連載コラム「SF恐怖映画という名の観覧車」profile011
2000年にOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)として発売され、斬新な演出の数々が海外を中心に大ヒットとなり、今もなお根強い人気を誇っているアニメ『フリクリ』。
そんな『フリクリ』の完全新作続編『フリクリ オルタナ』(2018)と『フリクリ プログレ』(2018)が18年の歳月を経て、9月7日と9月28日に劇場公開されます。
『フリクリ』の重要な要素の1つである音楽は、前作と同じ長寿バンド「the pillows」が担当し、監督は実写では『踊る大捜査線』、アニメでは『PSYCHO-PASS』などを手掛ける本広克行が担当する最新作の公開が待ちきれません。
今回のコラムでは、『フリクリ』に登場するロボット「カンチ」と主人公との関係性から着想を得て、日本のアニメ映画から観る「人とロボットの関係性」について考えれる作品を紹介したいと思います。
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『イノセンス』(2004)
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)の続編として制作された『イノセンス』では、前作と同様に人々の脳が直接インターネットのような外部との接続が可能になる「電脳化」された社会が描かれています。
主人公のバトーが少女型のアンドロイドが立て続けに持ち主を殺害した事件を追う内に、驚くべき真相に辿り着く今作では、アンドロイドは「道具」のように扱われています。
「ゴースト」とは
「攻殻機動隊」の世界では「ゴースト」と言う言葉が重要な意味を持ちます。
人間が人間たる所以である「自意識」や「精神性」などの意味を持つ言葉ですが、人工的に作られた物体には「ゴースト」が宿らないとされているため、人々はロボットやアンドロイドを「道具」として扱います。
全身を機械の身体にすることも珍しくないこの世界観では、「道具」と「人間」の差は「ゴースト」での判断でしかなく、人形や無機物もそこに人間としての意志が存在するならば「人間」であるとさえ言えます。
紙を破くことに抵抗を感じる人は少ないと思いますが、「その紙に意志があったとしたら?」と仮定を加えるだけで、途端に紙を破くことに大きな抵抗を感じるはずです。
考えてみれば、その差は目には見えない「意志」の存在でしかなく、人の感情はあやふやなものによって支えられているのだと痛感させられます。
このように今作では、殺人を犯したアンドロイドに「意志」が存在していたのか、アンドロイドを「道具」として扱った故の惨事が主題となっていて前作以上に深く考えさせられる作品であると言えます。
『イヴの時間 劇場版』(2010)
2008年よりショートムービーとしてインターネット上で公開された連続アニメを1作にまとめた劇場版作品。
この作品では、「道具」としてのロボットが広く定着し、人型のロボットすらも家庭に普及し始めた未来を題材に、「人」と「ロボット」の関係性を深く描いています。
今作では、ロボットの人工知能が人間に近いほどまでに進化しているため、ロボットをあたかも人間のように扱う人たちが多く登場します。
作中では彼らの事を「ドリ系」と呼び蔑みの対象となっているのですが、多くの人間の想像に反し、ロボットは「趣味」や「無駄な時間」を理解できるレベルにまで人工知能が発達しています。
「人間」と「ロボット」の垣根を無くすローカルルールを採用した「イヴの時間」と言う喫茶店内で、「あるべき関係性」を模索していく今作。
人間と同等の知能を持ち得る存在が人間によって作り出された際、「しょせんは人工物」と言った感情を持ち合わせる人がいてもおかしくはありません。
しかし、感情を持ち合わせ、人と同様に趣味を理解し自分から発想ができることが分かった時、「人間とは何が違うのか」を再度認識する必要が生まれてくるのだと想像させてくれる作品です。
次回の「SF恐怖映画という名の観覧車」は…
いかがでしたか。
次回のprofile012では、9月7日公開の最新映画『500ページの夢の束』(2018)の見どころをご紹介しつつ、「SF」が人に与える「希望」と「夢」について考えていこうと思います。
8月29日(水)の掲載をお楽しみに!