映画『ルックバック』特集コラム
「私たちが見つめる背中」第1回
集英社が配信する漫画配信アプリおよびWEBサイト「少年ジャンプ+」で公開され、一晩で120万以上の閲覧数を記録した藤本タツキの同名漫画をアニメーション映画化した『ルックバック』。
2024年6月の劇場公開ではヒットを記録し、ついに同年11月8日よりAmazonプライムビデオにて待望の配信が開始されました。
配信開始を記念しての本作の特集コラム「私たちが見つめる背中」第1回では、原作漫画および映画のタイトル『ルックバック』の意味を改めてクローズアップ。
タイトル和訳や引用元、そして《先を行く人》になってしまった者の「背中」を見ることで思い出せる「顔」などを考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『ルックバック』の作品情報
【日本公開】
2024年(日本映画)
【原作】
藤本タツキ『ルックバック』(集英社ジャンプコミックス刊)
【監督・脚本】
押山清高
【キャスト】
河合優実、吉田美月喜
【作品概要】
『ファイアパンチ』『チェンソーマン』などで知られる人気漫画家・藤本タツキが、2021年に「少年ジャンプ+」で発表した長編読み切り作品を映画化。
監督・脚本は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009)『借りぐらしのアリエッティ』(2010)『風立ちぬ』(2013)などに主要スタッフとして携わり、テレビアニメ版『チェンソーマン』では登場する悪魔たちのデザインを担当した押山清高。
『あんのこと』(2024)で主演を務めた河合優実が藤野役を、『カムイのうた』(2024)で主演を務めた吉田美月喜が京本役を演じた。
映画『ルックバック』のあらすじ
学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。
以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。
しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。
漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。
しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる……。
映画『ルックバック』タイトルの意味を考察・解説!
「背中を見て」が見せるもの
原作漫画ならびに映画のタイトルに冠された「ルックバック(look back)」は、ストレートに訳せば「後ろを見る」となり、より比喩的な表現では「過去を振り返る」「回想する」と訳せます。
また、原作漫画・冒頭の教室の場面にて映る黒板に「Don’t」と書かれており、ラストのコマでは藤野の執筆スタジオの床に「In Anger」と表紙に記された本が置かれていること。
そのような描写から、親しい女性との魂の別れを綴ったオアシスの世界的名曲であり、その歌詞ゆえにイギリス・マンチェスターテロ事件の追悼集会にて合唱が起こったという「ドント・ルック・バック・イン・アンガー(Don’t Look Back in Anger:怒りで振り返らないで)」をタイトルに引用したのではと考えられています。
そして、京本の死を知った藤野が思い出した過去の記憶の風景にて、「もっと絵ウマくなるね!藤野ちゃんみたいに!」と京本に言われた藤野が返した「京本も私の背中みて成長するんだなー」という言葉、そして《もしも》の世界線を生きる京本が描いた4コマ漫画のタイトルからも、原作漫画・映画作中では「背中を見て」という意味でも用いられています。
「先を行く人」の顔を思い出すための背中
扉の隙間を超えてきた《もしも》の世界線上の京本による4コマ漫画『背中を見て』のおかげで、ようやく生前の彼女の自室に入ることができた藤野。
「look back」の言葉通りに藤野が振り返った時、そこには扉の後ろに吊り上げられていた、藤野のサイン入りの半纏……藤野が漫画家として初めてサインした品であり、幼さゆえに縋る自己承認欲求を超えた「自分が必死に作り上げたものを、心から愛してくれる人」=「何の役にも立たなくて、楽しくないしメンドくさいだけの漫画を描き続ける理由」の証があった……。
なお、映画中盤では原作漫画にはないオリジナルシーンとして、手を引かれながら走っていた京本が藤野の走りについていけず、二人の手が少しずつ離れていく中で先を行く藤野の背中を見つめる姿が描写されています。
漫画家という光り輝く道を自らの足で歩んでいく藤野の「背中」を見たからこそ、京本は背景美術という自身が本当に歩みたい道を選び、ゆえに袂を分つことになる二人の未来を予感させる同シーン。また同時に、通り魔殺人事件により京本が「先を行く人」になってしまうという二人の間で起こる悲劇的な未来も予感させるシーンでもあります。
別れによって、2度と同じ道を、同じ時間を並んで歩くことができなくなった相手……藤野にとっての京本だけでなく、誰の心にも存在するであろう「先を行く人」の顔を見ることはできず、その人の背中だけしか、《ここ》という今を歩んでいる者には見えない。
しかしながら、誰も描くことを応援してくれなくなった自分の漫画を愛してくれた京本の姿を……「先を行く人」になり顔を見られなくなっても、心の中ではありありと思い出せる、漫画原稿の先に必ず浮かんでいた京本の笑顔を、藤野は4コマ漫画とサイン入り半纏という京本が遺してくれた「背中」で思い出せたのです。
まとめ/先人が遺したものを《ここ》で思う
「先を行く人」となってしまった人の、顔を思い出させてくれる背中。それと同じ関係性を見出せるのが、故人が遺していった創作物と鑑賞する《私たち》です。
詩、小説、書、音楽、絵画、彫刻、陶芸、工芸、写真、映画、アニメーション、そして漫画……時には数千年前に亡くなった人々が作り上げた創作物を、《ここ》という今を生きる私たちは鑑賞し「彼ら彼女らはどんな思いのもと、この作品を作ってくれたのだろうか」と感じる中で、元々知らないはずの創作者たちの顔を思い出す。
「先を行く人」=「先人」の背中を見つめ、生前の一人の人間としての顔に思いを馳せることが、創作物と鑑賞する私たちの関係性の根幹なのかもしれません。
そして藤野にとって京本は、自身の背中=過去に積み重ねてきた創作物を愛してくれた鑑賞者であり、「あの京本に認められた」と嬉しくなり「何の役にも立たない漫画」をもう一度描きたくなるほどの背中を見せてくれた、優れた創作者でもあったのです。
編集長:河合のびプロフィール
1995年静岡県生まれの詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部として活動開始。のちに2代目編集長に昇進。
西尾孔志監督『輝け星くず』、青柳拓監督『フジヤマコットントン』、酒井善三監督『カウンセラー』などの公式映画評を寄稿。また映画配給レーベル「Cinemago」宣伝担当として『キック・ミー 怒りのカンザス』『Kfc』のキャッチコピー作成なども精力的に行う。(@youzo_kawai)。