連載コラム「銀幕の月光遊戯」第20回
スペインの女流映画監督イサベル・コイシェが、ブッカー賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説を映画化!
1950年代後半のイギリスを舞台に、書店が一軒もない町に書店を開業した女性とその波紋を描く人間ドラマ『マイ・ブックショップ』が3月09日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA他にて全国順次公開されます。
CONTENTS
映画『マイ・ブックショップ』のあらすじ
1959年、イギリスの小さな海辺の町。
夫を戦争で亡くして以来、悲しみに暮れてきたフローレンスは、ある時、自分のなすべきことを悟ります。
本を愛し、読後の余韻に浸りながら散歩をするのも好きな彼女は、本屋が一軒もない町に本屋を作ることに決めたのです。それは夫とともに夢見ていたことでした。
長い間空き家になっていた「OLD HOUSE」というお屋敷を買い、準備を始めたフローレンスは、ある日、町の有力者であるガマート婦人のパーティーに招かれます。
ガマート婦人は「OLD HOUSE」を文化センターにしたいと考えていました。彼女は暗にフローレンスに本屋を開くのをやめて、「OLD HOUSE」を自分に譲るようにほのめかしますが、何ヶ月も迷って決断したことをフローレンスは諦める気はありませんでした。
ついに「THE OLD HOUSE BOOKSHOP」がオープンしました。最初のお客様は、40年以上も自宅に引きこもっている読書家、ブランディッシュです。
彼は町に本屋が出来たことを喜び、おすすめの小説を届けてほしいと手紙で伝えてきました。
本屋は繁盛し、商売はすぐ軌道に乗りました。ギッピング家の三女、クリスティーンが店を手伝ってくれ、少年ウオーリーが配達を引き受けてくれました。
その様子を苦々しく見つめている人物がいました。ガマート婦人です。彼女はOLD HOUSEを文化センターにすることを諦めていませんでした。
ガマート婦人はさまざまな方法で妨害を行い、次第に店の経営は苦しくなっていきます。
本を通じてフローレンスと心を通わせたブランディッシュは、ガマート婦人と話をしてみると言い、出かけていきますが・・・。
映画『マイ・ブックショップ』の感想と評価
原作者ペネロピ・フィッツジェラルドとは
ペネロピ・フィッツジェラルド(Penelope Fitzgerald)は、1916年生まれの英国を代表する作家、詩人です。
映画の原作『The Book Shop』など3作品が英国の権威ある文学賞、ブッカー賞にノミネートされ、1979年に『テムズ河の人々』で受賞を果たしました。
『テムズ河の人々』はロンドン・テムズ河に停泊するハウスボートで暮らす人々の日常を綴った作品で、日本では晶文社から出版されていますが、残念ながら現在は絶版となっています。
1997年には『The Blue Flower』(1995)で全米批評家協会賞を受賞しています。
ペネロピ・フィッツジェラルドはオックスフォードのサマーヴィル・カレッジを卒業。戦時中はBBCに勤務し、書店経営をしていたこともあるそうです。
映画『マイ・ブックショップ』にはBBC勤務の男性が登場しますし、作品にはそうした作家の実体験が色濃く反映されているものと推測されます。
尚、3月には映画の原作の翻訳書『マイ・ブックショップ』(ハーパーコリンズ・ジャパン/山本やよい訳)が刊行される予定です。
誰もが魅了される「OLD HOUSE BOOKSHOP」
映画のタイトルが出たあと、画面には一人の少女がスキップしながら楽しそうに町を行く姿が映し出されます。
何気ないけれど厳かで品のある町並が目をひきます。イギリス、イーストアングリアあたりのとある町という設定ですが、実際は北アイルランドで撮影されたそうです。1950年代の雰囲気を再現するのに最適だったのでしょう。
古めかしくて大き過ぎるように見える「OLD HOUSE」がどんな書店になるのだろう?と注目していると、ボーイスカウトの少年たちが本棚を組み立ててくれる愛らしい展開に。
フローレンスが部屋の中央に本を平積みにするためのテーブルを用意している場面で、これはいい本屋になるに違いないと確信しました。
さらに「OLD HOUSE BOOKSHOP」という看板がかかった店構えには、誰もが「素敵!」と心の中で叫びたくなるに違いありません。
本好きは、映画の中に登場する本にも敏感なものですが、ここでは次々に本のタイトルが出てくるので、必死で目を凝らすことになります。
とりわけ重要な作品として登場するのが、レイ・ブラッドベリが1953年に発表した『華氏451度』(Fahrenheit 451)とウラジーミル・ナバコフが1955年に発表した『ロリータ』(Lolita)です。
最初におすすめ本として『華氏451度』を届けられた引きこもりの老人ブランディッシュは、すっかりブラッドベリに夢中になり、もっと彼の作品を送って欲しいとフローレンスに手紙を送ります。
