むつ市立図書館の恒例企画
「川島雄三WEEK」2023年開催記念インタビュー!
『幕末太陽傳』(1956)、『洲崎パラダイス 赤信号』(1956)、『風船』(1957)など数多くの名作を残し、45歳の若さで亡くなった後も後世の作り手たちに影響を与え続けてきた、むつ市出身の映画監督・川島雄三。
むつ市立図書館では、川島監督の命日である6月11日=「雄三忌」にあたって毎年特別企画展を開催しており、“川島監督の没後60年”という節目の年となった2023年にも「川島雄三WEEK」として資料展示・作品上映が行われました。
2023年6月3日〜6月11日に無事幕を閉じた「川島雄三WEEK」。それを記念して、このたび「川島雄三WEEK」の企画を担当したむつ市立図書館の主任主査・川部小枝華さんにインタビューを行いました。
「雄三忌」やむつ市立図書館での特別企画展が始まった経緯はもちろん、むつ市にとって映画監督・川島雄三はどのような存在なのか、“図書館”という機関で地元出身の芸術家の功績を伝えることの意味は何かなど、貴重なお話を伺うことができました。
CONTENTS
映画監督・川島雄三の記憶を残し続けるために
──毎年恒例の特別企画展を始められた経緯、そしてむつ市立図書館内に「川島雄三記念室」が創設された経緯を改めてお教えいただけますでしょうか。
川部小枝華(以下、川部):川島雄三監督が亡くなったのは1963年(昭和38年)6月11日。没後も、日本の中央では急ぎすぎた人生の突然のピリオドを惜しむ声や、遺された作品への高い評価が轟いていましたが、方や、監督のふるさとである当方・むつ下北地域での認知は風化の一途を辿っていたようです。地方と都会の文化的な情報格差は、現代とは比較にならないほど大きかったでしょうし、VHSやDVDも無い時代に、地域住民が監督の作品を鑑賞する機会はほとんどなかったことを考えると、致し方ない状況であったと思われますが……。
ただ、やはり川島監督という郷土の英傑が、このまま顧みられなくなってしまうということは、あってはならないのだ!と川島雄三を敬愛する有志の皆さんが立ち上がり、地域住民向けの第1回の鑑賞会を開催したのが1975年(昭和50年)、2年後、1978年(昭和53年)の第2回の開催が翌年1979年の顕彰碑(むつ市・徳玄寺)建立と命日の慰霊の儀である「雄三忌」のスタートにまで繋がったようです。
当時の方々のご尽力・ご苦労は「映画監督川島雄三を偲ぶ会」発行の書「ミューズの蹠」に詳しいのですが、実行委員会を組織して行なわれた事業の中で、行政側として参画したのが教育委員会であり、以降、むつ市において川島監督に関わる事業は、教育委員会の社会教育課(その後の生涯学習課)が担ってきました。
その後、むつ市内で新たな図書館の建設が計画された際、市内に美術館や郷土資料館といった類の施設が無く、また別途単独での建設も予算等の関係上困難であることから、新設の図書館に「郷土に縁の芸術家や文化人の作品等を市民や来館者が鑑賞できる」機能を付帯することとなって、今ひとたび、むつ市のレガシィ「川島雄三監督」に光が当たりました。
川部:記念室創設決定に至った詳細な記録といったものは現在では保存されていないのですが、結果的には、市に縁の作家による絵画や彫刻は、館内の至る所にさりげなく配置され、施設の格調をぐんと高めてくれることとなり(ご来館いただくことがあったらぜひご鑑賞ください)、川島監督については、ご遺族や関係者から貴重な遺品やお写真などをお預かりしたりもして、2000年(平成12年)にむつ市立図書館と「川島雄三記念室」が誕生することとなりました。
計画当時(…から現在に至るまでも(泣))市内には映画館が無い中、新設の図書館には「視聴覚ホール」という名のちょっとした(99名程度のお席の)「映画を鑑賞できる環境」が備えられたのも一因ではないかと推測します。
新図書館に記念室を設けたことから、市の川島監督に関わる事業は図書館が受け継ぎ、毎年6月11日の雄三忌に合わせて展示や監督作品の上映会等を行なっている他、生誕・没後の周年企画などは、偲ぶ会をはじめとする関係機関とも力を合わせて、ちょっと大きな事業をがんばったりしている次第です。市の組織ですので担当者も変わっていきますが、想いは偲ぶ会の皆さまが初めての上映会をした当時ときっと同じで「川島雄三を後世に伝えていきたい」、これに尽きると感じています。
青森県を代表する“シネマの鬼才”
──現在のむつ市において、映画監督・川島雄三はどのような存在として知られているのでしょうか。
