映画『ベイビーわるきゅーれ』は2021年7月30日(金)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開!
圧倒的な暴力描写で自主映画界を席巻してきた阪元裕吾監督(『ある用務員』『黄龍の村』)による映画『ベイビーわるきゅーれ』。「元・女子高生」の殺し屋コンビが、「表」の社会になじむため奮闘する姿を描いた異色の青春映画となっています。
このたびの劇場公開を記念し、舞台『鬼滅の刃』の竈門禰豆子役で注目を浴び、本作が初の映画主演作となった髙石あかりさんにインタビュー。
「元・女子高生」の殺し屋・ちさとを演じるにあたっての役に対する想い、その上でどのように役と向き合っていったのかなど、貴重なお話を伺いました。
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ふたたび「殺し屋」へ
──髙石さんは阪元裕吾監督の映画『ある用務員』でも伊澤さんとともに「殺し屋」の役を演じられていました。初の主演作となった本作にて再び「殺し屋」を演じられるにあたって、どのような役作りをされたのでしょうか?
髙石あかり(以下、髙石):やっぱり役そのものは違えど、『ある用務員』で伊澤さんと演じさせていただいたリカ・シホと『ベイビーわるきゅーれ』のちさと・まひろの二人って共通点が多いじゃないですか。だからこそ、どう違う魅力を見せていけるかが大切かなと思っていました。
また阪元監督も、本作は決して『ある用務員』のスピンオフ作品ではないと話された上で、二人の殺し屋にまつわる映画を新たに撮るにあたって「一緒に作り上げていこう」とおっしゃってくださいました。
実際、阪元監督はあまり「縛り」は作らないといいますか、監督とキャストがお互いに抱いた解釈を尊重し演出をしてくださる方でした。
そのおかげで、撮影中は変なプレッシャーを背負わずに済んだんですが、そう接してくださるからこそ「阪元監督の期待にも応えたい」「阪元監督が思うちさとでいたい」と感じたため、ちさとを演じるにあたっての自分なりの答えを探し続けていました。そして脚本をいただいた時から「意外と自分はちさとと似ているな」と感じたので、素の自分のままでちさとという役に臨むことを選びました。
ただその選択ができたのも、自分が撮影の中でも意見やアイデアを出せたのも、阪元監督やスタッフさん、伊澤さんをはじめ共演者の皆さんがいてくださり、受け入れてくださったこそだと感じています。
どちらも、本当のちさとの生き方
──ご自身と「似ている」と思える部分を感じられたという殺し屋・ちさとですが、撮影を進められてゆく中でその認識に何らかの変化や新たな発見などはあったのでしょうか?
髙石:「想像していた以上に、ドライだな」とは思いました。ちさとは、天真爛漫で元気で明るくて愛想が良くて……という印象を受けるんですが、映画の中盤からはもの凄くドライで達観している「もう一人のちさと」が見え隠れするんです。そういう部分も含めて「自分と似ている」と感じてはいたんですが、ちさとの想像以上にドライな一面を演じる中で「この子は、本当は何を考えているんだろう」と少し怖さを抱いてしまう時もありました。
ちさとの内には実は秘めた想いがたくさんあって、ただ生きていく中でそれをさらけ出すことをしなくなった、その代わりに社交性や愛想の用い方を自然と学んでいったんじゃないか。その内に秘めている数え切れないほどの想いを、自分は本当に掴めているのかという疑問が、ちさとを演じるたびに見えてきたんです。
──そうして見えてきた疑問に対し、髙石さんはどのように向き合われていったのでしょうか?
髙石:達観している時のちさとって、信じられないぐらい冷たいんです。ただその「冷たさ」を、「ちさとが“いい人”であるが故に現れているもの」として見せることだけは絶対にしたくなかった。そうすることは、ちさとに対して嘘を吐くのと同じだと感じられたんです。
愛嬌を見せ、他人に愛されるよう頑張っている姿もちさとの生き方で、達観し他人を含めた一切を非情に考えられる姿も彼女の生き方である以上、「冷たさ」が現れる場面では「愛されたい」という想いをゼロにして、ちさとのもう一つの生き方に踏み込んでいく勇気が必要だと撮影時は思っていました。
ちさと/髙石あかりのベストショット
──ある意味では、人付き合いが苦手な気質から「殺し屋」以外の仕事や生活に悩まされるまひろ以上に、ちさとは「殺し屋」という自身の生業に諦めを抱いているのかもしれません。
髙石:もちろん、ちさとはすでに人を殺すことに最早躊躇などなくて、その行為自体には何の感情も湧かないのかもしれません。しかし、「表」の社会で普通のアルバイトを通じて人に触れて、姫子(演:福島雪菜)のような良い先輩に出会って、自身が本来ほしかったのかもしれない「人の温かみ」と呼べるものを得る中で、ちさとは「ここにいたい」と感じちゃったんだと思うんです。
そして「殺し屋」とは違う「ここにいたい」と感じられる場所が垣間見えたのに、ある事件が起こったことでその願いは実現できなくなってしまった。その瞬間、決して他人に打ち明けずに内に秘めようとしていた彼女の想いが、わずかに現れるんです。
映画では、その瞬間をアップで撮っているシーンがあります。願いが絶たれてしまった状況に立ちながら「私はもう、ここにはいられないな」「やっぱり、殺し屋として生きていくしかないんだな」とたくさんの想いがちさとの中で溢れ続けるけれど、それを言葉にして外に出すことはない。ただ、表情にはその心のあり様が表れていて、ちさとの「芯」に秘められている心情を一瞬だけ捉えた瞬間だと思っています。
私はそのシーンが凄く好きで、だからこそ映画をご覧になる皆さんにも注目して観てもらいたい瞬間でもあります。
実はそのシーンは、映画『ランボー/最後の戦場』(2008)終盤での主人公ランボーの姿をイメージして描かれているんです。阪元監督にこのシーンを見せてもらった時には「できるかなあ?」と不安になったのは今でも覚えていますが、もしかするとあの瞬間、私の心はランボーになっていたかもしれません(笑)。
「怖い映画」ではなく「可愛い映画」
──最後に、完成した映画『ベイビーわるきゅーれ』をご覧になられた際のご感想を改めてお聞かせ願えますか?
