連載コラム「銀幕の月光遊戯」第73回
映画『ミナリ』が2021年3月19日(金)よりTOHOシネマズシャンテ他にて全国ロードショーされます。
1980年代のアメリカ南部を舞台に、成功を夢見てやってきた韓国系移民一家が理不尽な運命に翻弄されながらもたくましく生きる姿を描き、サンダンス映画祭でグランプリと観客賞をダブル受賞。その後も各国の映画祭の観客賞を総なめにし、受賞リストを更新し続けています。
『ムーンライト』(2016)などを手掛けたスタジオA24とブラッド・ピットの制作会社プランBがタッグを組み、リー・アイザック・チョンが脚本と監督を務めました。
リー・アイザック・チョンは、アメリカの映画メディア『インディワイア』にて2020年の「最高の監督10人」にデヴィッド・フィンチャーらと並び選出された逸材で、新海誠監督の『君の名は。』のハリウッド実写版の監督に抜擢されたことで知られています。
映画『ミナリ』の作品情報
【公開】
2021年公開(アメリカ映画)
【原題】
Minari
【監督】
リー・アイザック・チョン
【キャスト】
スティーブン・ユァン、ハン・イェリ、アラン・キム、ノエル・ケイト・チョー、ユン・ヨジョン、ウィル・パットン、スコット・ヘイズ
【作品概要】
1980年代のアメリカ南部を舞台に、韓国出身の移民一家が理不尽な運命に翻弄されながらもたくましく生きる姿を描いたリー・アイザック・チョン監督の自伝的作品。
2020年・第36回サンダンス映画祭でグランプリと観客賞をダブル受賞したのを皮切りに、デンバー国際映画祭、ハートランド国際映画祭、ミドルバーグ映画祭など数多くの映画祭でノミネート、受賞を重ね、高い評価を得ています。第78回ゴールデングローブ賞(2021)では最優秀外国語映画賞を受賞しました。
映画『ミナリ』のあらすじ
1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきました。
荒れた土地とぽつんと佇むトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じ、不安を覚えます。
しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい生活に希望を見出しますが、父と母は喧嘩を繰り返し、気が休まりません。
ジェイコブとモニカは話し合って、韓国からモニカの母を呼ぶことにしました。毒舌で破天荒な祖母にデビッドは戸惑いますが、2人の間には不思議な絆が生まれ始めます
そんな一家に思いもしない事態が立ち上がります──。
映画『ミナリ』の解説と感想
韓国系移民の家族を描いた監督の半自伝的作品
アーカンソーの高原に韓国系移民の一家が引っ越してくるところから物語は始まります。美しく広がる緑の風景にエミール・モッセリによる甘美なメロディーが重なりますが、そこにはどこか不安な空気が漂っています。
車を運転する妻モニカの気持ちが反映されているからです。引越し前に夫のジェイコブの口からは語られなかった風景の連続に、彼女は戸惑いを隠せません。
妻に何もかも正直に話せば、おそらく反対されるだろうと考えたジェイコブは、半ば強引に一家をこの地に連れてきたのです。
ここに来る前の10年間、彼らはカリフォルニアやシアトルで暮らし、鶏の孵化場で働いてきました。ひよこの雄雌の選別だけで一生を終えたくないと考えたジェイコブは農業での成功を夢見て、アーカンソーの誰も欲しがらない土地を購入したのです。
監督のリー・アイザック・チョンは、1978年アメリカ・コロラド州に生まれ、アーカンソー州・リンカーンのオザークにある小さな農場で育った韓国系アメリカ人です。
家族というものが自分にとってどれほど大切かということを幼い娘に語り継ぎたいと感じたチョン監督は、自身の両親や祖母の想い出を詰め込み、1980年代にアメリカンドリームを夢見てやってきた韓国移民の物語を生みだしました。
幼い末っ子、デビッドというキャラクターにはチョン監督自身の姿が投影されています。
ジェイコブを演じたスティーブン・ユァンもまた、10歳の時にソウルから家族とともにアメリカに渡った韓国系アメリカ人です。
