映画『パラダイス・ロスト』は今夏・京阪神でロードショー!さらに福間健二監督の過去作5作の特集上映も併せて開催。
詩人であり、映画監督である福間健二監督の待望の新作『パラダイス・ロスト』。東京での上映を終えたのちに次の舞台を京阪神へと移し、2020年7月3日(金)より出町座、2020年7月4日(土)よりシネ・ヌーヴォと元町映画館にて公開を迎えます。
また映画『パラダイス・ロスト』の公開を記念して、上記三館では「福間健二監督特集上映―京阪神三都編」も併せて開催されています。
このたび、福間健二監督にインタビューを敢行。劇場映画第一作『急にたどりついてしまう』(1995)から『秋の理由』(2016)までの5作を振り返りつつ、新作『パラダイス・ロスト』の作品に込められた思いなど、たっぷりお話をうかがいました。
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デビュー作で知った「映画」の意味
──1995年の『急にたどりついてしまう』は福間監督の劇場映画デビュー作ですが、監督ご自身はこの作品を振り返って今、どのように感じていらっしゃいますか?
福間健二監督(以下、福間): この時は何を撮りたいかというよりもとにかく映画を撮りたいという一心でした。親しくしていた瀬々敬久監督やサトウトシキ監督をはじめ、ピンク映画の俊鋭たちが手伝いに来てくれるという現場だったので、「自分の映画になっていくにはどうしたらいいのか」と気を揉んだのは大変といえば大変でしたけれど、内容や撮影自体ではあまり悩みませんでしたね。
また主演の伊藤猛さんと松井友子さんは、ともに自身で役をしっかりと掴んでいるタイプの役者さんでした。おかげで、人物を描くためには役者さんと一緒に作っていくことが大事だということ、役者さんが持っているものを引き出していくのが映画なんだということを知ることができました。
デジタル時代への突入と『岡山の娘』
──二作目の『岡山の娘』(2008)は様々な引用が用いられるなど、福間監督の映画におけるスタイルの芽生えを感じさせます。また若尾文子主演の映画『青空娘』(1957)にインスパイアを受けたともお聞きしました。
福間:インスパイアというよりは、『岡山の娘』を撮っているうちに「西脇裕美さんなら若尾文子をやれるのでは」と感じられたんです。実際、やってみたらうまくいった。
『青空娘』は大好きな映画です。駄目な家で兄や姉もろくでもないという環境にあって、若尾文子演じる主人公が自分の力で物事を解決していく。そういったエネルギーに溢れている作品です。そして『岡山の娘』の「娘」という存在の輪郭をはっきりさせるにはどうしたらいいのか、母親や父親との関係をどう描くかを考える中で『青空娘』が浮かんだんだと思います。
──『岡山の娘』では時にモノクロになったかと思えば画面が緑に染まったり、その中でヒロインの服だけが赤く輝いたりというふうに非常に凝った映像が目を引きます。
福間:ペドロ・コスタやワン・ビンといった新しい作家の登場とともにデジタル時代が到来し、自分もフィルムではなくデジタルでやってみようと思っていた時に岡山映画祭実行委員会から映画制作のお話をいただいたという経緯もあり、デジタルの可能性をいろいろと試した作品でもありました。
『青空娘』だけでなく、昔のフィルム時代の映画と今のデジタル時代の映画がどう邂逅し交わってゆくのかという想いもありました。今では当たり前の技術になっていますが、PCによる編集(ファイナルカット)の多岐にわたる機能にも驚かされ、やりすぎなくらいにその可能性を追求し駆使したと感じています。
『わたしたちの夏』が描く死者と生者の夏
