連載コラム「銀幕の月光遊戯」第66回
映画『れいこいるか』は、2020年8月8日(土)より、新宿 K’sシネマ、シネ・ヌーヴォ(大阪)、元町映画館(神戸)ほかにて全国順次公開されます。
映画『れいこいるか』は、いまおかしんじ監督が阪神・淡路大震災直後から原案を温め、震災後25年の節⽬を前に完成させた、震災で⼀⼈娘を亡くした夫婦の物語です。
いまおかしんじ監督は、夫婦の23年間の人生をひょうひょうとしたリズムで描き、2人の心の奥底を浮かび上がらせます。
CONTENTS
映画『れいこいるか』の作品情報
【公開】
2020年公開(日本映画)
【監督】
いまおかしんじ
【キャスト】
武田暁、河屋秀俊、豊田博臣、美村多栄、時光陸、田辺泰信、上西雄大、石垣登、空田浩志、テルコ、グェンティ・コックミ、川上皓翔、桑村大和、杉本晃輔、西山真来、徳武未夏、古川藍、多賀勝一、水野祐樹、小倉Pee,南山真之、グェンタイン・サン、森千紗花、若宮藍子、北田千代美、上村ゆきえ、徳永訓之、佐藤宏
【作品概要】
『つぐない』(2014)、『あなたを待っています』(2016)のいまおかしんじ監督が、阪神淡路大震災で一人娘を亡くした夫婦の23年間の葛藤と絆を描いたヒューマンドラマ。
関西演劇界で活躍する武田暁が妻・伊智子役で映画初主演。夫役を『カゾクデッサン』(2019)、『心魔師』(2018)の河屋秀俊が演じました。
映画『れいこいるか』のあらすじ
1995年1月16日、神戸。伊智子と太助は、一人娘のれいこを連れて須磨海浜水族園に出かけました。イルカのショーを楽しんだうえに、イルカのぬいぐるみまで買ってもらい、れいこはご機嫌な様子でした。
3人が海を眺めていると伊智子に電話がかかってきました。先に家に帰った太助とれいこは伊智子の帰りが遅いなぁと言い、「お母ちゃ~ん!って呼んでみ」と太助に言われたれいこは大声で「お母ちゃ~ん!」と叫びました。
その頃、伊智子は浮気相手とホテルにしけこんでいました。
太助はれいこを寝かせつけ、れいこのそばにイルカのぬいぐるみを置いてやりました。
翌朝、未明、早く目覚めた太助が家の外に出たところ、激しい地震に見舞われます。地震がおさまって慌ててれいこの様子を見に戻った太助は思わず声をあげました。
1995年1月17日、伊智子と太助は、阪神淡路大震災により一人娘のれいこを亡くしました。
その後伊智子と太助は離婚し、別々の人生を歩んでいました。伊智子は実家の酒屋を手伝い、結婚、離婚、恋愛を繰り返し、太助は芥川賞を獲って作家になるという夢を半ば諦めつつ、一人暮らしを続けていました。
2018年、久しぶりに再会した2人は、れいことの思い出の水族園へイルカショーを観に車を走らせていました。
映画『れいこいるか』の感想と評価
タイトルが持つ複数の意味
タイトルの『れいこいるか』の「いるか」は、いくつもの意味合いを持っています。映画を観る前は、「れいこは居るのか?」という意味だと理解していました。
しかし、映画が始まると、れいこは水族館で「イルカ」のショーを観て、そこで「イルカ」のぬいぐるみを買ってもらったことがわかり、「いるか」は「イルカ」でもあることが明らかになります。
さらに、「いるか」には「欲するか」という意味も含まれており、「れいこは(が)欲しい?」という問いかけだと解釈することもできます。
れいこの母の伊智子は、震災直前、れい子と夫を置いて浮気していた際、「いるか」の言葉遊びをしていました。「いるか」「いないか」「いるか」「いらないか」という調子で。なんと、ここでタイトルの種明かしがなされていたのです。
そうした事柄が、伊智子に大きな自責の念を生み出しただろうことは想像に難くありません。
「れいこいるか」というタイトルはいずれの解釈をしても、れいこの不在という深い悲しみをつきつけ、今や別々の人生を歩む伊智子と太助のそれぞれの心の葛藤と苦しみを浮き彫りにします。
ですが、その一方で、この言葉は、2人の記憶のみに共有されるもので、2人の間にまだかろうじて残る仄かな絆を想起させもします。
何気ない暮らしの中に秘められたものを想像させる
