鳴神こそが「死ぬためだけに作られた兵器」?
2023年11月3日に劇場公開を迎えると大ヒットを記録した、山崎貴監督による「ゴジラ」生誕70周年記念作品『ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)』。
その続編『ゴジラ-0.0(マイナス・ゼロ)』が、前作公開のちょうど3年後となる2026年11月3日に劇場公開を迎えることになりました。
本記事では、『ゴジラ-0.0』での登場が明らかとなった「ゴジラ」シリーズの大人気怪獣・キングギドラが、同作ではどのような設定で登場・描写されるのかを予想・考察。
解禁済みの特報・予告で登場した映画の重要キーワード「鳴神作戦」から連想される“ある歌舞伎演目”の物語と、前作『-0.1』ラストが結びつくことで見えてくる「恵みと怒りをもたらす竜神」あるいは「死ぬためだけに作られた兵器」の正体を探ってしていきます。
映画『ゴジラ-0.0』の作品情報
【日本公開】
2026年(日本映画)
【監督・脚本・VFX】
山崎貴
【音楽】
佐藤直紀
【キャスト】
神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、佐々木蔵之介、國村隼、田中美央、安藤サクラ、長澤まさみ、田中泯、吉岡秀隆
【作品概要】
「ゴジラ」生誕70周年記念作品として製作され大ヒットを記録したのはもちろん、第96回アカデミー賞でアジア映画として初の視覚効果賞も受賞した『ゴジラ-1.0』の続編。
前作から引き続き山崎貴が監督・脚本・VFXを務めたほか、主人公・敷島浩一役の神木隆之介をはじめ前作メインキャスト陣が続投。「海神(わだつみ)作戦」によりゴジラ打倒に成功した前作から2年後の日本を舞台に、再び出現したゴジラとの新たな戦いを描く。
映画『ゴジラ-0.0』キングギドラの正体を予想考察!
「鳴神」で連想するキングギドラと“歌舞伎”
『ゴジラ-0.0』特報2でゴジラファンの誰もが聞き覚えのある“鳴き声”が描写され、第64回ニューヨーク映画祭でのワールド・プレミア上映後Q&Aで山崎貴監督自らが「同作に登場する」と明言した、「ゴジラ」シリーズ屈指の人気怪獣・キングギドラ。
「金色の鱗と翼を有し、雷に似た光線(引力光線)を放つ三つ首の竜」という神がかったビジュアルは、日本神話の八岐大蛇や名前の由来元でもあるギリシャ神話のヒュドラなど多くの神話に登場する怪物から着想を得ているとされていますが、一方でその出自設定は各登場作品で大きく異なることでも知られています。
そのため『ゴジラ-0.0』での登場が明らかになった後も「どんな設定で登場するのか?」はファンの間でも考察・議論の話題に。そして考察材料として、元々は旧・日本海軍工廠の技術士官だった野田(演:吉岡秀隆)が予告編内で口にした作戦名「鳴神(なるかみ)作戦」も注目されています。
雷の語源の一つ「神鳴り」と同様、自然現象である雷を神の怒りと捉え、畏怖するための敬称ともいうべき「鳴神」。それは雷に似た形状の引力光線を放ち、初めて見た人間が「竜神」と錯覚するであろう姿をもつキングギドラを評した言葉といえます。
しかしながら歌舞伎を知る方であれば、「鳴神作戦」という作戦名を聞いた瞬間、別の連想に至った方もいるのではないでしょうか。
歌舞伎『鳴神』の登場人物と“封印されし竜神”
実は歌舞伎には『鳴神』という名を持つ演目があります。
世継ぎがいないことを悩んでいた天皇からの依頼により、高僧・鳴神上人(しょうにん)は、戒壇(出家者・僧侶に戒律を授ける儀を執り行う場)の建立を条件に、世継ぎ誕生の願を掛ける。願掛けは成就したが天皇は約束を破ったため、怒った上人は呪術によって雨を降らす竜神を滝壷に封印してしまう。
旱魃に陥ったことで、朝廷は内裏一の美女・雲の絶間姫(たえまひめ)を送り込み、上人を色仕掛けで誑かす。その隙に姫は竜神の封印を解き、再び天から雨が降り始めたが、怒り狂った上人は逃げ去った姫を追いかける……。
「竜神の封印を解いた美女と、美女の計略によって怒り狂う羽目になった、鳴神(雷)の名を持つ者」……そのあらすじは一見すると『ゴジラ-0.0』とは関係のないように感じられますが、『ゴジラ-0.1』ラストで不穏な描写がされた“美女”典子(演:浜辺美波)の存在によって、想像は更なる深みへとハマっていきます。