──『岡山の娘』は「夏」の情景描写も素晴らしい映画でしたが、三作目の『わたしたちの夏』(2011)も同様に夏の空気が痛いほど伝わってくる作品でした。同作では日本の夏を死者と逢える夏、死者が帰ってくる夏として描き、「戦争」の記憶にも言及されています。
福間:夏になるとNHKでは戦争の特集番組を放送したり、或いはキノコ雲の映像を流すことが多いですが、そういった社会的、歴史的な観点とは少し異なる表現をしたかったんです。
日本人にとって一番厳しい状況は原爆が落ちた時とその後だったと中沢啓治の『はだしのゲン』から教わったのですが、漫画の作中における「水をください」というところは実は詩人であり小説家の原民喜からもらっていたのかもしれない。人々がのどの乾きに苦しみながら彷徨い続けるときの、その中で個人的なものを超えた記憶が蘇る瞬間を描きたかったんです。
──吉野晶さん扮するカメラマンの千景が広島で撮った写真を展示した際、「原爆にさわるな」と言われたと語る場面があります。「よく知りもしないのに語るな」と言われることは芸術の世界に限らずしばしば起こることでもあります。
福間:日本の社会には語る上での「立場」に対して過剰に反応するところがあります。政治というものを例に挙げてみると、今はSNSというツールによって比較的語りやすくなっている面はあるものの、どこか「自分の言葉」では語りにくいところがある。それは「よく知りもしないくせに」と語らせない風潮が少なからずあるからです。本当は誰もが自由に語ってもいいはずなのに。
──ちなみに千石英世さんが9.11について学生に問う講義の場面では、本当の受講生と役者が混じって学生役として出演しているとお聞きしました。その場面をはじめ、被写体自体に“虚構”と“現実”を混在させること自体が福間監督の作品の特色のひとつだと感じました。
福間: 映画の中にある演劇的な要素は嘘をはらんでいるので、カメラで捉えた本当の被写体と衝突させたいと考えています。1960年代の作品には、ジャン=リュック・ゴダールなどそういった映画の性質を強く意識したものが多くありました。ですがそれは今、あまり大事にされていない。一方で映画的真実、いわゆる「シネマ・ヴェリテ」もあまりに技巧的になると面白くなくなってしまう。『わたしたちの夏』の授業風景もどれだけ本当のこととして受け止めてもらえるのか、それは『パラダイス・ロスト』までの宿題になったところはあります。
小原早織の魅力が爆発した『あるいは佐々木ユキ』
──『あるいは佐々木ユキ』(2013)は何よりも佐々木ユキを演じられた小原早織さんが素晴らしく、彼女の姿をずっと見続けていたい気持ちになりました。
福間:小原さんは幼い頃から芸能界での仕事を経験してきているんですが、芸能界という場所に希望を持っていないためか、女優さんにはなっていません。魅力も実力もすごくある人。そういう彼女が僕の映画にだけは出てくれるというのは僕に起こっている幸運の一つです。撮影の鈴木一博さんと一緒に「彼女のアイドル映画を撮ろう」と相談し、一気に作り上げました。
──佐々木ユキは家族関係から離れ一人で生きていますが、「生きていればいい」という父の言葉に囚われ、戸惑っているようにも見えます。
福間:大宮浩一監督の『ただいま それぞれの居場所』(2010)という介護施設の現場を描いた作品が僕は大好きなんですが、介護施設という場所での「生きていればいい」という言葉は切実に響く言葉でもあります。一方、本作では「生きていればいい」だけでいいのかという問いもあり、そうした問いは『パラダイス・ロスト』にもつながっています。
──佐々木ユキは最後に「もう少し歩いて、もう少し変になってみる」と語ります。その言葉には、福間監督の「普通の劇映画とも違う、もっと他の表現があるのではないか」という映画制作に対する思いが重なっているのではと感じられました。
