連載コラム「永遠の未完成これ完成である」第18回
映画と原作の違いを徹底解説していく、連載コラム「永遠の未完成これ完成である」。
今回紹介するのは『おらおらでひとりいぐも』です。第158回芥川賞と第54回文藝賞をダブル受賞した若竹千佐子のベストセラーを、『横道世之介』『モリのいる場所』の沖田修一監督が映画化。いよいよ、2020年11月6日、全国一斉公開となります。
原作は、55歳で夫を亡くし63歳で作家デビューを果たした、岩手県遠野市出身の若竹千佐子の同名小説。
故郷への思い、母との確執、疎遠の子どもたち、そして突然の夫の死。主人公75歳の桃子さんは、この世には「どうしようもねっごど」がある事を知っています。
孤独な桃子さんでしたが、彼女の中には大勢の人が棲んでいました。東北弁で勝手に話し出す彼らと、地球46憶年の歴史を感じ、桃子さんは今日も生きるのです。
シニア世代の圧倒的な支持を得たベストセラーの映画化にあたり、主人公の桃子さんを演じるのは、素敵に歳を重ねている女優・田中裕子。15年ぶりの主演作となりました。
生きていれば深い悲しみに襲われることもあります。桃子さんはどのようにして乗り越えてきたのか。そして、誰にでも訪れる「老い」について。
映画公開に先駆け、原作のあらすじ、映画化で注目する点を紹介します。
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CONTENTS
映画『おらおらでひとりいぐも』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【原作】
若竹千佐子
【監督】
沖田修一
【キャスト】
田中裕子、蒼井優、東出昌大、濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎、田畑智子、黒田大輔、山中崇、岡山天音、三浦透子、六角精児、大方斐紗子、鷲尾真知子
映画『おらおらでひとりいぐも』のあらすじとネタバレ
「あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねぇべが、どうすっぺぇ、この先ひとりで、何処にすべがぁ」。
「そういうおめは誰なのよ」。「おらだば、おめだ。おめだは、おらだ」。
現在75歳の桃子さんは、東北弁丸出しの声を聞きながらお茶を啜ります。この声は桃子さんの内側から沸き起こっていました。
桃子さんの中には大勢の人がいます。イメージとしては、柔毛突起のようにザワザワとしており、若者気取りの者や長老風な者もいます。
「あいや、認知症の初期症状だべが。あのどぎの前と後では、おらはもう全然違う。それまでは、努力すれば何とかなるど思っでだ。しかし、この世にはどうしようもねっごどがあるんだ。おらは強ぐなったさ」。
桃子さんの所に、娘の直子が孫のさやかとやってきました。娘の直子とはずっと疎遠になっていたので、桃子さんも嬉しさを隠し切れません。
桃子さんは母と子の関係は伝染病だと思っていました。自分も母とは確執が深く、24歳の頃逃げ出すように故郷を離れ、かれこれ50年です。
娘とどのように向き合って良いのか分からないまま、とある事件が起こります。息子の正司が大学を中退し音信不通になった矢先、桃子さんは「オレオレ詐欺」に遭います。
タイミングがタイミングなだけに致し方ない状況ではありましたが、直子は自分が金の工面を頼んだ時には渋った母親が、お兄ちゃんの正司ためには出したとなれば面白くありません。
しかも、騙されたとなればなおさら嫌みの一つでも言いたくなるところです。「お兄ちゃんのことばかり可愛がるよね」。元々あった母子の確執は深まるばかりでした。
その日の桃子さんは、病院にいました。具合が悪いというわけでもないが、無性に人中にいたいと思うことがあるのです。
そんな時、桃子さんは決まって人間観察にいそしみます。膝には46憶年ノートが乗っていました。46憶年ノートというのは、桃子さんが作った地球46憶年の歴史を書き綴ったノートです。
桃子さんは、大勢いる柔毛突起の言葉から離れ、思考を強引に遮断する時、「先カンブリア代古生代カンブリア紀・・・・」と呪文のように唱えます。とにかく46憶年の地球の歴史なる読み物が大好きでした。
病院の帰り道、桃子さんは予兆を感じました。お気に入りの喫茶店でその気付きを得る瞬間を待ちます。しかしどういう訳か今回は何の想像も浮かびません。
「周造」。桃子さんはこの日初めて亭主の名前を呼んだのでした。周造と出会ったのは31年前。桃子さんが働く食堂に周造が食べにきたのが出会いでした。
東北の故郷を離れひとり東京で働く桃子さんは、自分を呼ぶ時「わたし」と言っていました。
小学生の頃、「おら」と自分のことを言っていた桃子さんが、「わたし」という一人称を知った時の違和感たるや、忘れることはありませんでした。
「わたし」を使うたび、故郷を捨てたと後ろめたさ感じ生きていた桃子さんの前に、「おらはこの定食を」と、「おら」を堂々と言い放つ男が現れました。周造でした。
同じ東北出身で、その訛りはひどく安心できたし、共に八角山を見て育ったという故郷愛が2人の距離を一気に縮めました。「決めっぺ」。周造、プロポーズの言葉です。
桃子は、周造は自分と似ていると感じていました。この人を幸せにしたい。守るために守られている。周造は都会で見つけた故郷でした。
結婚して15年。2人の子どもにも恵まれ、幸せでした。周造は心筋梗塞であっけなくこの世を去りました。
「死んだ、死んだ、死んだ、死んだ」。心の中の柔毛突起たちが激しく振動鳴動します。桃子さんは周造の死をまだ受け入れることが出来ていませんでした。
映画『おらおらでひとりいぐも』ここに注目!
