映画『二宮金次郎』は2019年6月1日(土)より、東京都写真美術館ホールを皮切りに全国順次公開!
薪を背負いながら本を読む少年・二宮金次郎像。かつて多くの小学校に置かれていたその姿を知る方は多いでしょう。
しかしながら、その後成長した二宮金次郎がどのような功績を遺したのか、なぜ彼が偉人と呼ばれるようになったのかを知っている方は非常に限られています。
そんな二宮金次郎の激動の生涯とその活躍を描いたのが、五十嵐匠監督の映画『二宮金次郎』です。
2019年6月1日(土)からの劇場公開を記念し、今回五十嵐匠監督にインタビューを行いました。
現在の日本で二宮金次郎を描こうとしたきっかけや本作の登場人物たちへの監督の思いなど、貴重なお話を伺いました。
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東日本大震災以後に知った真の二宮金次郎
──本作を制作されたきっかけをお聞かせ下さい。
五十嵐匠監督(以下、五十嵐):僕は青森県青森市出身で、東北人なんです。そういった縁もあり震災後にも様々な土地を巡ったんですが、インフラの殆どが復興されていく一方で、「心」の復興はあまり進んでいないと僕は感じたんです。
「心」の復興がまだなされていない。そのような現状において、東北生まれである僕は映画人として何ができるんだろうかと考えるようになりました。
そんな時に、『十字架』という映画の撮影のために栃木県筑西市を訪れたんです。そこで、当時の筑西市の教育長さんから「この筑西市、つまりかつての下館という土地は、二宮金次郎という人によって復興された場所なんです」と聞かされたんです。
当時の僕も、「二宮金次郎」というと「薪を背負って本を読む少年・金次郎像」の姿しか知りませんでした。しかし二宮金次郎に興味を抱いた私は、のちに彼の生まれ故郷である小田原に行き、尊徳記念館にて大人になった二宮金次郎の像を見たんです。
身長は180センチ以上、体重も80キロ以上。大人の二宮金次郎像は、当時の日本人の平均的な体格からかけ離れた大男だったんです。僕は自身の抱いていたイメージと全く異なる二宮金次郎像に、面白さを感じました。
皆さんがよく知る少年・金次郎像は、明治期の日本政府が修身の教科書において「働きながらも勉強する人」というイメージをうまく嵌め込んだ結果なんです。
しかしながら、二宮金次郎あるいは二宮尊徳の本質は、やはり復興事業を本格的に開始した青年期だと僕は考えています。それはほとんどの方が知らないことでもあったので、映画を通じて、3.11を経た日本人に知ってほしかったんです。
史実にエンターテーメントを吹き込む
──本作の制作にあたって、二宮金次郎にまつわるあらゆる資料を集め、徹底的に調査されたとお聞きしました。
五十嵐:その通りです。そうやって徹底的に調べた上で、そこから自身の感じたことや伝えたいことを足してゆくんです。
いわば「幹」は変えないんです。けれども「枝」や「花」といった部分はフィクションとして変えるわけです。そして、その「枝」や「花」の部分こそが、映画としてのエンタメ性なんです。
これまでに監督した『長州ファイブ』『地雷を踏んだらサヨウナラ』など、実在の人物や史実に基づいた作品を僕は数多く撮ってきました。その中でも、史実とは異なる描写を敢えて行なっている部分が存在します。
