連載コラム「電影19XX年への旅」第7回
歴代の巨匠監督たちが映画史に残した名作・傑作の作品を紹介する連載コラム「電影19XX年への旅」。
第7回は、『叫びとささやき』や『仮面/ペルソナ』など、数多くの傑作を映画界に残したイングマール・ベルイマン監督作品『鏡の中にある如く』です。
作家であるダビッドは、子供のミーナス、カリンとその夫マーチンとともに海辺の別荘を訪れました。
精神分裂症を患うカリンは、壁には穴だらけの部屋で、奇妙な囁き声を聞き……。
神の沈黙三部作の第一作目であり、とある事件で綻び始める家族の姿を描いております。
映画『鏡の中にある如く』の作品情報
【公開】
1961年(スウェーデン映画)
【原題】
Såsom i en spegel
【監督・脚本】
イングマール・ベルイマン
【キャスト】
ハリエット・アンデルセン、グンナール・ビョルンストランド、マックス・フォン・シドー、ラーシュ・パッスコード
【作品概要】
『叫びとささやき』(1972)や『仮面/ペルソナ』(1966)のイングマール・ベルイマン監督作品。海辺の別荘を舞台に、精神分裂症の娘を観察する父の物語。
同監督作品『不良少女モニカ』(1952)で映画デビューし、ベルイマンとは恋人関係にあったハリエット・アンデルセンが主演を務め、『魔術師』(1959)のグンナール・ビョルンストランドやマックス・フォン・シドー脇を固めています。
映画『鏡の中にある如く』のあらすじとネタバレ
小説家のダビッドは、娘のカリンとその夫マーチン、そして息子のミーナスを連れて、海に入っていました。
なんとも楽しい様子で遊んでいた海水から上がると、ダビッドは寒さに震えます。しかし、風が冷たいと言って、凍えて耐えられないことを認めません。
カリンは精神分裂症を患っていました。夫であり医師を務めるマーチンは、退院はできたものの病状は深刻で、再発の可能性は拭えないと、ダビッドに話します。
ダビッドは言い聞かせるように、カリンを愛していると呟きます。
17歳になったミーナスは、自分の身体や精神の変化に悩んでいました。自分はモテないと嘆き、女は嫌いだと吐き捨てます。
また、父親に相手をしてもらえないことを寂しく感じていました。
ミーナスとカリンは、ミーナスが書いた脚本の舞台を演じます。それをダビッドが惜しみなく褒めました。二人は喜び、拍手を浴びます。
夜になり、カリンはマーチンと眠ります。しかしカリンは、動物の鳴き声に悩まされ、中々寝付けませんでした。
マーチンが眠る中カリンは、埃も被り壁も穴だらけの部屋に入ります。壁に耳を傾けるとそこからは、何者かの囁き声が聞こえました。
カリンは身体をよじらせ、崩れていきます。そして、父のダビッドが小説の仕事をしているところを訪れます。
ダビッドは仕事を止め、カリンの話を聞きます。眠れないと語るカリンをなだめ、布団をかけました。部屋の窓からミーナスが現れ、ダビッドは外に出ます。
その隙にカリンは、ダビッドが執筆のために記録している日記を手に取ります。そこには、カリンのことが書かれていました。
映画『鏡の中にある如く』の感想と評価
監督であるイングマール・ベルイマンの少年時代、父は厳格で暴力的な司教でした。
神に仕えていながらも、我が子を支配しようとする父の存在は、ベルイマンに神への不信を植え付け、映画作品にその影を落としました。
例に漏れず、映画『鏡の中にある如く』に登場する父ダビッドも、神の不在を思わせるような、憎むべき人間でした。
ミーナスは、そんな父でも話をしたがり、ふくよかな女性の包容力を好んでいたことから、病死した母の幻影を追っていたように思えます。つまりは、家族からの愛を求めていました。
それでもダビッドは子供を突き放す、孤独な一個人でした。
ベルイマンは、父親の理不尽性と、宗教の存在意義を描きます。ダビッドがミーナスに語った、鏡の中に映るおぼろげなもの全てに愛を見出すという言葉は、存在しない神にすがる宗教の本質を突いていました。
なんとも危うく不確かな思想ですが、それがこの世で生きるための術でもあり、宗教の存在意義です。
人間は皆孤独で、身体を寄せ合ったり父や母にすがったり、あるいは神や愛の存在を信じたりと、あらゆる方法で孤独を忘れようとしてました。
しかし、神にすがりすぎた姉カリンは、病状をより一層悪化させていました。神を信じるのは、あらゆる不幸に対して鈍感にさせるだけであって、実際に病気を治すといった効果は存在しない。それは、神が存在しないからだと描いているのです。
まとめ
4人の登場人物で、それぞれの背景や寂しさを事細かに描いていた映画『鏡の中にある如く』。
第34回のアカデミー賞では外国語映画賞を受賞し、第12回のベルリン国際映画賞で金熊賞を争うなど、ベルイマン監督作品の中でも評価された映画です。
海辺を舞台に息をのむ白黒の映像美や、ベルイマン作品に多数出演しているハリエット・アンデルセンやグンナール・ビョルンストランド、そしてマックス・フォン・シドーの演技が光っています。
ベルイマン自身の個人的な経験から、父への憎しみが強く反映された映画だけあって、非常にエネルギーに満ちた作品です。
ベルイマン作品神の沈黙三部作の第一作は、4人の人物の行動や言葉を織りなし、神への信仰心の意義と、宗教の無意味性を同時に表現しているのでした。
次回の『電影19XX年への旅』は…
次回は、イングマール・ベルイマン監督の神の沈黙三部作の最終作品である映画『沈黙』(1963)を紹介します。どうぞ、お楽しみに。