岩手県遠野出身の芥川賞作家・若竹千佐子の同名小説の実写映画化。全編を通して東北弁で書かれた作品は、ヨーロッパ文学さながらの異国の読物の雰囲気を醸し出しています。
75歳の桃子さんは、自分の中に柔毛突起のような大勢の人がいる感覚を持っています。遠野出身ということで『遠野物語』『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪ものかと思いきや、そこには河童も座敷わらしも登場しません。
桃子さんの心の中に現れる大勢は桃子さん自身でもあります。この不思議な現象を、沖田修一監督がどのように映像化するのか、映画化で注目する点を紹介します。
桃子さん、75歳。
桃子さんとはどんな人物なのでしょうか。24歳で故郷を離れ、亭主の周造と出会い結婚。周造に先立たれてからは、独りで生きてきました。
故郷の家族、特に母との確執は、自分の娘にも伝染したかのように疎遠になっています。世間からは、孤独な老人と見えるかもしれません。
桃子さんは、とにかく46憶年の地球の歴史なる読み物が大好きでした。現代が260万年前から続く氷河期時代のただなかにあるということも桃子さんは知っています。
地球の歴史の中に身を置くことが桃子さんの精神統一であり、そこから自分の中の柔毛突起たちを感じることも出来るのです。
その行為は、自分の心を友とするということなのかもしれません。ひとりだけどひとりじゃない。新しい自分の心の発見を、桃子さんは楽しみ受け入れます。
偏屈ばあさんのようで、実はユーモアいっぱいの桃子さん。素敵に歳を重ねる女優・田中裕子が演じる桃子さんはどのような人物になるのか注目です。
ちなみに作者の若竹千佐子氏は、岩手県盛岡市で行われる地元にゆかりのある文豪たちで構成される「文士劇」にも出演されています。
お茶目な演技で会場を笑いの渦に巻き込んだ若竹千佐子さん。桃子さんとどこか重なる印象を持ちました。
大勢の桃子さん
桃子さんの中にいる柔毛突起の大勢は、桃子さんの分身であり、時には新しい自分でもあったりします。映画化ではこの柔毛突起たちを、大胆にも3人の男性が演じています。
「寂しさ」と名付けられた柔毛突起たち。「寂しさ1」を濱田岳。「寂しさ2」を青木崇高。「寂しさ3」を宮藤官九郎が演じます。これは面白いに違いありません。
原作ではそれぞれの個性をあまり出さない柔毛突起たち。映画化では個性豊かな「寂しさ」たちが、大暴れしてくれそうです。
また、映画化では、若き日の桃子さんを蒼井優が演じます。原作だけでは想像できなかった桃子さんと周造さんの幸せな日々が映像化されるのは、とても楽しみです。
浮かんでくる故郷の風景
桃子さんは、母親から逃げるように若き日に故郷を離れてしまいます。それからずっと、故郷を捨てたという思いに駆られていました。
歳を取り思いを馳せるのは故郷の山「八角山」。実際に遠野にはその名前の山は存在しませんが、山々に囲まれた田舎の風景が目に浮かんでくるようです。
幼い頃、自分のことを「おら」と呼んでいた桃子さん。「わたし」の呼び方に慣れることはありませんでした。
桃子さんの中に現れた柔毛突起たちが、なぜか東北弁を話すというのも、故郷への愛からなのかもしれません。
誰の中にもあるであろう心の故郷がじんわりと蘇ってくる、そんな物語でもあります。
まとめ
作家・若竹千佐子の第158回芥川賞と第54回文藝賞をダブル受賞したベストセラー小説『おらおらでひとりいぐも』を紹介しました。
愛する亭主に先立たれ、孤独に生きる桃子さん、75歳。しかし、桃子さんの中にはたくさんの桃子さんが存在していました。ひとりだけどひとりじゃない。
小説タイトルの「おらおらでひとりいぐも」は、「おらおらでひとりいぐ(逝く)も」と「おらおらでひとりいぐ(生きる)も」の、どちらの意味にも捉えることが出来ます。
「老いてゆく」ということは、多くの人にとって不安なことです。桃子さんの心の変化が、老いに対する恐怖感を和らげるヒントを与えてくれるかもしれません。
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