原作ファン困惑のラストには、あの有名選手の影響が?
1990年〜1996年に「週刊少年ジャンプ」で連載され、“バスケ漫画の金字塔”として愛され続けている漫画『SLAM DUNK』。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』は、そんな『SLAM DUNK』を原作者にして漫画家の井上雄彦による監督・脚本で新たにアニメーション映画化した作品です。
本記事では、映画『THE FIRST SLAM DUNK』のラストで描かれた、リョータのアメリカ行きの真の意味についてクローズアップ。
原作漫画『SLAM DUNK』ならびに井上雄彦と縁がある“日本人初のNBAプレーヤー”の存在をヒントに、リョータのアメリカ行きに託された“作者の願い”を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『THE FIRST SLAM DUNK』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【原作・脚本・監督】
井上雄彦
【キャスト】
仲村宗悟、笠間淳、神尾晋一郎、木村昴、三宅健太
【作品概要】
名作バスケットボール漫画『SLAM DUNK』を、同作の原作者にして漫画家の井上雄彦による監督・脚本で新たにアニメーション映画化した作品。
湘北高校バスケ部メンバーをはじめ、各キャラクターの声優キャストをテレビアニメ版(1993〜1996)から一新。宮城リョータ役には仲村宗悟、三井寿役には笠間淳、流川楓役には神尾晋一郎、桜木花道役には木村昴、赤木剛憲役には三宅健太が起用された。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』リョータ・アメリカ行きの真の理由を考察!
「リョータのアメリカ行き」という困惑の結末
高校インターハイでの淞北対山王工業戦の決着、そして海辺での母カオルとの和解へと至ったリョータ。そして本作のラストのラストで描かれたのは、元・山王工業高校バスケ部のエースであり、アメリカへと渡りバスケを続ける沢北栄治と、同じく渡米し沢北とのマッチアップが実現したリョータの姿でした。
映画の脚本・監督にして原作者である井上雄彦が、2004年に「神奈川県立三浦臨海高校・校舎の各教室に設置された黒板に執筆する」という形で発表された漫画『スラムダンク あれから十日後』では、赤城剛憲ら3年生が引退した後の淞北高校バスケ部のキャプテンとして努力する姿が描かれていたリョータ。
しかし、同作にて沢北がアメリカ行きの飛行機に乗る姿を描かれたのに対して、「リョータがアメリカへバスケ留学する」を示唆した描写は見受けられません。
漫画作中では、淞北高校バスケ部1年にして天才プレーヤーの流川楓が「アメリカへのバスケ留学」を早くも考えた際に、監督である“安西先生”こと安西光義が「時期が早い」と考え直すように諭したこと。そして映画でも描かれていた通り、山王戦での流川・沢北の“天才”対決は同対戦での目玉の一つであったことからも、映画を鑑賞した原作ファンの中には「なぜリョータなんだ」という困惑の声も少なからず存在します。
なぜ映画『THE FIRST SLAM DUNK』は、「アメリカへと渡り、沢北との日本人選手対決というマッチアップを実現させたリョータ」をラストに描いたのか。その答えを探る上で、“ある選手”の存在は不可欠といっても過言ではないはずです。
それは、日本のプロバスケットボール選手であり、“日本人初のNBAプレーヤー”となったという実績を持つ田臥勇太その人です。
“日本人のNBAプレーヤー”田臥勇太
秋田県立能代工業高校(山王工業高校とモデルとされています)のスタメンとして3年連続でインターハイ・国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の「9冠」を達成した田臥勇太。その後のアメリカのブリガムヤング大学・ハワイ校への留学時代、スーパーリーグでの国内プロ入り後においても輝かしい成績を残します。
ついにはフェニックス・サンズとの契約により、人気・実力ともに世界最高のバスケットボールリーグ「NBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)」に進出。それまで日系アメリカ人選手は存在していたものの、“日本人のNBAプレーヤー”は田臥が初となりました。
出身校のことをふまえると「沢北のモデルなのでは?」とさえも感じられる田臥ですが、彼が能代工業高校に入学したのは、漫画『SLAM DUNK』連載最後の年となった1996年。田臥もまた漫画の愛読者の一人であり、2016年に実現した井上との対談でも「アメリカ留学を目指していた流川や沢北(ともに登場人物)がどういう思いで向こうへ行こうとしているのか、20代のころにはリアルに感じられた」と語っています。
ここで重要なのは、田臥のポジションはリョータと同じ「ポイントガード(PG)」であること。そして彼の身長が「173cm」であるという点です。
“同じ言葉”を聞いたリョータにも“同じ次元”へ
「173cm」……かつて、160cmという短身ながらも驚異的な活躍を見せたマグシー・ボーグスのように、NBAにも180cm以下の身長の選手はわずかながら存在しますが、「180cm以下の選手の世界での活躍」は非常に険しく困難な道であることは、経験者をはじめバスケを愛する人間ならば誰もが暗黙の了解として理解しているはずです。
身長が「168cm」であるリョータもそのことは痛感しており、山王戦の最中にも「身長の壁」という現実を突きつけられます。しかし、安西先生の「でも今さら何を恐れることがある?子供の頃からずっとそうだったでしょう」という言葉によって再び闘志を取り戻します。
その時の安西先生の言葉は、高校時代にも漫画『SLAM DUNK』を愛読していた田臥の心にも届いた。そして、安西先生の言葉を聞いたユータというバスケを愛する少年は、“日本人のNBAプレーヤー”という次元にまでその言葉を信じ続けた……2016年の対談で実際に彼と言葉を交わす中で、井上はそこまで想像したのではないでしょうか。
「田臥と同じように、安西先生の言葉が心へと響いた宮城にもまた、“同じ次元”を目指してほしい」……そうした井上の作者としての願いが、映画『THE FIRST SLAM DUNK』の「アメリカへと渡り、沢北との日本人選手対決というマッチアップを実現させたリョータ」というラストへとつながったのかもしれません。
まとめ/想像を信じ続けることの価値
編集者サイドからは連載前に「バスケ漫画はヒットしない」と言われながらも漫画『SLAM DUNK』を連載し、見事世界的な人気作品へと到達させた井上。その結果は、彼にとって“「バスケはやるのも、見るのも、読むのも面白い!」という想いが伝わる世界”を想像し続けた産物でしかないのかもしれません。
また漫画の連載終了後、「『漫画だから描ける』と言われそうなことを次々と現実にしてしまう、漫画家泣かせのとんでもない男」として田臥の存在を知り、沢北や流川など『SLAM DUNK』のキャラクターたちが目指していたもの……沢北や流川らのその後の姿を描く中で信じ続けていた「日本人選手のアメリカ進出」という想像が“リアル”へと押し上げられた井上。
そして2016年の対談にて、自身が“「バスケの面白さ」が伝わる世界”を想像し続けた産物である『SLAM DUNK』が“日本人初のNBAプレーヤー”を応援できていたと知った時、井上は“想像を信じ続けることの価値”を改めて痛感したはずです。
かつて井上が信じていた「日本人選手のアメリカ進出」という想像を託された沢北と、「同じ想像を信じ続け、現実に実現させた田臥の想いに答える」という井上の新たな願いを託されたリョータ。
そんな二人のアメリカでのマッチアップという展開も、“アメリカという舞台での、日本人選手同士のマッチアップ”という未到の世界を井上が想像し、信じようとした産物なのでしょう。