映画『おろかもの』は2021年3月12日(金)より京都みなみ会館、3月13日(土)よりシネ・ヌーヴォ、4月17日(土)より神戸アートビジッジセンター他にて全国順次ロードショー!
第13回田辺・弁慶映画祭でグランプリを含む5冠に輝くなど、数々の映画祭で高い評価を受けた映画『おろかもの』が全国順次ロードショーされています。
高校生の洋子はある日、結婚を間近に控えた兄が、美沙という女性と浮気している現場を目撃してしまいます。洋子は美沙を尾行し彼女を直撃しますが…。
沼田真隆によるウィットに富んだ脚本と芳賀俊、鈴木祥、両監督の息のあった演出、そして彼らが「オールスターキャスト」としてキャスティングした俳優たちの見事なアンサンブルによって、2人の女性の間に生まれた奇妙な共犯関係の行方が描かれます。
このたび、「Cinemarche」では映画『おろかもの』京阪神公開を記念して、芳賀俊監督と主演の笠松七海さんにインタビューを敢行。撮影当時の心境や作品に込められた思いなど、たっぷりとお話を伺いました。
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ファーストショットに込められたもの
──『おろかもの』は笠松七海さん扮する洋子のアップから始まります。非常にインパクトがあり美しいショットですが、ここにはどのような思いがこめられているのでしょうか。
芳賀俊監督(以下、芳賀):アップで始めようというのはシナリオが出来る前から決めていました。以前、別の現場で笠松七海さんとご一緒した時、アップが映える女優さんだ、これはスクリーンに映る時に絶大な武器になると感じたんです。何かを観ている時の表情がとてつもなく魅力的で、一般的にカメラって役者を撮るものなのですが、七海さんの場合は自分が撮られているような感覚になるんですね。
表情をカメラ目線にすることで、観客もまた、彼女に観られていると感じる。映画って、「観ること、観られること」、「観客とスクリーンの共犯関係」で成り立っているものなので、ファーストショットでそういういう仕掛けが成立したら良いなと考え、あのような形にしました。
──笠松さんは芳賀監督にどのような印象を持たれましたか。
笠松七海(以下、笠松):芳賀さんは物語のキャラクターにもそれを演じている役者にもすごく愛のある方なんです。芳賀さんと私は家族でもないし、恋人でもないし、友達というのもなんかちょっとしっくりこないんですけど、圧倒的な信頼関係があって、それこそ共犯関係というのに近いかもしれません。芳賀さんが撮ってくださったから、評価をいただけるような表情だったり、お芝居が出来たと感じています。
人を人として多面的に描く
──洋子は、村田唯さんが演じる兄の不倫相手の女性、美沙と対峙しますが、その時美沙がとったリアクションは観る者の予想を覆す柔らかなものでした。そうした類型的でない人間の振る舞いは本作に一貫して見られ、それが作品の大きな魅力になっていると感じました。
芳賀:実際、不倫の相手に会うことがあるとしたら、ドラマのように「なによこの泥棒猫!」なんていう展開になることはないと思うんです。ドラマなどでそういう描写になってしまうのは結局、人を人として扱ってないんです。不倫報道などが出ると、一挙に生贄というかみんなで公開処刑するような騒ぎになるのも思慮が欠けていることで起きる現象だと思います。
「思慮深く」物事を考えることはとても強い武器になると僕は思っていて、美沙がどういうリアクションをするのかなと考えた時にそれ自体がまず絶対的に面白いことだと思えたんですね。人ってみんな矛盾していて言葉で言い表せないようなたくさんの感情を持ち合わせているものです。そこには虹みたいないろんなグラデーションが混ざり合っていて、多面的で、そうしたものを描くこと自体がすでに意外性のオンパレードといいますか、わからないものを描いたほうが映画って断然面白いんですよね。そういう奥深さが出ればいいなと考えていく中でこのような脚本ができあがり、このような演出になりました。
全員が監督だった
──本作は、芳賀監督が、大学時代から共に映画を撮ってこられた鈴木祥監督との共同監督作品です。監督が2人いる現場というのはどんな感じだったのでしょうか。また芳賀監督は田辺・弁慶映画祭での舞台挨拶で「皆が監督だった」ともおっしゃっていました。その点を詳しくお聞かせいただけますか。
芳賀:鈴木くんと明確な役割分担があったというわけではないんです。現場には鈴木くんだけでなく、脚本の沼田真隆くんも来てくれて、チームプレイで動いていくという感じでした。バスケットとかアメフトのように、君がそこにいるからパスをする、といった感覚に近いです。
僕自身は「宇宙を作る創生人で神様」みたいな気持ちでやっていたんですよ。「俺がいれば絶対この現場は大丈夫」というすごい確信があって自信満々だったんですね。でもどれだけ自分が神だと思っていてもかなわないと思わされることも多くありました。例えば、脚本に書いていない動きや、脚本に書いてあっても想像していた以上のことを役者がしてくるんですね。僕が100だと思ったことを七海さんは3万5000くらいで返してくるわけです。それを観て、嬉しくて涙がこぼれてくる。
つまり、洋子という一人のキャラクターの人生に向き合っているわけですから、七海さんも監督なのではないかということです。他の役者さんたちもみんなそうで、その人の宇宙が創造されて行く。そういう意味でみんなが監督だと感じていました。
日本は縦社会で、映画の現場でも上から降りてきたものを皆が、粛々とこなすというのが多いんです。どうして並列につないで戦うことができないのだろうと思っていたので、自分の現場では全員が監督でいいんじゃないという形でやっていました。
撮影中のメイキングショット笠松七海と芳賀俊監督
──笠松さんはそんな現場をどのように感じられましたか?
