映画『バハールの涙』は、1月19日(土)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国でロードショー。
本作はニュースだけでは決して分からないイラク紛争の光景を、IS(イスラム国)が行ってきた人身売買の被害者として、銃を取った女性達の緊迫感溢れる描写で明らかにしていきます。
映画『バハールの涙』の作品情報
【公開】
2018年(フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作)
【原題】
Les filles du soleil(太陽の女たち)
【監督】
エバ・ユッソン
【キャスト】
ゴルシフテ・ファラハニ、エマニュエル・ベルコ、ズュベイデ・ブルト、マイア・シャモエビ、エビン・アーマドグリ
【作品概要】
息子を助けるために銃を取ったクルド人女性と、自らも小さな娘を持ち、紛争地の真実を伝え続ける女性ジャーナリストが主役となる戦争ドラマ。
2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品。
主人公のバハール像は、監督自ら内戦が続くクルド人自治区に赴き取材した女性戦闘員たちの実体験から生まれています。
”世界で最も美しい顔100人”トップ常連であり、イラクを代表する女優ゴルシフテ・ファラハニがバハールを熱演。
ジャーナリスト・マチルダは、カンヌ受賞歴もある演技派、エマニュエル・ベルコが演じました。
映画『バハールの涙』のあらすじ
2015年11月。戦場ジャーナリスト・マチルダ(エマニュエル・ベルコ)はイラクとトルコの国境を訪れます。
国境はイスラム過激派(IS)とアサド政権軍隊、そして独立を求めるクルド人組織が入り乱れる紛争地帯。
女性兵士部隊“太陽の女達”を率いるバハール(ゴルシフテ・ファラハニ)は誘拐された息子を取り戻すため、ISと日夜戦いを繰り広げていました。
マチルダはバハールのもとにつき、銃弾が飛び交う中取材を行っていきます。
女性兵士は皆、過激派などの弾圧者によって尊厳と家族を奪われた過去を持っていました。
「この体と血が大地を育む。命、女、自由の時代・・・」
女達は時に歌い、時に鼓舞しあいながら限界の戦いを続けます。
マチルダと交流する中で、少しずつ明らかになるバハールの過去。
バハールは元弁護士であり、夫と息子にも恵まれ幸せな生活を送っていました。
しかしバハールが故郷の村に帰省した日、ISが村を奇襲し、バハールは誘拐され息子とも引き離されてしまいます。
彼女の夫と父を含む村の男性は皆殺しにされました。
そして現在、戦地となっているこの国境こそがかつてのバハールの村でした。
ISによって集められた幼い男の子たちは、将来ISの兵士となるべく学校に集められます。
息子はきっとこの村の学校にいる。バハールはその希望だけを頼りに、前線へと身を投じます。
ある日、奇襲してきたIS兵士を捕虜にしたことで、事態は大きく動き出します。
かつて彼女の身に起こった、おぞましい人身売買の実態とは、そしてバハールは無事息子と再会できるのでしょうか…。
映画『バハールの涙』の感想と評価
本作ではバハールがISに誘拐され、脱出するまでの過去と、ISと闘うバハールの現在の物語が交互に、サスペンスフルに展開されます。
特に奴隷として囚われた屋敷から脱走するシーンは息の詰まるような緊迫感があり、バハール、そして同行する女性達の汗や拍動が観客に生々しく迫ってきます。
全編を通してイラクの厳しい自然や女性兵士の逞しい姿、苦悩する表情をひたすら克明に追求しており、内戦に対する俯瞰的な視点はありません。
また本作は、中東情勢に詳しくなくとも「バハールの目的と動機は何か」が理解できるシンプルな構成となっています。
それでいて恐ろしくも目を背けられない紛争の光景が、エバ・ユッソン監督の綿密な取材によって作り上げられました。
主人公バハールのモデルは、2018年ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラド女史です。
ムラド女史はイラク内自治区で暮らす少数の宗教民族・ヤズディ教徒の出身で、ヤズディ教徒は以前からイスラム過激派に“異教徒”として槍玉に挙げられており、ISの侵攻ではムラド女史を含む多くの女性と子供が誘拐され、男性は虐殺されました。
