映画『12か月の未来図』は岩波ホールにて2019年4月6日(土)より公開。
フランス社会で深刻な問題になっている教育格差に、改めてスポットを当てた映画『12か月の未来図』。
昨今、教育問題を題材にしたフランス映画が多い中で、本作はこれまでにないリアリティで教室内の現実を描く意欲作です。
映画『12か月の未来図』の作品情報
【日本公開】
2019年(フランス映画)
【原題】
Les grands esprits
【監督】
オリビエ・アヤシュ=ヴィダル
【キャスト】
ドゥニ・ポダリデス、アブドゥライエ・ディアロ、ポリーヌ・ユリュゲン、アレクシス・モンコルジェ、タボノ・タンディア、エマニュエル・バルイエ
【作品概要】
現代フランス社会が抱える移民・教育問題を題材に、教師と生徒の葛藤と成長を描いた感動作。
監督は、フォトジャーナリストとして世界中の取材経験のあるオリビエ・アヤシュ=ヴィダル。本作が長編監督デビュー作となりました。
主人公の国語教師を演じるのはフランスを代表する演技派俳優ドゥニ・ポダリデス。
また、登場する学生たち全員が演技未経験者です。
映画『12か月の未来図』のあらすじ
パリの名門アンリ4世高校で、国語教師として教鞭を執るフランソワ。
著名な作家の父を持ち、典型的なブルジョワ家庭に育った彼には、他人をすぐに見下す癖があります。
そんなが彼がひょんなことから転勤することになった先は、パリ郊外にある落ちこぼれ中学でした。
学生たちの多くがフランスへやってきた移民で、彼らの名前すら完璧に読み上げられないフランソワは、有名校との大きな隔たりにショックを受けます。
中でも劣等生のセドゥには悩まされます。
教師としての意地をみせ、彼らに真摯に向き合っていくと、次第に学生たちの側もフランソワに心を開き始め、充実した学校生活が形づくられていくのでした。
映画『12か月の未来図』の感想と評価
ヴィダル監督の演出手腕
フランスでは教育問題の解決が目下の課題となっています。
特に移民の子どもたちの学力低下と教育の不平等は深刻で、そうした題材を描いたフランス映画も多く製作されています。
『パリ20区、僕たちのクラス』(2008)や『奇跡の教室 受け継ぐものたちへ』(2016)など教育再生ドラマが多い中、教室内のリアルをより本質的に捉えようとした本作のオリビエ・アヤシュ=ヴィダル監督は、実際に郊外の中等学校に2年間通い続けました。
教育現場の実態に切り込んでいこうとする製作の姿勢は、元々はフォトジャーナリストだったというヴィダル監督ならではのものでしょう。
それが功を奏したのか、演技経験が全くない子どもたちから驚くほど自然な演技を引き出しました。
特に主人公を一番悩ませるセドゥ役の少年、アブドゥライエ・ディアロの演技力には、特筆すべき煌めきがあります。
彼の表情にはまるで嘘がなく、その眼差しは真実味をもってこちら側を見つめ返してきます。
それは社会の現実がバックグラウンドにあるが故の迫真の演技です。
子ども映画の系譜
フランス映画はこれまで繰り返し子どもを題材にしてきましたが、子どもたちに正面から向き合おうとするヴィダル監督の姿勢は、ジャン・ヴィゴ監督やフランソワ・トリュフォー監督の精神を受け継いだものです。
ヴィゴ監督の『新学期・操行ゼロ』(1933)は、フランス映画史の記憶としてあまりに鮮やかなものですし、トリュフォー監督の長編デビュー作『大人は判ってくれない』(1959)に及んでは少年映画の金字塔として多くの映画ファンに愛好されています。
いずれの作品も監督の少年たちへの深い理解が全編を貫いていて、自分の身の置き場を見つけられない子どもたちに寄り添い、見守り続けようとします。
批評家でもあったトリュフォー監督が「子供の問題を深刻に描いた唯一の真実の映画」と絶賛したロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』(1948)では1人の少年の行き場のなさが克明に描かれ、観客はもういたたまれないどころではありません。
社会の犠牲になって虚しく命の灯火を消していく『ドイツ零年』の少年の孤独な姿は、子どもたちにとっての唯一の社会である学校から追放されたセドゥが感じる行き場のなさに通じていきます。
子どもたちを活写することによって浮き彫りにされるのはいつでも、彼らを教育する立場にあるはずの大人たちの無理解ぶりなのです。
参考映像:映画『ドイツ零年』予告編
対話の場としての教室
『ドイツ零年』や『大人は判ってくれない』の大人たちに比べて、本作の国語教師フランソワ・フーコーという人物は、初めこそ躊躇したものの、次第に子どもたちへの理解を深めていきます。
彼は、誰よりも子どもたちの味方であり続けようとします。
そうした彼の真摯な態度が実践される場として学校の教室があるんです。
そこでは常に他者との交流が図られます。
インタビューでヴィダル監督は次のように話して下さいました。
「社会というのは、教育する中でその子どもたちが自分のことだけを考えるんじゃなくて、他者のことに対してもっと考えが及ぶ、オープンな心を持った子どもたちを育てなければいけない」
あらゆる対立や無理解、無関心は、こうした根本的な交流と対話によって自然と解消されていくものなのです。
まとめ
本作の原題は『Les grands esprits』と言います。
フランス語で「大きな精髄」といった意味ですが、人間がもつ寛容さ、あるいはフランス革命以来培ってきた自由・平等・友愛といったフランス人の精神性がすべて集約された言葉でもあります。
さらにフランスには「グラン・エスプリが出逢う」という表現があり、教師と生徒たちの豊かな“出逢い”がタイトルによってすでに示されています。
それは、中等学校に通っている子どもたちとヴィダル監督の出逢いでもあります。
ヴィダル監督がこうした映画的繋がりを尊重しているからこそ、人間味溢れる“映画愛”と呼応し合うことが出来たんです。
トリュフォー監督が生きていたなら、きっと本作のことも「真実の映画」として賛辞を送ったのではないでしょうか。