連載コラム「アジアン電影影戯」第2回
今回は、2019年3月23日(土)より新宿K’s cinemaにて公開されるベトナム映画『ベトナムを懐(おも)う』を取りあげます。
急速な経済発展を遂げているベトナム社会主義共和国では、人々の生活水準が向上し、家計の娯楽費も増えています。
市場規模が拡大するベトナム映画の製作本数はますます伸びる一方。
そうした折に製作された本作『ベトナムを懐う』は、忘れられていくベトナムの過去の歴史にスポットを当てた感動作です。
ベトナム商業映画のヒットメーカーであるグエン・クアン・ズン監督が今改めて描く“郷愁の心”とはどのようなものなのでしょうか。
映画『ベトナムを懐う』の作品情報
【公開】
2019年(ベトナム映画)
【監督】
グエン・クアン・ズン
【キャスト】
ホアイ・リン、チー・タイ、ゴック・ヒエップ、ディン・ヒウ、ジョニー・バン・トラン、トリッシュ・レ、タイン・ミー、チョン・カン、オアイン・キウ
【作品概要】
ベトナムで1994年に初演された人気舞台の映画化。監督は『超人X』(2014)や『輝ける日々に』(2018)で有名なベトナム映画界のヒットメーカー、グエン・クアン・ズン。
ベトナムの悲惨な歴史を背景に、3世代間の心のすれ違いを克明に描き出します。
映画『ベトナムを懐う』のあらすじ
時は1995年のニューヨーク。
雪道を一人彷徨い歩くトゥーは、息子グエンと孫娘タムが住むアパートに辿り着きます。
ベトナムからニューヨークにやって来て1年たらず、英語もろくに話せず、遠い異国の地にあっても故郷の伝統と慣習を家族たちに押し付けようとするトゥー。
アメリカ育ちのタムはトゥーの古い考え方が理解出来ず、2人の心はすれ違うばかり。
タムが彼氏のために作った誕生日ケーキを、トゥーが勝手に亡き祖母の命日の供物にしてしまったことから、ついに衝突してしまいます。
孫の心ない言葉に打ち拉がれたトゥーは親友のナムと一緒にアパートを後にします。
そこへ帰ってきた父グエンから初めてアメリカ移住の経緯を聞かされたタムは、トゥーへの理解を示していくのでした。
ベトナム映画の変遷
この映画について理解を深めるために、まずベトナム映画の歴史を把握しておく必要があるでしょう。
周知のように、南ベトナム政府軍と南ベトナム解放民族戦線の間で勃発した内戦であるベトナム戦争は、泥沼化の果てにアメリカ軍が撤兵し、1973年に終結しました。
1975年に解放民族戦線が南ベトナムの首都サイゴンを攻略し、翌年南北統一選挙が行われ、現在のベトナム社会主義共和国が建国されました。
首都ハノイには映画局が設置され、国営の映画製作はベトナム映画界の中心を占めていきます。
当然、資本主義体制の下に製作された旧南ベトナムの商業映画は完全に排除されることになりました。
ところが、1986年のドイモイ(刷新)政策によって対外開放路線を打ち出し始めると、資本主義諸国の外国映画がベトナム国内で上映されるようになります。
すると今度はベトナム映画の製作本数が激減。
これはマズいということで、政府は2002年に規制緩和を図り、民間の映画会社の設立を促しました。
旧南ベトナムでかつて盛んだった商業映画も息を吹き返し、ベトナム映画界全体が活気を取り戻していくのです。
こうした転換の中で頭角を現すのが本作の監督であるグエン・クアン・ズンでした。
彼は、国民映画の脚本家として有名だった父親と違い、商業映画の地盤からキャリアをスタートさせた人物です。
祖父と孫の葛藤
本作で描かれる世代間のギャップと葛藤は、ベトナムの歴史の根深さを感じさせます。
人は、絶えず過去を抱えながら現在を生きているものです。
ところがアメリカ育ちの孫娘タムには故郷に対するリアリティがほとんどありません。
言わば彼女の人生からは過去そのものがそっくり抜け落ちていしまっているのです。
過去の記憶に依拠しない若い世代の言動をみたトゥーは動揺を隠せません。
しかしこれが現実の感覚なのです。
遠くニューヨークまでやって来ても故郷の伝統と慣習を守ろうとする祖父の頑な態度にタムは恐怖すら覚えます。
世代間の溝は一向に埋まらず、孫から祖父に対する不信感も募るばかりです。
孫娘タムが感じる違和感と理解
ではトゥーがタムに繰り返し言って聞かせようとする“クエフン”とは一体何でしょうか。
ベトナム語で“故郷”を意味するその言葉にタムは違和感を覚えずにはいられません。
タムにとって故郷の地は完全に“外国”なのです。
さらにタムが苦々しく思うのは、トゥーをベトナムから呼び寄せるかどうかで意見が合わなかったことが原因で両親が離婚していたからでもあります。
タムの父親が苦労して毎月費用を工面している老人施設を脱走してきたトゥーの身勝手な振る舞いに苛立つのも当然のことでしょう。
トゥーとタムの心のすれ違いがいよいよ衝突する場面が物語のクライマックスになっています。
トゥーが出ていった後に父グエンから聞かされる過去の事実はタムに大きな衝撃を与えます。
両親が故国を逃れてきたボートピープルであったことを知ったことによって、アメリカ生まれアメリカ育ちという出自がもはや自明のことではなくなってくるのです。
ベトナム移民としての自覚を初めて抱いたタムは祖父への理解を示していくことになります。
未来を見据えるまなざし
詳述は控えますが、映画のラスト、タムの視線の先には風光明媚なクエフンの景色が広がっています。
親子3代が失っていた故郷への“懐い”を一身に背負うタムの凛々しい横顔。
そのあまりに鮮やかな故郷の表情に触れるタムの表情はいつになく素直で快活な魅力に満ちています。
ここではベトナムの敏腕監督の手腕が見事に発揮されています。
本作が単なる感傷的な郷愁譚で終わっていないのは、ズン監督自身が故郷の地に豊かな“未来図”を思い描くことを忘れていなかったからでしょう。
まとめ
故郷への切なる“懐い”を描いた本作『ベトナムを懐う』。
人気舞台として長年語り継がれてきた物語が示す希望のイメージには、アジア映画全体におけるベトナム映画の勢いがダイレクトに反映されています。
こうした時代を切り開いていく野心的な作品が続々公開されることを望むばかりです。