第32回東京国際映画祭「コンペティション」部門上映作品『わたしの叔父さん』
2019年にて32回目を迎える東京国際映画祭。令和初となる本映画祭が開催されました。
コンペティション部門で東京グランプリを受賞した作品が、デンマーク映画『わたしの叔父さん』。
フラレ・ピータゼン監督が、本国の衰退する伝統的な農業の姿を、抑制された表現で美しく捉えた作品です。
その姿は現在の日本の農村の姿に重なるだけではなく、グローバルに都市化される、世界の全ての地域に住む人々が抱く、普遍的なテーマを描いた映画でもあります。
上映終了後のマスコミ記者会見では、フラレ・ピータゼン監督と主演女優のイェデ・スナゴー、プロデューサーのマーコ・ラランセンの3氏が登壇し、撮影の舞台裏について語りました。
CONTENTS
映画『わたしの叔父さん』の作品情報
【製作】
2019年(デンマーク映画)
【原題】
Uncle / Onkel
【監督・脚本・撮影・編集】
フラレ・ピーダセン
【出演】
イェデ・スナゴー、ペーダ・ハンセン・テューセン、オーレ・キャスパセン、テュー・フリスク・ピーダセン
【作品概要】
体の不自由な叔父と共に、牛舎を世話するクリス。2人の姿を通して衰退するデンマークの小規模農家の姿を、美しい風景と共に描いた作品です。
フラレ・ピーダセン監督のプロフィール
1980年『わたしの叔父さん』の舞台である、デンマークのユトランド半島南部に生まれる。10代の頃から映画監督を目指し、父親のムービーカメラを借りて様々な実験を行っていました。
2003年にアシスタントディレクターとして働き始め、その後脚本・撮影など様々の分野で活躍し、短編映画の監督を務めます。
2016年『Hundeliv』で長編映画の監督デビュー、本作が第2作目の長編映画監督作になります。
女優イェデ・スナゴーのプロフィール
デンマーク生まれ。彼女の親族は農業に従事しており、幼い頃からその生活に触れ、女優になる前は獣医としても働いていました。
映画業界でスタッフとして働いた後、フラレ・ピーダセン監督の『Hundeliv』で女優デビュー。2作目の出演作である『わたしの叔父さん』で、主役の座を射止めました。
本作の“叔父さん”を演じたペーダ・ハンセン・テューセンは、彼女の実の叔父であり、その家族関係と実生活が、この映画に企画段階から反映されています。
映画『わたしの叔父さん』のあらすじ
クリス(イェデ・スナゴー)は叔父(ペーダ・ハンセン・テューセン)と共に、牛の世話をし作物を収獲する、デンマークの伝統的なスタイルの零細農家を営んでいました。
両親を失い叔父に育てられたクリスは、獣医を目指し勉強していましたが、体が不自由になった叔父の世話をするためにその道を諦め、今は2人で暮らしています。
毎朝早く起きると家事を行い、叔父に無理をさせること無く、農家の主要な労働を自らこなす、厳しくも穏やかな日々を彼女は過ごしていました。
ある日クリスは、難産で生まれた子牛を無事に救います。その手際の良さは、獣医のヨハネス(オーレ・キャスパセン)を感心させるものでした。
ヨハネスは彼女に獣医の道を目指せる機会を与えます。またクリスは近隣に住む青年マイク(テュー・フリスク・ピーダセン)との出会いにも恵まれます。
彼女の前に新たな生き方が現れますが、それは長らく共に暮らした叔父との別れを意味します。美しいデンマークの風景の中、果たしてクリスはどのような将来を選ぶのか…。
映画『わたしの叔父さん』の感想と評価
牛舎を減らす政府の方針が小規模農家の減少をまねき、伝統的な農村の風景を変えつつあるデンマーク。日本のとっても他人事ではない現状が、この映画の誕生のきっかけになりました。
静かで単調で、穏やかながら美しい自然につつまれた農村の生活。フラレ・ピーダセン監督は、自ら手がけた映像によって、美しく描き出しています。
多くのシーンは最小限の照明で撮影され、CGなどに頼る事なく狙った自然現象をカメラに収め、その美しさを映像に捉える事に成功しています。
セリフの少ないこの映画は、同時に一部でしかBGMを使用せず、全編が静かで抑制されています。その結果BGMや背景の音の使用で、見事に登場人物の心情を現す事に成功しています。
ピーダセン監督は伝統的な農村の生活を理想的に、郷愁の思いで描いてはいません。厳しく、先の見えない生活を継ぐ若者は少なく、たとえその生活を選んでも、先が見えない現実を冷静に捉え突き付けてくるのです。
かといって登場人物のクリスと叔父の生活は、決して暗いものではありません。不安を抱えながらも、愛情と思いやりに満ちた農家の暮らし、多面的に様々な視点で描いているのです。
上映後のティーチイン
左からマーコ・ロランセン(プロデューサー)フラレ・ピーダセン監督、イェデ・スナゴー
10月31日のマスコミ向けの上映後、フラレ・ピーダセン監督と、主人公を演じたイェデ・スナゴー、プロデューサーのマーコ・ロランセンが登壇、記者会見を行いました。
──この映画は特に前半部でセリフを抑制した、イェデさんの表情から感情を読み取る作りになっていますが、事前に監督と俳優が緻密に討論して作り上げたのか、それとも俳優に委ねて演じてもらったのでしょうか?
