FILMINK-vol.31「Timothy Spall: The Beauty in Bleakness」
オーストラリアの映画サイト「FILMINK」が配信したコンテンツから「Cinemarche」が連携して海外の映画情報をお届けいたします。
今回お届けするのは、イギリスの実在の画家ローレンス・スティーヴン・ラウリーの伝記的映画『Mrs Lowry & Son』(2019)にてラウリーを演じたティモシー・スポールへのインタビューです。
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CONTENTS
俳優ティモシー・スポールについて
画家としての顔も持つ俳優ティモシー・スポールは、『Mrs Lowry & Son』(2019)にて英国の文化的人物の役を引き受けました。
ティモシー・スポールは彼のユニークなアプローチと緻密な研究とを組み合わせ、キャラクターの肌の下まで注意深く表現し、描写し、体現するために、洗練されたパフォーマンスのキャリアを築いています。
スポールは40年以上にわたり『ライフ・イズ・スイート』(1990)や『秘密と嘘』(1996)などで、市井の人物の複雑な姿をアートに昇華させてきました。
画像:『ターナー、光に愛を求めて』より
2014年、スポールはマイク・リー監督による『ターナー、光に愛を求めて』で、奇妙な風景画家として知られるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーを演じました。映画を作る前に研究と制作の一環として出演者は、撮影前に3年間ペインティングに取り組むことをリーに任されていました。
スポールはいつも一見“そんなに複雑ではない”退屈に感じられるキャラクターを繊細に演じ続けています。
そんなスポールは本作『Mrs Lowry & Son』にてキャンバスの前に戻り、イギリスの画家ローレンス・スティーヴン・ラウリーを演じます。
演出家、劇場監督であるエイドリアン・ノーブルが手がけた『Mrs Lowry & Son』は、誤解され苦しみ続けた職人の姿を描きます。
ラウリーは他のすべての人間関係をないがしろにするほど母親と複雑な共依存の関係にありました。そして彼の作品は長い間正当な評価を得ることができず、批評家たちが奇妙で詩的な絵画を再評価し始めたのはラウリーの晩年のことでした。
スポールと共に出演するのは、『肉体の悪魔』(1971)『ジュリア』(1977)『アガサ 愛の失踪事件』(1979)などのイギリスの名女優ヴァネッサ・レッドグレイヴ。レッドグレイヴとの共演で生み出された本作は、スポール自身と彼が演じてきた素晴らしいキャラクターたちにとって一つの沸点となりました。
本作での役作りについて
FILMINKはスポールに、演技に込めた人間性、なぜ誤解され続けた画家を演じたのか、また“スーパーマーケットですれ違うタイプ”のキャラクターを映画に昇華させることについて話を伺いました。
──あなたはキャリアの中で複雑で多様なキャラクターを多く演じてきました。『Mrs Lowry & Son』で、母と息子二人の関係において一番最初に注目し、興味を持った点は何ですか?この物語のどこに注目しましたか?
ティモシー・スポール(以下スポール):この映画のスクリプトは非常に私を惹きつけました、特にこの非常にユニークで親密な親子の関係が。倒錯的であり、それでも愛がある関係です。
役作りに当たって私はラウリーの作品を見、母との関係が作品にどのように影響を及ぼしたか研究しました。そこには奇妙な人々の世界というだけでなくそれ以上のものがありました。
ラウリーと彼の母の関係に取り組むほど、作品には大きな緊張感があることに気がつきました。彼は誰かのあらゆるニーズにとらわれ、誰かを喜ばせる人間であれと育てられた男です。
ラウリーは母を喜ばせたいだけで、彼の人生は親密な人々から影響を受けているわけではありません。
ラウリーが彼の作品でチャンスを得ようとしている、そんな人生の地点に二人のキャラクターはいます。またそれが問題を引き起こすことも彼は知っています。
母は彼を捕らえておくことに成功し、また彼も彼自身が母と同じくらい彼女に依存していることを知っていたんです。
母とラウリーの関係
──ヴァネッサ・レッドグレイヴ演じる母とラウリー、互いを捕らえた切っても切れない相互依存、強迫観念、恨みがましい関係ですね。
スポール:それはどんな家族にも起こり得ることだと思います。人生の中でひどい降下や上昇を共に経験することになるのは、最も互いを知っている相手です。もしかするとその誰かを殺したいと思うかもしれません。
献身的に誰かを介護をしてきた人々についてもたくさんの例が挙げられます。誰かの世話をしているからとあってそこに感謝があるとは限りません。その人はその人自身の犠牲者であるのです。
また誰かがあなたの世話をしているからといって、その人があなたのことを好きというわけでもありません。それは誰かとあなたの関係の一つの要因であり、誰かはとても気遣っているという事実です。
ラウリーの母は、虐待的で愛情深い方法で彼を崇拝しています。しかしラウリーは母を少し恥ずかしく思っています。
母はラウリーを精神的に追い込みコントロールしており、彼もまたそんな彼女のやり方に慣れているのです。それが彼にとっては自然で本物の状態でした。
ラウリーにはその状態をジャッジしてくれる他の母親も妻もいません。このような行動、生活を判断するような親密な関係を築いて来なかったんです。それが物語の最も興味深いところだと思います。
虐待的な老婦人と画家のような存在は非常に緊密で複雑な関係でした。映画は彼らの双方向の道について、情熱を追求する彼の決意について、彼が本当に望んでいた、母親に彼の芸術を理解してもらおうとする試みについてを描いています。母は理解などしないのですが。
映画の終わり、母はラウリーに絵画を全て焼き尽くせと駆り立てます。そして母が死んだ後、彼は成功の道を歩み始めました。
人物の背景を理解すること
──母エリザベスについて、怪物のようなキャラクターではあるものの、理解はできる、彼女はかつて彼女自身の願望を持っていたと仰いました。キャラクターの内部に入り込み共感を探すのは役作りの一環ですか?
