“香港の黒澤明”と称された映画監督キン・フーが1979年に製作した『山中傳奇』が、このほど192分という【4Kデジタル修復・完全全長版版】での上映が実現しました。
1人の男が、2人のミステリアスな女性に翻弄されていく摩訶不思議な体験を、壮大な映像センスで描き切った力作です。
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映画『山中傳奇』の作品情報
【製作】
1979年(台湾・香港合作映画)
【原題】
山中傅奇 Legend of the Mountain
【監督】
キン・フー
【キャスト】
シルビア・チャン、シュー・フォン、シー・チュン、ティエン・ファン、レインボー・シュー、トン・リン、ウー・ミンサイ
【作品概要】
『山中傳奇』は、中華圏では初めてのカンヌ国際映画祭で受賞を果たした、香港映画界の巨匠キン・フーが1979年に発表したファンタジー時代劇です。
本作はこれまで、約2時間の短縮版が限定上映&ソフト化されたのみですが、この度、4Kデジタル修復された3時間12分の完全全長版が、日本の劇場で一般上映(形態は2Kにコンバートされたバージョン)されました。
映画『山中傳奇』のあらすじ&ネタバレ
11世紀の中国、宋の時代。
波風荒い海岸に、一人佇む男がいました。
その男、若き学僧ホーは、先の西夏との戦乱で命を落とした兵士を鎮魂する経典の写経を依頼されます。
その経典には、冥界と交感して迷える魂を救う力がありました。
これといった志もなかったホーは、金目当てでその仕事を引き受けることに。
ホーは、経典を授かった寺の和尚から、西夏と戦っていた将軍の元参謀ツイが、写経に集中できる場を提供してくれると聞かされます。
加えて和尚は、ホーに写経を狙う悪霊を退ける数珠を授けるとともに、「酒の飲み過ぎには注意せよ」と諭しました。
早速ツイのいる山中の軍府へと向かうホーでしたが、長い旅路で歩き疲れ、道中にあった荒んだ堂で眠ってしまいます。
ふと目を覚まし、通りがかりの杣人に軍府への行き方を尋ねるホー。
杣人は道筋を教えたものの、「あそこには行かない方がいいし、行っても何もない」とも忠告。
ホーは、道中で霧に包まれて笛を吹く白装束の女性を見かけてはすぐ見失うという出来事を何度も繰り返したのち、ようやく軍府に着きます。
ツイはホーを快く迎え入れ、将軍の城内にある側室が住んでいた部屋を提供し、さらにはその夜に歓迎の宴を設けます。
宴の場で、ホーは家政婦のツァイから、自分の子供の家庭教師をしてほしいと頼まれます。
そう言われて現れた子供とは、うら若き女性ユエニャンでした。
その妖艶な容姿と彼女が奏でる太鼓の音色に酩酊したホーは酒が進み、直前に起きた、口の利けない使用人ハンと見知らぬラマ僧とのいざこざもおぼろげに、眠りについてしまうのでした…。
翌朝、ユエニャンの住まいで目を覚ましたホー。
聞けば、酔ったホーを送ってきて彼に求婚され、そのまま一夜を共にしたと言います。
その記憶が全くなかったホーでしたが、責任を感じて結婚を決意。
ユエニャンが将軍の未亡人だから金銭面の心配はないとして、ホーは彼女との甘いひと時を過ごす傍ら、写経作業をする生活を始めます。
ホーとのデート時でも、彼が心配になるほど鬼気迫る表情で、持参した太鼓の音色を響かせるユエニャン。
彼女は、いつぞやのラマ僧の存在を警戒し、義母のツァイも、ホーの部屋を漁るという妙な行動を取るのでした。
ある日、ホーはツイに誘われて城の麓にある居酒屋に立ち寄ります。
店は、夫を戦争で亡くした夫人と、その娘イーユンが切り盛りしていました。
ホーは、酒を交わすうちに酔っ払ったツイに「お前の女房は妖怪だ」と言われ憤るも、イーユンが薬草を採りに行くのに付き添います。
