映画『僕はイエス様が嫌い』は
2019年5月31日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国順次ロードショー!
スペイン・サンセバスチャン国際映画祭にて、最優秀新人監督賞を史上最年少となる22歳で受賞した奥山大史監督の映画『僕はイエス様が嫌い』。
世界各地の映画祭にて数々の賞を獲得し、フランス・スペイン・韓国では既に劇場公開が決定された話題作である本作。
2019年5月31日(金)からの日本での劇場公開を記念して、奥山大史監督にインタビューを行いました。
映画『僕はイエス様が嫌い』で目指そうとした映画のあり方や演技に関する演出の秘話など、貴重なお話を伺いました。
CONTENTS
“友情”の映画
──映画『僕はイエス様が嫌い』はいつ頃から制作を開始されたのですか?
奥山大史監督(以下、奥山):僕は現在広告会社で働いているんですが、本作の制作を開始したのは大学生の頃ですね。
ただ、実際に本作が完成したのは会社に入ってからでした。
──本作は奥山監督の実体験に基づいて制作されたとお聞きしました。
奥山:その詳細は劇場で確認していただきたいのですが、小学校の頃に僕自身が体験した出来事を、どうしても「映画」という形で残したかったんです。
僕は本作を“祈り”や“宗教”を主題とした映画とは捉えていません。何よりもまず、“友情”を映画の中で描きたかったんです。
映画における“余白”
──本作の舞台を「雪積もる冬の町」にした理由は何故でしょう?
奥山:正直に言いますと、「大学卒業前に長編映画を撮りたい」と思い至った時が、ちょうど冬だったんですよ。ただ、せっかく「冬の町」で撮影するのであれば、冬という季節や雪を活用し、本作の演出にも取り入れたいと考えたんです。
本作は雪がまだ積もる群馬県・中之条や長野県・軽井沢で撮影したのですが、その中で、映画をじっくりと観るための“余白”として雪を印象的に描くことにしました。
具体例を挙げるとしたら、主人公の由来(ユラ、演:佐藤結良)と和馬(演:大熊理樹)が雪の積もった校庭でサッカーをする場面などでは、二人の身体の動きや表情の細やかな変化を感じ取ってもらえると思います。
また“余白”という意味では、本作の冒頭、由来の祖父が障子に穴を開ける場面がありますが、それが何故なのかは最後まで明確な答えは提示されないんですよ。
その場面と同様に、最後まで説明されない、観客が考えたくなるような場面をいくつか描きました。そうして映画としての“余白”、すなわち映画としての解釈の余地を敢えて残すことで、場面ごとに自身の解釈を形作ってきた観客は「これはまさしく“私の映画”だ」と思ってもらえるんですよね。
僕自身がまさにそうなんですが、自分なりの解釈ができる映画は記憶に残りますし、全てが説明されている余りにも分かりやすい映画だと、いくらクオリティが高くてもやっぱり忘れられちゃうんですよ。
いかに自分の言いたいことを、“余白”を残しながらも伝えられるかが非常に大切だと考えています。
象徴としての「小さなイエス様」
日本外国特派員協会で実施された先行上映会&トークイベントの様子
──本作の劇中に登場する「小さなイエス様」が生み出された経緯をお聞かせください。
奥山:僕が小さかった頃、礼拝中に「校長先生の話長いなあ」とか考えているうちに、子供ながら色々な想像をしていたんですよね。そういった時の思い出が、「小さなイエス様」をはじめ本作の発想の源になっているんです。
劇中にて由来が体験する信仰心の変化は、大人であっても演じることが難しいものです。そこで、由来の信仰心をより分かりやすく象徴する存在として「小さなイエス様」を生み出したんですよ。
そしてイエス様を小さくしたのは、彼を実寸大の大きさ、すなわち普通の成人男性と同じ身長で描いてしまったら、観客は彼を「由来の信仰心の象徴」や「由来のイマジナリーフレンド」と考えることなく、純粋に「本物のイエス様が現れた」と捉えてしまうと思ったためです。
──その「小さなイエス様」は、お笑い芸人のチャド・マレーンさんが演じられました。彼に「小さなイエス様」を演じてもらったきっかけは何でしょう。
奥山:テレビでお見かけした際、芸人としての面白さを感じた一方で、何を考えているのかが読めないキャラクター性や表情が記憶に残ったんですよね。そして「小さなイエス様」を誰に演じてもらおうかと考えた時に、真っ先に思い浮かんだのがチャドさんだったんですよ。
もちろん、イエス様“本人”を演じてもらうとしたら、チャドさんではないんですよ。
でも本作に登場するイエス様は、あくまで子どもの想像する信仰心の象徴です。僕は本作における彼を「キリスト教についてはまだよく分からないけど、『イエス様』というものを何となく信じ始めた子どもが想像しそうなイエス様」にしたかったんですよ。
女優・佐伯日菜子
──由来の友人・和馬の母親である理香子は女優の佐伯日菜子さんが演じられましたが、彼女も監督自身が出演オファーをされたのですか?