そこでフローレンスはブラッドベリの『火星年代記』(The Martian Chronicles)を送ります。
さらに『たんぽぽのお酒』(Dandelion Wine)の表紙をフローレンスが見つめるシーンもでてきます。また、最後まで観終えると『華氏451度』の存在の意味が見えてきます。
こうした書物は、全て初版本と思われ、1950年代の書物が店頭に並んでいる光景に惚れ惚れしてしまいます。麗しい本の装幀を堪能できるのもこの映画の魅力の一つといっていいでしょう。
中にはハウツー本のようなものもあるのですが、それもこのお店にぴったりの洒落たデザインで、フローレンスの趣味の良さが現れています。
冒頭スキップをしていた少女、クリスティーンが、お店を手伝うことになり、フローレンスと息もぴったりの仲になっていく展開にも温かな気持ちにさせられます。
本屋っていいなぁと改めて実感するのです。
滅ぼす者と滅ばされる者
こんな調子で、本屋営業の機微を描くほのぼのした物語が続くのだろうと思っていたのですが、中盤くらいから、様相が変わってきます。
「世の中には滅ぼす者と滅ばされる者がいる」というナレーションが入るように、人の成功を認められない人、常に勝たないと気がすまないという人が存在するのです。
町の有力者のガマート婦人は、OLD HOUSEを本気でアートセンターにしたいわけではなくて、自分の物にしたいだけなのです。
もし、フローレンスが購入していなかったら彼女はOLD HOUSEをあれほど欲しがったでしょうか?
ブランディッシュも「ガマート婦人のような人のせいで私はこうなってしまった」と告白しています。
ナバコフの『ロリータ』が出てきたときには、ガマート婦人は、不道徳だという偏見を振りかざして、邪魔だてするだろうと予測したのですが、違っていました。
本に人が群がって通行に支障をきたすだなんて理由をあげるのです。自分が教養人であるという対面は保ちたいのでしょう。こういうしたたかさがジワリとヒロインを追い詰めていきます。
人のものを奪いたくなる人、自分が欲しいと思ったものはどんな手段を使ってでも手に入れなければ気の済まない人、プライドを傷つけられたらやり返さずにはいられない人、そのために権力を振りかざすガマート婦人のような人はどの時代にもいます。
また、美しい田舎町の人間が皆、親切で善良とは限らないのです。銀行員や弁護士は情の一欠片もないような俗物に描かれています。人々は保身に走り、出る杭は打たれてしまいます。
映画は、人生の無情、理不尽さを静かに淡々と語っていきます。
しかしこの作品には一つの大胆な仕掛けがあります。それが明らかになるとき、人生の本当に大切なものは何か、人を揺り動かすものはなんなのかということが明かされます。
まっとうに生きることにはどういう意味があるのか、そんな深淵なテーマが本作には流れているのです。
まとめ
主人公のフローレンスを演じるのは『メリー・ポピンズ リターンズ』(2018/ロブ・マーシャル)、『ベロニカとの記憶』(2017/リテーシュ・バトラ)のエミリー・モーティマーです。
ブランディッシュにはイギリスの名優ビル・ナイが扮しています。フローレンスとブランディッシュが書物を通じて互いをリスペクトする関係性が美しい余韻を残します。
ガマート婦人には、本作の監督、イザベル・コイシェの2014年の作品『しあわせへのまわり道』(2014)で主演しているパトリシア・クラークソンが扮しています。
上品な顔をしてじわじわと人を追い詰めていく様は思わず身震いしてしまうほどの名演です。
監督のイザベル・コイシェは『しあわせへのまわり道』の他にも『死ぬまでにしたい10のこと』(2002)、『あなたになら言える秘密のこと』(2005)などで知られる実力派女性監督。2015年には権威あるフランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受賞しています。
本作は、2018年ゴヤ賞12部門ノミネート3部門(作品賞・監督賞・脚色賞)受賞、2018年ガウディ賞12部門ノミネート2部門(美術賞・作曲賞)受賞、2018年Cinema Writers Circle Awards,Spain作品賞・監督賞・脚色賞・撮影賞・助演男優賞受賞、2018年ベルリン国政映画祭ベルリナーレ・スペシャル部門出品など、数々の映画祭で高い評価を得ています。
『マイ・ブックショップ』は、3月09日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA他にて全国順次公開されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
次回の銀幕の月光遊戯は、2019年3月08日(金)公開のポール・フェイグ監督『シンプル・フィーバー』を取り上げる予定です。
お楽しみに!