スポール:人の基盤は同じだと考えて。優しさ、素晴らしさ、美しさを軸にしている人も悪質で厄介な人間も。ヒトラーやネルソン・マンデラもね。二人とも赤ちゃんとして誰かの腕に抱かれていたこともあるのですから。
かつては空白のページであった彼らもゆっくりと、しかし確実に生活の中で起こることに影響を受けて誰もが知る彼らの姿になりました。『ヒトラー ~最期の12日間~』(2004)でブルーノ・ガンツが演じたヒトラーを見ると、少し彼が気の毒な人間に思えてくる部分もあります。それは人間として本当に重要なことです。
演技するにあたっては、敵や悪の性質を理解し、それを打ち消す方法を理解することが根本です。演技というのは、過去や物語の中で起こった全てのとんでもないことに対する精神的な浄化法ではありません。
それはストーリーテリングの一部です。役者として、難しいキャラクターを演じることでこれらのことを学ぶことがあります。
今は世界的に分裂が進んでい時代です。私たちは「何かを抹殺しなければならない」というのではなく、誰が、何がどこからやってきたものなのか理解することがますます重要になっています。人々の背景を理解することが大事なんです。
啓蒙するわけではなく、純粋なエンターテイメントの価値についての話ですが、映画やドラマ内でのストーリーテリングは時に非常に騒々しく混乱した怒りに満ちていて、興奮させるようなイメージを提供しますから、ヒューマニティを探すのが難しいことがあります。
年をとるにつれて、人生は複雑で曖昧なことがたくさんあり、あらゆる瞬間に何千もの異なる層が存在することを実感します。演技はプレゼンテーションと、成していることへの感謝を望むことが奇妙に混じり合ったものです。
自分の演技は自分のためではなく、観客のために。そのエネルギーのすべてが、信頼する人々に向けられています。
ラウリーの絵画に込められたもの
──ラウリーに対する考え方は、調べるにつれて変化しましたか?
スポール:以前から彼が好きでした。撮影の前に、レストランやらアウトレットやら詰まったマンチェスターの施設にあるラウリー・センターというギャラリーに行きました。彼の作品に対する敬意が満ち溢れたギャラリーです。
そこで彼の絵をじっと見つめて一日中過ごし、それらを“鑑賞”し続けました。見続けて彼について思考するうちに、彼に関するいくつかの物事がわかり、彼が探求してきた物事を感じられました。
そうして研究が終わろうという時には、私はラウリーを本当に素晴らしい人だと改めて思い、大好きになったんです。
本作はエディンバラ映画祭で上映されました。ラウリー・センターの近くにある、1700人を収容できる会場は満席。映画の後には1000人がギャラリーに直行し、彼の絵画を鑑賞していたんですよ。
まさにそれは映画に求めるものです。ちなみにそのギャラリーには、ティモシー・スポールという人物の絵画もいくつかありますよ。
──ラウリーの絵画は一見シンプルで素朴なように思えますが、その下には複雑で疎外感をはらむ要素という、型破りでユニークなスタイルがあります。ラウリーの作品は、彼というキャラクターの難しさと、物語のややこしさをつかむのに役立ちましたか?
スポール:彼の作品をよく見ると、それについての“何か”があります。多くの人はそれが具象的でないということを知りません。ラウリーはその場所に行ってすぐペイントする、というスタイルではありませんでした。
彼の作品は多くの物事が混ぜ合わされているのです。彼は自分の心から浮かび上がる情景をスケッチしました。ラウリーの絵画は彼の心の瞳によってもたらされたものなのです。
ラウリーは彼の環境や自身が何であるかを感じ、彼自身の感情を通して絵画のなかに自らが“発明した”風景を描いたのです。ですから、私は彼の絵画は自画像だと考えています。
同じく自画像を一枚だけ製作した風景画家ターナーを想起するかもしれませんが、ラウリーにとって自画像は風景そのものです。美しい自然や恐ろしさ、畏怖するような気高さが彼の作品にはあります。
ラウリーの絵画を見ると詩的で、奇妙で、不穏な何かの併置への理解をすると思います。そこには、ちっぽけで奇妙な数字とともに崩壊しつつある産業の建物や彼の人間への理解、機械産業に縛られた人々や機械に変えられてしまった人間についての何か、があるんです。
それに、寂しさに対するメランコリーな理解と、私が大好きな憂鬱な美しさも。私は美しさがありながらも、彼の絵画の非常に非常に醜い感覚で並べられた建築が大好きです。それが彼の独創性でしょう。
ヴァネッサ・レッドグレイヴとの共演
──ヴァネッサ・レッドグレイヴとの共演はいかがでしたか?また演技プロセスは異なっていましたか?