福間:シナリオを読んでわかってしまうもの、シナリオをなぞるだけのものを作ってしまっても意味がないと思うんですよね。「わからないことがあるからこそ作っていくんだ」「未知の領域に向かって行くんだ」という感覚がほしい。また小原さんと話をして、この映画における「佐々木ユキ主義」を考えました。けれど、「主義」とは変わっていかなきゃいけないという思いにもたどりつきました。人は安心してしまってはいけない。もう少し変に、もう少し違うところへ自分を持っていきたい。それは映画も同じなんですね。
この世界に対する感謝
──『秋の理由』(2016)は大人の恋愛映画といいますか、「こういう“大人”の日本映画が観たかった」と思わせる作品でした。
福間:趣里さんが今まで僕が描いてきたある一面の世界を担いつつ、男二人とそのうちの一人の妻の三角関係を描いているわけですけれど、自分の年齢に近い男性を描きたかったんですね。向田邦子さんの『あ・うん』を意識しました。寺島しのぶさんも、映画『あ・うん』(1989)が富司純子さんの作品では一番好きとおっしゃっていて。
寺島さんが出てくださることが決まって、実際にお会いすると映画で観るよりもずっとあっさりとしていて軽やかで、スマートな方だった。そういう面が映画に出ればいいなと考えていました。深刻な三角関係ではなく、考えてみればそうなんだよなというような三角関係があってもいい。一方で、佐野和宏さん演じる作家はとても苦しんでいるんですよね。
──佐野さん演じる作家が、趣里さんが演じるミクと少し言い合いになった際に「世の中にはいい人もいる」という言葉を筆談器で書きますよね。激しく苦悩する人間がこの台詞を語る。逆に希望をもたせてもらえる、すごい台詞ですよね。
福間:ミクはひょっとしたら宇宙人かもしれない役柄で、彼女が「人間の世界で生きていくのは、大変なだけなのかしら」と考えているところに、作家は自身のことだけでなく「人間」を代表してその台詞を語ってくれた。佐野さんも寺島さんも、そういったこちらの意図を即座にわかってくれる、優れた役者さんだと改めて感じましたね。
──また同作のように、福間監督の映画にはしばしば字幕が浮かび、先程のような大切な言葉が出てきたりします。福間監督にとって、言葉が出てきた時に画が浮かんでくるのでしょうか。それとも画から言葉が浮かんでくるのでしょうか?
福間:詩を書いている時に画はないので、思い浮かべようとしたりもしますが、映画の場合は画がすでにあるわけです。こうして花が咲いていて、街があって、人が歩いていることに、人は感謝するしかない。それを言葉で思い浮かべようとすると大変ですよね。木村文洋さんが登場し笑顔を街で振りまくんですが、ああいう笑顔しか、この世の中に、人や物や生き物が存在してくれていることに返すものはないんじゃないかと思います。いたずらに悲惨なものとか残酷なものを出したくないといいますか、それは確かにこの世界にある一面ですが、大きく考えた時にこういう世界が存在していることに微笑みをもたなくちゃという気持ちがありますね。
死者の視点で生者を観る『パラダイス・ロスト』
──『パラダイス・ロスト』における「死者の視点で描く」というコンセプトは当初から考えられていたことなのでしょうか?
福間:そうですね。生きている者と死んでいる者が出会うのが映画だなという気がしていたので、それを改めて描いてみたかったんです。「夫を失った女性の物語をやろう」と決めたのとどっちが先だったのか、今となってはわからないのですが。
──『岡山の娘』『わたしたちの夏』『パラダイス・ロスト』の三作は、身近な者を亡くした人々が描かれています。福間監督にとってそれらは重要な主題なのですね。
