連載コラム『タキザワレオの映画ぶった切り評伝「2000年の狂人」』第1回
既存の文化への対抗、反抗として生まれたカウンターカルチャーの時代。多くの暴力・残虐行為から目を背け、誰もが何もしないでいることが出来なかった当時の状況を映し出した映画『テル・ミー・ライズ』(1968)。
ジャーナリスト、戦争レポーター、アメリカ大使館の公務員、歴史家、僧侶など様々な立場の人が政治参加をしていく様子を描いたセミドキュメンタリーです。
虐殺を正当化する権力に対し反抗し、政治や国際問題に関与したがらない人々に何を訴えるべきか、現代において正統な革命とは何かという問いに直面した、「スウィンギング・ロンドン」を生きた人々。人種、宗教、性別、階級、あらゆる立場を越え、答えの出ない議論を続けます。
日本では2018年に公開された本作が、初公開から50年経った現在の我々に訴えかけるものとは何だったのか。
今回は前衛的で暴力的、カオスなセミドキュメンタリー映画『テル・ミー・ライズ』(1968)をご紹介します。
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映画『テル・ミー・ライズ』の作品情報
【公開】
2018年(イギリス映画)
【原題】
Tell Me Lies
【監督】
ピーター・ブルック
【出演】
マーク・ジョーンズ、ポーリーン・マンロー、ロバート・ラングドン・ロイド、グレンダ・ジャクソン、イアン・ホッグ、エリック・アラン
【作品概要】
演劇の神様と呼ばれるピーター・ブルックの第5作目にあたる長編映画作品。自身の戯曲『US』をベースにした本作はベトナム戦争中の1967年にロンドンで撮影が行われました。
1968年に激化したベトナム戦争を痛烈に批判した内容のため、同年のカンヌ国際映画祭では上映取り消しとなるも、ヴェネツィア映画祭にて審査員特別賞、ルイス・ブニュエル審査員賞、2部門受賞。
イギリス、アメリカで限定公開された後に原版は紛失。幻の作品とされてきたが、2011年に複製ネガが発見され、復元。50年の時を経て2018年に日本公開されました。
映画『テル・ミー・ライズ』のあらすじとネタバレ
1968年のロンドンの中心部。
スウィンギング・ロンドンとも呼ばれたカウンター・カルチャーの黄金時代に、ビート・ジェネレーションとブラックパンサー、ありとあらゆる文化が人種や性別を越えて交差していました。
ある日、負傷したベトナム人の子供の写真に衝撃を受けたロンドン育ちの若者、マークとボブは、人々の目をベトナムに向けさせるには何をすべきか考え始めます。
マークはBBCのテレビ放送をジャックして1秒間だけ「ベトナム」というテロップを流せば、一瞬でも大衆の意識はベトナムに向くだろうと考えつくも、それは実現可能ではありませんでした。
外へ出てマークが話を聞いたのは、核軍縮やベトナム撤退を訴えるデモ参加者、座り込みなどの運動家たち。
彼らは人々の注意を惹く刺激的な写真や過激なメッセージを発信することについて、テレビ局のやりそうなことと軽蔑していました。
マークの他にもベトナムで起こった現実を映像で目の当たりにし、衝撃を受けた人々は大勢いました。
そしてロンドンで行われる反戦運動は人種、民族を越えたセンセーショナルなものへなっていき、誰もが簡単に政治思想を明らかにし、抗議運動を行うようになります。
集会では元兵士の作家、ジークフリード・サスーンの言葉が語られます。1年前に亡くなった彼は悲惨な現状に対する人々の無関心を砕く重要性を説いていました。
グレンダ・ジャクソンはチェ・ゲバラの言葉を引用し、ベトナムをきっかけとした帝国主義の解体に希望を見出そうとします。
彼女の熱烈さには、今にも爆発を起こしそうな怒りが込められており、その怒りは大衆運動の原動力となっていました。
その後、マークは国会議員の集まるパーティに潜入し、ベトナム戦争に対するイギリス政府の見解を聞き出そうとします。
高いスーツに身を包み、ソファに座って戦争の正当化を滔々と語る彼らの欺瞞をマークは理解していました。
「ベトナムをやっつけろ」という掛け声で白人の参加者はヒートアップしていきます。
その様子を離れた場所で眺めていたアフリカ系の男性、ストークリーは、冷静に彼らの潜在意識を分析します。