震災から数年がたち、伊智子と太助は離婚して別々の暮らしをしています。そんな彼らの生活だけを観ていると、それはちょっとした下町人情物語のような風情があります。
酒屋を切り盛りする伊智子の母親、お金も払わないのに毎日のように一杯やりにくる太助の父親、太助が師匠と慕っている卓球少年、ウルトラマンシリーズの世界に生きている男性など、ユニークな登場人物が日々交錯して生きています。
彼らはほとんど震災の話をしませんし、れいこの法要や墓参りが描かれることもありません。
描かないといえば、震災直後、伊智子と太助が別れた際、どのようなやり取りがあったのか、太助は伊智子を責めたのか、そうした箇所は大きく省略されていますし、そのことが後から言及されることもありません。
同じテリトリーで生活しているので、2人は街角でばったり出会うこともあり、会話を交わしさえします。そこで交わされる軽妙なやり取りや、身振りは朗らかなコメディーのようです。
しかしだからこそ、彼らが胸の奥底に秘めているだろう悲しみが強く伝わってくるのです。へらへらした笑顔やおどけた仕草の裏側にそんな彼らの心の痛みが見え隠れしています。
外側から見えるものだけを淡々と描き続けるいまおかしんじ監督の演出は、同じ意味で伊智子と太助を取り巻く人々の内面にも目を向かわせます。彼ら、彼女たちもまた、それぞれの歓びや哀しみを抱えているであろうことを想像させるのです。
月日を重ねて生きていくということ
関西演劇界で活躍し本作が映画初出演となる武田暁が伊智子の、黒沢清や北野武など作家性の強い映画監督作品に多く出演している河屋秀俊が太助の、それぞれの23年間を生き、素晴らしい演技を見せています。
衣装や髪型、髪の色、といったスタイル面の創意工夫は勿論のこと、役者たちがもたらす声や肉体の変化により、伊智子、太助を始めとするすべてのキャラクターが、次第に年齢を重ねていく様子が、ごく自然に描写されていて見事です。
伊智子は太助と別れてからも、結婚、離婚、恋愛を繰り返します。震災の時の浮気相手以外は、皆、作家志望や物書きばかりで、彼女のそうした嗜好は、太助と出会う前からなのか、それとも、太助の面影をおいかけてそうなるのか、判断することはできません。
一方、太助は浮いた話もなく、れいこの形見であるイルカのぬいぐるみを後生大事にしながら一人身でい続けます。
中盤、震災時の浮気相手と伊智子の逸話が、「笑い話」として消費されている光景は、それだけの月日が経ったことを証明しているのでしょう。過ぎゆく月日は、2人が負った傷を徐々に癒やしていきます。
23年という月日はまた、おどけたり、笑ったりしながら、これまでまっすぐに見つめることを避けていたことに向かい合わせもします。
そしてどれほど月日が経とうとも、決して忘れることのない大きな喪失を抱えながら人々が生きていく姿を、映画は淡々と、しかし愛情深くみつめていくのです。
まとめ
長田区の路地裏や酒店、新開地付近など、神戸の様々な場所で撮影されたロケ地は、いまおかしんじ監督自ら、神戸の街を歩き回り、「震災前から残る風景」として探し当てられた場所です。
また、2009年に新長田の若松公園内に設置された鉄人28号像が見事に映し出されるシーンも登場します。高さ15メートル強、重さ50トンの巨大モニュメントです。
この地を訪ねたことがある人なら、どうすればこの大きさを伝えられるような写真を撮ることができるだろうとカメラを片手に四苦八苦した経験があるのではないでしょうか。
迫力満点に威勢よく、このモニュメントが映画におさめられたことに興奮を隠しきれません。
震災で大きな被害を被り、再建された神戸の街。その街を愛し、その地で懸命に生きる人々を描いた映画『れいこいるか』は、2020年8月8日(土)より、新宿 K’sシネマ、シネ・ヌーヴォ(大阪)、元町映画館(神戸)ほかにて全国順次公開されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
2020年8月15日(土)より、シネ・ヌーヴォ(大阪)、以降、京都みなみ会館他にて全国順次ロードショーされる日本映画『フェイクプラスティックプラネット』を取り上げる予定です。
お楽しみに。