“封印すべきゴジラ細胞”を解放してしまう典子
奇跡の生還を果たすも、首元には“黒いアザ”が残り「ゴジラの熱線による放射能被曝の証」とも「ゴジラ細胞が人体に転移した証」とも考察されてきた典子。そしてファイナル予告編で緒方医師(演:國村隼)の証言「その患者は本来なら、絶対亡くなっていたはずだ」と共に映された典子の姿から、「ゴジラ細胞が人体に転移した証」説は濃厚となりつつあります。
“怪物”じみた再生能力を持つゴジラ細胞が、人体に転移した。それは科学者たちにとっては、人類の永久の欲望というべき“不死”を実現する第1段階というべき状態である一方で、「人類は不死の怪物となり得る」という核兵器以上に世界を混沌と戦争に導く兵器誕生の可能性も考え得る状態でもあります。
さらに予告編で描写された、シャーレに保管されたゴジラの体組織片と、科学者と思しき風貌の老人・村上(演:田中泯)が口にする「毒をもって毒を制すじゃ」というセリフと、野田の「それは人間のやっていいことの範疇超えてる」というセリフ。そして「人類の罪と罰。/もう、無(ゼロ)には戻れない」という本作のキャッチコピー。
人間がやっていいことの範疇超えてるもの……「世界の秩序を保つためにも、たとえ不死実現の可能性があっても封印すべきゴジラ細胞を、兵器転用することで生み出された新たな怪物・キングギドラ」こそが、歌舞伎演目『鳴神』の物語における「封印された竜神」ではないか。そして兵器転用の鍵を握る存在であろう、ゴジラ細胞と融合した人間・典子こそが、「竜神の封印を解く美女」なのではないでしょうか。
まとめ/“罰を超える罪”は「死ぬためだけに作られた兵器」
歌舞伎の演目『鳴神』において、大地に雨をもたらす竜神が「天の神から降る恵み」を象徴するのだとしたら、竜神を封印し雨を絶やすほどの力を持ち、雷のごとく怒り狂う鳴神上人は「天の神から降る怒り」の象徴している。そう考えた時、『鳴神』の物語における鳴神上人と竜神は同一の存在であり、恵みも災いも等しく与える自然現象から形作られた「天に住まう神」の異なる顔をもつ化身たちととも解釈できます。
ゆえに「封印された竜神」ことキングギドラが解き放たれた時、それは人類の敵・ゴジラを殺すという恵みと同時に、鳴神=雷のごとき怒りも振り撒くことは必至といえるでしょう。
核実験という自然を穢す行為によって生み出された不死の怪物・ゴジラ。それは自然を穢す行為という人類の“罪”に対して、人類の想像の範疇を超えた場所から与えられた“罰”そのものというべき存在。
しかし人類は「不死の怪物・ゴジラから国と人を守る」という大義のもと、ゴジラという“罰”すらも超える存在として「ゴジラ細胞を兵器転用した怪物」という新たな“罪”=キングギドラを生み出さんとしているのではないか。
そしてスルーできないのは、ファイナル予告内で野田が口にした「死ぬためだけに作られた兵器です」というセリフ。
そのセリフからは、「ゴジラを殺すことに成功しても、ゴジラを超える怪物・キングギドラの“後始末”はどうするんだ?」という誰もが抱く疑問に対する答えでもある「キングギドラは人工生物ゆえに生命活動の“限界”を有する生物兵器であり、ゴジラ殺害の任務後には細胞死が発生し、絶命するように設計されているのではないか」という人類の業が凝縮された罪が浮かび上がってくるのです。
編集長:河合のびプロフィール
1995年静岡県生まれの詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部として活動開始。のちに2代目編集長に昇進。
西尾孔志監督『輝け星くず』、青柳拓監督『フジヤマコットントン』、酒井善三監督『カウンセラー』などの公式映画評を寄稿。また映画配給レーベル「Cinemago」宣伝担当として『キック・ミー 怒りのカンザス』『Kfc』のキャッチコピー作成なども精力的に行う。(@youzo_kawai)。

(C)田中舘裕介/Cinemarche





