知識のある方にそのような部分を観ていただいた場合、「それは違う」と言われてしまうのはよく理解しています。しかしながら、「それは史実ではない」と分かった上でフィクション化するのが、やはり実在の人物を映画というエンタメ作品で描こうとする時にはとても重要なんです。
五平という復興の可能性
──二宮に反発する農民・五平を演じたのは、人気コメディアンであり、俳優としても活躍されている柳沢慎吾さんです。彼をキャスティングされたきっかけは何でしょう。
五十嵐:コメディアンとして他者を笑わせている時、柳沢慎吾さんが背負っている悲哀を僕は感じ取りました。ですから、彼の背負っている悲哀を、シリアスに、でもちょっと茶化すように描けないかと考えたんです。
天涯孤独で妻や子供もいない、貧乏なせいでカルシウムも十分に摂取できず、日光にもあまり当たっていないために背中も曲がってしまっている。教育も受けられず、自分の名前も文字では書けない。
だけどその心の底には「澄んだ水」が流れていて、その「澄んだ水」を彼は自覚していない。そういう人物を彼には演じてもらいました。
また、劇中での様子からも分かる通り、彼が演じた五平という人物は、自分の名前を他者から呼ばれたことが一度もなかった。けれども、素性も知れない、訳の分からない初対面の二宮に、生まれて初めて「五平さん」と呼んでもらえたんです。
五平はびっくりしてしまい、思わず「はい」と答えた。彼のそんな返事を聞いた時に、二宮は村の人心が荒れている様子を目の当たりにしながらも、「この人は悪い人ではない」「このような人がいるのなら、まだ復興の余地はあるんじゃないか」と感じたわけです。
僕は、五平を自分自身だと思っているんです。だからこそ、彼をどうしても描きたくなった。実際には、史実においても、柏田さんの脚本においても、ほんの少ししか登場しない人物だったんですが。
金次郎になれない男
──二宮を「敵視」し、彼の進める復興を妨害する侍・豊田正作(演:成田浬)という人物を、五十嵐監督はどのように捉えているのかお聞かせ下さい。
五十嵐:五平も同じくそうなんですが、僕にとって共感できるキャラクターは豊田正作なんです。
特に豊田は、二宮と似ている所があるんだと思います。そして似ている所があるからこそ、彼のことを強く嫌悪してしまうんです。加えて、「百姓」と「下級武士」という身分差も深く関わってくる。
自分も二宮のように行動したいけれど、二宮は先に先にと様々なことを進めてしまう。そのことが、行動できない豊田にとっては癪に障って堪らないんです。それは嫉妬というよりも、「なぜ自分はできないんだ」という自己嫌悪に基づいているんです。
例えば、とある場面にて豊田は二宮を斬ろうとしますが、どうしても斬ることができない。そして一旦スゴスゴと帰ろうとしますが、そんな自分自身に腹が立ってしまう。そこで何をするのかというと、二宮の顔を地面へと踏み付けるわけです。けれども、やはり自身にとっての「魂」であるはずの刀を用いることができないんです。
当初は、斬ることを止めた後、そのまますぐに二宮の顔を踏み付けさせるつもりだったんですよ。ですが、映画としての「緩急」を付けるために、何よりも、豊田が感情を抑えられなかった瞬間を描くために演出を変えたんです。
僕は豊田のそういう所が好きだからこそ、そのような演出へと変えたんです。
強さと強かさを持つ男
──五平ら保守的な農民たちからの反発、豊田正作による妨害に遭いながらも、金次郎は復興を諦めようとはしません。彼のその強さを、五十嵐監督はどうお考えですか?