笠松:キャスト、スタッフひとりひとりが、自分のするべきことを全うして、この作品を最高のものにしようとしていた現場だったと思います。その中で私も俳優部として、最大限のものは出さないと、という気持ちはありましたね。
──洋子が兄と墓参りするシーンの演技について、舞台挨拶で芳賀監督が絶賛されていましたが、あの演技は洋子になりきることで思わず出たアドリブなのでしょうか?
笠松:あのシーンはアドリブですよねとよく言ってもらうんですけど、基本的には私は脚本上にない台詞を言うよりも、脚本に書いてある台詞の中で創意工夫することが自分の仕事だと思っているんですね。墓参りのシーンではじっとしているようにという演出があったわけではないですし、一挙手一投足、全て脚本に書かれているわけでもないのでそういうお芝居になったというだけなんです。
ただ、あのシーンは兄役のイワゴウサトシさんが本当にすごくて、本当に腹の立つ顔をしていたんですよ(笑)。私が考える以上にイワゴウさんの演技が繊細で、イラっとくるものがあったのでそこから突き動かされたというのはあります。
食べ物が写す人間
──肉じゃがや羊羹など食べ物が重要なキーワードになっていますね。そこもかなり意識されたのでしょうか。
芳賀:ご飯を食べることって生きていることそのものというか、食べ物から人間の性格だとか思想などが浮かび上がってくるところがあると思います。肉じゃがに七味をかけるという場面では、そうすることで何か秩序正しいところにちょっと物足りなさを感じている主人公の感情を表し、料理を通して、果歩と美沙のコントラストを表現してみました。
洋子は当初、不倫している人というひとつのレッテルを貼った状態で美沙に対峙しますが、彼女がご飯を食べている表情を見た瞬間に、「この人、圧倒的に人間なんだ」と悟るわけです。食べることってそういう理解することの入り口になるのではないでしょうか。
果歩と洋子が一緒に羊羹を食べるシーンでもお互いのコミュニケーションにつながり、羊羹が甘すぎるという会話を交わすことで批評性が現れてくるんですね。そういう意味でも食べものを積極的に取り入れていきました。
言葉の重みを感じた「羊羹のシーン」
──あの羊羹のシーンは、狭い空間でずっとロングテイクの長回しで撮られていました。ワンショットで撮るのといくつもショットを割るのとでは演技の仕方は変わってくるものなんですか?