誘拐された女性は奴隷としてIS兵士に「分配」されるか売り飛ばされ、子供もやはり奴隷かISの神学校に入れられ、兵士になるよう教育されました。
ISの奴隷は潤沢な資金源であり、強固な密売ルートを持っていたとして知られています。
イラクにISが現れた時点で予想される事態でしたが、誰もこの悲劇を防ぐことはできませんでした。
脱出を果たしたムラド女史はその後平和活動家の道を歩みます。
しかし、本作の主人公バハールは女性兵士部隊を組織し、打倒ISと人質の救出を目指します。
戦士を選択したバハールを「間違っている」と評価することは非常に困難に感じます。
彼女らを戦士として駆り立てた原因はISにあるのか。殺し合いだけが家族と尊厳を取り戻す唯一の手段なのか。バハール達の存在とは一体なんなのか。
生き抜くために走り続ける女性達の物語は、そんな込み上げてくるような問いを観客につきつけます。
紛争と性暴力が生み続けるものとは
「あなたの兄は死んだ」
「天国に行ったと言え」
「いいえ。彼は私に殺されてここに横たわっている。女に殺されると天国に行けないのよ」
これはバハールとIS兵士が会話する一場面です。
バハールの言う通り、IS兵士の間では「女に殺されると天国に行けない」と信じられており、彼らは天国に行けないことを何よりも恐れています。
なぜならIS兵士は「この世は仮宿であり、聖戦で死んだ兵士は本当の住処、天国に行ける。天国では73人の処女に迎えられ、永遠に富んだ生活ができる」と徹底的に教育されている為です。
そしてISの中では、異教徒に対する虐殺・強姦・略奪は全て聖戦として正当化されます。
ちなみに“73人の処女に迎えられ”とはコーランに記述はありません。
むしろコーランにおいては異教徒への弾圧や強姦は厳しく戒められています。
過激派が繰り返す性暴力は、名誉殺人などに代表されるイスラム文化の女性差別も下地にあるとも言われます。
ですが破壊行為が許容どころか賛美され、しかも天国行きが確約されているとなれば、暴虐に傾いていくのはある意味人間の自然な姿なのかもしれません。
特に戦時性暴力と呼ばれる暴行は大きな戦略的効果を発揮します。
かつてノーベル平和賞候補にも挙がったコンゴのムクウェゲ医師は「性暴力はコミュニティを破壊するテロリズムだ」と発言しました。
戦争において女性達は多くの場合、強姦の上に奴隷にされる、辱められる、体をひどく傷つけられるなどして心身に重大な傷を負います。
救出されてももはや元の生活には戻れず、周囲も簡単にそんな女性を受け入れられません。
女性が再起不能となった集団は大きく動揺し弱体化します。
この原因は、出産し育む女性の肉体性による面も大きくあるでしょう。
戦時性暴力は古代から現在に至ってもコンゴやメキシコなど世界中で繰り返されており、敵への有効性が実証されてきました。
それは同時に、人間が消費財でしかない戦争のむごさ、空々しさを浮き彫りにしています。
「彼らは私達をレイプし、私達は彼らを殺す」と掲げる女性兵士の存在は、そんな性暴力に対する最大のカウンターであり皮肉と言えます。
バハール達は信念の元に子を産み、励まし合い、我が子を取り戻すために戦い抜きます。
マチルダもやはり、娘への思いを支えに真実を求めて戦地へと身を投じました。
そこにはっきりと象徴されるのは、命を育む者と根絶やしにする者、二者の熾烈な対立です。
女性兵士の戦いがこの先どのような結末を迎えるのか、そもそも終わりは来るのか。
それはまだ分かりませんが、性暴力がもたらす傷について、そして彼女たちは何のために闘ったのかを描いた記録として本作は大きな意味を持っています。
まとめ
家族と尊厳を取り戻す為に闘う女性を、質実かつ力強く描写した映画『バハールの涙』。
本作は女性が主人公の映画でしたが、長く続く内戦は男女を問わず、確実に人々の心を蝕んでいるでしょう。
本作において略奪を繰り返し、女性を金に換える兵士達は決して幸福には見えませんでした。
弱者を弾圧するたびに加害者の精神もまた荒廃していく、そんな様が手に取るように感じられます。
ですがその荒廃に抵抗する女性達の姿は、苦しみの中に希望が育っていく奇跡をしっかりと見せてくれました。
映画『バハールの涙』は1月19日(土)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショーです。