連載コラム「メランコリックに溺れたい」第4回『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』
前回の連載コラムで取り上げた、テッド・バンディに続いて、実在した連続殺人犯の物語です。
1970年代のドイツを舞台にしたファティ・アキン監督の『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』。2月14日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開です。
映画『テッド・バンディ』はザック・エフロンの甘いマスクが印象的でしたが、本作にシリアルキラー映画につきもののロマンティックさを期待していると、痛い目をみるかもしれません。
この作品が提示するのは、殺人の不快さと生々しさ──そして、映画で屠られてきた<女たち>からの逆襲です。
CONTENTS
映画『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』の作品情報
【日本公開】
2020年(ドイツ映画)
【原題】
Der Goldene Handschuh (英題: The Golden Glove)
【監督・脚本】
ファティ・アキン
【キャスト】
ヨナス・ダスラー、マルガレーテ・ティーゼル、ハーク・ボーム
映画『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』のあらすじ
敗戦がまだ尾を引いていた1970年代ドイツ、ハンブルク。安アパートの屋根裏部屋に住むフリッツ・ホンカは、夜な夜な寂しい男と女が集るバー“ゴールデン・グローブ”で酒をあおっていました。
彼がカウンターに座る女に声を掛けても、いつも顔をしかめられるだけ。一見、無害そうに見えるフリッツの狂気に気づく常連客は誰ひとりいませんでした…。
レクター博士とは対照的な“ぶざまな”殺人鬼
ファーストカット、汚れたベッドに横たわる、たるんだ女の肢体が映し出されます。続いて登場するのは、極端に猫背で息の荒い中年男。
どうやら女は死んでいるらしく、男は女の重い体をベッドから引きずりおろし、袋に詰めて運び出そうとします。
男の部屋は安アパートの最上階。屋根のすぐ裏側に位置する天井は、頭を打ちそうなほど低く、男は女を担いでドアから出るのにも一苦労。しかも、どうにか階段を下りようとしたところを、階下に住む少女に見られてしまいます。
男はすごすごと部屋に引き返し、窮した挙句、ノコギリを持ち出します。
いやいや“解体作業”を進める男は、メガネの奥の斜視で何を見ているかわからず、鼻は醜く曲がり、後退しつつある生え際には脂汗、半開きの口からボロボロの歯が覗いています。
法廷のスターとなったテッド・バンディのような<シリアルキラー>という言葉の持つ甘美な響きからはほど遠い、これが主人公フリッツ・ホンカです。
ホンカは切断した死体の一部を近くの空き地まで持って行って捨てますが、全部を運ぶのは億劫になったのか、残りは部屋の物置に押し込む始末……。なんともお粗末です。
映画における殺人鬼とは、“サー”・ハンニバル・レクターに代表されるように、狂気を帯びながら時に優美でさえあるもの。ですが、ファティ・アキン監督は映画の冒頭で、本作がそんな“洗練された連続殺人エンターテイメント”ではないことを、徹底したリアリズムで提示するのです。
ホンカの日常も冴えません。舞台となったハンブルク、1970年代の西ドイツは経済復興を遂げていたはずですが、肉体労働を終えたホンカが毎日たどり着くのは、世間から取り残されたような風俗街のバー「ゴールデン・グローブ」。
退役軍人や半分ホームレスのような貧乏人ら常連客が管を巻き、その片隅で、ホンカは酒を浴びながらひたすら女を漁っています。
勃たない男根と、朽ちてなお主張する老女の肉体
本作で犠牲となる女性たちも、シリアルキラー映画が好んで観客に供してきた<若く美しい女>とは対極です。
ホンカはオーラルセックスで局部を咬まれることを恐れて、入れ歯の女を好んだらしく、自宅に連れ込む女はみなシミだらけシワだらけ、体も緩んだ<年老いた女>です。
死とセットの性行為も、本作ではロマンティックさの欠片もなし。ぴちぴちの身体を楽しませてなんてやらないぞ、とばかり、下着からはみ出た贅肉がリアルな、極めて生々しい行為として描かれます。
中盤、とても印象的なシーンがあります。
ホンカはある晩、バーで女を引っ掛けることに成功するのですが、女を前にして、どうしても勃起しません。
