連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第84回
今回紹介するのは、2024年7月5日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開される『ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ』。
元ドラマーのピート・ベストらメジャーデビュー前のバンドの姿を知る関係者のインタビューや、当時の映像を交えながらザ・ビートルズの創生期を回想します。
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CONTENTS
映画『ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ』の作品情報
【日本公開】
2024年(イギリス映画)
【原題】
The Beatles: Up Close and Personal
【製作・監督・脚本】
ボブ・カラザーズ
【キャスト】
アラン・ウィリアムズ、ピート・ベスト、アンディ・ホワイト、トニー・ブラムウェル、ノーマン・スミス、アラン・クレイン
【作品概要】
ビートルズが世界的ロックバンドとして成功するまでの軌跡を振り返った、2008年製作のドキュメンタリー。
初代マネージャーのアラン・ウィリアムズ、メジャーデビュー前のドラマーを務めたピート・ベストといった活動初期の彼らをよく知る人物たちの証言で綴られます。
製作・監督・脚本を、数多くの音楽ドキュメンタリーやCD制作を手掛け、「Dinosaurs Myths & Reality(恐竜の神話と現実)」(1995)でエミー賞を受賞したボブ・カラザーズが手がけます。
映画『ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ』のあらすじ
1970年の解散後も、時代を超えて世界中で愛される伝説のロックバンド、ザ・ビートルズ。
メジャーデビュー前は地元リヴァプールで演奏する小さなコピーバンドだった彼らは、初代マネージャーとなるアラン・ウィリアムズと出会い、ドイツ・ハンブルグでの演奏活動、メンバーの脱退と加入を経て、62年にメジャーデビューを果たすと瞬く間に人気を獲得していきます。
デビュー直前に突然解雇されたドラマーのピート・ベストが当時を詳細に語るほか、アランら関係者の証言や、当時のテレビ番組のパフォーマンス映像やコンサート映像などを交えつつ、彼らがスターダムを上りつめていった軌跡をたどります。
あらためて明かされるザ・ビートルズの創生期
数多くの名曲を生み出し、数えきれないフォロワーを生んだザ・ビートルズ。間違いなく世界最高のロックバンドと称される彼らは、イギリスの港町リヴァプールで産声を上げました。
本作『ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ』は、そのリヴァプール時代をよく知る関係者たちのインタビューを元に、ビートルズの創生期を明かしていきます。
序盤では、リヴァプールのクラブ「ジャカランダ」のオーナーだったアラン・ウィリアムズが登場。ジョン・レノンと初期メンバーでベーシストのスチュアート・サトクリフからマネージメントを依頼され、ザ・ビートルズというバンド名を「変な名前だ」として、ザ・シルバー・ビートルズ名義で演奏させたといったエピソードを語ります。
1960~61年にウィリアムズがマネージメントしたハンブルク巡業に向けて、固定のドラマーが必要と考えたメンバーはオーディションを開始。そこで選ばれたのがピート・ベストでした。
「ハンブルクからリヴァプールに帰って来たら敵なし」状態のビートルズは、瞬く間に港町のライブハウスを席捲。「素晴らしいソングライターだった」とピートが述懐するジョンとポール・マッカートニーの書く曲がレコード会社の耳に止まり、当時英国最大のレコード会社だったデッカ・レコードのオーディションに臨むこととなります。
ベスト・ドラマーはザ・ビートルズに不要?
後半では、そのオーディションが上手く行かなかったのを転機とするメンバー交代劇に迫ります。
画家の道に進むために自らバンドを脱退したスチュアートに対し、ピートはバンドを解雇させられることに。ピート自身の見解、関係者側からの分析、さらにはジョン、ポール、ジョージ・ハリスンが語ったとされる理由など、解雇に至る事情はさまざま。
さらには、ピートに代わって加入したリンゴ・スターを交えてのデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」のレコーディング時のエピソードも触れており、ある理由からリンゴではなくアンディ・ホワイトが叩くことになる経緯も明らかに。
ジョンが語ったという、「ピートはベスト・ドラマーで、リンゴはグレート・ビートルだ」が意味することとは? メジャーデビューの際の紆余曲折が伺えます。
本作が製作されたのは2008年。それから約16年経ち、アランやアンディなど一部出演者はすでに他界しています。解散して50年以上経ってもなお、映画やドラマ、書籍などで論じられ、その都度新たな事実や評伝も出るほど。
“5人目のビートルズ”は誰か?と問われれば、ピート、スチュアート、アンディといった直接バンドに携わった人物や、後年に行われた「ゲット・バック・セッション」で多大なるサポートをしたビリー・プレストンを挙げる人もいるでしょうし(ゲット・バック・セッションについては2021年製作の『ザ・ビートルズ:Get Back』に詳しい)、プロデューサーのジョージ・マーティンこそが5人目とする声もあります。
証言者によって起きた事実が変われば、時が経てば当時の記憶も上書きされるもの。そもそも当のビートルズメンバーの発言も、発した時代や状況によって整合性が合わなかったりします。
ただ、メンバーの周辺人物までもが映画の主人公になり、レコーディング日の詳細データも公になっていて、生家までもが歴史的建造物として保存されるバンドは、ザ・ビートルズが唯一無二と断言しても過言ではないでしょう。
世界的ブレイクを果たして、さまざまな伝説と記録を残してきたビートルたちを知っている人も、『ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ』で、彼らのはじまりのはじまりとなるリヴァプール時代にゲット・バックしてはいかがでしょうか。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』もお楽しみに。
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松平光冬プロフィール
テレビ番組の放送作家・企画リサーチャーとしてドキュメンタリー番組やバラエティを中心に担当。主に『ガイアの夜明け』『ルビコンの決断』『クイズ雑学王』などに携わる。
ウェブニュースのライターとしても活動し、『fumufumu news(フムニュー)』等で執筆。Cinemarcheでは新作レビューのほか、連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』『すべてはアクションから始まる』を担当。(@PUJ920219)