川部:過去、長く図書館長を務められた方にお伺いしてみたら“青森県における芸術・文化の面で「津軽には太宰治、南部には寺山修司、下北には川島雄三」と並び称しても決して遜色がないぐらい功績のある人物ではないか”と仰っていて、なるほど図書館らしい表現で、とてもしっくりきました。
奇才(鬼才?)の冠を戴くだけあって、その作風が広く一般大衆に受けるような娯楽大作ではないこともあり、知名度という点では他の映画監督に及ばないところは感じますが、市井にも、また映画や芸能の業界においてはことさら、熱烈なファンがいて、今なお回顧展が開かれては耳目を集める存在であること、そして、若く突然すぎた死を含め、彼の人生そのものが劇的で鮮やかで、作品をひとたび囓ろうものなら、監督の人となりのその髄までしゃぶり尽くしたくなる存在であることから、市は今よりもっと積極的に「むつ市に川島あり!」と打ち出すべき!という思いを抱かせます。
しかし、そう思う半面、今ぐらいのテンションで、「わかるヒトにはわかる」「知るヒトぞ知る」という“にくい”ポジションをキープしていくのも、何だか川島雄三“らしい”気もします。
当の監督は「また、どうでもいいことを論じているナァ」と草場の陰で紫煙をくゆらせ、にやりとされているかもしれませんが。
余談ですが、当地域のご当地かるたで『下北かるた』というものがあり、地域の子どもたちの郷土への理解を深める学習などで教材として使われていますが、その『下北かるた』の『さ』の札に川島雄三が当てられています。かるたの大会などが行なわれる学校もあるので、読み札を諳んじている子どもも多くいます。『さよならだけがじんせいと シネマのきさい かわしまゆうぞう』……子どもたちがいつか、井伏鱒二の「勧酒」にたどり着き、きさい=鬼才・川島雄三と認知してくれることを願い……刷り込みを図っています。
「“図書館がやる”企画展」という強みを出せた
──「川島雄三監督の没後60年」という記念すべき年の開催となった2023年度の特別企画展の、例年までとは異なる展示内容や魅力についてお教えいただけますでしょうか。
川部:コロナ禍においては、当館も催し物などを自粛しており、ここ3年ほどは雄三忌のイベントも、中止や上映会のみといったコンパクトな開催にとどめていましたが、2類から5類への移行に伴い、やっと世の中も人が集まる場を許容するムードになってきたので、図書館のイベントとしても今年こそはちょっと力を入れましょうか!という思いが、まずありました。
また、昨年度中、共同通信社が配信された故・森英恵さんの追悼記事、そして朝日新聞土曜版の山田洋次監督による連載記事「夢をつくる」で、お二人が川島監督について語られていて、当館としては川島監督に関わる情報として当然スクラップしたのですが、スクラップしながら「こういうところをもっと紹介してみようか」と思ったのが企画展の構想の出発点となりました。
“あの「寅さん」の山田洋次監督が”“あの世界的なデザイナー森英恵さんが”川島監督をこんなに慕っていて、お二人のその後に影響を与えている……これまで、川島監督をよく知らなかった方にも「へぇ!川島雄三ってすごいんだ」と思っていただけるのではないかと考えたわけです。そして、川島映画の裏方として活躍されたお二人をピックアップするなら、同じように川島監督を支えた「川島組」の人々もご登場願おう、とか、川島監督やその作品が後に影響を与えたものという視点もおもしろいかも……上映を予定している『幕末太陽傳』の幻のラストシーンなんて、“あの庵野秀明監督がシン・エヴァで……?”なんて考察もあるらしいし……という風に広がっていきました。
最終的に、川島雄三のチカラは、こんなところにまで届いているんですよという影響力の大きさというものさしでもって、初めましての方には強烈に、フリークの方には今一度、川島監督の大きさをお伝えしようというのがコンセプトとなりました。
これまでの展示では、主に作品や川島監督そのものに直接当てていたスポットを、敢えて川島監督の周囲に向け、その反射で監督を照らし出そうというイメージです。
さらに、周囲に当てられたスポットから、映画の裏方の仕事が気になる方がいてもいい、『幕末太陽傳』の基となる落語を聞いてみようかなという人もきっといる、そんなときはこちらをどうぞ、と展示パネルと共に図書館の様々な資料をご紹介できたところは“図書館がやる”企画展という強みを出せたのではないかと思います。