「有色人種の暴力は、”文明化の手助け”とウソをつく白人の暴力が生んだのだ」と。
そこへ1人のベトナム人女性、ジャクリーンが呼びこまれます。
ジャクリーンは「ベトナムをそっとしておいて欲しい」と言いますが、ストークリーはアメリカを虐殺するしか方法はないと考えていました。
「平和が望みだ」というジャクリーンの言葉をストークリーが訂正します。
「”平和”は白人の使う言葉。”解放”は有色人の使う言葉だ。あなたは本当はどちらを望むのか」
彼女の答えは「解放」でした。貫通力の高い言葉がマークに突き刺さっていきます。
次に画面に映し出されたのは、南ベトナム政権への講義の為にカンボジア大使館前で焼身自殺を図ったティック・クアン・ドックの映像。
マークはこのベトナムの僧侶が何を思っていたのか想像がつきませんでした。
そのことについてとあるベトナムの僧侶に話を聞きに行ったマークは、殺生を禁じられているうえでの自殺という行為の意味、仏教徒にとっての燃やすことの意味を知ります。
マークとボブはアメリカ国防総省の前で、ノーマン・モリソンという男を知っているか道行く人に尋ねます。
知らないと答える通行人に、ノーマン・モリソンについて説明をします。クエーカー教徒であった彼は、自身の家族のことしか考えないアメリカに怒り、ベトナム戦争に抗議するため、国防総省の前で焼身自殺を図ったのです。
自身に火をつけたモリソンの傍には生まれて間もない彼の娘がいました。近くにいた警備員がすぐさま助け出したとノーマンの妻は後から知ることになります。
その後ノーマン・モリソンは北ベトナムで英雄として祀られました。彼の名はハノイの記念碑に記され、通りの名前にもなりました。
ベトナムでの反響にも、アメリカ人は「自分とは無関係」という態度を貫いている。あるイギリス人女性はこれを「見て見ぬふりをしたナチス時代のドイツと同じだ」と語ります。
また別の人物は「ベトナムに家族を送った者は自分の愛する人が無駄死にではなかったと自己暗示する為に何とかして戦争を正当化する」と言います。
それが彼らの死に値するほど崇高なものと信じて疑いません。
米軍の医療救助ヘリパイロットは、「ベトコンを助けたこともある」と情勢に精通していることを自信をもって語ります。
「デモに参加しているだけの若者がベトナムの現状を想像することは出来ない」と。その後彼はアメリカがベトナムを助けていると言います。
映画『テル・ミー・ライズ』の感想と評価
現代の観客に問いかけるもの
ベトナム戦争中の当時はカウンターカルチャー時代を象徴するような事件が頻発しており、抗議活動をする学生に対し警官が発砲し4名を殺害したケント州立大学銃撃事件(1970年)や、Netflixで映画化もされたシカゴ民主党大会で起こった反戦運動(1968)など、欧米諸国で同時多発的にプロテストが起こったのは、テレビの流通によって戦争の実態をニュース映像を通して見れるようになった時代特有の現象なのでしょうか。
しかし本作が作られた50年前と偏向報道やフェイクニュースといった言葉が当たり前になっている現代とで、変わりがないように見えます。
暴徒化するデモを冷笑し、戦争を正当化する呼びかけを行っているアメリカ大使館員の映像に「米国大使館員を演じる英国人俳優」というテロップが入ります。
ベトナム戦争を正当化する右派と反戦や革命を訴る左派のバランスを取っているように見せながら、戦争を肯定する被写体を滑稽なものとして撮っているため、監督の政治的立ち位置はこのようなシーンからも明白です。
本作には、現代の観客の目には信じられない光景として映るものがあります。
それは思想が似通った者同士の議論においても結論の出ない問題に対して、思想や立場の異なる他者同士においても建設的な対話が成立していること。
そういった会話の中で”平和”と”解放”の違い、”虐殺を正当化する嘘”など、印象的なパンチラインが数多く飛び交っていました。
こうした答えが出ない議論を進められる先進性が50年前には存在していた事実に、140字でマウントを取り合い、論破で議論の場を殺す現代に生きる我々は驚愕してしまいます。
常に誰かの加害者でいる原罪
劇中でグレンダ・ジャクソンは「理屈をこねること(theorize)が好きだ」と言います。事実の確認をサボり、想定で語り、認知することに急ぐ。
