2020年8月、映画史に残る怪作・珍作・迷作・凡作・奇作を集めて実施された「奇想天外映画祭 アンダーグラウンドコレクション 2020」。
そこで紹介された作品にイギリス映画の古典的名作を数多く監督した、マイケル・パウエル監督の『血を吸うカメラ』があります。
この映画が公開されると徹底的に批判され、以降パウエル監督は実質的に映画界を追放されます。
ところがその後本作はカルト的人気を獲得、評論家や映画研究家の再評価が進み、現在では史上最高のホラー映画の1つであり、イギリス映画史においても重要な映画と認められています。
今や数々の作品を差し置き、マイケル・パウエル監督の代表作とされる『血を吸うカメラ』。その魅力と、時と共に評価が激変した経緯を解説します。
まずは『血を吸うカメラ』がどんな物語か紹介いたします。
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CONTENTS
映画『血を吸うカメラ』の作品情報
【製作】
1960年(イギリス映画)
【原題】
Peeping Tom
【監督】
マイケル・パウエル
【キャスト】
カールハインツ・ベーム(カール・ベーム)、モイラ・シアラー、アンナ・マッセイ、パメラ・グリーン、マキシン・オードリー
【作品概要】
1960年に公開されると、余りにも衝撃的で先駆的な内容と、鮮烈な映像表現が非難の嵐を巻き起こした、映画史に名を刻むサイコホラー映画です。
監督はエメリック・プレスバーガーとコンビを組み、共同監督で『黒水仙』(1947)、『赤い靴』(1948)、『ホフマン物語』(1951)といったイギリス映画史に残る名作を生んだマイケル・パウエル。しかし単独で監督した『血を吸うカメラ』が、彼の運命を大きく変える事になります。
主演は『プリンセス・シシー』(1955)3部作で、ロミー・シュナイダーの相手役を務め、高い人気を得たカールハインツ・ベーム。共演は『赤い靴』や『ホフマン物語』に出演していたモイラ・シアラー、後にアルフレッド・ヒッチコック監督作品『フレンジー』(1972)に出演するアンナ・マッセイ。
またグラマーモデルとして活躍し、「イギリスのベティ・ペイジ」とも呼ばれたパメラ・グリーンも出演し、彼女を代表する作品として記憶されています。
映画『血を吸うカメラ』のあらすじとネタバレ
街路に立つ女を、カバンに入れた16㎜カメラで撮影する男マーク・ルイス(カールハインツ・ベーム)。相手は撮影されるとを知ってか知らずか、彼に料金を告げます。
彼女は娼婦でした。部屋に案内する彼女の姿をマークのカメラは追い続けます。ベットに座り手慣れた様子で服を脱ぎ始める彼女ですが、マークが何か操作したカメラを彼女に向けると、表情は一変しました。
恐怖に歪む彼女の顔が、カメラで大写しされました。助けを求め叫ぶ娼婦…。
とある部屋で映写機が回っています。スクリーンには先ほど撮影された娼婦が映っており、マークは1人で眺めていました。
女の顔に恐怖が浮かぶと、思わず立ち上がるマーク。恐怖におののき、悲鳴を上げた彼女の口が画面に大写しになると、興奮した彼は椅子に崩れ落ちます。
カタカタと音を立てながら、それに続く映像を映し出す映写機…。
翌日、野次馬が集まる中殺害された娼婦の遺体を、警察が運び出す現場に現れたマーク。彼はその光景を16㎜カメラで撮影します。
それを終えると彼は、とある雑貨や写真を売る店に現れます。その店は密かに訪れた客に、いかがわしい写真を売る商売をしていました。
その店の撮影スタジオでマークは、ミリィ(パメラ・グリーン)を相手にピンナップ写真を撮影します。店の主人のために、売り物になる写真を撮る仕事を副業にしているマーク。
撮影に慣れた様子のミリィと対照的に、もう1人のモデルのローレィンは控え目でした。彼女は美しい体と対照的に、口元に醜い疵を持っていたのです。
マークはその顔に異様な関心を示します。彼は自分の16㎜カメラを取り出すと、ミリィを忘れて魅入られたかのように、ローレィンの顔を撮影するマーク。
その夜、マークが自宅のある下宿に戻ると、彼の下の部屋では住人の娘ヘレン・ステファン(アンナ・マッセイ)の誕生日を祝うパーティーが開かれていました。
彼はその部屋を窓から覗き込み、不審がられます。
下宿に入ったマークにヘレンは声をかけ、彼にもパーティに加わるよう誘いますが、おどおどした態度のマークは誘いを断り、自分の部屋に向かいました。
彼が撮影した16㎜フィルムを映写し見ていると、何者かが部屋のドアをノックします。慌ててフィルムを隠し、玄関に向かうマーク。