福間:友人である作家の佐藤泰志から始まり、とにかくいろんな人に死なれてきたなという気がして「“悲しい”ってどういうことだろう?」と考えたんです。悲しいけれど、自分に対して腹が立つ要素も強い。亡くなった人にもっといい自分を見せることができなかった、見てもらえなかったという悔しさがありますよね。どんなに悲しい死に出会っても、こんな自分では駄目だなと思う気持ちがバネとなり生きていく。『パラダイス・ロスト』の亜矢子はそういう場所にいて、亜矢子を演じた和田光沙さんには「自分で感じたことを自分の言葉で自由にやってみてください」とお願いしました。
和田さんは『岬の兄妹』(2018)のように激しい役、思い切ったキャラクターが多かったので、『パラダイス・ロスト』のようにキャラクターがそこまで明確でない役をどうやったらいいのかと迷われたかもしれないですね。「その“自分”ってどの“自分”でしょう?」と質問された際にはハッとさせられたんですが、結局は亜矢子と自分の接点こそが映画における「自分」であり「亜矢子」なんですよね。彼女はそのことを早めに気づいた上で演じてくれました。
映画としての真実を撮る
──亜矢子は「大丈夫じゃないよ」という本心を明かしながらも、明るく振る舞っています。「新生・亜矢ちゃん」として人生を歩んでいくその姿は、観る人によってはとても励まされるのではないでしょうか。
福間:過程的にどう立ち直っていったかではないんですよね。すごく悲しいことが起きて精神が不安定になっていても、人は笑ったり、ご飯を食べたりする。映画全体としてはハッピーエンド的な形にもっていっていますが、そこで悲しみ自体がなくなるわけではない。
今思うと、森羅万象さんが演じたヒラカズ先生が歩いていく姿を撮っておいてよかったと思うんです。ある意味ではどこにでも挿入できるものではあるんだけど、あそこに入れることで、映画としてとてもよくなったと感じています。
──ヒラカズ先生や宇野祥平さんの演じる亀田くんといった登場人物たちは皆ユニークで、小原早織さんが「佐々木ユキ」で再び登場するなど群像劇の楽しさもあります。
福間:楽しいし、自分がわからない部分をみんな出してくれる。『急にたどりついてしまう』の時から考えても、自分の中に大したものがなくとも、役者さんの中から出てくるものを通じて映画を作っていけるという気持ちが年々強くなっています。
また今回の作品では、今までの映画よりも演劇性が強いと評する方もいますが、確かに演劇的な作りを恐れなかったんです。演劇的な手法が持っている虚構性に対しても映画としての真実をカメラがきちんと撮れたら、捉えられたら、映画になるんだということを信じてやっていました。
大丈夫じゃないけど生きていく
──新型コロナウイルス感染拡大によって『パラダイス・ロスト』は一度劇場公開が止まってしまいましたが、無事再開を迎え、さらに京阪神での公開では過去作品の特集上映も開催されるわけですが、ご心境をおきかせいただけますか?
福間:『パラダイス・ロスト』は今までのどの作品と比べても撮るのが大変でした。2018年に撮影して2019年の夏に完成し、仕上げにも時間がかかりましたし、2020年3月の公開までも決して平坦ではなかったです。公開後は、コロナの状況が日々深刻になっていき、すぐに映画館が休館になってしまった。ですがその状況が、作品の中で描いていることとどこかつながっている、運命的につながっているように感じられるんですね。まさに「大丈夫じゃないけど、でも生きていく」ですよね。
「コロナという状況下で、映画なんか公開していいんですか?」と誰かに聞かれたらどうでしょう。「大丈夫じゃないけど、でもやっていく」ですよね。撮影当時はあの言葉がキーワードになるとは考えていなかったのですが、やはりそこに芯があった。こういうふうに公開が再開され、映画を撮影した夏に近づいていく時期に関西での上映が始まるのを嬉しく思っています。
──映画を作る上で、福間監督は何を規範とされていますか?