イェデ・スナゴー:(以下、イェデ)主人公クリスの感情については、最初から最後まで、監督との打ち合わせに従って作り上げました。最初クリスは決して不幸せではありませんが、自らの事を脇に置いて、叔父の事を第一に考えて行動する姿が、皆さんにも伝わったと思います。
その後、他の人と出会っても、彼女なりに感情を抑えねばならない葛藤があらわれますが、その心境についても、事前に監督と打ち合わせした上で撮影に入りました。
フラレ・ピーダセン監督:(以下、フラレ監督)私は監督でありながら脚本も書いているので、演出の部分では他の監督より、こだわりがあるのかもしれません。
イェデと話しあったのは、セリフが少ない中どうやって感情を描くのか、映画の流れの中でどうバランスをとるのかで、場合によってはリハーサルをしてから撮影に入りました。
シーンによってはいきなり本番、という撮影も行いましたが、その場合には終了後、出来について2人で話し合いました。
──かなりの部分が自然光、あるいは最小限のライティングで撮られた作品で、自然条件が整うのを待つ、時間のかかる撮影だったと思います。その苦労と狙いを教えて下さい。
フラレ監督:デンマークは非常に冬が長くて夏が短い、その夏もかなり雨が降る環境です。外での撮影は雨の無い時期に行うのですが、今回、我々は撮影中雨に降られる事が多く、とても困難でした。
雨が降ると屋内のシーンを撮影しますが、ライテンングといっても4本位しか使っていない最小限の撮影環境です。画面に登場するランプを利用して、シーンの環境作りに役立てました。
登場人物の背景で無数の渡り鳥が飛び立つ、印象的な場面があります。これは現地で「ブラック・サン(Sort sol)」と呼ばれる、年に1回しかないと言われる珍しい現象です。
夕陽の頃にこの現象が起きるのですが、このシーンを映画に入れようと脚本に書きこんだものの、実際の撮影にはイチかバチかで臨みました。幸運に恵まれこの場面は1テイクで撮影できました。
イェデ:今回が2本目の映画出演作で、前作は同じフラレ監督作品の小さな役であり、大きなスタジオの作品に出演した経験はありません。ですので私には、この映画の撮影現場は苦労もなく自然体で臨めた、贈り物のような環境だったと思っています。
──映画に登場する叔父は、実際のイェデさんの叔父です。また獣医でもあったイェデさんの様々な体験が、映画に反映されているのでしょうか?