スポール:様々な異なるものがありました。彼女は現在80代ですが、演技をすることに対して炎のような情熱を持っています。一緒に仕事をするのは、旅にともに出発するのは素晴らしい感覚でした。
私たちは互いのプロセスに適応する必要がありました。毎日シーンを演じ、思索し、二人が同じ場所に存在できているか確認しあったんです。その挑戦が、真実を求めるの旅のようで、とても素晴らしかった。
ヴァネッサは、自分が関係しているシーンから感情が浮かび上がっていない限り何もできないと言います。それは私独自の方法でもあります。
すから私たち二人も、監督もクルーも、自分たちは進むごとに進化する作品を作ろうと取り組んでいたんです。挑戦的でしたがとても充実していました。
平凡に見える人間の中のドラマ性
──あなたはラウリーを、平凡な人物のように見えるとおっしゃっていました。『Billy Liar』(1963)のトム・コートネイや『土曜の夜と日曜の朝』(1960)のアルバート・フィニーなど、郊外の労働者階級のキャラクターを演じた俳優たちの影響はありますか?
スポール:ええ。『Billy Liar』は大好きな作品です。役者の出身は関係ありません。英国最高の俳優であるアルバート・フィニーやアンソニー・ホプキンズは労働者階級です。
現代の騎士、人々が上流階級だと思っているローレンス・オリヴィエやデレク・ジャコビなど、多くはイーストエンド・オブ・ロンドン出身で、サー・イアン・マッケランはウィガン出身です。洒落た役を演じるからといって、全員が上流階級出身のわけではありません。
アーティストも同じです。ターナーは理髪師の息子でした。芸術の素晴らしいところは、広い教会のように開かれているところです。その世界に飛び込めば伯爵や郵便配達員や、私のような理髪師の息子と働くことができる。この世界は実力主義で、出身ではなく何をするかで判断されます。
──ラウリーは控えめな男のように思えますがその下にはたくさんの複雑さや矛盾があります。一見わかりやすいと思える個人は、その中に豊かな物語を持っているんでしょうか?
スポール:もちろんです。ラウリーは平凡な人間ではありません。
例えば、マイク・リー監督は、通常は見過ごされている人々に舞台を置きます。ですから彼はスーパーマーケットですれ違うだけのようなキャラクターが登場する単純な物語を『人生は、時々晴れ』(2002)や『秘密と嘘』(1996)のような深遠なものにすることができるんです。
リー監督は、普通の生活をまるでロイヤルファミリーの日常のように面白くしてくれます。平凡と思われている人も、彼ら自身の物語のキングとクイーンです。彼らがキングであろうと、ただの軟弱な人間であろうとドラマ化することができます。
今後の俳優業は
──次に取り組んでいることを教えてください。
スポール:『しあわせへのまわり道』(2014)や『エレジー』(2008)の監督イザベル・コイシェと来年早々に映画を作る予定です。彼女は面白い人物です。
次回作『The Last Bus』の撮影で『秘密と嘘』で共演したフィリス・ローガンとグラスゴーで仕事し、それからバルセロナに旅立ち、イザベラと一緒にスペインのベニドルムに行き撮影を始めるつもりです。
ベニドルムはスペインの南海岸にある奇妙な場所です。80年前は漁村だったのですが、今では狂気と喜びの大きな町となりました。
ベニドルムでは、冒険を見つけた男の興味深い物語を作れるんじゃないかと考えています。ペドロ・アルモドバルの一派が作ってくれると信じています。この世界の重要な物語になるでしょう。
FILMINK【Timothy Spall: The Beauty in Bleakness】
英文記事/Anthony Frajman
翻訳/Moeka Kotaki
監修/Natsuko Yakumaru(Cinemarche)
英文記事所有/Dov Kornits(FilmInk)www.filmink.com.au
*本記事はオーストラリアにある出版社「FILMINK」のサイト掲載された英文記事を、Cinemarcheが翻訳掲載の権利を契約し、再構成したものです。本記事の無断使用や転写は一切禁止です。
映画『Mrs Lowry & Son』の作品情報
【製作】
2019年(イギリス映画)
【日本公開】
未定
【原題】
Mrs Lowry & Son
【監督】
エイドリアン・ノーブル
【キャスト】
ティモシー・スポール、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、スティーヴン・ロード、ウェンディ・モーガン
映画『Mrs Lowry & Son』のあらすじ
イギリスの画家、ローレンス・スティーヴン・ラウリーは、母親エリザベスが亡くなるまで一緒に暮らしていました。
精神を病み寝たきりのエリザベスは、ラウリーに依存し、彼の画家としての活動を阻み…。