連載コラム「偏愛洋画劇場」第10幕
今回ご紹介するのは、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなど、ヌーヴェルバーグの映画作家たちから大きな影響を受け、“ポスト・ヌーヴェルバーグ”と称されるフィリップ・ガレルの作品『愛の残像』(2008)です。
自身の息子で俳優のルイ・ガレルを主人公に、男女の激しくも悲しい愛をモノクロームでメランコリックに描きます。
映画『愛の残像』のあらすじ
写真家のフランソワは、ある日女優のキャロルを撮影することになります。
キャロルは既婚者でしたが夫はハリウッドで仕事をしており、仲は冷めたものでした。
フランソワとキャロルは出会ってから瞬く間に恋に落ちますが、キャロルは徐々に心の均衡を崩し、一度自宅へ放火したことにより精神病院に入院します。
しかし、その間にフランソワは、エヴという女性と出会い付き合うことになりました。
退院しそれを知ったキャロルはショックを受け、酒と薬の過剰摂取によりフランソワに会いに行く途中で死んでしまいます。
エヴと共に穏やかな生活を送っていたフランソワでしたが、エヴの妊娠をきっかけにある不思議な夢を見ます。
それは森の中のとある小屋で彼とエヴが眠り、そこへキャロルが訪れてフランソワに話しかける夢。
フランソワは自宅の鏡の中にキャロルの姿を見るようになるのです。
エヴの妊娠を受け入れ結婚を決めても、鏡の中のキャロルは彼に話しかけ続けます。そして、フランソワがとった行動は…。
悲劇の道をたどる女優キャロルを演じたのは『石の微笑』(2004)で男性を翻弄するヒロインを演じたローラ・スメット。
不思議な抗いがたい色気とどこか不安定さのある魔力を持つ彼女は、生と死を行き来して狂おしい愛を見せるキャロルというキャラクターにぴったりと言えます。
フィリップ・ガレルとニコ
フィリップ・ガレル監督はミニマリズム映像作家であり、ほとんどの作品はモノクロームで長回しのカットや少ないダイアログが特徴です。
しかし、その編集手法と脚本が、フランソワとキャロルというキャラクターと、彼らの人格を巧みに浮き彫りにしています。
カメラマンと女優、撮影者と被写体という形で出会ったフランソワとキャロル。
2人が初めてキスをし観客が彼らが恋に落ちたと分かるまで、2人の台詞をごく事務的なもので、なぜ彼と彼女が恋に落ちたのか、一目惚れに近いものだったのか、詳しいことは知ることができません。
2人のプライベートな時間も写真に映そうとするフランソワと、それを嫌うキャロル。
写真を撮る日に遅れたキャロルに腹をたてるフランソワ。
「愛してると言わないで」というキャロル。
ロンドンで知り合った俳優が家に訪ねてきて、フランソワが関係を疑うと泣き出してしまうキャロル。
仕事とプライベート一緒に関係を築こうとするフランソワと、切り離して彼と自分だけの関係を築きたいと思うキャロル。
彼女は精神病院に収容されることになりますが、もともと心の平穏が少ない状況に置かれていたということがよく分かります。
このキャロルというキャラクターは、女優という華やかに見える人生を歩みながらも、世間の好奇の目に晒され純一に愛を求めた悲劇的な道をたどった数々の女性を思いおこさせます。
フィリップ・ガレル監督の作品に大きな影響を与えた女性、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのニコ。
アーティストとして注目されながらもジャンキーになり、最期を迎えた彼女とガレル監督の私的で痛烈な感情と記憶は、『白と黒の恋人たち』(2001)をはじめ、このキャロルと、愛する人を失った後も人生を歩まなければならないフランソワに投影されているでしょう。
フランソワは「僕らは眠る民だ。物語を紡ぐ人は他にいる。だからゆっくりお眠り」と、キャロルに語りかけるこの言葉は、運命的な女性、記憶に眠る女性へのガレル監督自身の言葉でしょう。
物語の中でフランソワは、キャロルの後を追うかのように窓から身を投げ命を絶ちますが、監督は今も過去と自分の心情を投影しながら芸術を紡ぎ続けている、そのことに切なくも尊い美しさを感じずにはいられません。
メタファーとしての「鏡」と「窓」
本作『愛の残像』には2つモチーフが登場します。一つは鏡、もう一つは窓。
物語終盤、鏡を見つめるフランソワの前にキャロルが登場します。
白いネグリジェを着、恨みがましい目でフランソワを見やるキャロル。
「傷ついた愛に生きるあなたは、今の人生に飽きているのよ。私と一緒に来て」。
真っ暗な部屋の鏡の中に、ぼうっとキャロルが浮かび上がるシーンは恐ろしく、悲恋を描いたラブストーリーから一気に生と死の行き来を連想させる霊的な物語へと姿を変えます。
『愛の残像』は刹那的な愛を経験し、穏やかな愛を手に入れ、子供を授かり父親になるという、若い男性の心の不安と移り変わりを繊細に描いています。
「キャロルを救ってやれなかった罪悪感が幻覚となって表れているんだ。月並みな幸福を恐れてるんだ」とう劇中の台詞、またフランソワが名前を呼べば彼女が現れるようになるように、鏡の中のキャロルはフランソワの無意識でもあります。
もう一つのモチーフは窓。
フランソワが見た夢の中、森の小屋の窓が半分だけ開き、そこからキャロルが部屋の中で眠るフランソワへ語りかけています。ラストシーンでフランソワが身を投げる時、次のカットは半開きの窓。
キャロルはフランソワにとって“向こう側”の存在であり、自分とは同じフレームにいない人物でした。
彼がキャロルを想って手を伸ばすのはフレームの外側。
「愛してると言わないで」という台詞からも分かる通り防衛心からか、フランソワとの間にも壁を作っていたキャロルは死により完璧に“向こう側”の存在になってしまいます。
彼は死をもってしか、キャロルと同じ世界、窓の外側へ行くことができなかったのです。
「本当に激しく愛し合えば一つになれる。愛が終わればその存在が消えるだけ」フランソワがつぶやく永遠は、生と死の曖昧を象徴する半分閉じられた窓の間に存在しているのかもしれません。
邦題の「残像」の意味は
悲劇的な結末で“一つになること”を達成したフランソワとキャロル。
では邦題『愛の残像』の残像とは何を指しているのでしょうか。一つはフランソワの無意識を占めていたキャロルの姿。
もう一つはフランソワとエヴの間にこれから誕生する子供なのではないでしょうか。
彼がいなくなってしまった後も一時愛し合った証として生き続ける子供。エヴはこれからも“残像”を見ていかなければならない…そう考えるとぞくりとさせられませんか。
フランソワが旅立った後、誰もいなくなった部屋の鏡にもう一度何者かの姿が映ります。
キャロルでもフランソワでもない、不気味な“それ”。私はキャロルの心を完璧に崩すスイッチを押し、フランソワに月並みな幸福を受け入れられないきっかけを作った“愛”という名の魔物なのではないかと考えています。
2人だけの閉鎖的な空間で愛し合い、窓を開け放ち永遠を探した恋人たちの姿は儚くも美しく、観た者の個人的な感情を思い出を激しく揺さぶります。
光と影のコントラストと、浮世と虚構の世界が混合したフィリップ・ガレル監督作品『愛の残像』。
彼らが紡ぐ言葉に、眠っていた感情が呼び覚まされるかもしれません。
次回の『偏愛洋画劇場』は…
次回の第11幕は、スパイク・ジョーンズ監督による2013年のSF恋愛映画『Her 世界で一つの彼女』をご紹介します。
お楽しみに!