本質を伴わない空っぽのまま何を知った気になり、それを持論と錯覚する。
そういった”思考しているふり”こそが、最も悍ましい行為であり、関心の無いことを言い訳に"知ろうとしないこと"が負の連鎖を繰り返す行為へと導くのです。
これこそが本作のテーマであり、60年代70年代の若者にとっては社会運動に参加するモチベーションになっています。
かつての人々は「今」何か行動に移さなければならないとデモ行進に参加し、個人として政府や組織に反抗を示しました。
そんな彼らを「意識高い系」と括り、冷笑的な態度で本作を観ると当時の人々の姿はまるで熱病に浮かされているように見えます。
本作はまるで診断メーカーのように観た後に革命に目覚めるか、改憲に目覚めるか、ノンポリと信じる観客自身が奥底に抱える政治思想を呼び起こすような現象をもたらします。
何かをしなければというタイムリミットを課せられた使命感ではなく、対岸を眺め平和に耽溺することへの罪悪感が先行し、本作ラストの半開きになったドアの向こうへの恐怖を感じ続けるのです。
罪悪感は中年の大人に比べ、自己が確立していない若い世代の深層に根を下ろしやすく、そして恐怖とは対岸の地獄と今自分が立っている脆い平和とが常にどこかで繋がり続けていること、あの地獄の一端は自分とも関わり続けていることを意味します。
恐怖を否定することは出来ませんが、当事者である意識を保ち続けることが映画ではない現実を生き抜いていく唯一の手段なのです。
恐怖を自覚することはそれ時代が恐怖でもありますが、同時に「無知の知」として知らないことを知る楽しさがあります。
冒頭とラストのシーンで、マークは傷ついたベトナムの子供の写真を見つめます。
「この写真をいつまで関心を持ったまま見続けられるか」とは「地獄と繋がり続ける恐怖の自覚とそれを風化させないことは出来るか」という投げかけであり、その答えは作り手自身と受け取る観客の両方に委ねられています。
劇中の彼らの言葉が刺さるのは、強烈な映像とシュールな歌詞を織り交ぜた「散らかった表現」を意図しているからであり、観客に思考を促す啓蒙の仕方が上手いからです。
こちら側に訴えかけてくる(表層的にはシュールな)その表現を全く説教臭いとは感じません。
画面を通して被写体がカメラ目線でこちら側に語り掛けてくるのは、「楽しみながら撮影をしている」ということ、
社会運動に参加し、世代、人種、思想を越えて意見の表明と対話を行うことが楽しいというのが根底にあるからこそ、関心を持ち続け、悩み続ける義務を単なる重荷と捉えずに済んでいるかもしれません。
実際にこの作品を観ることで何かに触発される人もいるかもしれませんが、難しいことを真面目に考えることは楽しいという重要な気付きを与えてくれる作品として、本作は社会派エンターテインメントと評することが出来ます。
まとめ
本質を伴わない形骸化した「思考」や「論理化」を暴力的に遮断するほど、前衛的でエネルギッシュな本作は、監督の語る通り、「映像作家としてベトナム戦争について何かを語らなければならない」という衝動に駆られて作られたことがひしひしと伝わってきます。
考えがまとまらないままに走り出した映画は、半開きのドアの向こうを映すという非常に乱暴で、表現としては陰険な終わり方を見せます。
なぜなら”あの時代”に生まれた本作は映画という芸術を通した武力革命だからです。
粗削りで極限まで先端を尖らせた表現は観客を突き刺し、theorizeさせないために、悲劇を風化させないために、常に我々の心に向かって呼びかけ続けるのです。
作り手自身がそして受け取る側である観客が扉の向こうへの関心を失わずにいられるのかどうかを試すために……。
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タキザワレオのプロフィール
2000年生まれ、東京都出身。大学にてスペイン文学を専攻中。中学時代に新文芸坐・岩波ホールへ足を運んだのを機に、古今東西の映画に興味を抱き始め、鑑賞記録を日記へ綴るように。
好きなジャンルはホラー・サスペンス・犯罪映画など。過去から現在に至るまで、映画とそこで描かれる様々な価値観への再考をライフワークとして活動している。