笠松:個人的にはカットを分けるより、一発で撮って頂く方が気持ちが楽なんですけど、あのシーンに関してはもともとワンショットの撮影ではなかったんです。もっとショットを分割して撮る予定だったのですが、撮影が始まってから台詞も変えようということになって、その場で果歩役の猫目はちさんと脚本の沼田さんがお話をされて変わっていったんですね。結構がらりと変わりまして、リハーサルを経て撮影となったのですが、その場の空気感で出来上がったものが大きかったです。
狭い部屋にみんなで密集して撮っていたので熱気もどんどん高まっていくし、私自身もどんどん集中力が高まっていって、すごく緊張していたところに「羊羹甘いね」という台詞でほぐされるところもあって、演じていてとても楽しく充実していました。
猫目さんは本当にすごい方で、沼田さんと話されていた中で、「“私は健治と家族になりたい、洋子ちゃんとも家族になりたい”と言いたい」とおっしゃって、台詞がそう変わったんですね。洋子にとっても、果歩さんというこれまでどこか違和感を覚えていた人が、自分に対してどう思っているのかがダイレクトに伝わって来て、“洋子ちゃんとも家族になりたい”というあの言葉で、すごく気持ちがほぐれたんです。
それによって洋子は自分のやってしまったことの重大さに気づき、果歩さんがちゃんとした人間に見えるというか、この人も自分と同じように高校生の時もあった普通の女性なんだなということに気がつきます。猫目さんの「言葉に重みをつける力」は本当にすごいと思わされました。
作用・反作用を生んだ現場
笠松:教会のシーンで猫目さんが最後に笑う場面があるのですが、あの笑顔が私はこの映画の中で一番好きな笑顔なんです。なんであんな顔が出来るんだろうと現場でも思いましたし、試写でも思ったし、観るたびにぐっと来て、本当に洋子と家族になりたいと思った人の顔だなって感じました。果歩さんがああいう顔をしていなければ、洋子の気持ちやその後の行動も違ったものになっていたかもしれません。それだけあの笑顔には大きな力が備わっていたと感じています。
芳賀:猫目さんがああいう顔をすることによって、七海さんの顔も変わったし、村田唯さんの顔も変わったんですよ。
作用・反作用といいますか、人がちょっと起こしたことがいろんな人に伝わってそれでまた返ってきたりする、そんな空間が作れたのは参加してくれた全員の力があったからこそで、誰か一人欠けてもこのようなチェーンリアクションは起きなかったと思います。
自主映画って公開されること自体が奇跡のようなもので、パソコンの中で終わってしまうもののほうが多いんです。それが賞をいただいたり、映画館で上映され、観ていただいた方からも感想や好きな場面など様々な反響をいただき、とても幸せです。みんなの作用・反作用がどんどん出てきた現場だからこそ産まれた映画だなと思っています。
インタビュー・写真/西川ちょり
芳賀俊監督プロフィール
撮影中のメイキングショットより
1988年、宮城県出身。日本大学芸術学部映画学科撮影コース卒業後、『舞妓はレディ』(2014)で撮影助手デビュー。映画、CM等で撮影助手として活動し、『モリのいる場所』(2018)、『少女』(2016)等の作品に参加。撮影を務めた作品に『空(カラ)の味』(2016)、『ボーダー』(2011)がある。
笠松七海プロフィール
高校在学中より俳優活動を始め、主人公の友人を演じた『空(から)の味』(2016)で注目を集める。主演作『かべづたいのこ』(2015)での演技により、福岡インディペンデント映画祭2016俳優賞を受賞。その他の出演作品に『サイモン&タダタカシ』(2017)、『次は何に生まれましょうか』(2019)、『アルム』(2020)などがある。
映画『おろかもの』の作品情報
【日本公開】
2020年公開(日本映画)
【監督】
芳賀俊、鈴木祥
【脚本】
沼田真隆
【出演】
笠松七海、村田唯、イワゴウサトシ、猫目はち、葉媚、広木健太、南久松真奈
【作品概要】
日本大学芸術学部映画学科時代から活動をともにしてきた芳賀俊と鈴木祥が共に監督を務め、同じく日芸時代からの友人、沼田真隆が脚本を執筆。笠松七海を主役の高校生に、その兄にイワゴウサトシ、兄の愛人に村田唯をキャスティングし描いたヒューマンコメディー。笠松、イワゴウ、村田以外の俳優も、芳賀、鈴木、沼田が「オールスターキャスト」として揃えた面々が出演しています。
若手監督の登竜門として知られる「田辺・弁慶映画祭」2019年(第13回)のコンペティション部門ではグランプリ、笠松七海と村田唯の俳優賞、観客賞など5冠に輝き、第16回SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の長編コンペティション部門では観客賞を受賞するなど、多くの映画祭で高い評価を受けました。
映画『おろかもの』のあらすじ
高校生の洋子は結婚を目前に控えた兄の健治が、美沙という女性と浮気をしている現場を目撃してしまいます。両親を早くに亡くし、2人で支え合って生きてきた兄の愚かな行為とそれを隠して何食わぬ顔で生活している様子に洋子は苛立ちを募らせます。
さらに洋子は、兄と2人だけの生活に突然侵入してきた兄の婚約者・榊果歩に対して、言い様のない違和感を覚えていました。
衝動と好奇心に突き動かされて美沙と対峙した洋子は、美沙の独特の物腰の柔らかさと強かさ、そして彼女の中にある心の脆さを目の当たりにします。
美沙から電話番号を走り書きしたメモを受け取った洋子は迷いながらも彼女に連絡をとります。「家に行ってもいい?」と返信があり、洋子は「マジか・・・」とつぶやきました。
健治と洋子の家にやって来て、果歩のエプロンを身につけている美沙を見た時、洋子は自分でも予期せぬ事を口走っていました。
「結婚式、止めてみます?」
2人の女性の奇妙な共犯関係が始まりました。