福間:「表現において何を出していけばいいのか」と常々考えていますが、悲惨な現実をえぐり出してこれでどうだと突きつけることが「表現」の究極の目的であるはずはなくて、やはり人に対する愛で映画を作りたい。じゃあ僕の映画がそんなに愛に溢れているかというとなかなかそうはいかないんですけど、根本にあるのはそういった気持ちです。
映画は「娯楽映画は楽しければいい」「芸術映画は少し難しくても表現技法が高度のものならいい」などというように分けて考えられがちですが、そんな区別がもう少し取り払われてもいいはずです。映画が最初に始まった時は、娯楽と芸術の区別はなかった。では何があったかというと、この生きている世界をカメラが撮ることによる驚きですよね。この世界にいろいろなものが存在していることへの驚きであり愛であり、感謝。そういうもので映画を撮りたいと思っています。
インタビュー/西川ちょり
写真提供/tough mama
福間健二監督プロフィール
1949年生まれ、新潟県出身。詩人、映画監督。高校時代から8ミリ作品を撮り、1969年、若松孝二監督『現代性犯罪暗黒篇 ある通り魔の告白』に脚本・主演、さらに16ミリ作品『青春伝説序論』を監督する。同時に詩を書きはじめ、現代イギリス詩の研究者としての道を歩みながら、詩と映画への情熱を燃やしつづける。
1995年、劇場映画第一作『急にたどりついてしまう』を発表。2008年に13年の時を経て『岡山の娘』を発表。以後『わたしたちの夏』(2011)、『あるいは佐々木ユキ』(2013)、『秋の理由』(2016)を発表し、若い世代の映画作家・批評家・ファンから熱い支持を受ける。
2011年、詩集『青い家』で萩原朔太郎賞と藤村記念歴程賞をW受賞。その他の詩集に現代詩文庫版『福間健二詩集』(1999)、『侵入し、通過してゆく』(2005)、『あと少しだけ』(2015)、『会いたい人』(2016)などがある。その他の著書・編著に『石井輝男映画魂』(1992)、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』(1996)、『佐藤泰志 そこに彼はいた』(2014)など。翻訳にマイケル・オンダーチェ『ライオンの皮をまとって』(2005)など。
映画『パラダイス・ロスト』の作品情報
【日本公開】
2020年(日本映画)
【監督】
福間健二
【キャスト】
和田光沙、我妻天湖、江藤修平、小原早織、木村文洋、森羅万象、宇野祥平、佐々木ユメカ、スズキジュンゾ、松本桂、岡田潔、グラシアス小林、郷津晴彦、外山将平、吉野晶、室野井洋子、古家未葵,田中千里、川端もくは、井上りか子、北村愛子、秋山豊之、城定秀夫、狩野強、浅野加奈、加瀬修一、内田左京、富澤大勇、狩野久美子、狩野朱、大濱和朗、鬼丸知子、勝野斗太、小松宏佳、島岡多恵子、深瀬雅子、藤原宏
映画『パラダイス・ロスト』のあらすじ
東京郊外の人気のない場所。山口慎也は心臓発作で倒れ、通りかかる人が誰もいない中、静かに息を引き取る。慎也はネットで古本屋を営み、原民喜の小説と木下夕爾の詩を好んでいた。妻の亜矢子は、彼の死後、ときには彼がそばにいると感じながら、生前、彼は何を考えていたのだろうと彼のノートを読みふけっていた。
一年が過ぎ、亜矢子のまわりには、いまは北海道にいる友人の佐々木ユキ、その恋人で映画監督の川村講平、慎也の母・信代と異父弟の翔という面々がいた。翔は芸大を目ざす受験生で、亜矢子に密かに好意を抱いていた。講平の頭のなかには、自分の撮ろうとする映画の登場人物になったユキがいる。「人を招いてごちそうする」ような映画を作ろうと講平は思う。
亜矢子は、仲間とデモから戻る途中の翔に偶然に会い、そのやさしさに触れる。同じ日、北海道から戻ったユキが講平とごちそうをつくり、亜矢子の三十歳の誕生日をお祝いしてくれた。その夜、ある空き家の庭にいた翔は、慎也の気配を感じ、ボールを投げてみる。するとしばらくしてボールが彼の元に返ってきた。亜矢子のことを「好きだ」と告白して投げたボールは、慎也ではなく、ある男の手に届く。その男のさまよう地上には、原民喜の「心願の国」を読む慎也の声がひびいていた。
「福間健二監督特集―京阪神三都編」上映作品