笑う女に激高し、殴りながら無理やりセックスするホンカ。翌朝、女は仕返しに、ホンカの陰部にマスタードを塗りたくります。
ホンカは女、特に自分と寝るような“娼婦”に対して居丈高に振る舞い、暴力もためらいません。しかし、そんなマッチョな男根主義をあざ笑うかのように、スクリーンに映るホンカの男性器はふにゃふにゃなのです。
女は最終的にホンカに殺されますが、死んで物置に押し込められた<彼女たち>は全編を通して腐臭を放ち続け、ホンカが「下に住むギリシア人の料理のせいだ」と下手な言い訳をするたびに、本当にスクリーンから臭ってくるような気さえします。
観客が待ち望むような“生贄”としては唯一、女子高生ペトラが登場します。露出した白い肌がまばゆいペトラはハリウッド映画なら真っ先に殺されそうですが、ホンカは街角でタバコの火をあげた出会いからしばらくは「あの子が恋人なら……」と夢想するだけ。
いよいよバーで出くわし、あとをつけ始めたところで、屋根裏の屍体たちの復讐がクライマックスを迎えます。
蛆虫となった<彼女たち>は階下のギリシア人一家の団欒にポトリポトリと落下、闖入し、ホンカの凶行を明るみに出すのです。
シンパシーと嫌悪感の狭間で生まれる“普通の殺人鬼”
ホンカは些細なことでカッとなって女を殺す、粗野な人間ではありますが、快楽殺人を求めるようなサイコパスではありません。
バーでは大抵の女から「不細工すぎる」と袖にされるなど、彼の日常を追っていくと、同情してしまうシーンはいくつもあります。
鼻を砕いた過去の事故さえ気の毒なのに、ホンカはまた車にはねられる。断酒を誓って夜間警備員の職に就くのに、同僚の人妻ヘルガに恋をし、彼女が「悩み、聞いて……」と酒瓶なんか持って来たせいでまた飲んでしまう。
ならヘルガといい雰囲気になるかと思いきや、二人きりになった際にいきなり「君が好きだ!」と強かんまがいの行為に走り、台無しにしてしまう……。ホンカの不器用さには親近感さえ覚えます。
ハインツ・ストランクの原作小説「Der Goldene Handschuh(英題:The Golden Glove)」には、ホンカが10人兄弟の3人目として生まれ、「兄弟が多すぎたために母から育児放棄され」、「父はアルコール依存症で、たびたび暴力をふるった」、ホンカの幼少期も描かれています。
もし、事故がなかったら。何かが少しでも違ったら。ペトラをバーに連れてくるメガネ青年は、ホンカの“あり得た姿”なのかもしれません。
しかし、安易に殺人者に感情移入することを監督は嫌ったのでしょう。映画の中で意図的にホンカの過去は描かず、日常の次に持ってくるホンカの殺人シーンは陰惨さを極めます。苦痛に歪む老女の顔、獣のように唸る声。陰毛さえ晒した肉体描写は生々しく、思わず目を背けたくなるほどグロテスクです。
原作がホンカに与えた人間性と、「彼の残虐行為に対して弁明を求めたくない」という監督のバランス感覚。それが、すぐ隣にもいそうな“普通の殺人鬼”――いえ、殺人鬼と呼ぶには弱気で、狂気すら足りない、“日常の片隅にいる恐怖”を創りあげたのでしょう。
そして、そこでは、ホンカに対峙する女たち――監督が意図していようといまいと、これまで<美しい死>という観客の悦楽のために消費されてきた女たちが逆襲し、人を屠ることの真実の不快さを突きつけてくるのです。
まとめ
最後に、主演のヨナス・ダスラーについても触れておきたいと思います。
実はダスラーは23歳。テッド・バンディを演じたザック・エフロンにも劣らない美形で、ホンカとは20歳以上も年齢の開きがあります。毎回、特殊メイクには3時間もかけたとか。
2019年公開された『僕たちは希望という名の列車に乗った』(ラース・クラウメ監督)が記憶にある人は、あまりの変身っぷりに驚かれたのではないでしょうか。
この作品は、ソ連支配下の東ドイツで、ハンガリーの民衆蜂起へ黙祷を捧げるという政治的タブーを犯した高校生たちの青春ドラマ。仲間を密告するか信念を貫くかで揺れる様を描いた良作で、ダスラーは共産主義の英雄だった亡父を敬愛し、より強く矛盾に引き裂かれる役どころを好演しました。
打って変わって本作では、不快さと哀れさが同居するホンカを見事に演じたヨナス・ダスラー。キャリアの初期でこの役に挑む胆力に、今後の活躍が期待されます。『僕たちは・・・』も、未見の方はぜひチェックしてみてください。
次回のメランコリックに溺れたいは…
次回も、陰鬱憂鬱沈痛悲惨、トラウマ級の衝撃作から、見た後は一人になりたくなる異色作まで、積極的に取り上げていきます。
お楽しみに!