髙石:とても嬉しいことに完成した映画をご覧になってくださった方からは「面白い」という言葉をいただけることが多くて、私はそれが何よりも感動しました。
また「自身が出演している」という前提を抜きにしても、自分が観てきた映画の中で純粋に「面白い」と思えたのがこの『ベイビーわるきゅーれ』でもあるんです。自分から言うのは少し恥ずかしいんですが、もう20回以上観ているぐらいです(笑)。
先に予告編をご覧になった方の中には、「殺し屋」という設定からも「少し怖い映画かも」と印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、映画を観終えたときには「殺し屋映画」というジャンルへのイメージが大きく変わっているかもしれません。
一方で「案外、こういう殺し屋たちがいるのかな?」「映画で描かれる高校卒業より前に、彼女たちにはどんな人生があったんだろう?」「映画が終わった後、どんな人生を歩んでいくんだろう?」と想像を膨らませられる作品だと思っていますし、それが楽しく感じられるのが魅力の一つだと捉えています。
そして私自身は、この映画のことを「可愛い作品」だと思っています。だからこそ登場するキャラクターや作品の雰囲気などをはじめ、『ベイビーわるきゅーれ』を愛おしく感じてもらえたら嬉しいです。
インタビュー/河合のび
撮影/田中舘裕介
髙石あかりプロフィール
2016年にダンス&ボーカルグループ「a-X’s(アクロス)」のメンバーとしてデビュー。卒業後、女優活動を本格化。2020年舞台『鬼滅の刃』で竈門禰豆子役に抜擢され話題を集める。その後も話題の舞台に続々出演。
2021年1月には映画『ある用務員』(阪元裕吾監督)が公開され、AbemaTVで放送中のドラマ「箱庭のレミング-私刑俱楽部-」にも出演。2021年夏には再び舞台『鬼滅の刃 其の弐 絆』の竈門禰豆子役として出演予定。本作で映画初主演。
映画『ベイビーわるきゅーれ』の作品情報
【日本公開】
2021年(日本映画)
【脚本・監督】
阪元裕吾
【アクション監督】
園村健介
【主題歌】
KYONO「STAY GLOW feat.TAKUMA(10-FEET)」
【キャスト】
髙石あかり、伊澤彩織、三元雅芸、秋谷百音、うえきやサトシ、福島雪菜、本宮泰風、水石亜飛夢、辻凪子、飛永翼(ラバーガール)、大水洋介(ラバーガール)、仁科貴
【作品概要】
「元・女子高生」の殺し屋コンビが、「表」の社会になじむため奮闘する姿を描いた異色青春映画。監督は圧倒的な暴力描写で自主映画界を席巻してきた阪元裕吾(『ある用務員』『黄龍の村』)。
主演は舞台『鬼滅の刃』の竈門禰豆子役で最注目の髙石あかりと、女性スタントアクションの異端児・伊澤彩織。殺し屋としての本格アクションシーンが見どころなのはもちろん、私生活における今の時代ならではの、若い世代の考え方や価値観が散りばめられたオフビート・コメディの一面も見逃せない作品となっている。
映画『ベイビーわるきゅーれ』のあらすじ
女子高生殺し屋二人組のちさととまひろは、高校卒業を前に途方に暮れていた……。
明日から“オモテの顔”としての“社会人”をしなければならない。組織に委託された人殺し以外、何もしてこなかった彼女たち。
突然社会に適合しなければならなくなり、公共料金の支払い、年金、税金、バイトなど社会の公的業務や人間関係や理不尽に日々を揉まれていく。
さらに二人は組織からルームシェアを命じられ、コミュ障のまひろは、バイトもそつなくこなすちさとに嫉妬し、二人の仲も徐々に険悪に。
そんな中でも殺し屋の仕事は忙しく、さらにはヤクザから恨みを買って面倒なことに巻き込まれちゃってさあ大変。
そんな日々を送る二人が、「ああ大人になるって、こういうことなのかなあ」とか思ったり、思わなかったりする、成長したり、成長しなかったりする物語である。