こんにちは、野洲川亮です。
今回はグラフィックノベル『I Kill Giants』(2008)の映画化した『バーバラと心の巨人』を紹介します。
「ハリー・ポッター」シリーズのクリス・コロンバスが製作総指揮を務めた話題作を、グラフィックノベルとはどのようなものを交えながら解説していきます。
グラフィックノベルとは
近年「アベンジャーズ」シリーズ、「ジャスティス・リーグ」シリーズなどの、アメコミ映画化作品のヒットが続いています。
これにより、今や多くの人たちにとって、“アメコミ=スーパーヒーローもの”という図式は一般的になっていますが、日本の漫画がそうであるように、当然ながらアメコミの中にもヒーローもの以外の作品はたくさんあります。
では、アメコミとグラフィックノベルは一体何が違うのでしょうか。
グラフィックノベルを一言で定義するのはなかなか難しく、また言葉の使い方、意味付けも人によって変わってきていますが、一つの大きな特徴として通常のアメコミ作品に比べて、“より大人向けの内容”ということが挙げられます。
さらに出版形態でも、一般的なアメコミがソフトカバー(薄いリーフ形式)が主流であるのに対し、グラフィックノベルはハードカバータイプが主流です。
アメリカではグラッフィクノベルを、“コミックブックではあるが本のように書棚に収納出来るもの”、という風に定義してもいます。
日本で言えば、『ワンピース』などの週間連載漫画の単行本も、グラフィックノベルに含まれることになります。
本作『バーバラと心の巨人』の原作『I KILL GIANTS』も、日本語版が小学館からハードカバータイプで発売されていて、スーパーヒーローも登場せず、一人の少女の心に寄り添った、いわゆる“ジュブナイル”ものとなっています。
巨人に見る“中二病”というカテゴライズ
「いずれ襲来する巨人との戦いに備える」ために、森に罠を仕掛け、巨人の生態を探る日々を送るバーバラは、学校や家庭内での理解から外れ、孤立しています。
このバーバラの姿を見たときに連想されるのが、“中二病”というワードです。
中二病とは、自らを非現実的で壮大な空想や妄想世界の中に置くことで、承認欲求を満たすような状態を表します。
この言葉は、実際の中学二年生だけではなく、夢や理想を大仰な言葉や行動に表す大人相手にも揶揄の意味で使われることもあります。
それは多数派の人たちにとっては、“中二病”とカテゴライズすることで、自分の理解が及ばないものを無理やり見下して安心したいがためのものでもあります。
そして、このカテゴライズをするという行為は、おそらく多くの人たちがする側、される側の両方を経験したことがあることで、一概に悪い行動ではなく、私たちが日々の生活を送る上で少しでも生きやすくするための工夫でもあります。
ただし本作におけるバーバラは、そんな観客や劇中の登場人物たちからの侮りや見下しを、物語が進むにつれ、少しずつ払しょくしていきます。
友人となったソフィアに巨人の世界観を説明する場面では、ギリシャ神話など膨大な書物をバーバラが読み込んでいることが分かり、単なる要地で夢見がちな少女の一人遊びではなく、むしろ大人顔負けの確かな知恵と知識に基づいた“根拠のある空想世界”を作りだしていることが分かります。
しかし、そのバーバラの隠した真意は、すれ違いがちな姉カレンにも、徐々に仲良くなるソフィアにも、親身に寄り添おうとするカウンセラーであるモル先生にも、汲み取ることが出来ません。
バーバラが隠そうとしている真意とは何か。この秘密は巨人の正体にも直結しています。
説明無し、描写無しの脚本、演出が生み出す興味の持続
本作では、特に序盤においてバーバラが置かれている家庭環境、対人関係などは、ほとんど説明されることがありません。
ただ、愚痴りがちな姉、皮肉屋の兄との、窮屈そうな日常がほんの少し描かれるだけです。
“自分にしか見えない巨人と戦う少女”という設定に目を奪われ、最初はさほど気になることはありませんが、物語が進むにつれて観客の心に少しずつ疑問が浮かんできます。
バーバラが周囲から理解されないことを分かりながらも巨人の存在を主張する理由、自宅の2階を恐れる理由、両親の不在、これら全てが“説明されていない不自然さ”に気づき、描写が無いことがその答えであることに勘付くに至るのです。
この説明と描写を無くすことで連想させるという演出は、今作の大きな特徴であり、観客の興味を持続させる効果を生んでいます。
そして、終盤になり巨人という荒唐無稽な空想世界の創造は、余命いくばくもない母親が侵された病気を可視化するための行為であり、その対象である巨人を打ち倒すことで、バーバラは母親の命を救おうとしていたことが分かります。
この余りにも切ない光景を見た時に、受け入れ難い現実を目の前にした人間が、自らに都合の良い空想世界を作ってしまうことの、切実さを理解することとなります。
それは、思春期の少年少女たちだけでなく、現実に負けそうな大人たちでも、誰にでも“自分なりの巨人”を作りあげ、自己防衛を図ろうとする時期、瞬間があるからに他なりません。
この葛藤の数々を経て、ラストには来たる母の喪失を受け入れて家族、友人、恩師と共に、強く現実に立ち向かうバーバラの姿に、観客は希望を見出すという行為の素晴らしさを実感することが出来るのです。
次回の「最強アメコミ番付評」は…
いかがでしたか。次回の第12回戦では、『ヴェノム』公開前に『スパイダーマン ホームカミング』を考察していきます。
お楽しみに!