人気テレビシリーズ「ウォーキング・デッド」のグレン・リー役で知られ、イ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』(2018)では謎めいた富裕層の若者を演じ、強烈な印象を残しました。
チョン監督は、1970~80年代に夢を求めてアメリカに渡った大勢の韓国人の一人であるジェイコブ役に彼ほどふさわしい役者はいないと、誰よりも先に脚本を送ったといいます。
堅実な生活を望んでいるため夢を追う夫としばしば衝突する妻のモニカには、韓国で数々の受賞歴があるハン・イェリが扮し、感情の機微を繊細に表現しています。
幼いアンとデビッドの姉弟を演じたのは、ネイル・ケイト・チョーとアラン・キム。いずれも本作が初の映画出演ですが、驚くほど瑞々しく聡明な演技を見せています。
そして、韓国からやってくる祖母に扮するのは、『それだけが僕の世界』(2018/チェ・ソヒョン)でイ・ビョンホンの母親役を、『チャンシルさんには福が多いね』(2019/キム・チョヒ)ではヒロインの下宿先の大家さんを演じていたユン・ヨジョン。‟韓国のメリル・ストリープ”と称されるなど、韓国でもっとも敬愛されている俳優のひとりです。
タイトルの「ミナリ」とは、植物の「セリ」を表す韓国語です。祖母が韓国から持ってきたミナリの種は、小川の河床で根付き繁殖します。
風味豊かで少し苦味もあるその植物(食物)は、この家族の現在と未来を示すメタファーの役割も果たしています。
映画『ミナリ』の新しさ
リー・アイザック・チョン監督は、自身の父親がアメリカに渡ったのは、『大いなる西部』(1956/ウィリアム・ワイラー)などの映画に憧れ、豊かな大地に希望を見たからだと述べています。
『ミナリ』を観ていて、フランスの名匠ジャン・ルノワールがアメリカに来て初めて撮った『南部の人』(1945)という作品を思い出していました。
アメリカ南部の移動農業労働者一家が、親方から数年開墾されていなかった土地を借り受け、トラックに荷物を詰め込んで引っ越してくる展開は『ミナリ』の冒頭部分を思わせます。
91分の映画とは思えないスペクタクル感てんこ盛りの作風は『ミナリ』とは全く持ち味の違うものですが、農業従事者の厳しい生活、家族の絆や葛藤を描いている点、監督の温かな視点などに共通点を感じます。
リー・アイザック・チョン監督が『南部の人』を意識していたかどうかは定かではありませんが、移民や労働者を描いたこうした伝統的なアメリカ映画の精神は、『ミナリ』にも間違いなく受け継がれています。それらは大地と自然に挑む人間の記録ともいうべきものです。
その上で、これまで映画でほとんど語られることのなかった韓国系移民の生活が主題であるところに、『ミナリ』の新しさがあります。
1980年代という時代を背景にしていますが、過去を懐かしく振り返るようなノスタルジックな演出は一切行われていません。80年代という時代が含むものをきちんと踏まえつつ、その時の「今」をリアルに生きる一家の姿が描かれます。
夫婦間の対立、子どもたちの成長、新しいコミュニティへの参加など、一家が経験していく事柄は、国や時代を超えた普遍的で身近な問題であり、自分たちの物語としても共感できる作品になっています。
まとめ
前述した映画『南部の人』には頑固で手のかかる強烈な個性を持つ祖母が出てきます。彼女は目の前に現れた新しい住処となるボロ屋を見て、へそを曲げてしまい車から降りようとしません。
ユン・ヨジョン扮する『ミナリ』の祖母も独特の個性を持っています。けれど『南部の人』の祖母に比べると、心が広く、何より新しい環境にすぐ馴染む柔軟性を持ち合わせています。
祖母に初めて会い戸惑うデビッドは「おばあちゃんらしくない」と祖母への違和感を吐露しますが、それはデビッドが持つ西洋的価値観に祖母があてはまらないからです。
しかし、デビッドと祖母は徐々に凸凹コンビのような絆を結び始めます。祖母を通して異文化を知る過程が「花札」というのがユニークです。祖母が見せる柄の悪い威勢のよい打ち方は、祖母から孫へ、孫からアメリカ人の友人へともたらされます。
夫婦と子どもたちの家庭に、このユニークな祖母が加わることで、物語はおおらかでユーモラスな味わいを獲得するのです。
エンディングの「すべてのおばあさんに捧ぐ」という献辞には、なんだか胸が熱くなってしまいました。
映画『ミナリ』は、2021年3月19日(金)より劇場公開!