ドアを開けると、そこにはヘレンがおすそ分けのケーキを持って立っていました。マークは気遣いに感謝し、彼女を部屋に招き入れます。
ヘレンに尋ねられたマークは、自分はこの屋敷で生まれ育ったと話します。彼はずっと、科学者であった父の残した部屋に住んでいました。
今は屋敷の維持の為に、空いた部屋をヘレンら下宿人に間貸しして暮らしていました。
1日の多くの時間は、映画スタジオで働いていると話します。不在が多い家主のマークは、ヘレンには謎の多い人物でした。興味を示す彼女を、自分の暗室に案内するマーク。
ヘレンは彼の撮影したフィルムを見たがります。マークは希望に応えますが、最近撮影した映像は見せず、ストックしてあったフィルムの山から1本を選びます。
それは幼い日のマークを、父親が撮影したフィルムでした。微笑ましいホームムービーと思ったヘレンは、その内容が異様だと気付きます。
眠っているマークに照明を当て起こしたり、彼のベットにトカゲを放ち、怯える子供の姿をカメラは捉えます。マークの父は、死んだ母と幼いわが子を対面させた場面すら撮影していました。
マークの実母が死ぬと、父は直ぐに別の女と再婚します。息子を残し新婚旅行に向かう父は、マークに8㎜カメラを与えます。
フィルムの異様な内容に、ヘレンは映写を止めるよう訴えますが、マークはその映像を食い入る様に見つめ反応しません。自ら映写機のスイッチを切るヘレン。
彼女が父について尋ねると、マークは生物学者だったと答えます。子供が恐怖に対し示す反応に興味を抱いた父は、我が子のマークを使い様々な実験を行い、その姿を撮影したと説明します。
父はマークに行った実験を元に多くの著作を残し、自分は常に撮影される、緊張に満ちた子供時代を送ったと語るマーク。彼は父から撮影の手ほどきを受けました。
マークが自身の少年時代を彼女に聞かせたとき、部屋がノックされました。パーティーの抜け出たヘレンを連れ戻しに人がやって来たのです。
別れを告げ自室に戻るヘレンは、マークをパーティーに誘いますが、彼は断ります。それでも彼女が持ってきたケーキを眺め、小さな笑みを浮かべるマーク。
翌日、映画スタジオにマークの姿があります。彼の本業は映画撮影のカメラマンでした。監督は納得できるシーンが撮れるよう、50回以上もテイクを繰り返し、彼は黙々と従います。
撮影現場にはスタンドインの代役として、新人女優のビビアン(モイラ・シアラー)がいます。
その日の撮影が終わり、遅くまでスタジオに残っていたビビアンは、守衛の目を逃れ映画の撮影ステージに向かいました。
彼女はそこで、マークにスクリーンテストの撮影を受けることになっていました。しかしそれは口実で、マークはある目的のために彼女を誘い出したのです。
彼が撮影の準備を進める中、ウォーミングアップに音楽を流し、踊り始めるビビアン。そして自分の16㎜カメラを取り出すマーク。
スクリーンテストと信じ切っている彼女に、誰かがあなたを殺そうと迫っていると想像して欲しい、とマークは演技を求めます。
これを武器だと想像して欲しい、と16㎜カメラの三脚の足の1本を突き出すマーク。その先を外すと、槍のように鋭利な先端が姿を現れました。
鋭い凶器を彼女に向け、カメラを回しビビアンに迫るマーク。彼女は彼の殺意に気付き、ステージに悲鳴が響き渡ります。
その夜ヘレンは、母ステファン夫人(マキシン・オードリー)と共に部屋にいました。娘が上の階のマークを意識していると気付くと、彼が好きかヘレンに尋ねる母親。
ヘレンはそれを認めますが、母は彼が気に入らないと告げます。足音を立てずに歩く男は信用出来ない、それが目の見えないステファン夫人の言い分です。
それでも娘が彼に会いに行くことを認めます。ヘレンがマークの部屋に入ると、彼は暗室で16㎜フィルムを現像していました。
彼が暗室にいる間、彼の父の著作を開いたヘレン。そこには神経疾患研究所の職員の名と、息子マークを紹介する記述がありました。現れたマークはその本を閉じさせます。
マークは彼女の誕生日プレゼントを用意していました。渡されたブローチで一目で気に入り喜ぶヘレン。
ヘレンは図書館の児童書部門で働いていました。彼女は空いた時間を利用して、子供向けの短編小説を書いていると、恥ずかし気に告白します。
その内容は、魔法のカメラについての物語でした。彼女はその出版を望んでおり、本には撮影した写真を載せたいと考えていました。
しかし出版社は写真の使用は無理だと、挿絵を提案していました。そこで彼女はカメラマンのマークに助言を求めたのです。
