連載コラム「映画と美流百科」第3回
今回ご紹介するのは、ドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』(2018/日本)です。
フジコさんは才能を認められながらも、世に出るチャンスが訪れるたびにアクシデントに見まわれ、辛酸をなめた末にデビューしたのは60代になってから。
1999年のNHKのドキュメンタリー番組がきっかけで広く知られるようになりましたが、それから約20年が経過した現在のフジコさんの姿を描こうと企画されたのが本作です。
CONTENTS
映画『フジコ・ヘミングの時間』の鑑賞ポイント
魅力的なキャラクター
小松莊一良監督がこの映画を撮ろうと思ったのは、廊下ですれ違った初対面のフジコさんが顔をそらし、はにかんだのがきっかけだったとか。その人間性に興味を持ったのだそうです。
おしゃれが大好きでいくつになっても可愛らしい少女のような笑顔や、困難にぶつかってもそれを受け入れ夢を失わなかった強さ、友人だけでなく見知らぬ貧しい人にも向けられるあたたかい眼差しなど、多面的な魅力にあふれた人物像を知ることができます。
「この映画はありのままの姿を映しているので、私が死んでから発表して欲しいと思うくらい恥ずかしい」とフジコさんは笑って語ったそうですが、その時の表情も目に浮かぶようです。
世界を飛び回る暮らしぶり
本作はワールドツアーで世界を飛び回るフジコさんに、2年以上に渡って密着して撮影されました。
その間ツアーで訪れたのは、実に10ヶ国以上。ホテル暮らしが苦手というフジコさんは、世界各国に家を持ちます。
生活の基盤であるパリのアパルトマン、母から引き継いだ東京の一軒家、宮大工に手を入れてもらった京都の町屋。
その他にも、ベルリン留学時代の下宿の地下室を買い取っていたり、サンタモニカに別荘を持っていたり。
古いものを集めインテリアに凝るのが好きなフジコさんが少しずつ整えた、個性的な美意識に彩られた部屋はずっと眺めていたいと思うほど素敵で、愛猫や愛犬たちとの暮らしぶりには頬がゆるみます。
両親の面影
画家・建築家であったスウェーデン人の父親と、日本人ピアニストの母親との間に、ベルリンで生まれたフジコさん。
その後、一家で東京に移り住みますが、5歳の時に父親だけがスウェーデンに帰ってしまいます。
そしてそれ以降、彼と再会することは叶いませんでした。
すでに両親がいなくなった今、思い出のカケラを拾い集めるかのようなフジコさんの姿をカメラは追います。
ドイツの生家や、父が描いたポスターの原画を見に行ったり、母が残したピアノを修理したり。
母親に厳しくピアノを指導され泣いて抵抗したという数々のエピソードが語られていますが、その様子は絵日記にも書かれており朗読で紹介されています。
くすりと笑わせるウィットに富んだ14歳の文章には、現在のフジコさんの片鱗がすでにありました。
この絵日記は『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』と題して発売されていますので、気になった方はお手に取ってみてください。
映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』との比較考察
真逆のキャリアを持つシーモア・バーンスタイン
“遅咲きのシンデレラ”といわれるフジコ・ヘミングは60代になってからデビューを果たしましたが、それとは対照的にピアニストとして名声を得ていたにも関わらず、人気絶頂の50歳で表舞台から引退したのがシーモア・バーンスタインです。
フジコさんはデビュー前、ヨーロッパ各地や日本でピアノ教師として生計を立てていましたが、シーモアさんは引退してから約40年間、現在もピアノ教師として活躍しています。
そんなシーモアさんの生活に密着したドキュメンタリー映画が、『シーモアさんと、大人のための人生入門』(2014/アメリカ)です。
人生と音楽
『シーモアさんと、大人のための人生入門』を監督しているのは、俳優でもあるイーサン・ホーク。
彼は40代に入り人生の折り返し地点に差しかかった時、仕事や生き方に行き詰まりを感じていましたが、シーモアさんと話すうちに安心感に包まれ救われたといいます。
それがこの映画を撮るきっかけになったのです。
シーモアさんのレッスンやピアノ選びの風景からは、曲の解釈や音の出し方など音楽の繊細さや奥深さをうかがうことができます。
しかし、それ以上に伝わってくるのは、人生と音楽は決して切り離せず、相互に作用するものであるという考えです。
この考えは、フジコさんが彼女の代名詞ともいうべき曲『ラ・カンパネラ』を「日々の行いが表れる曲」と形容するのにも通じます。
フジコさんとシーモアさんの共通点
『フジコ・ヘミングの時間』と『シーモアさんと、大人のための人生入門』のどちらを観ても引き込まれるのは、二人のゆっくりとした穏やかな話し方です。
もう老人と呼ばれる年齢だからと一言で片づけるのは簡単ですが、それは壁を作らずに自分をさらけ出せるしなやかな強さがあるからこその結果ではないでしょうか。
そして戦争も含め、決して平坦ではなかった人生を送ってきた二人の発する言葉には、迷いがありません。きっとあなたにも、人生の指針となるような心に響く言葉が見つかることでしょう。
どちらもじんわりと心があたたかくなる、余韻を大切に味わいたい映画です。
まとめ
映画を観終わってからしばらくは、ピアノの音色が耳に残って、もっとじっくり演奏を聴きたいと思う方が多いのではないかと想像します。
今年2018年は、まだフジコさんの生演奏を聴くチャンスがあります。11月から12月にかけて、日本でのコンサートツアーが予定されているので、ぜひチェックしてみてください。
スタートするのは、この度の西日本豪雨で被害のあった広島・三原市から。偶然とはいえ、この地から始まるのは何かに導かれているようにさえ思える、というのは言い過ぎでしょうか。
慈愛に満ちたフジコさんのピアノが、いつの日も誰かの光となりますようにと願って止みません。
次回の『映画と美流百科』は…
次回は、8月4日から公開中の『バンクシーを盗んだ男』をご紹介します。
クラシック音楽の世界から、ストリートアートへと視線を移してみましょう。
お楽しみに!