第32回東京国際映画祭「アジアの未来」部門上映作品『夏の夜の騎士』
2019年にて32回目を迎える東京国際映画祭。令和初となる本映画祭が開催されました。
この映画祭の「アジアの未来」部門は、これまでの製作履歴が長編3本目までの新鋭監督によるアジア地区の作品を対象としたもので、「作品賞」と「国際交流基金アジアセンター特別賞」(監督賞に相当)を目指して競い合います。
そして今回、中国のヨウ・シン監督が手掛けた映画『夏の夜の騎士』が、「アジアの未来」部門の「作品賞」に選ばれました。
CONTENTS
映画『夏の夜の騎士』の作品情報
【製作】
2018年(中国映画)
【原題】
Summer Knight / 夏夜騎士
【監督・脚本】
ヨウ・シン
【出演】
ホァン・ルー、リン・ルーディー、ジー・リンチェン、ヤン・ゼンシー、カン・ユーシャオ、ルオ・シービン、マー・リェン
【作品概要】
1997年を舞台に、両親と離れ祖父母の家に預けられた、少年ティエンティエンが経験するひと夏の出来事を通し、変わりゆく中国で生きる人々の姿を描いたヒューマンドラマです。
第32回東京国際映画祭「アジアの未来」作品賞受賞コメント
11月5日に行われた映画祭のクロージングにて、本作が「アジアの未来」部門で作品賞を受賞したことが発表されました。ヨウ・シン監督は、笑顔で受賞の喜びを語っています。
ヨウ・シン監督:何百人も監督がいる中で、映画を作れたことに大変感謝しています。監督として、(今回の受賞は)これからのキャリアに意味あることだと思います
監督は、大胆でなければならないのです。なぜなら、空想の世界に身を投げなければならないからです。でも同時に不安を抱えている存在なのです。
物語では、主人公は祖母と暮らしていて、母は日本にいます。これは、私の経験です。日本に2回来たことありますが、1回目はただの小さな子供でした。その当時からとても長い時間が経ってしまいましたが、とてもうれしく思います。
ヨウ・シン監督のプロフィール
1989年、中国・四川省の成都生まれ。少年時代に両親と共に、日本での生活を経験しています。2008年アメリカ留学し、大学や大学院で映画やTVデジタルメディアについて学びました。
現在までに6本以上の、短編劇映画の監督・脚本を務めています。その1本『Binding Paper』はガルフォースト映画&ビデオフェスティバルで、ベスト・スタンダード賞を獲得しています。
また2014年には、スイス出身の国際的なファッション&セレブフォトグラファー、マルクス・クリンコと短編映画を製作しました。
『夏の夜の騎士』は中国で製作された、ヨウ監督による長編映画第1作となります。
映画『夏の夜の騎士』のあらすじ
1997年の夏、両親が日本に働きに出た少年ティエンティエン(ヤン・ゼンシー)は、祖父母の住む家に預けられていました。
祖父(ルオ・シービン)は地元の人々から、信頼されている引退した元教師。しかし家の事は口うるさい、しっかり者の祖母(マー・リェン)が取り仕切っていました。
祖父母の家には失業中の元軍人の叔父(リン・ルーディー)と、その息子である従兄(カン・ユーシャオ)も暮らしていました。ティエンティエンは従兄と、実の兄弟のように仲良く学校に通っていました。
学校の愛国教育の授業中、不真面目な態度であったティエンティエンは、チェン先生(ホァン・ルー)に見とがめられ、問題児として扱われます。
そんなある日、市場で祖母の自転車が盗まれます。しかし祖父母は犯人を追及することなく、諦めて代りの自転車を購入しようとします。その態度にティエンティエンは疑問を覚えます。
一方祖父は近隣の料理店の主人から、彼の息子(ジー・リンチェン)の就職の世話を頼まれます。
実の息子であるティエンティエンの叔父を差し置き、他人の息子の就職を世話する祖父の態度を、祖母はなじりますが、それでも祖父は依頼をかなえようと奔走します。
大人たちの優柔不断な態度に、戦場で活躍する勇敢な軍人に憧れたティエンティエンと従兄は、自分たちの手で自転車泥棒の犯人を捜し始めますが…。
映画『夏の夜の騎士』の感想と評価
作品の持つ時代背景
経済的に成長し、今や世界に大きな影響力を持つ中国。社会主義体制の中国が市場経済の導入を行ったのは、1970年代の末の事でした。
その後改革開放政策の下、中国経済は成長してゆきますが、飛躍的な成長を遂げたのは90年代半ば頃から。この映画の舞台となった1997年頃は、まだ地方の人々はその恩恵に預かれずにいました。
主人公の少年ティエンティエンの両親が不在で、日本で働いているのも、経済的な豊かさを求めての行動であると、当時を知る人なら理解できる状況です。
ヨウ・シン監督の両親も同様に日本で働いており、その後両親に呼ばれて少年時代の2年間を、日本で暮らした経験を持っています。映画に登場するティエンティエンより幼い、5~6歳の頃のだったと語っています。