イーユンが、旅の道中で見かけた白装束の女性に似ているとホーが言うと、「それは仏教でいうカルマ(業)ね」と笑いながら答える彼女。
初対面にもかかわらず、急速に心を通わせていく2人。
ところが、突然の雷雨をイーユンとやり過ごして帰宅が遅れたホーは、ユエニャンの怒りを買ってしまいます。
彼女はホーに金縛りの術をかけ、写経を終えるまで部屋に閉じ込めてしまうのでした。
映画『山中傳奇』の感想と評価
“香港のクロサワ”ことキン・フー(胡金銓)監督とは
1932年に北京で生まれたキン・フーは、香港で美術係として映画界入りして以降、俳優業もこなしつつ助監督を経て、1965年の『大地児女』で監督デビューします。
続いて、武侠劇(剣術アクション)の先駆けとなった1966年の『大酔侠』が大ヒットし、さらにアクション映画でお馴染みのワイヤーアクションをいち早く取り入れた監督第3作『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』(1967)で、武侠映画の巨匠と称されるようになります。
1971年の『侠女』での、カンヌ映画祭の高等技術委員会グランプリ獲得で、香港・台湾映画を国際的な地位にまで高め、1997年に亡くなるまでに15本(うち1本は途中降板)の作品を遺しました。
アカデミー賞監督のアン・リーが『グリーン・デスディニー』(2000)で、ツァイ・ミンリャン監督が『落日』(2003)でそれぞれオマージュを捧げるなど、今もなお現世の映画人たちに影響を与えています。
過去、日本で劇場公開されたキン・フー作品はわずか数本ですが、今回の『山中傳奇』完全版の上映は、“香港の黒澤明”とも呼ばれた彼の映像美を堪能できる絶好の機会と言えましょう。
想像の上を行く“音”を武器にしたバトルシーン
剣や槍などの武器で闘う武侠映画の巨匠キン・フーですが、本作『山中傳奇』に関しては、監督本人が公言しているように武侠映画ではありません。
ホーから経典を奪おうとする悪霊=ユエニャンと、それを阻止しようとするラマ僧。
彼らの武器は、太鼓やシンバルといった打楽器が奏でる“音”です。
互いにカッと目を見開いたまま、けたたましく楽器を叩き続ける――まるで、相手の鼓膜が破れるまでを競う耐久レースのようなバトルは、観客に「理屈はよく分からないが、自分たちはとてつもなくスゴイ物を観ている」と思わせること確実です。
自然光や煙を多用した視覚効果
「アクションだけではなく、まず画面をどう見せるか、視覚効果、特に光線処理に凝る」とキン・フー監督自身が語るように、『山中傳奇』もその映像センスが際立っています。
本作は韓国でロケが行われましたが、現地の古い寺院内ではライトを使った撮影が制限されたため、自然光を反射板(レフ)や鏡で光線を反射させ、それを照明にするなどの工夫が凝らされています。
ほかにも、水面に照明を当ててその反射を利用する手法を駆使するなどの、水墨画を思わせる風景描写が、4K修復画像で鮮明に蘇ります。
霧や煙の多用も相まって、怪談話らしい幻想性かつ独自の様式美も見ものです。
まとめ
今回の『山中傳奇』完全版は、それまでの2時間版にはなかった、ユエニャンを中心とする女性たちが、いかにして幽霊になったのかという描写が復活したバージョンです。
もしかしたら、そのあたりを冗長と感じる方もいるかもしれませんが、物語の展開的にはなくてはならないシーンなのは間違いありません。
怪談話でありながら、「音」によるバトルシーンに幻想的な画作りを用いて、世の無常を説いていく。
主人公のホーが体験したことは夢か現実か、映画は観客にその解釈を委ねます。
劇中、ホーが何度も妖しい霧や煙に巻かれるように、観客も「煙に巻かれる」3時間12分を体験するのです。