イェデ:共演は良く知る叔父で、幼い頃から彼の農場に行って過ごしており、父が農場を手伝う事もありました。
幼い頃や獣医の経験から牛と接する事に慣れてはいましたが、改めて周りに動物がいる、慣れ親しんだ癒される環境で仕事が出来たのは、とても楽しい経験でした。
フラレ監督:彼女は実際に叔父の農場で育った訳ではなく、その近くの小さな町に住んでいました。そして獣医になるために、コペンハーゲンに移り住みました。
私はイェデの事は良く知っていまして、脚本も彼女の事をイメージして書きました。彼女の叔父ペーダは、実際には25歳の時に生まれ育った農場を受け継ぎ、以来そこで暮らしています。
ペーダは5、6年前に脳梗塞を患い、実際に不自由な体になりました。その事実も私にインスピレーションを与え、こういった状況の叔父を置いてまで、自分の夢を目指せるのかというテーマを、ストーリーに与えてくれました。
彼が63歳の時に、実はこの農場を舞台に映画を作りたいので、主人公として出演して欲しいと頼むと、「いいよ」と気安く引き受けてくれたのです。ペーダにもイェデ同様に演技力があって、非常に助けられました。
イェデが舞台となる農場を知っていた事、そして体が不自由な実の叔父のペーダが、日常を過ごす環境で自然に演じた事で、別の役者が叔父を演じるよりも、リアルなものが出せたと思っています。
──この映画は大きな事件もなく、アクションもない作品であり、映画の製作は商業的には冒険ではなかったでしょうか?
マーコ・ロランセン(プロデューサー):私は監督と何度も仕事をしており、彼は緻密な脚本を書く人物として、大変信頼を寄せています。その彼が初めてこの作品で、心の底から撮りたいものを映画にしたという喜びがありました。
ストーリーは万国共通の物で、舞台はデンマークですが、日本の観客にも通じると考えます。そういった意味で心配はしておらず、皆様に理解して頂ける映画として完成し、嬉しく思っています。
──映画の中で様々な世界情勢のニュースが流れる中、対比するように主人公と叔父の小さな世界が描かれます。監督はどういった所から、この描き方のアイデアが生まれたのでしょうか。
フラレ監督:ここに登壇している3名は、皆デンマーク南部の生まれです。ここに住む者は大学に行く、夢をかなえるとなると、故郷を離れなければいけない。何ともいえない悲しい気持ちが、私の中にありました。
イェデの体験を基に創造してこの作品の脚本を書きましたが、自分が育ったデンマーク南部は、農業に支えられた土地です。自分は故郷を離れましたが、故郷に残る道を選んだ人もいるんだろうなぁ、という思いと重ね合わせて脚本を書きました。
主人公のクリスにも、獣医になりたい希望がありますが、叔父の面倒を見なければいけない。そういった彼女が抱える悩みを伝えたいと考えました。
映画の中で叔父は、テレビの中の世界の様々なニュースを見ています。しかしクリスはテレビの画面を見ません。自分の中で様々な葛藤があって、現実の広い世界の出来事に興味が無いのです。
私がその中で伝えたかったのは、世界中で悲劇的な出来事が行われていますが、個人は個人で問題を抱えているので、世界で様々な問題が起きても、個人は自分自身の問題を優先し、大きく影響しないのでは、という状況を伝えたかったのです。
第32回東京国際映画祭「東京グランプリ/東京都知事賞」受賞コメント
11月5日に行われた映画祭のクロージングにて、本作が国際コンペティション部門で「東京グランプリ/東京都知事賞」を受賞したことが発表されました。フラレ・ピーダセン監督は、笑顔で受賞の喜びを語りました。
フラレ監督:本当に光栄で、心臓がバクバクしています。この映画はインディペンデントの小さな作品で、少人数のクルーで一生懸命に撮影したものです。
この作品をコンペティションに選んでくださった皆様、優しくおもてなしてくれたスタッフの皆さまの愛を感じました。
おそらく舞台となった地域で撮影するのは初めてではないかと思います。デンマークの皆様にも感謝いたします。そして最後になりますが、観客の皆様にも感謝申し上げます。この映画を観てくださった観客の皆様が、素晴らしいリアクション・質問をして下さいました。
まとめ
衰退するデンマークの小規模農家の現状を、実際の農業従事者に大きな役を演じてもらって描いた劇映画、と紹介されると、地味な作品を思い浮かべる方がいるかもしれません。
しかし映画は映像もセリフも音響も、抑制が生む緊張感をはらんでおり、見る者を最後まで飽きさせません。そして描かれるデンマーク南部の田園風景は実に美しい姿です。
そして記者会見で語られたように、この作品はデンマークに限られた、また農村に限られた物語ではありません。様々な事情で故郷を後をした者には、郷愁と同時に後ろめたさを秘めた、どこか哀しい想いを湧き起こさせる作品です。
『わたしの叔父さん』をご覧になって、フラレ監督が伝えたかったこのメッセージを受けとった方は、間違いなくラストシーンが胸に突き刺さる、と書いておきましょう。