それは素晴らしいアイデアだと彼は言います。自分は趣味で写真を撮っていると告げ、協力を約束するマーク。
別れを告げた2人は、思わず見つめ合います。しかし現像が終わった合図のベルが鳴ると、マークは彼女を残し暗室に飛び込みます。撮影したフィルムへの執着が勝ったのでしょうか。
後日、スタジオの撮影現場に集まる人々の中にマークの姿もありました。監督が気に入らないシーンを撮り直そうと、撮影ステージの人々は慌ただしく働いていました。
トランクを開けるシーンを試そうと、様々な色のトランクを使いテストを行います。するとマークは、おもむろに自分の16㎜カメラを取り出します。
青いトランクが開かれ中身を見た女優は、悲鳴を上げ倒れました。その姿をカメラで撮影するマーク。
トランクの中には、殺害されたビビアンの遺体が入っていたのです。
映画『血を吸うカメラ』の感想と評価
1960年公開されるや、忌み嫌われた衝撃的作品として、映画史に名を留める『血を吸うカメラ』。しかし現在、それを求めて本作を見た方は、戸惑いを覚えるでしょう。
この映画、被害者が殺されるシーンがありません。死体も見事に隠して描きます。死の直接描写は犯人がラストで、自らを裁くシーンしか存在しません。ゆえに残虐シーンも皆無。
サイコキラーを描いた先駆的作品ですが、犯人は特殊な環境で育ち異常者になった男。
人間の心は悲しいことに、より一般的な状況でも壊れると知る現代から見ると、犯人は例外的人物だと観客に強調しているように思えます。
犯人は自分の異常性を自覚し、愛する者を傷つけない”良心的”サイコキラー。周囲には彼に心を寄せる人物と、彼の正体を見抜いた「理解者」が配置されています。
現在のサイコスリラーに登場するような、冷酷非情な犯人像と異なる主人公。彼の行動には共感すら覚えるでしょう。
同じ年に生まれた、2本のサイコキラー映画
参考映像:『サイコ』(1960)
本作と何かと比較される、同じ年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』。
思い出してみて下さい。『サイコ』は有名なシャワールームの殺人シーンがあり、犠牲者が死に至るまでを画面に見せつけます。
犯人のノーマン・ベイツは全く共感を得られぬ、謎めいた人物として登場します。そして死体どころか、ノーマン・ベイツの母親は”あの姿”で登場。
確かに『サイコ』はモノクロ映画、カラー作品の『血を吸うカメラ』と映像のインパクトは異なりますが、どちらが”悪趣味”か明らかです。
1905年に生まれ、1925年に映画業界に入ったマイケル・パウエル。様々な業務をこなす中でヒッチコック監督の下でも働き、その親交は後も続きます。
パウエルも1931年頃から映画をを監督するようになります。1960年当時、2人は共に映画界で名声を築いていました。しかし2人の運命は大きく変わります。
それは『血を吸うカメラ』が、狂気を正面から取り上げ、犯人の心情に寄り添い、狂気をライティングを駆使し、強烈な映像で描いた結果でした。
一方ヒッチコック監督は、どの様な姿勢で『サイコ』を手掛けたのでしょうか。
古き良き映画の終わり
『サイコ』はアメリカの映画です。アメリカ映画界にはヘイズコードと呼ばれる自主規制があります。
50年代後半頃から順守されなくなり、B級映画では刺激的描写の映画も増えていました。
1954年、ヒッチコックはヘンリー・セシルの小説「判事に保釈なし」を映画化しようと考えます。裁判所の判事が売春婦殺害の容疑者になる物語で、彼らしい作品になるはずでした。
しかしヘイズ・コード事務局はこの内容に抗議します。やむなくヒッチコックは映画化を諦め、『間違えられた男』(1956)を監督、これが興行的失敗作となりました。
次に監督した『めまい』(1958)も評論家の反応は良かったものの、興行的には今一つ。『北北西に進路を取れ』(1959)を撮影中の彼は、改めて「判事に保釈なし」の映画化に動きます。
オードリー・ヘプバーンの主演が決まった「判事に保釈なし」。しかし製作はお蔵入りします。製作の中断理由は諸説あり、ヘプバーンに関するスキャンダラスじみた噂も囁かれました。
しかし一番の理由は、ヒッチコック自身がスターを起用した、巨額の製作費のかかる映画製作に疑問を感じていたことです。より低予算のB級映画の方が面白く、しかも金も稼ぎます。
メジャースタジオは格調ある映画を作るもの、という常識が通用していた時代。『サイコ』を監督するにあたり、ヒッチコックは様々な手を打ちます。
“低俗な娯楽”に徹した『サイコ』