映画『急にたどりついてしまう』の作品情報
【日本公開】
(日本映画、初公開:1995年)
【監督】
福間健二
【キャスト】
伊藤猛、松井友子、北風太陽、今泉浩一、小林節彦、田中要次、伊藤清美
映画『急にたどりついてしまう』のあらすじ
東京郊外の町に流れてきた青年信次はソーセージ屋で働き、毎日散歩をする。ある日、彼はリサと知り合い、2人のアパートの前をいったりきたりするうちに、親しくなる。いつもステテコ姿の同居人、ソーセージ屋で働く要領の悪い同僚、リサのかつての恋人など、様々な人々が2人の周りを交錯する。
映画『岡山の娘』の作品情報
【日本公開】
(日本映画、初公開:2008年)
【監督】
福間健二
【キャスト】
西脇裕美、家ノ上美春、石原ユキオ、季羽和喜、入海洋一、東井浩太郎、岡本文子
映画『岡山の娘』のあらすじ
岡山大学に通うみづきは母親と二人暮らし。ある日家に帰ってみると母が倒れて亡くなっていた。母は借金を残していたので、みづきは大学を辞め、自己破産の手続きをとる。そんな矢先、20年間会っていなかった海外にいる父親から、会いたいという手紙が届く。
映画『わたしたちの夏』の作品情報
【日本公開】
(日本映画、初公開:2011年)
【監督】
福間健二
【キャスト】
吉野晶、小原早織、鈴木常吉、千石英世、松本雅恵、川野真樹子
映画『わたしたちの夏』のあらすじ
日本の夏は死者と逢える夏。死者が戻ってくる夏。千景はもうすぐ40歳。小さな雑貨店の店主をしながら、写真を撮り続けている。かつて一緒に暮らした男の娘サキと偶然再会した千景は、サキのお母さんになれなかった日々のことを思う。
サキの父親・庄平も東京に戻っていると聞き、過去の気持ちが蘇ってくる千景。その後サキとは何度も出会うことになるが、彼女はどこかつれない態度を取り続ける。「わたしのこと、嫌い?」と尋ねると「嫌いじゃないけど……苦手」という言葉が返ってきた……。
映画『あるいは佐々木ユキ』の作品情報
【日本公開】
(日本映画、初公開:2013年)
【監督】
福間健二
【キャスト】
小原早織、吉野晶、千石英世、文月悠光、川野真樹子、籾木芳仁、萩原亮介、川島加奈代、村上寛、小原治
映画『あるいは佐々木ユキ』のあらすじ
20歳の佐々木ユキは、東京の郊外で一人暮らしをしている。ユキは福岡で母と暮らしていたが、恋人ができた母親から100万円渡されて家を出た。父と兄は行方知れずだ。父の残した言葉「生きていればいい」という言葉が妙にひっかかっている。ある日、ユキは偶然に詩人の文月悠光の朗読を聞き、詩の言葉が心に残った。ユキは「佐々木ユキ主義」を紙に書きつける。ある日、もうひとりの佐々木ユキが現れ、2人はユキaとユキbとして親しくなる……。
映画『秋の理由』の作品情報
【日本公開】
(日本映画、初公開:2016年)
【監督】
福間健二
【キャスト】
伊藤洋三郎、佐野和宏、趣里、寺島しのぶ、安藤朋子、木村文洋、小原早織、吉野晶、安倍智凛、正木佐和、佐藤楓恋、岡本優里、佐藤寿保、瀬々敬久、サトウトシキ、いまおかしんじ
映画『秋の理由』のあらすじ
宮本守は一人出版社の編集者。友人の作家・村岡正夫の小説を出版するのを使命としている。しかし、村岡は精神的な不調から声が出なくなり、筆談器を使って会話している。代表作『秋の理由』を出版して以来小説を発表していない。
村岡は大切な友人だが、宮本は密かに彼の妻・美咲に恋していた。そんな宮本の前にある日、若い娘・ミクが現れる。
映画『パラダイス・ロスト』&特集上映の劇場情報
【出町座】
『パラダイス・ロスト』:2020年7月3日(金)~7月9日(木)
「福間健二監督特集上映」:2020年6月19日(金)~7月2日(木)日替上映
▶︎出町座公式HP
【元町映画館】
『パラダイス・ロスト』:2020年7月4日(土)〜7月10日(金)
「福間健二監督特集上映」:2020年6月27日(土)~7月3日(金)日替上映
▶︎元町映画館公式HP
【シネ・ヌーヴォ】
『パラダイス・ロスト』:2020年7月4日(土)より~
「福間健二監督特集上映」:2020年6月27日(土)~7月17日(金)日替上映
▶︎シネ・ヌーヴォ公式HP
※上映作品、上映時間、舞台挨拶など詳細は各劇場HPでご確認ください。