた2人の天才のコラボレーション的な結実となった作品だと言えるでしょう。
巨匠シェフのアラン・デュカスを知るポイント
その1:料理は頭の中でする
何十年も料理し続け頂点に立った今、自らの手で育てた若きシェフに厨房を任せ、自身は世界20数店舗に及ぶ“料理監督として指揮をしています。
なぜ、アランは店に常駐しなくてもミシュラン星を維持できるのか。その謎を解き明かす、彼の驚くべきバイタリティに富む日々も見逃せません。
その2:フレンチの潮流を変えた
これまでは技術に思考を凝らす料理が人気のフレンチに、アランは野菜本来のおいしさにこだわる“野菜が主役”の料理で挑みます。
その結果、彼はモナコとパリで3ツ星を獲得し初の6ツ星シェフとなり、今では世界中の名店でも野菜の美味しさは常識にまでなりました。
その3:ストリートチルドレンをシェフに
フィリピンのマニラに料理専門学校を創設。恵まれない子どもたちに教育を受ける機会を与え、奨学金で料理を学ばせることも行なっています。
アランは生徒たちに自身のレストランのシェフになってほしいと切望もしています。
レジェンダリーな料理人は調理や食材選びだけではない!
ここに挙げた3つのポイントのなかでも、特にマニラで料理学校を開いたシークエンスは大きな見どころです。
料理という人間の生存本能のひとつである食事が、アートや芸術なのかということには一般的に大きな相違があることです。
そんな観客の疑問に関しても、アランという人物は一般的な料理人のスケール感を超えた視野があります。
アラン・デュカスは本作のなかでマニラのストリートチルドレンを援助することに関して、インタビューでこう述べました。
「感動的なシークエンスです。ジルは感情面でも深く関わっています。彼はストリートで暮らす子供たちを、頻繁に撮影してきたドキュメンタリー作家でもあるからです。10年前、デュカス・エデュケーションは、マニラに訓練学校をオープンしました。数年の間で、恵まれない子供たちに仕事を教え、ストリートから抜け出す訓練をしてきたのです。料理は社会を動かす梃になり得ます。差別を無くすための最良で最も聡明な職業です」
アランは料理をどのように考え、生きる本能である食べるという欲求や、人生そのもののあり方を深く洞察していることが理解できます。
まとめ
当代随一のシェフであるアラン・デュカスの自身の飽くなき探求の結果として、“魂”が注ぎこまれた究極のディナーを創りあげるため、彼は今日も旅人のように世界中を駆け回ります。
ニューヨーク・ロンドン・リオ・フィリピン・中国・香港・パリ・モナコ・東京・京都と世界中を飛び回り、最高の素材と調理法を探し求めるアラン・デュカス。
彼は本作のなかで、度々使う言葉で「ピーク(とんがった感じ)」というのが登場します。
それについてフランス料理界の巨匠アランは、このように真意を解きます。
「“ピーク”という言葉は、対比や緊張感を想起させます。違いを肯定することです。この職業では、自分を他者と違えているものを育てないなら、終わったも同然です。自身のあらゆる側面を受け入れることです。前向きな風刺とでも言いましょうか」
映画『アラン・デュカス 宮廷のレストラン』は、10月13日より、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
アランは常に新たな伝承とともに創り出した料理には、彼の生き様ともいうべき、“今を生きる他者へ感謝”という味付けがされているのかもしれません。
2018年オススメのドキュメンタリー映画です。お見逃しなく!