奥山:理香子役については、キャストコールをかけたんですよ。
佐伯さんは、本来キャストコールに答えるようなクラスの女優さんではないんですが、たまたま本作の企画書を読まれたそうなんです。それがきっかけで、「この作品に出演したくなりました」と佐伯さんの方からご連絡をくださったんです。
そのご連絡をいただいた瞬間に、理香子役は彼女で決まりましたね。
芝居の“リアリティ”を追求して
──由来役の佐藤結良くんをはじめ、本作に出演した子どもたちには脚本を渡さずに撮影へ臨んでもらったとお聞きしました。その演出は、具体的にはどのようなメリットがあったのでしょうか。
奥山:まず第一に、子どもたちにかかるプレッシャーが少なくなるんですよ。撮影現場は年上の人たちで溢れていて、そういう人たちにジーッと見つめられながら、子どもたちはお芝居しなきゃならない。それが大変なプレッシャーを生み出すわけです。
そんな状況に置かれてしまうと、脚本におけるセリフはお芝居の中での“ノルマ”と化し、子どもたちは「ちゃんと言わないと怒られる」とセリフを何度も練習してくる。その練習の過程によって、多くの“リアリティ”が削がれてしまうんです。
かといって、セリフなんて渡さず、ただただ子どもたちが自由に遊んでいる様子を撮ったとしても、観客は楽しくないんですよね。あくまで劇映画として面白いものを作るためには、“リアル”よりも“リアリティ”の方が大事です。その“リアリティ”をいかにして突き詰めるかを考えた結果、「脚本は渡さないが、言うべき事柄だけは伝える」という演出を用いたんです。
例えば、もし脚本に「ウンと相槌を打つ」と書いてあったとしたら、大抵の子どもたちはハッキリ「ウン」と声を出しながら相槌をしてしまう。子どもたちはただ脚本通りに読んでいるだけですから、それは当然の結果とも言えますが、そこに“リアリティ”はありません。
ですが、脚本は渡さず、言うべき事柄だけを伝えてお芝居に臨ませると、子どもたちは自分自身で場面の状況や演じる役の心情を考え、理解しようとします。そして、自身の理解をもって相槌を打ってくれるんです。その時、子どもたちのお芝居は非常に“リアリティ”を持つわけです。
つまり、他者の話を聞く時の演技、いわゆる“受け”の演技が非常に良くなるんですよ。
大体の役者さん、特に子役の場合は、話している時の表情や言い回し、発音などが重要と考えていることが多いんですが、僕はそれよりも、他者の話を聞いている時の演技の方が100倍重要だと思っているんです。
特に、「いかに周囲の大人たちやイエス様の言動/行動を受け止めるか」が見どころの役柄である由来を演じるには、それがより重要になってきます。そして、脚本を完璧に覚えてきてしまっていたら、結良くんは由来を演じることも、“リアリティ”あるお芝居をすることも決してできませんでした。
観客へのメッセージ
──最後に、これから本作をご覧になる方々に向けてのメッセージをお願い致します。
奥山:本作のタイトルから、「宗教が主題の映画なのかな」「ついていけるかな」「観るのはやめとこうかな」と感じてしまう方もいると思います。
ですが、本作は別に反宗教映画でもなければ宗教映画でもありませんし、キリスト教批判の映画でもなければ布教の映画でもありません。
最初にお伝えした通り、本作は“宗教”や“祈り”ではなく、何よりも“友情”を第一のテーマに据えて制作しました。ですから、「へえ、どこかの映画祭で賞を獲ったんだ」「じゃあ、ちょっと冷やかしで観に行ってやるか」といったラフな気持ちで、気軽な感じで劇場に来ていただけると非常に嬉しいですね。
感じてもらえる“何か”は絶対にあると、自信を持って言える映画です。
奥山大史監督のプロフィール
1996年生まれ、東京都出身。
学生時代、大女優・大竹しのぶを主演に起用した短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32〜22:41』を監督。同作は第23回釜山国際映画祭に正式出品されました。
撮影監督としても映画『過ぎていけ、延滞10代』『最期の星』などを撮影したほか、GUやLOFTといった大企業のCM撮影も担当しました。
そして初の長編映画『僕はイエス様が嫌い』は、第66回サン・セバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞。日本では2019年5月31日から劇場での公開が決定しています。
インタビュー/河合のび
撮影/出町光識
映画『僕はイエス様が嫌い』の作品情報
【公開】
2019年5月31日(日本映画)
【英題】
JESUS
【脚本・監督】
奥山大史
【キャスト】
佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、佐伯日菜子、木引優子、ただのあっ子、二瓶鮫一、秋山建一、大迫一平、北山雅康
【作品概要】
キリスト教系の小学校に転校した主人公の少年が、友人や「小さなイエス様」との出会いを通じて“大きな試練”を経験していく様子を描く。
本作を監督したのは、大竹しのぶ主演の短編『Tokyo 2001/10/21 22:32-22:41』がショートショートフィルムフェスティバルのコンペティション部門に出品されるなど、現在注目の若手監督の一人である奥山大史。脚本・撮影・編集も担当した本作は、監督初の長編作品にあたります。
本作は、スペインのサンセバスチャン国際映画祭にて最優秀新人監督賞を受賞。史上最年少での受賞(当時22歳)という快挙を達成しました。
その後もスウェーデンのストックホルム国際映画祭において最優秀撮影賞を、中国のマカオ国際映画祭ではスペシャル・メンションを受賞。フランス・スペイン・韓国では既に劇場公開が決まっている話題作です。
映画『僕はイエス様が嫌い』のあらすじ
祖母と一緒に暮らすために、両親とともに東京から雪深い地方へと引っ越し、キリスト教系の小学校へと転校することになった由来。
日々の礼拝など、「普通」の学校とは異なる光景に戸惑う彼の前に現れたのは、小さな小さなイエス様でした。
他の人間には見えないが、自身の願ったことを必ず叶えてくれるイエス様を結良が信じ始めた頃、彼のもとに大きな試練が降りかかります…。