没後60年という節目の年に、今までとは少し趣向を変えた新しい視点で企画展にチャレンジしてみたことで、これから先も常に新たに川島監督を知ることができるという可能性をお示しできたのではないかと考えています。
「本」という無限の広がりを内包するコンテンツ
──「人々の歴史ならびに記憶を記録・保存し、次世代の人々に伝える」という役目を担う図書館という機関において、川島雄三監督など地元出身の芸術家の功績を伝えることの意味とは何でしょうか。
川部:図書館は、「資料を準備しています。調べる環境も整えています。どうぞ使ってください」という、どちらかといえば“受け身”な“待ち”の構えの施設だと思いますが、その実、「本」という無限の広がりを内包するコンテンツをもっていて、その打ち出しようによっては、とても大きな訴求力を発揮する場でもあると思います。
純粋に、郷土の歴史を、事実を後世に伝えるための施設・組織として、価値ある資料を収集し適切に管理していく役割を担うことは当然のこととして、記録が「そこにある」というだけでなく、「それを広く知らしめる」……・例えば常設の記念室をもち、雄三忌には特別な催しをするというプッシュ型のアクションを起こしていくことは、郷土への誇りやシビックプライドの醸成……のきっかけづくりぐらいにはなるんじゃないかと考えています。
むつ下北の若者の多くが、川島監督のように、志を抱いて都会へ出て行きます。他の地から来た新たな友人との間で互いのふるさとが話題になったとき、「川島雄三というすごい映画監督がいてさ」と語りだせたら、ちょっと得意ないい気分だと思うのです。
外からお出でになる方へのお国自慢であることに加えて、地域に住む我々の心を少し強くする、そういう意義をより感じています。
新しい「川島雄三」を探求し、紹介し続ける
──特別企画展や川島雄三記念室における展示内容の新たなアイディアなどを含め、むつ市立図書館では今後もどのような形で映画監督・川島雄三を伝え続けていきたいとお考えなのでしょうか。
川部:今回、川島監督の周囲の方々にほんの少し目を向けてみただけで、本当に多くの方が、思い思いの川島像を語られていることを知り、図書館としては、所蔵しているそういった方々の著書を一つ一つお手にとって読んでいただきたいところでもあるのですが、そちらに水を向ける意味でも、様々な方の川島監督を語る言葉をご紹介してみたらどうだろう、と思ったりしています。
カメラ好きの川島監督のスナップ写真なども、昔風の分厚いアルバム数冊にわたりお預かりしており、担当者だけが眺めるのは、バチがあたるような気がしていますので、ぜひいつかお目にかけたいとも思うのですが……肖像権のこととか、いろいろ頭を悩ませてもいます。
また、現在、前述の「映画監督川島雄三を偲ぶ会」で記念誌の発行に向けた準備を進めていらっしゃるということもお伺いしておりますので、発行された際にはご一緒にお祝いや記念の催しができればと考えています。
そして、この先もずっと私たち自身が「川島雄三」に対する情熱を保ち続け、近くから遠くから、目をすがめたり、反対に回ったりして、新しい「川島雄三」を探求し、ご紹介し続けていきたいと思っています。
インタビュー/河合のび
映画監督:川島雄三プロフィール
1918年(大正7年)2月4日生まれ、青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)出身。田名部尋常高等小学校から旧制野辺地中学(現野辺地高等学校)で学ぶ。
1935年、明治大学専門部文芸科へ進み、映画研究部に所属。1938年、松竹大船撮影所助監督採用試験を受け入社。最初についた監督は、渋谷実(『女こそ家を守れ』)。1943年、監督試験で川島雄三は主席合格。
第1回監督作品は、織田作之助原作・脚色による『還って来た男』。松竹・日活・東宝・大映と移籍を繰り返し、生涯で51本の作品を残した。
1963年6月11日朝、東京・芝の日活アパート9階の自室で急逝。直接の死因は「肺性心」。傍らには『江戸商売図絵』と読みかけの『中央公論7月号』が開いたままであったという。遺作は、東宝映画『イチかバチか』である。待機作(急逝により未完)3本。
むつ市立図書館の案内情報
【開館時間】
・火〜金:午前9時00分〜午後7時00分
・土〜月・祝:午前9時〜午後5時00分
【休館日】
・毎月第2木曜日の施設保全・点検日(1月・6月を除く)
・毎月第4木曜日の図書整理日(6月・12月を除く)
・6月の蔵書点検期間(8日間)
・年末年始(12月28日~1月4日)
【所在地(本館)】
・〒035-0073/青森県むつ市中央二丁目3-10