五十嵐:時代劇においては、善玉と悪玉、正義の味方と悪党どもという風に、必ず「白黒」というものが存在します。
もちろん本作でもその図式は少なからずありますが、主人公である二宮は「悪には悪の理由がある」と学んでいる。そこが二宮さんの深く、強かな所でもあります。
また劇中、彼は断食行のために村を離れます。その出来事自体は、資料にも記述されている史実です。ではなぜ村を離れたのかについて考えた時、それは復興につまずいてしまった自身を見直すためであったと同時に、農民たちを試すためでもあったんです。
彼は自身の「仕法」(二宮金次郎が提唱した財政復興制策)と農民たちに対し、「もし自分が突然いなくなったら、彼らはどう行動するのか?」と疑問を抱いていたんです。
自分自身と農民たちに試練を与えるために、彼は21日間の断食行を完遂した。それは、彼の強さと強かさを証明しています。
新たな時代にこそ“革命家の映画”を
──これから本作をご鑑賞される方に向けて、メッセージをお願い致します。
五十嵐:僕にとって、二宮金次郎は革命家なんです。本作を通じて、人々にあまり知られていない、自分が信じた道を突き進む「革命家・二宮金次郎」の姿をどうしても提示したかったんです。
また、「令和」という新たな時代へと入った現在、かつて日本人が持っていた品性や品格といったものがますます失われてきています。
特に、彼が掲げた「分度」という考え方。それは「自身の身の丈を知って生活をする」という考え方なんですが、例えば魚釣りをした場合、昔は「腹八分目」と食べ過ぎないように、釣り過ぎないように節制をしていたわけです。ところが現代では、「腹十分目」どころか過食・暴食の域が当たり前になっているじゃないですか。
自身の身の丈に合った生活をする。またお金を稼いだとしても、自分のためだけに使うのではなく、他者のためにも使うことで自身にもいつか利益が返ってくるようにする。
よく周囲から「なぜ今、二宮金次郎という人物を映画化するんだ」と聞かれます。けれども、寧ろ今だからこそ彼を取り上げなくてはならない。新たな時代に入ったからこそ、彼を、自分たちの生活を見直すべきなのだと僕は考えています。
インタビュー/河合のび
撮影/出町光識
監督のプロフィール
1958年生まれ、青森県出身。
1996年、ピューリッツァー賞を受賞した日本人カメラマン沢田教一の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『SAWADA』で毎日映画コンクール文化映画部門グランプリ、キネマ旬報・文化映画グランプリなど数々の賞を受賞しました。
その後は劇映画を中心に、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(2000)『長州ファイブ』(2007)『半次郎』(2009)『十字架』(2015)などを監督。国内外で高い評価を得ています。
映画『二宮金次郎』の作品情報
【公開】
2019年6月1日(日本映画)
【原作】
三戸岡道夫
【監督】
五十嵐匠
【脚本】
柏田道夫
【キャスト】
合田雅吏、田中美里、成田浬、犬山ヴィーノ、長谷川稀世、竹内まなぶ(カミナリ)、石田たくみ(カミナリ)、渡辺いっけい、石丸謙二郎、綿引勝彦、榎木孝明(特別出演)、柳沢慎吾、田中泯
【作品概要】
「薪を背負いながら本を読む少年の像」で知られる二宮金次郎。そんな彼の半生を、世間ではあまり知られていない青年期を中心に描いた伝記ヒューマンドラマです。
監督には、『地雷を踏んだらサヨウナラ』『長州ファイブ』で知られる五十嵐匠。
二宮金次郎役には、ドラマ『水戸黄門』の格さん役などで知られる合田雅吏。
他にも、田中美里、成田浬、犬山ヴィーノ、榎木孝明、柳沢慎吾、田中泯、渡辺いっけい、石丸謙二郎、綿引勝彦など実力派キャスト陣が名を連ねています。
映画『二宮金次郎』のあらすじ
少年期、二宮金次郎(安藤海琴)は両親と死別。兄弟とも離れて暮らすこととなります。しかし、農作業に務めつつも、勉学を続けました。
やがて青年となった金次郎(合田雅吏)は、小田原藩主・大久保忠真(榎木孝明)の命により桜町領(現在の栃木県真岡市)の復興を手がけることになります。
「この土地から『徳』を掘り起こす」という宣言した金次郎は、自身の考案した「仕法」に基づき復興を進めようとします。
妻・なみ(田中美里)のおかげもあり、岸右衛門(犬山ヴィーノ)など一部の百姓たちの理解を得ることができましたが、当時の封建社会ではあまりにも先進的な「仕法」に対し、五平(柳沢慎吾)など保守的な百姓たちからは反発されてしまいます。
そのような状況下、新たに小田原藩から藩士に侍・豊田正作が派遣されてきました。
彼は百姓上がりである金次郎を快く思わず、やがて「藩の秩序、幕府の秩序を壊そうとしている」と非難し「仕法」の妨害を開始します…