『夏の夜の騎士』は、ヨウ監督の少年時代の個人的経験が大きく反映されています。自らの少年時代を描き、少年の目を通して当時の社会問題を描く、自伝的な映画の系譜に連なる作品です。
ヨウ監督は1989年、天安門事件の年に生まれました。事件の後、改革開放路線は一時後退、社会にも引き締めムードが漂います。学校で愛国教育が行われ、それを真面目に受けなかったティエンティエンが先生に指導されるのも、そんな時代の現れでしょうか。
しかしティエンティエンと従兄が愛国教育から受けた影響は、英雄的な軍人への憧れでした。少年らしい正義への憧れは、不正義を容認する大人への反発という、国を越えて誰もが少年時代に覚えるであろう感情を呼び起こします。
祖父母の家には仕事に就かず、居候している元軍人の叔父がいます。何らかの出来事が彼の心を傷付け、働く意欲を失った様ですが、映画では軍隊での何らかの経験が影響しているようです。
当時中国は対外的に大きな紛争を行っていません。当時を振り返ると天安門事件の後、改革開放政策以降宥和されていた、中国の異民族自治区に対する政策も、厳しいものに転換しています。すると叔父は軍人時代、どのような経験をしたのでしょうか。
映画は叔父に何があったかを、明確に語っていません。監督の体験に起因する、個人的な経験が生んだものかもしれません。時代背景から様々な想像を巡らすのは、うがち過ぎでしょうか。
庶民にとって大きく変動した社会
庶民にとって激動の時代であった20世紀末の中国の姿を、映画はティエンティエン少年の目を通し描きます。
ティエンティエンが両親と別れて暮らすのも、時代の流れがもたらしたものであり、同時にそんな社会の変化に適応しきれない、周囲の大人たちの姿も描き出します。
教師として引退前は人々に尊敬されていた祖父は、時代に取り残され今や無力な老人となっています。尊敬されるべき軍人であった叔父は、社会に適応できず働こうとしません。
そんな態度の夫や息子を祖母は責めますが、物語の軸となる自転車の盗難を経験すると、祖父と同様に煮え切らない態度に終始します。このような大人の姿に、子供たちは自分なりの正義感から反発を覚えます。
世の中の変化や風潮に流され抗えない当時の庶民の姿を、日本人が見ても懐かしく感じる、郷愁に満ちた当時の風景と共に描く『夏の夜の騎士』。しかし当時は良かった、悪かったといった、単純な視点で描いた作品ではありません。
祖父はティエンティエンに、人々が私利私欲から犯罪行為に走らなかった過去を語りますが、その時代を決して美しいものとしては語りません。
そして中国が経済的に飛躍的な成長を遂げた現在は、映画に描かれた時代より人々は、さらに富を求め利己的に振る舞い、不正や汚職がはびこる世の中になっています。
さらに親元から独立できない息子や、ティエンティエンの先生は離婚など、昔ながらの家族関係の崩壊も映画に登場します。時代と共に変貌する中国の家族関係も、映画のテーマになっています。
まだ伝統的な中国が残っていた社会主義体制の強かった時代と、現在世界第2位の経済大国にまで上り詰めた一方で、様々な問題が社会全体に、各個人の身に降り注いでいる中国。
『夏の夜の騎士』はその通過点というべき時代、1997年に中国の地方都市に生きる人々を、リアルに描き出しているのです。
ヨウ監督自身の幼き頃の記憶
当時が持っていた、様々な社会的な問題を巧みに物語に取り入れていますが、映画はその描写に終始している訳ではありません。
ヨウ監督自身が幼い頃体験した事をベースに、その時代を生きるしかなかった、あの時代が自分の少年時代でだった、そんな庶民の姿を真摯に描いた姿が共感を呼ぶのです。
誰も時代を、場所を選んで生まれ育つ訳ではありません。日本も中国同様に、否、世界中の人々が急速の変化する世の動きに翻弄されています。しかし自分の思い出となる体験は、自分が少年時代を過ごした場所にしかないのです。
あの時代、中国の四川省の地方都市で少年時代を過ごしたティエンティエン。彼の見た風景と人間関係は、日本人を含むアジア圏の人間には、共有体験のように実感できます。
そして時代が大きく動きながらも、時に反発しながらも互いを支え合う家族。時代が変わっても人間の根底にある、互いを信頼し愛する家族を姿を見事に描き出した事で、この映画は全ての文化圏の人々の、心をとらえる作品になりました。
まとめ
ヨウ監督が自身の体験を基に、20世紀末の中国地方都市に生きる人々を温かくも冷静な視点で、その息遣いが聞こえるように描いた映画『夏の夜の騎士』。
作品をみると当時のその場所を、実にリアルに感じるだけでは無く、主人公の少年ティエンティエンの姿を、自身の少年時代に重ねる事ができる作品です。
時代が大きく動く現代、世代によって体験する少年時代も大きく異なります。今後その変化は更に早く、大きくなるでしょう。
それでもいかなる世代であっても、そして誰にとっても少年時代の思い出には、根底には信頼と愛情を軸とした、家族との関係がある事を改めて教えてくれる作品です。