参考映像:『ヒッチコック』(2012)
『サイコ』に登場する異常者は謎解きの対象であり、映画の基本構造は犯罪サスペンス。
ヒッチコックはこの映画を、仕掛けのあるエンターティンメントとして、様々な宣伝を大々的に行います。
映画の内容を世間に漏らせないため、映画化決定後スタッフが原作本を買い占めた…という有名な話も、実のところ話題作りが一番の目的でしょう。
自らが出演した本編映像の無い、興味を掻き立てる予告を流し、映画館で途中入場の禁止やストーリーの口外NGを観客に訴えます。実に煽りに煽った宣伝展開です。
これは興行を成功させる話題作りでしたが、この映画は娯楽に過ぎないと強調する役割も果たした。
おかげで映画を芸術性や社会への影響で語る、うるさい評論家の口を封じることに成功します。
ちなみに『サイコ』は日本でも1960年に公開され、キネマ旬報ベスト10で35位の扱い。イギリスでも散々な評価です。当時の評論家には、語る価値も無い作品として扱われました。
テレビ業界のスタッフを使い、80万ドルで製作された白黒映画『サイコ』は、彼のキャリア最高のヒット作になります。
現在までに世界で3億ドルを遥かに超える額を稼く、将にヒッチコック起死回生のヒット作になりました。
ヒッチコックは『血を吸うカメラ』と同じ覗き行為を扱った映画、『裏窓』(1954)をすでに撮っています。
この困った主人公の覗き行為は、怪我で動けなくなった暇つぶしと説明されました。
やがて主人公は覗き行為を通じて犯罪に気付き、動けない状態で謎を解明する正義の人物に変貌します。
微妙なテーマを映画化する際の、実に見事な取り扱い。中々の策士です、ヒッチコック監督。
『サイコ』製作の経緯は、スティーヴン・レベロによりノンフィクション「アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ」に記されました。
それを原作にした映画が『ヒッチコック』(2012)、興味を持った方はこちらもご覧下さい。
まとめ
対して『血を吸うカメラ』はマイケル・パウエル監督が、このテーマを真正面から取り上げ、各方面から攻撃されました。
この作品は早すぎました。文化の大衆化を低俗化と受け取り、その流れに反発する”教養と常識ある人々”の、恰好のターゲットにされたのです。
一方のヒッチコックは『サイコ』の次回作に選んだのは『鳥』(1963)。動物パニック映画の元祖と呼ばれる作品です。
しかしヒッチコック監督の、”B級映画””見世物映画”路線は止まります。
以降はサスペンス映画路線に戻り、それをある者は原点に還ったと喜び、ある者は進化を止めた衰えと受け取りました。
果たしてそうでしょうか。1955年からTVで「ヒッチコック劇場」が始まります。1962年に「ザ・アルフレッド・ヒッチコック・アワー」と名を変えた番組は、1965年まで続きます。
初期は自身の監督作もありましたが、以降は番組のストーリーテラー、そして狂言回しの役に徹した監督。
映画文化の大衆化にテレビの時代を迎え、自分の作品は古典化し、以降の作品の雛形となるアイコンと化したと感じたのでしょう。彼は『サイコ』の大成功にも、自分を見失いませんでした。
『サイコ』や『鳥』のような作品を作り続けたとしても、これから数多く登場する刺激的な作品に埋もれるだけ。自分はアイコンの役割に徹しよう、と彼は理性的に判断します。
しかし映画監督としての創作意欲は衰えません。『鳥』「ザ・アルフレッド・ヒッチコック・アワー」以降、5本の映画を世に送ります。その作品は過去作と比較され、厳しく評されました。
そこに本人の健康状態の衰えも重なります、
元々気難しい性格の監督は、「ヒッチコック劇場」のアイコンとして演じた、ストーリーテラーの飄々とした姿に程遠い、自暴自棄的な態度になったと言われます。
『血を吸うカメラ』以降活躍の場を奪われたパウエル監督。『サイコ』で興行的大成功を収めたヒッチコック監督のその後も、一筋縄ではありませんでした。
晩年は2人共、皆から敬意を集める映画史上の偉人として讃えられ、その評価は定着しています。しかしそこに至るまでに、様々なドラマがあったとご記憶下さい。
次回の「奇想天外映画祭アンダーグラウンドコレクション2020」は…
次回の第3回も、引き続き『血を吸うカメラ』を紹介。なぜ今や名作とされる作品が、ここまで攻撃された時代背景を解説します。お楽しみに。
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